34.化け物と青年
「ソフィアさーん!」
「ソフィア、いるー!?」
再び森へ足を踏み入れたアルスたちは、周囲を警戒しながら必死に声を張り上げていた。
本来なら、こんな大声を出すなど自殺行為に近い。
未知の魔物が潜んでいる可能性がある以上自ら居場所を教えるようなものだが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
木々の隙間から差し込む夕陽は既に沈み始めている。
森の中は昼間よりも薄暗く、湿った空気は肌にまとわりつくようだった。
「ソフィアさん!!」
返事はない。
聞こえるのは、自分たちの荒い息遣いと、風に揺れる木々の音だけ。
その静けさが、かえって不安を煽った。
「っ、二人とも見て!」
不意にアルスが鋭い声を上げる。
地面へ視線を向けると、湿った土の上にいくつもの足跡が残されていた。
「……足跡だ」
「マジか。……あんなに見つかんなかったのによ」
ガーディールが眉をひそめる。
これまで何日探しても見つからなかった痕跡が、まるでこちらを導くように残されている。
「……新しいわ。ソフィアよ、きっと」
エスカがしゃがみ込み、足跡を確認する。
草の踏み潰され方も浅い。
まだつい先ほど通ったばかりなのだろう。
「追うよ。急ごう!」
アルスが先頭を切って駆け出した。
枝葉をかき分け、ぬかるんだ地面を蹴る。
焦りが全員の足を速めていく。
――その瞬間だった。
ぐらり、と。
森全体が大きく揺れた。
地面が揺れたというより、空気そのものが軋んだような感覚。
木々がざわめき、鳥たちが一斉に飛び立つ。
「──っ!!」
アルスの背筋を悪寒が駆け抜けた、直後。
遠くから、悲鳴のような声が聞こえる。
「……っ、今の!」
「ソフィア!!」
アルスたちは一気に駆けた。
鬱蒼とした木々を抜けた先。
開けた空間へ飛び込んだ瞬間、全員の動きが止まる。
そこに、ソフィアがいた。
木へ背中を強く打ち付けたのだろう。
銀色の髪は泥に汚れ、清潔だった服も土埃にまみれている。
苦悶に顔を歪めながら、彼女は地面に横たわっていた。
そして――
「でけぇ……ッ!!」
ガーディールが息を飲む。
その視線の先。
森の中央に立っていた“それ”は、あまりにも異様だった。
肥大化した右腕。
胸元から不自然に生え広がる白銀の体毛。
全身の均衡を無視した、歪な肉体。
そして顔の中央には、血走った巨大な一つ目がぎょろりとこちらを見下ろしている。
人とも獣ともつかない。
魔物という言葉ですら生ぬるいほど、異質な存在だった。
腐臭にも似た生臭い匂いが辺りに漂い、空気そのものが重く淀んでいる。
「はぁ……くっ……皆さん、どうして……」
ソフィアが苦しげに声を漏らす。
「助けにきたわよ、ミティが貴方が森に入ったって!」
エスカが駆け寄ろうとする。
だがソフィアは、どこか呆然とした顔で視線を落とした。
「あぁ……そうですか、あの子には、見られて──しまっていたのですね……」
その声には、諦めにも似た響きが滲んでいた。
「っ、おかしい、魔法が……発動しない……っ」
「魔法──?」
恨めしそうに吐き捨てるソフィアの言葉に、エスカは眉をひそめる。
しかしその意味を聞く暇もなく。
「オォォオーーーー──!!!!」
化け物が咆哮を上げ、空気が震える。
耳の奥まで響くような低音に、全員の身体が強張った。
「おいアルス!! こいつは結局なんだ!?」
ガーディールが叫ぶよりもずっと前から、アルスは化け物を凝視している。
「ホロウガルムの毛に、サイクロプスの目に……体……? なんだ、こいつ……」
しかしどれだけ考えても知識が繋がらない。
分かりやすく異形と呼べる目の前のそれは、果たしてまともな生物なのか。切迫した状況だというのにそんな素っ頓狂な考えが浮かび、自分で自分の頭を否定したくなる。
けれど結局一つの結論は変わらず、アルスの喉が震えた。
「こいつ、魔物じゃない!!」
その言葉と同時。
「グッ……ウォオオオオーーーー──!!!!」
再び化け物が絶叫する。
肥大化した口元から、どろりと赤黒い血が溢れ落ちた。
まるで、自分自身の肉体に耐えきれていないかのように。
よく見れば、毛の生えていない部分の肉体は不気味に脈打っている。
ぼこり、ぼこりと。
皮膚の内側で何かが暴れているように膨れ上がり、今にも破裂しそうだった。
その姿は、恐ろしいというより――痛々しい。
「ガーディ!! ソフィアさんを避難させて!! 急げ!!」
アルスが叫ぶ。
「っ……わかった! でもお前は!!」
「僕らでどうにかする!! 行けーーーー!!」
ガーディールは歯を食いしばりながらソフィアを抱き上げた。
ソフィアは何か言おうとしたが、声にならない。なぜこんな所にと聞きたい事は色々あっただろうが、なりふり構わずガーディールは森の奥へ駆け出していった。
残されたのは、アルスとエスカ。
そして、化け物。
重苦しい空気の中、エスカがゆっくりと鉄剣を抜いた。
刃が夕陽を反射し、鈍く光る。
「ごめん、エスカさん。結局頼る事になっちゃうね」
アルスが震える声で言う。
その額には冷や汗が滲んでいた。
恐怖はある。
足も震えている。
だが、それ以上に――ここで逃げれば全員死ぬという確信があった。
「良いわよ、覚悟してた。それより貴方、戦えるの?」
エスカは視線を化け物から逸らさないまま尋ねる。
アルスは小さく息を吐いた。
胸の奥。自分の中に眠る“それ”を意識する。
鼓動が、わずかに熱を帯びた。
「……まぁ、ちょっとだけ」
「じゃあ今は……当てにしていい? 研究家さん!」
アルスは黙って頷いた。
そうして立ちふさがる二人を、化け物は敵と認識したのだろう。
「ウゴォッ……オォアアアアーーーー──!!!!」
地を揺らす激しい慟哭と共に、アルスたちへと飛び掛かっていった。




