アウトローに学ぶ異界生存戦略.68 枢機卿ドゥーランの悲嘆 (タイタニア人とヤヌ人。その魔法への理解の違い。)
――私はきっと間違っていた。
このヤーラカーンのカテドラルを牛耳る男。ドゥーランは己に立ちはだかる障害を恨み、その生涯を悔いていた。
大聖堂クリストロ。
その白亜の壁にもたれ、天井を見やる。
柱と柱を繋ぐアーチとアーチが交差し天井に描かれた魔方陣を見やる。
自分の顔の皺を数える。
幾年も重ねてこの座に上がった。
その私の生きた証が皺となり顔面に刻まれている。
深く皺をなぞる。
干乾びそうな草臥れた手の細部が私の眼球に映る。
幼い大王を上段に飾り、私が描く未来をこの補佐の立場より築く。
たったそれだけのために長い年月をこの国で政争に費やしてきた。
――それがどうした!
このドゥーランの生涯を賭けた指導によりこのヤーラカーンの聖職者どもは他の国より優れた聖格を持っているはずだ。
――それなのに、そんな私の手駒を軽く凌ぐ程の力がこの世にはあるのだ。
報告によると西のマダイラの隠者たちは尽く姿を消している。
これも渡来した国の力か……。
四面楚歌のこの世で、彼等は緩衝地帯として働いてはくれなかったようだ。
彼は拳を握る。
力なくわなわなと震える拳。
――私は老いた……。
――老いた上で、生涯得た物を奪われるというこの上なく惨めな最後を迎えろというのか!
憤りにより頭に血が上り、興奮がなかなか冷めやらない。
立っていることも難しくなるほどの動悸が激しく彼を打ちのめす。
――私は老いた。
一人の老人は崩れる様に椅子に座りこむ。
老人は欲していた。
己の全てを賭けて欲した。
――この世に生まれたからには、神の声を聴いたからには……
もともと人並み外れた脚力を持つこのヤヌ人。彼らの中で魔法(彼らは聖格と呼ぶ。)を得る者はその全てが魔法の発現の際に世界との融合を体験する。
カーマがそれをドラッグのようだと評したように、全てのヤヌ人の聖職者はそれを天啓と受け取っている。
これはタイタニア人であるフーガ・コートリー(今現在はヤーラカーン内で動けるよう偽名としてショーイと名乗っている。)などには起こりえない。
それもこれもヤヌ人自体の魔力への過敏性があってこそなのである。
これはヤヌ人に神への信仰を説いた。魔法という世界の理との接触はそう感じられるほどの物であったのだ。
だが同時に傲慢さを与えた。我は神に愛されている。こういった自意識は彼らの得た天啓を広く広める事の妨げとなった。
それがタイタニア人のように魔法を技術として取り込めていない原因である。
彼らは魔法を使う。しかし、己が得た物だけである。
先人の偉大な大神官も大僧正も、その聖格を伝える術を持たなかったのだ。
それは修行。それは非言語の知識。自ら達しなければならない境地。
彼らの伝え方が真実間違っていたとは言わない。
それにより伝えられた聖なる魔法(本当の意味での魔法、下手な人為的考察や知識として定型を持たぬ真実の世界の理。)は、その資格を持つ者にとっては得難い先人からの指摘となる。
しかし、タイタニア人の様に『魔法』を一般化させる事が出来ていないのは事実であった。
彼らの様にオリジナルを劣化であっても再現する、他の者でも容易く使えるようにする事を拒んだ故に、彼らの聖格は未だ神職内だけにしか広まっていない。
その力を得るために。ただそれだけのために彼ら神聖なる素質を持った者たちの領域に子息を入れる貴族もいるが、なかなかその成果は出ていないようだ。
だが、その中で聖格を得た貴族が得る社会的な力はヤーラカーン内においては凄まじいものである。
同じように、軍人の身でありながら魔法の素質を持つイガ将軍はヤーラカーン国内で神より寵愛を受けた英雄として祭り上げられている事は確かである。




