☆9月2日★ その6
太陽がオレンジを食べ始めた頃、僕達は観覧車の乗り場へと向かった。
列に並んでいる人は然程多くは無く、僕達の順番はすぐに回ってきた。
係員さんが、回ってきたゴンドラの入り口を開ける。促されて、雅人と由香里が順に乗り込んだ所で、乗り込もうとした僕の腕を、里美が後ろから引っ張った。
「叶人君は、私と一緒に乗ろう」
突然の行動に僕が戸惑っている内に、二人を乗せたゴンドラのドアは閉められた。中から雅人がこちらを覗いていたが、隣で手を振っている里美の顔を見ながら、まぁいいかと言う表情をして中に戻って行った。
「お次どうぞ」
「さ、乗ろ乗ろ」
里美が僕の腕を離さないまま、ゴンドラの中へと乗り込んで行く。
ドアが閉められ、僕達二人を乗せたゴンドラはゆっくりと上昇を始めた。
高度が上がるにつれて、徐々に視界が広がって行く。世界はもう、すっかり緋色に包まれていた。
乗り込んだと同時に僕の腕を解放した里美は、向かいの席に座ったまま暫く外を見ていた。僕はと言えば、そんな彼女の夕陽に照らされた横顔を、ぼんやりと見つめていた。
「由香里の奴、上手くやってるかなぁ」
4分の1程の高さまで上がった所で、里美が呟いた。
「やっぱり、僕の腕を引いたのは、由香里の為だったんだね?」
雅人と由香里を二人っきりにする為の、彼女なりの作戦だったのだろう。
そこで里美は、僕に目線を移し、うん、ごめんね叶人君、と悪戯っぽい笑顔を見せた。
『雅人君、里美の事好きなのかな?』
不意に、昼間の由香里の不安そうな顔が浮かんで来た。
その事を里美に話してみようかとも思ったけど、そんな考えはすぐに引っ込んでしまった。雅人の真意はどうであれ、由香里と里美の間柄に悪戯に水を差すのは気が引けた。
「由香里の事、好きなんだね」
由香里の事を考えているのだろう。心配そうな顔を浮かべたままの里美に、そんな言葉を掛けてみた。
里美はボーっとしていたのか、僕の問いかけに対し、随分と大袈裟なリアクションをした。
「え? 何? え、誰が?」
「里美がさ。由香里の事、本当に大事なんだなぁって思って」
「え? ああ、勿論、大好きだよ」
そうやって照れた笑いを見せる。
僕も雅人の事が大好きだから、里美が由香里を大切に思う気持ちはよく分かる。だけど、実際に口に出すと、やはり気恥かしく思うのかもしれない。
雅人も僕と同じように、まだ女の子にそういう気持ちを持っていないとは思う。
だけど、もし、万が一由香里が心配しているように、雅人が里美の事を好きだったとしたらどうしよう?
恐らく、里美は雅人よりも、由香里の気持ちを重視するのだろう。由香里が雅人を好きだと言う事を、知っている里美が、雅人を受け入れるとは考えにくい。
雅人の感情を勝手に解釈し、その報われなさに勝手に同情してしまった。
「叶人君、見て見て!!」
里美が興奮した様子で僕を呼んだ。促されて窓の外に目を移すと、観覧車はすっかり頂上付近にまで差しかかっていて、遠くの山と会釈が出来そうだった。
「観覧車って、見た目はゆっくりなのに、乗ってみると上まであっと言う間だね」
「……うん、そうだね」
里美は、寂しそうに呟いた。
「今日は、楽しかったなぁ」
里美はそこで僕の方を見て、隣座っていい? と尋ねて来た。
肯きを返し端に寄ると、里美は僕の隣に腰を下ろした。
ゴンドラの角度が微かに傾く。
夕陽がゴンドラの中に差しこんでくる。ふと外を眺めると、ゴンドラは頂上部を過ぎ、ゆっくりと下降をし始めた。
隣に座っている里美の肩が、微かに、震えていた。
「里美?」
彼女から溢れ出る空気が、徐々に湿り気を帯びていく。
「叶人君……」
そこで里美は、僕の顔を見た。
「今日が……」
そこには、いつもあっけらかんと笑う活発な里美はいなかった。
「終わっちゃうよ……」
涙の線を頬に引いた、由香里の双子の、女の子がいた。
彼女は顔をくしゃっと歪めると、僕の胸にしがみつき、さめざめと泣き始めた。
僕は突然の状況にどうする事も出来ず、ただ、彼女の成すがままに、胸を貸していた。
僕達は望まずとも、自身の双子と常に比べられながら生活をしている。
だから僕も、由香里と里美を常に比べながら、彼女達と付き合っている。
由香里は大人しく、里美は活発。
由香里は弱く、里美は強い。
知らず知らずの内に、そんな先入観を持っていた事に気がついた。
だけど、今僕の胸で涙を流している里美は、折れてしまいそうな程か細い、一人の女の子だった。
里美は、自分よりも由香里の事を重視しているのだろう。
由香里の前では常に明るく笑い、彼女の笑顔を絶やさないように、日々を生きているのだろう。
辛い時も、泣きたい時も、もしかしたら僕達の前でも、そんな女の子を演じているのかもしれない。
その生き方は、本当に正しいのだろうか?
だけど、それによって由香里が少しでも救われているのなら、少なくとも間違いでは無いのだろう。
飛び立つ事を恐れる雛鳥の前で、兄弟は必死で羽ばたきを続ける。大丈夫、怖くない、私みたいに飛べる、そう囀り続ける。
それは傍から見ていれば、酷く滑稽に映ってしまうかもしれない行為。
だけどもその羽ばたきに、迷いは微塵も無い。
苦しくても、辛くても、自分の大好きな兄弟が笑っていてくれるなら、少しでも恐怖を忘れてくれるのなら、それで力尽きたとしても、悔いは無い。
尊ぶべき自己犠牲。
だけど、その羽を休める止まり木が無いのでは、それはあまりにも悲しすぎる。
そして、それを目の前で見ている飛べない兄弟も、自身の不甲斐無さに歯噛みをしてしまうだろう。
もしや雅人も、僕に対して、里美のように振舞っているのだろうか?
僕の為に、無理をして、明るく元気なフリをしているのだろうか?
そう考えると、自分が生きている事さえ、恥ずべき行為のように感じた。
里美の頭に、そっと手を乗せる。
今は、彼女が少しでも楽になるように、手を貸そう。
そう思った。
そう、思えた。
ゆっくりと下降するゴンドラが、3時の位置に来た辺りで、里美は僕の胸から顔を離し、目元を擦った。
ポケットからティッシュを取り出し手渡すと、彼女は無言で受け取り洟をかんだ。2度3度と繰り返した後に、僕の目を見て笑った。
「ありがとう……、ごめんね」
僕は首を横に振る。
そこで彼女は、ん~っと言いながら伸びをして、あ~、スッキリしたぁといつもの口調で言った。
「悪いんだけど、さっきのは、由香里達には内緒ね。出来れば、叶人君も忘れてくれるのが、一番なんだけどさ」
悪戯っぽく笑う里美の顔を、夕陽が照らす。
里美は目線を外に移し、綺麗ね、と呟いた。
夕陽はさっきよりも色を濃くし、それと同時に遠くの空には菫色が広がり始めた。
暫くの間、二人で昼と夜の境目を見つめていた。
「里美」
僕の声に彼女が、何? と振り向く。
「今日は楽しかったよ、ありがとう」
「何よ急に?」
「いや、何となく言いたくなったんだ」
「変なの~。叶人君って、そんなキャラだったっけ?」
「それはお互い様だろ?」
「あぁ、それもそうね」
そう言って、二人で笑い合った。
このまま、時間が止まってもいいなぁ、何て願いながら、遠く山の向こうに輝く食いしん坊の太陽を眺める。
「叶人君、私、目元腫れてない?」
里美がそう言いながら、僕に顔を寄せて来た。
「ん~、分かんない。夕陽の所為で、全部オレンジ色だから」
「え~、困るなぁ。後で冷やしに行かなくちゃ」
そうやって僕達は、再び笑い合った。
世界が緩やかに、夜へと変わっていく。




