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マガリテ歴四二〇年のこと。
マガリテ王国のブラゴジ王は病に倒れ、王国では誰もが口々に次代の王は誰になるのかと噂をしていた。
今年で十六歳になったマガリテ王国第二王女アリスンは、忠実な侍女であるパティに鏡台の前で長い髪を結われながら、「お父様の病状について、無責任な放言が目立つわね。誰も彼もが根も葉もないことを言い広めて、ゆゆしき事態だよ」と、嘆いていた。
アリスンの髪は父王であるブラゴジ譲りの黒の硬い癖っ毛で、まっすぐに押さえつけるのには時間が掛かりすぎる。
母であり王妃でもあるローザから、「娘たちよ。常に王女らしく美しく装い、優雅でありなさい」と言われ、アリスンと第一王女のリリスは母の教えを忠実に守り生活している。リリスは嬉々として母の言葉に従っているようだが、アリスンにとっては毎日かなりの時間をかけて身支度をしなければいけないのは苦痛で、窮屈な事この上なかった。
まだ四歳になったばかりの末子エミールは、王妃から特別可愛がられ、口うるさく注意されることもないのを見ているからだ。
「もういいわよ、パティ。お父様はわたしの見た目はあり(・・)の(・)まま(・・)で一番美しいと言って下さるんだから」
アリスンが笑うと、パティが「では、家庭教師が来る前に急ぎましょう」と言って、仕上げに美しい真珠の首飾りを主の首に飾った。
マガリテ王国の首都ダミナイは、星型要塞とも呼ばれている。
王城と貴族會舘を起点にして八本の放射状に延びる通りが設置され、円形状の街が形成されている。およそ百年前に、東の帝国ガレスと講和を結ぶまでマガリテ王国と帝国ガレスの衝突は耐えることがなかったが、今では両国間で目に見えるトラブルはない。両国は国境付近に交易地をいくつか作り、商人たちが活発に行き来していた。
王城を抜け出して、交易地に行ってみたいと語るアリスンに王妃は渋い顔で告げる。
「娘よ。交易は卑しい商人のやることです。王族たるもの、この都から離れるべきではない」
王妃は、いついかなる時でもアリスンのことを「娘」、と呼ぶ。けっして、世の母親たちのように「可愛らしいアリスン」だとか、「わたしだけの宝物」だとか、呼んではくれない。
「お父様が元気なら、わたしを四頭立て馬車に乗せて、どこにでも連れて行ってくださるんだけどな」
王城内を移動しながら、アリスンはぼやく。後ろから付いてきていたパティが王の寝室から数百メートル離れた廊下の端で、「アリスン様、第一王女のリリス様です。前方からいらっしゃいます」と小さな声で告げた。アリスンは面倒くさそうに眉をひそめると、廊下の端に寄る。
三十秒後くらいだろうか、パティが言ったように第一王女のリリスが取り巻きである貴族の子女たちを引き連れて、廊下の角を曲がるとアリスンの方へと歩いてきた。アリスンは、頭を下げてリリスに挨拶をする。
「お姉さま、ごきげんよう」
「あら、アリスンじゃないの。ごきげんよう。今から、お父様のご機嫌伺い? 私たちも今しがた行ってきたところだけれど、就寝中だったから話はできないと思うわよ」
リリスは、母譲りの美しい金の巻き毛を誇るように頭を大げさに振った。
「その、みすぼらしい(・・・・・・)使用人をまだ連れているの? あなたも王女の一人なんだから、もう少し身辺に気を配った方がいいと思うけれどねえ」
姉の背後に控える者たちが、その言葉に賛同するようにクスクスと笑う。怒りを表面に出さないようにして、アリスンは答える。
「なんせ、世話になった乳母の忘れ形見ですから。王からも、『大事にするように』と言われています」
リリスは、「つまんないわね」と吐き捨てるように言うと、手を振って去って行った。その後ろ姿を見送り、アリスンとパティはまた歩きはじめる。
そうしながら、アリスンはちらりと後ろを歩くパティを見遣った。
リリスが、パティを『みすぼらしい』と言ったのには理由がある。パティは盲目なのだ。視力を完全に失っているにも関わらず、アリスンに寄り添い、彼女の身の周りの世話をほぼ一人でこなしている。さきほどアリスンが言ったように、パティの母は生前アリスンの乳母だった。しかし、アリスンが五歳の時に流行り病であっという間に亡くなってしまった。
あとに残されたのが、まだ三つになったばかりの幼いパティだった。
そのパティを、「貧民窟に捨てるか、国境沿いの森にでも遺棄すればいい」と言い捨てたのは王妃だった。パティの視力が問題となり、救済施設が彼女の引き取りを拒否したからだ。マガリテ王国では、身体に何かしらの障害があると公的な支援からも遠ざけられてしまうことが普通だった。
そんな時に、王がアリスンに言った。
「アリスン、パティを汝の側に置きなさい」
この頃のブラゴジ王は、王らしい威厳に満ちあふれ、まさに円熟期を迎えていた。交易地を増やし、帝国ガレスの皇帝であるトドルと会談を行い、両国の繋がりはかつてないほど強まった。
だが、そんな父王も数年前から病床についている。最近では立ち上がることも難しく、政治のほとんどを王弟であるセダトや王妃ローザ、寵臣たちに任せていた。
ブラゴジ王の崩御が近い。
そんな噂が王城だけではなく、城下に住む民たちの間を急速に駆け巡っている。王妃が産んだ三人の子のうち、一番父王に愛されているといっても間違いないアリスンは毎日のように王の寝室に見舞っていた。
秋の収穫祭を間近に控えたこの日も、アリスンはパティを連れて王の寝室へと入った。室内がひんやりとしているように感じられ、アリスンは思わず身震いをした。
「お父様、アリスンです。今日の体調はいかが?」
アリスンの呼びかけに、ベッドに寝ていた王は応えた。
「可愛いアリスン。よく来たね」
そうして、王は身体を起こした。以前はがっしりとしていた肩や胸から筋肉が削げ落ち、目の下には黒い隈がくっきりと浮かんでいる。
「お姉さまたちも、先ほどまでいらっしゃったでしょ」
「そうだな。気配は感じていたよ。だが、身体が重くて瞳を開けるのが億劫だったから、眠っているふりをさせてもらったんだ」
そう言って、王の暗褐色の瞳が楽しそうに光った。ベッド横の椅子に腰かけたアリスンの後ろを通り、パティが「空気を入れ換えますね」と言うと、室内の小窓を開けてまわる。
「お父様、早く元気になってくださいね。そうでないと、わたしは今年の収穫祭にも行けそうにないんだから」
アリスンは、父にしか言えない愚痴をここで吐き出す。王が病に倒れてからというもの、王妃は二人の娘たちを、城外の公務に携わらせないようにしていた。幼い頃から国境沿いの交易地や森に遊びに行っていたアリスンは、王妃の方針に当初は反発したが、「王位継承権を持つ王女たちの身に、何かあってはいけないでしょう」という彼女の言葉に、黙って従うしかなかった。
だが、内心納得はしていない。
弟のエミールは昨年の収穫祭に参加し、今年も王妃や王弟とそろって参加予定だと聞かされていた。その報告を受けて、リリアは不満を隠そうともせず、アリスンの部屋に押しかけては暴れまわる。
「お母さまは、次代の王としてエミールを考えているんじゃないの? ありえない! 公務に参加しない私達姉妹が、外で何て言われているか知ってる?」
「さあ、なんて言われているの?」
「かんしゃく王女とひきこもり王女、よ!」
かんしゃく王女、というリリアの呼び名は少なくとも外れではない。彼女は憤慨しながら机の上に置かれていたティーカップを掴むと、壁に向かって投げつけた。無惨に砕け散ったティーカップの残骸を眺めながら、アリスンはため息をついた。
「文句があるのなら、ここで暴れてないでお母様に直談判したらいいじゃないの」
アリスンの言葉に、リリアは「あんた、わかってないわね」と、鼻で笑う。
「王妃に直接意見するなんて王女らしくない、って一刀両断よ。家臣の中には、私たちを公務に出席させるべきだって主張する者もいるけどね……」
リリアは次期女王として即位したいという野心を隠しもせず、王城内で派閥を形成しようとしていた。公務に出られないのであれば、せめてということらしい。アリスンは女王の座を姉と争う気にもなれなかった。なぜなら、それは父王の死を願うことにも繋がるからだ。
公募に申し込もうと思い、書き溜めていたものを更新していきます。完結まで、毎日更新予定です。よろしくお願いします。




