1.父の決意
いつもお読み頂きありがとうございます。
今回の作品はいつもとちょっと違う感じですが、またお付き合い頂けると幸いです。
更新は今までと同じような間隔になります。
よろしくお願いいたします。
G歴七四二年 春
グランブリラス王国の地方都市メイクフィールド市は、五百年前から続くメイクフィールド大学の蜂蜜色の建物が点在する美しい都市である。穏やかな日差しが降り注ぐ午後、王都カデラまで続くレイン川をアルバイトの学生が漕ぐパント舟と呼ばれる船に乗った観光客が、優雅に川下りを楽しんでいた。
その静けさを破って、それらの船の脇を勢い良く通り過ぎる二艘のボートがあった。岸から聞こえる漕ぎ手を応援する声で、どうやらそのボートは今、デッドヒートの真っ最中らしい。
「行け、行け、テッド!」
「乗馬部なんかに負けるな!」
「リゲル!そのままぶっちぎりよ!」
「ラクロス部のむさい男なんて敵じゃないわ!」
テッドと呼ばれた少年は歯を噛み締めると、すぐ隣に迫っているボートの漕ぎ手をチラッと見た。
― チェッ、女のくせに。この負けず嫌いめ! ―
その視線を感じたのか、リゲルも彼をチラッと横目で見た。
― 絶対負けないわよ ―
彼女も歯を噛み締めると、オールを漕ぐ手に力をこめた。二つのボートが立てる激しい水音を、驚いたように見つめる観光客の横を通り過ぎ、彼等のボートはそのままレイン川を下ってチャーイル川との合流点へ向かった。そこが最終のゴールなのだ。岸から彼等を応援している友人達も、走りながらゴールへ向かった。
二艘のボートはほぼ同時にゴール地点に突っ込んだ。その様子をゴールで待っていた乗馬部とラクロス部の部長が見て判断することになっていたが、部員達がやってくると、彼等はどちらも自分のクラブが勝ったと言い争っていた。
「あなたの目は節穴なの?リゲルのボートの方が3インチほど前に出ていたわ」
「違うね。テッドの方が前に出ていた」
睨み合う彼等の周りを囲んで、部員達も言い争い始めた。そこにさっきボートを漕いでいたリゲルとテッドが戻って来た。部員達が一斉に彼等の周りを囲んで、どちらが勝ったのかを聞いた。リゲルがちょっと小首をかしげながらニヤッと笑ってテッドを見ると、彼は両手を上に挙げてお手上げのポーズを取った。途端に周りを取り囲んでいた乗馬部の仲間から歓声が上がった。
「さすがリゲルだわ」
「勝利の女神だな!」
それを受けて乗馬部の部長がラクロス部の部長に向かって言った。
「これで中央グラウンドは、乗馬部が使わせてもらうことに決まったわね」
ラクロス部で一番身体の大きな部長は悔しそうに顔を歪めると、仲間と共に引き上げて行った。
「やったわ。これで今年の国際大会はいただきね!」
リゲルも肩や腕が少しきしむのを覚えながら嬉しそうに笑った。
「ええ、もちろん」
仲間達はこれからカフェで勝利の打ち上げをやるのだが、リゲルは用事があるからと別れた。今から父が勤めるメイクフィールド大学に行くのだ。大学は街の中心街から10分もあれば行ける。といっても、メイクフィールドはその建物を町中に点在させているので10分の所もあれば、30分掛かる場所もあるのだが・・・。
背の高い先端のとがった塔が立ち並ぶ建屋にやって来ると、リゲルはキャンパスの中に入って行った。建屋の一番奥にあるのは農学部で、他の建物より少し離れている。回りには稲や大麦の栽培を行なっている実験農場が、他の学部の美しい庭の情景を壊さないように遠慮がちに並んでいた。その小さな農場を見回したが父の姿は無かった。多分自分の部屋で、新しい品種の稲や農薬の研究でもしているのだろう。
アーチ状の入り口を入って、誰も居ない廊下を歩いていった。教授の部屋も廊下もシンと静まり返っていて、どうやら他の場所にある大きな実験農場にでも出かけているようだ。廊下の一番奥の部屋の前でリゲルは立ち止まった。ドアに貼ってある真鍮のネームプレートの『Professor MACCARNIO(マッカーニオ教授)』という文字を確認してドアをノックした。父のロベルトは誰かからの手紙を読んでいたが、リゲルの姿を見ると、それを折りたたんで振り向いた。
「おやおや、ここには学生でないと来てはいけないと言っておいたと思うがね。お嬢さん」
「あら、後一年と半年もすれば私もここの学生になるわよ」
リゲルは当然のように言うと、壁際にあるソファーに腰掛けた。
「又何処かの農場で、パパの技術が必要だから来てくれって依頼でもあったの?」
「察しがいいね」
リゲルは冗談っぽく言ったが、ロベルトの表情は少し暗かった。彼は椅子には座らず、机にもたれたままソファーに腰掛けて不思議そうに自分を見上げている娘を見た。
「リゲル。サトウキビを知っているだろう?」
「サトウキビ?もちろんよ。砂糖の原料になるものでしょう?」
「そうだ。私が昔世話になった先輩がある大きな農場に居るんだが、今度そこでサトウキビの生産に着手する事になったらしい。サトウキビは砂糖の原料になるだけでなく、葉は布や洋服を染める原料や家畜の餌に、茎は塗料の原料に、絞り汁は糖蜜にと色々な活用がされている。彼はそれ以外にも皮やバカスと呼ばれる搾りかすを使って、医薬品や燃料を作る研究をしているんだ。その大規模農場では今コーヒーの生産を行なっているんだが、そこに父さんも来て一緒にサトウキビの栽培と工場の建設に協力して欲しいと依頼があったんだよ」
リゲルは黙って父の話を聞いていたが、心の中は不安で一杯だった。サトウキビがどんな植物かはよく知らないが、多分熱帯などの暑い場所にしか生えないはずだ。その農場のある場所が、夏でも20度くらいしか気温が上がらないグランブリラスではないことは明らかだった。
「その大きな農場って何処にあるの?」
「カンターヴェラ帝国だ」
「カンターヴェラ?」
聞いた事がある国名だが、聞いた事があると言うだけの全く見知らぬ国の名に、リゲルはただ戸惑ったように父を見た。ロベルトは娘の驚いたような反応を予測していたように答えた。
「実はもう二十年以上前になるが、カンターヴェラに行っていたことがあるんだ。まだママと結婚する前の話だがね。当時はまだそんなに大規模な農園は無かったが、コーヒー豆の生産は既に始まっていて、隣国ペレトからの入植者があちこちで農園を開いていた。確かにグランブリラスより暑くて未開の地も多いが、首都のアリージャやメリッサは活気のある街だよ」
リゲルがうつむいたまま黙っているので、ロベルトは更に続けた。
「農場と一口に言っても、この辺りにある農場とは規模が違う。広さは5万エーカーもあるんだ。地平線の端まで広がる農園は、きっととても素晴らしい眺めだと思うよ」
顔を逸らしている娘がどんなことを考えているのか、ロベルトには何となく分かっていた。いきなりこんな話をされれば戸惑うのは当然だろう。リゲルは生まれてからずっと、この美しく穏やかな都市で生きてきた。それに高校を卒業したらこのメイクフィールド大学に入学し、将来は教師になりたいという夢もあるのだ。そんな娘にいくらやりたいことがあるとはいえ、故郷を離れて付いて来いとは言えなかった。
「もちろんリゲルは好きにすればいいんだよ。家もあるし、君が一人で暮らしていけるだけの充分な資金は残していくつもりだから。それに・・・」
リゲルが急に立ち上がったので、ロベルトはそこで言葉を切った。
腹立たしさに自然に眉間が寄るのをリゲルは感じた。父はもう完全にカンターヴェラへ行くと決めてしまっているのだ。どうしてそんな大切なことを、何の相談もなしに決めてしまったのだろう。十年前、母が亡くなってからずっと父と娘、二人きりで生きてきたのに、ここでの暮らしは父にとって何の意味も無かったのだろうか。そう思うと、リゲルは腹立たしいというより情けなくなって涙が出そうになった。
「ええ、もちろん私はここに残るわ。カンターヴェラなんて、絶対に行くものですか!」
怒りに任せて部屋から出て行く娘の背中が見えなくなると、ロベルトは一人呟いた。
「多分、君はそう言うと思っていたよ。リゲル・・・」
勢い良くキャンパスを飛び出してきたリゲルは、石畳の道を踏みしめながら、にじんできた涙を拭い取った。どうして父はそんなにカンターヴェラに行きたいのだろうか。メイクフィールド大学の教授という名誉ある地位を捨ててまで。世話になった先輩に頼まれたから?それとも娘と二人きりの生活に飽きたからだろうか。
リゲルは橋の上で立ち止まると、欄干からとうとうと流れるレイン川を見下ろした。キラキラと光るグリーングレーの水面は、対岸にある木々を映して、いつもと同じように美しかった。小さく溜息を付くと、リゲルは父の顔をその水面の上に思い浮かべた。きっと今考えていたこととは違うのだ。父が人に頼まれたり、生活に飽きたりしたから何処か違う土地へ行こうとしているなんて。
ロベルトは穏やかで優しい性格だが、自分の研究や新しいものを開発することにとても情熱的なのだ。カンターヴェラへ行くのもその国だけでなく、新しい研究が出来ることに魅力を感じたのだろう。だがそれが分かったとしても、リゲルには割り切れないものがあった。
「パパのバカ・・・」
欄干に肘をついて、リゲルはもう一度溜息を付いた。




