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57.

 城門を抜けると夜中にも拘わらず、街は舞踏会さながら大変な賑わいを見せていた。男も女も大人も子供も皆、一様にこの祝事を喜んでいた。これではさすがに馬を走らすことは危険だと判断したダンは馬を降り、人気の少ない裏道まで歩く事にした。途中、見ず知らずのダンにまで、祝い酒を振る舞ってくれる飲み屋の主人に丁重に断りを入れ、先を急ぐ。人々の幸せそうな様子にダンは目を細め、亡き母に想いを馳せた。


「母さん、イール国はこんなに明るく豊かになりましたよ。それに貴女の小さなアニスは想い人が出来る歳になりました。皆、幸せに暮らしています。」


 雲の切れ間から美しい月が現れる。ダンはこの月を忘れないように脳裏に焼きつけた。裏道に入るとダンはまた馬に跨がり我が家を目指す。アニスは良くも悪くも母にとても似ていた。こうと思えば自分の信念を曲げる事は一切なく、信じた道を突き進む。だからこそ、裏切られた時の衝撃も人一倍大きい。


 ダンはそんな妹がいとおしくて仕方なかった。だから、長い間の引きこもり生活から、ようやく抜け出すことが出来た少女が、自分の意思でソルシアン皇子を選んだのなら、たとえ父を敵にまわしてでも、この恋を後押ししてやろうと心に決めたのだった。


 …そして息子の突然の帰宅に驚くザックはダンの話を聞くと顔色を変え、すぐさま支度を整えると馬に跨がった。出発前、ダンは父、ザックに忠告した。


「父さん、アニスは本気です。頭ごなしに反対したところで反抗的な行動に出るだけで、何も良いことはありませんよ。しかも相手はあのアムダルグのソルシアン皇子ですから、下手な手は打てません。それに私は父さんがいくら反対しても妹の味方に付くつもりですから。」


 ダンは父が妹の事となると、見境が無くなるのをよく知っていた。その昔、庭の改築を依頼した時のこと。一人の庭師が薔薇園にいたアニスを偶然見かけ、あまりの可憐さに心を奪われたのだった。帰りがけの行きつけの店の中、男は仕事仲間との酒の席で少女を話題を出した。


「まだ13だと聞いたが、体はもう充分に魅力的で男を誘っているみたいだったぜ。」


「お、おい、あのお嬢さんはクラーロ家のご令嬢だぞ。変な気は起こすなよ、やめておけ。第一、おまえなんか見向きもされやしないさ。しかもまだ13歳だぞ。」


「へへへ。生まれた時から女は女なんだよ。この俺様があの娘を本当の女にしてやるよ。あれだけ広い庭園だ。ちょっと茂みに連れ込みゃ、誰にも見つかる心配もねえしな。うんと可愛がってやろうじゃねえか。」


 幸い、ダンの知り合いがその店に居合わせたおかげでその情報はその日の内にダンやザックの耳に入ることとなった。そんな話は酒の上での冗談だとは思ったが、ダンは翌日になったらその男に釘を刺しておこうと思った。


 しかし次の日、男は屋敷に現れなかった。気になったダンはそれとなく他の庭師に聞いたところ、こつじょ姿を消してしまったようで、部屋にあった男の荷物は無くなっていたそうだ。


 ダンが執務室にいた父に男の事を報告すると、顔色一つ変えることなく、「そうか…」とだけ言って、また書類に目を落としたのだった。執務室の扉を閉め、廊下に出たダンは思った。『もしかすると、この世からも姿を消しているかも……』先ほどダンの報告に一瞬だけ目が合ったザックの瞳は、恐ろしいほど冷たい眼差しをしていた。


 きっと酒に酔った男は気持ちが大きくなって、できもしないことを仲間に話しただけだろう。ダンの憲兵仲間にも、酒の席ではそう言った下世話な話題はよく出たが、皆本気でしようなんて思わないし、現実に起きることもなかった。ダンはぶるぶるっと身震いし、この件については、何も聞かない何も考えないことにしたのだった。


 ザックはそれほどまでに娘を溺愛している父親なのだ。それが10年ぶりに外の世界に触れたとたん、やれ恋人だ、結婚だと、突然言われても、これまで大切に大切にそれこそ、真綿に包み込むように育ててきた一人娘を、はいそうですか。と差し出すわけがないと、ダンは思っていた。……だが、


「……誰が反対すると言った?」


 父、ザックの言葉はダンの予想に反するものだった。


「ほら、行くぞ!」


 呆気にとられ、ポカンと口を開くダンを尻目にザック・クラーロは馬の腹を蹴った。


「あ、は、はいっ!!」


 ダンは慌てて馬に飛び乗り、父の後を追ったのだった。





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