8
六時間目。遊夢室にて。
「じゃあ、加神夕霧とは会えたんだ?」
壁にかけられていたレッドタイガーアイのピストルを手に取りながら、雅紀は言った。
「うん……」
明は浮かない顔をしている。同じように、レッドジャスパーのピストルを手に取った。
「どうだったわけ?」
雅紀は素朴な疑問として明に聞く。
「どうって……」
明は昼休みのときのあれやこれを考えた。
なんか、色々あった昼休みだ。
「思わず、一目惚れって信じますかって言っちゃって、死ねって言われた」
「なんか昼休みのときも似たようなことを言った気がするけどさ、そんな女のどこがいいの?」
どこって……かっこいいところ?
「女の魅力って胸だけじゃないんだなって、つくづく思ったよ」
「うん、まぁ、別に俺もそれだけじゃないとは思ってるけど、そんなアンニュイな顔で言うことか?」
そんな顔をしてただろうか? 自分じゃ全くわからん。まぁ、本当に色々あったからな……。
「そんなことより明、あれにはびっくりしたよな」
雅紀はその話にそれほど興味がなかったのか、急に話題を変えてきた。楽しげに笑いながら、あちらからはわからないように小さく、指を差す。
明は後ろを振り向いた。
ちょっと遠くに、細田と話をしている伊森先輩がいた。妹さんのことで忙しかったのかもしれないが、それでも伊森先輩は細田のことを心配していたのだと思う。熱心に細田に話しかけていた。
しかしその姿は小学生の一、二年生ほどに変わっていた。
一週間前に会ったときには低いながらも、間違いなく小学校の高学年ほどの背丈はあったのに、今は身長も体格もさらに幼くなってしまっている。
あれが、呪いの効果か。
伊森先輩は俺たちのチームの他に、六つのチームを受け持っている。つまり誕生石持ちは俺たちの六倍もの回数、戦場に行かなければならないということだ。そして戦場で力を使えば、呪いは進行してしまう。呪いが進むスピードには個人差があるらしいが、伊森先輩のそれは速いように見えた。
「あれ、でもなんかおかしくないか?」
洋吾を遠くから眺めていた明は、ぽつりとつぶやいた。
「なんだよ、伊森先輩の身長が縮んでることに驚いてるのか?」
「いや、そっちじゃなくて。伊森先輩の髪の色、少し変わってないか?」
伊森先輩の髪は、この間まできれいで鮮やかな深い緑色だった。けれどそれが今は、少しだが色が薄くなっているような気がする。
「あぁ、髪の色か。あれは誕生石持ちの宿命だな。絶頂期を過ぎたんだよ」
雅紀はそんなことも笑いながら言った。
「絶頂期?」
聞き慣れない言葉だったため、明は首を傾げる。
「その名の通りだ。誕生石は使えば使うほど力が強まるけれど、それと同時に髪の色も黒からそれぞれの石の色に変わっていく。濃くなっていく。石の力は体内に蓄積するから、それによるものとも、呪いの副作用だとも言われているけど、だからこそ石の力が強まれば強まるほど髪色も濃くなり、絶頂期を迎えるとほとんど石と同じ色になる。けれどな、その絶頂期を過ぎればその力はどんどん衰退していくんだ。髪色もそれと並行してどんどん薄くなっていき、最後には白になる」
美しいほど真っ白に。
雅紀はそう言った。なぜだか俺は、その言葉に背筋がひやりとした。
その先を聞くのが恐ろしかった。
「どうなるんだ? その、髪が白くなったら……」
それでもゴクリと唾を飲み、明はつぶやいた。
聞かずにはいられなかった。それでも、知りたいと思った。
雅紀の口の端が三日月形につり上がる。
その表情にぞっとした。
楽しそうに笑う雅紀は、やっぱり俺以上だと思う。
「髪が白くなったら、それで終わりだな。誕生石に捨てられる。けれど剣を使えなくなるだけじゃなく、ピストルも使えなくなる。誕生石は嫉妬深いからな、他の石を持つことを嫌がるんだよ。自分は思う存分人間から力を吸い取るくせにな。ただ髪が真っ白になることは同時に、かけられた呪いの終着地点をも意味している。戦えなくなるより先に、呪いに食われて死んじまうことの方が多いんだ。考えてもみろよ。伊森先輩のあの呪いが、最終的にどうなるのか」
最終的に……。
明は洋吾の方を振り返った。
小さな伊森先輩の姿が、やけに目の奥に焼きつく。
最終的になんて、そんなのはわざわざ考えるまでもないことだった。答えは簡単だ。簡単だからこそ簡単には、口に出せるようなことではない。
けれど雅紀は俺とは違って、そんなものに気をかけたりはしなかった。
あくまで楽しそうに告げる。
「赤ん坊になったら、もうアウトだろうな。どうも最近は呪いの進み具合が早くなってきたみたいだし、あの人も先はそう長くないだろう」
明は目を見開いた。見開いて、雅紀を見た。
けれど雅紀はあっさりとそう言ってから、明の目の前を通り過ぎる。
目で追うと、細田と伊森先輩のところまで歩いて行っていた。二人に話しかけ、楽しそうに笑い声を上げる。
さすがに、信じられない思いがした。人の死を、あんなに軽く言ってのけるあいつが。
同じ人間だとは思えない。
明はうつむいて、顔をしかめる。
伊森先輩は優しい人だ。あんないい人が死んでしまうなんて、そんなの、いいわけがないのに。
そして同時に、脳裏には夕霧の姿が浮かんだ。鮮やかなオレンジ色の髪が。
息を呑む。
「………」
「明、どうかしたのか?」
近くで人の気配がした。声だけで、それが誰かはすぐにわかる。
「……裕一、元気そうだな」
「まぁな。でも、お前は顔も上げずにそんなことがよくわかるな」
見なくてもわかる。お前がたとえ元気じゃなかろうと、元気そうにしていることは。そして元気じゃないだろう、なんてことを言って欲しくないことは。
けれど裕一に言われたので明は顔を上げた。
目が合うと、裕一が笑った。
中学の頃と全く変わっていないその笑顔に、なぜかすごくほっとする。
本当に、見る分には元気そうで良かった。
裕一とこうして話すのは実に、一週間ぶりのことだった。
「入学して一週間経ったけど、どうだ? クラスに友達はできたか?」
雅紀から聞いていて、友達はもうすでにクラス内外にたくさんいることを知っていたが、あえてその情報は知らないフリをした。
「明は、雅紀と仲良くやっているみたいだな」
裕一は雅紀とは百八十度違う、好感の持てる笑顔でそう言った。
こっちは知らないフリをしたが、裕一はそんなことはしなかった。知っていることをありのままに話した。
「まぁな」
けれどそのことをわざわざ話題には上げず、素直にうなずく。
頭の中に、雅紀に言われた言葉が浮かんだ。
”なぁ明、お前と裕一って何なんだ? 友達?”
明は小さくため息を吐く。
それは……。
思考が働きかけたところで、遊夢室の出入り口の扉が向こう側から開いた。薄暗い遊夢室の中に、明るくて白い光が差し込む。そしてそこから、明るい声が響いて聞こえてきた。それは知らない人の声で、聞いたことのないほど甘ったるい声だった。
「お兄ちゃん!」
明は目を丸くして前を見る。
そこでは信じられないことに、制服ではなく真っ白いワンピースを着た美少女が、小さな伊森先輩に背中から抱きついていた。
「お兄ちゃん、会いたかったよ~」
女の子は伊森先輩の首に、ぎゅうぎゅうという音が聞こえてきそうなほど強く、抱きついている。
「痛い、痛い、痛いっての、有音。頼むから放してくれ」
冗談ではなく、高校生と小学一年生くらいという体格差があるので、伊森先輩は本気で苦しそうだった。ある種のプロレス技に見えなくもない。
明を含め、その場にいたチームメイトの全員が絶句した瞬間であった。
雅紀だけは自分の口元をおさえているから、たぶん笑っているけれど。
有音……というと、雅紀の言っていた伊森先輩の妹か。伊森先輩の性格を考えると、妹との仲はいいんだろうなーとは思っていたけれど、これは想像以上だ。
明は苦笑してしまいそうになっていたが、今さらながらその少女の髪が目に入った。
伊森先輩のきれいな髪さえ霞んで見えてしまうほどの、圧倒的な輝き。白とも、透明とも言えない色の髪が、揺れるたびに発するプリズムの光。
ダイヤモンド……。
明は目を見張った。
雅紀の情報に間違いはなかったんだ。彼女はダイヤモンドに選ばれている。そしてこれだけ髪の色がきれいなら、呪いも……。
「有音。家の外で会ったときは、もっと行儀良くしてないとダメだって言っただろう?」
「はーい」
伊森先輩が、しゃがんでようやく同じぐらいの高さになった女の子の頭をなでている。女の子は嬉しそうに笑っていた。本当に、仲が良さそうに。
けれど俺は、胸に妙な違和感がよぎった。おかしい気がした。例えば、いくら兄妹仲が良くて、妹が甘えん坊だったとしても、普通の年頃の女子高生がこんな公衆の面前で兄に甘えたりするだろうか。動作一つ、表情一つ取っても、どうにも様子がおかしい。まるで小学生どころか、四、五歳ほどの小さな女の子のように見えた。
まさか……とは思う。
女の子の背後に、慌てたようにやってきた男子生徒に、伊森先輩は真剣な顔をして深く頭を下げた。
「土下、有音のことを頼む。できるだけ剣を使わせないようにしてくれ」
土下と呼ばれた男子は、同じように真剣な表情で何度もうなずいていた。俺が見たこともない人物だから、三年生だろうか? もしかしたら伊森先輩の友達なのかもしれない。
「有音ちゃん、さぁ行こうか。あんまりここにいるとお兄ちゃんが困っちゃうから」
土下という男子も、女子高生に対するものとはとても思えないような、甘い声で有音に言った。わざとらしい笑顔で、しゃがんで伊森有音の顔を覗き込む。
「えー……」
有音は明らかに不服そうに、駄々っ子のように頬を膨らませた。
「えーっと、あれだ、有音。明日、お菓子を買ってやるよ。いつもは一つだけだけど、明日は特別に三つな。どうだ、いいだろう? 三つもだぞ」
伊森先輩も笑顔を浮かべ、その小さな両手で有音の大きな手を握った。
不機嫌そうだったその顔が、笑顔に変わる。
「わかった。約束だよ、お兄ちゃん」
伊森先輩と有音の小指がつながった。
そんな様子を眺めていた。けれどふと、裕一はこんな場面をどんな顔で見ているのだろうと気になって、俺は隣の裕一を盗み見た。
すると裕一は、意外にも驚いたように口を小さく開いたまま、その二人の様子を見つめていた。いつもみたいに微笑を浮かべることさえなく、呆然とした表情で。
んん? 何なんだろう、その反応は。
そう思いはしたものの明は、裕一にその理由を尋ねなかった。
「えっと、私用で少し時間を取らせて悪かった」
伊森先輩は俺たちの前で、本当に申し訳なさそうに手を合わせた。見られたのが恥ずかしかったのか、その顔はめずらしく少し赤くなっている。
有音が土下という人に連れられて、遠くに行ってしまった直後のことだった。
しかし真面目な人だなぁ、と思う。それぐらいのことで誰も怒ったりはしないのに。でもたぶん、俺は伊森先輩のそういうところが好きなのだと今、思った。
「でも知らなかったですね、伊森先輩にあんな恥知らずな妹がいたとは」
長塚先輩は腕を組んで、ため息を吐きながらそう言う。トゲのある言葉だった。
誰も怒っていない、というわけでもなかったようだ。それにしても、あんまりな言い方だとは思う。世の中にはどうしても好きになってしまう人間がいるように、好きになれない人間がいるものだ。
それでも伊森先輩は頭をかいて笑っていた。
「いやぁ、悪いな。うちの妹は見ての通り、ダイヤモンドの呪いにかかっていて、心がどんどん幼くなっていく呪いなんだ。呪いの進行が早くてここ数日は手が離せなかったんだけど、今はある程度しつけをして、あれでも大人しくなった方なんだよ」
伊森先輩は明るく語った。決して明るくはない話を。
考えてみれば大変な話だ。七つのチームにリーダーとして戦闘に参加し、その上で子どもに戻っていく妹の面倒を見ているのだ。笑っているけれど、腹の底では何を考えているのだろう。大切な妹が変わっていく様を隣で眺めていて、平気でいられる兄などいないだろう。
一人っ子で、捨て子の俺には想像もできないけれど。
「でもだから俺は、有音を置いて死ぬことはできない。まだ、死ねないんだ」
気のせいかと思うほどの、小さな声が聞こえた。
驚いてその顔を覗き込むと、目が合った。そして伊森先輩はやっぱり笑った。
「さぁ、行こうか。ドリーム・ヴィジョンへ」