01 疑似海面の空の下(1)
夏休み、実家のある九州にバイクで帰省する男子大学生の宮川。
一人で考え事をしながら走る。
<宮川のモノローグ>
「大学生になって見えた世界は今までと変わらず小さいままで、閉じ込められているような気分を覚えた俺はいてもたってもいられなくなった。よし、それなら視野を広げよう。自分の可能性を押し広げてやろう。そう思った俺はバイクを購入し、それを乗り回すことが趣味になった」
天気のいい夏の日、天草へと続く橋をバイクで通過する宮川。
<宮川>
「ふう、ようやく天草か。夏休みで時間があるからって、さすがにバイクだと実家まで遠いな。まだ約束の時間には余裕があるみたいだから、ついでに海岸沿いをツーリングしていくか」
しかし宮川がバイクで橋を渡りきった直後、大きな音を立てて背後の橋が爆破される。
橋が崩れ落ち、連鎖的に交通事故が発生して複数の車が炎上。
突然のことに混乱して逃げ惑う人々。
<宮川>
「マ、マジかよ……。別に俺のせいじゃないよな? ないよね?」
午後、天草の寂れた海岸。
半袖シャツにデニムなど、動きやすい格好で集まった坂下と中上。
<坂下>
「よし、できた。……ねえ、中上。これが何かわかる?」
額の汗を手でぬぐいながら、波打ち際に砂で小さな城を作った坂下。
長い黒髪を潮風に揺らしながら波を眺めていた中上は振り向いて、彼のもとに近づく。
<中上>
「ん、どれ? ちょっとよく見せて」
<坂下>
「どうぞどうぞ。クイズ番組の画像クイズみたいなものだと思って答えてよ」
<中上>
「うーん。わかるわよ。これ、見るからに砂ね。さっきから一人で坂下が時間をかけて積み上げた砂よ」
<坂下>
「いや、砂って。確かに砂だけどさぁ……熊本城だよ」
正解を発表したものの、彼女が乗り気でないことを見た坂下は言いながら悲しくなって、自分の足で蹴って砂の城を崩す。
<中上>
「ごめんごめん、せっかく作ったのに崩さなくてもいいんじゃないの? ほら、坂下。こっそりスマホで写真を撮っといたから、あとで送ってあげる。復元の際には使って」
<坂下>
「ありがとう。また作りたくなった時には資金集めのために、ネットで一口城主を募集しようかな」
<中上>
「一万円だと集まらないわよ。十円くらいにしときなさい」
<坂下>
「そうだね……。それより、今日は夏休みでいい天気なのに、ここは閑散としてるね」
<中上>
「そりゃまあ、海で泳ぎたい人は整備された海水浴場に行くでしょうから……って、あれ? そう言えば、お盆の時期って海とか川に近づかないほうがいいって話がなかった?」
少し不安げな中上は小さく首をひねる。
<坂下>
「お化けとかの話? たとえそうだとしても、今日は海に泳ぎに来たわけじゃないからいいんだよ。ボランティア部の活動でゴミ拾いだからね。こんな日まで部活に励むっていうのも、青春の無駄遣いだな~って気はするけど」
<中上>
「これも青春でしょ? それに今日は親戚が集まってくるから家に居づらいの」
<坂下>
「ああ、それは、まあ……。そうだ、これが終わったら泳ごう。青春だ」
それもいいかな、と考えた中上は前髪をいじりながら尋ねる。
<中上>
「……二人で?」
<坂下>
「いや三人。大学に行った先輩が夏休みを利用して帰って来るはずなんだ」
<中上>
「……そういえばそんな話だったわね。まだ来てないみたいだけど、もしかしてサボりなの?」
<坂下>
「いや、どこかで事故があったみたいで遅れてるって。帰省ラッシュの影響で道路が混雑してるからかな。いつも以上の人混みだし」
<中上>
「はいはい、人混みよりも海のゴミ。早く拾っちゃいましょうね」
それを合図にして、二人は砂浜でゴミ拾いを始める。
<坂下>
「ここ、思ってたよりもゴミが流れ着いてないね。人も少ないから不法投棄もないみたいだし、せっかく集まったのに拍子抜けって感じだ」
<中上>
「そうだけど、ゴミが少ないのっていいことじゃない? 楽だし」
<坂下>
「達成感はないけどね。でっかいゴミ袋もせっかく用意してきたけどさ。いくら海岸だからって、そうそう大きなゴミは流れ着きやしないのかな……って、あれ?」
何かに気づいた坂下が目を見開く。
<坂下>
「人だ! 人が倒れてる!」
そのまま走り出した坂下を先頭に、二人は倒れている人のもとへ駆け寄る。
そこにいたのは赤髪の少女だった。
<坂下>
「だ、大丈夫ですか! 生きてますか!」
<倒れていた少女>
「う、ううん……」
<坂下>
「よかった! 彼女、どうやら意識はあるみたいだ!」
<中上>
「そうなの? 息はある? 人工呼吸なら私ができるわよ」
<坂下>
「たぶん必要ないんじゃないかな。もしもの時は女子の中上に頼むけど。……あ、ほら、大丈夫?」
坂下は波打ち際に倒れていた少女の手を引いて起こす。
ゆっくりと起き上がり、無言のまま辺りを見回す少女。
<中上>
「ひとまず大丈夫そうだけど……彼女、足を怪我しているみたいね」
<坂下>
「あ、本当だ。血は止まっているみたいだけど大丈夫かな? ね、大丈夫?」
<倒れていた少女>
「……?」
問われた彼女は不思議そうに首を傾ける。
<坂下>
「痛いわけじゃない? とりあえず足の怪我は緊急ってほどじゃないみたいだね」
<中上>
「それより彼女、しゃべれないみたいだけど、記憶喪失とかじゃ……」
<倒れていた少女>
「……ん」
はっきりと言葉にはせず、控えめに頷く少女。
<坂下>
「ええっと、どうしようかな。誰かに助けを求めるにしても、ひとまず君に質問してもいい?」
<倒れていた少女>
「ん?」
<坂下>
「どうしてここに? それと自分の名前はわかる? 記憶、ある?」
<倒れていた少女>
「んん……」
状況がわかっていないのか、何かを思い出そうとして考え込むように視線を落とす少女。
どうやら、本当に記憶がないらしい。
<坂下>
「大丈夫、無理はしなくてもいいからね。僕たちは馬鹿みたいに時間だけは有り余っているから、ゆっくりでいいよ」
<記憶喪失の少女>
「……うん」
<坂下>
「あいにくお金はないけどね」
<中上>
「それは言わなくていいでしょ。心配させるだけよ」
<坂下>
「そっか。場を和ませようとしたんだけどな」
<記憶喪失の少女>
「ん……」
濡れている自分の髪を手でいじる少女は身だしなみを整えて、何も言えずに黙ったまま坂下の目を見る。
<坂下>
「……ちょっと照れるね、そう見詰められると」
<中上>
「なんでよ」
<坂下>
「いやほら、同じ年頃の女子だし」
<中上>
「あきれた。私で慣れてるでしょ」
<坂下>
「いやいや、中上は女子っていうか友達だからさ。今年なんて教室で席も隣だ。今さら目が合ったくらいで照れてたら変じゃないか」
<中上>
「そう?」
疑問に思ったのか、いたずらっぽく微笑んだ中上は試すように坂下の目をのぞき込む。
至近距離なこともあって数秒も耐えられず、息を吐き出した坂下は顔をそむけた。
<坂下>
「……ごめん、照れる」
ちょっぴり顔を赤くした坂下は照れて笑うが、そんな二人を見ている記憶少女の少女は考え込んでいるのか、感情らしい感情を見せないまま無反応のままでいる。
と、遠くから救急車のサイレンの音が鳴り響いた。
<坂下>
「あれ、もしかして救急車を呼んでくれたの? それにしたって到着が速すぎる気もするけど。まだ五分も経ってないよね」
<中上>
「いや、あれは別の場所に向かっているみたい。私たちも救急車呼んだほうがいい?」
<坂下>
「ちょっと待って、彼女に聞いてみよう。……ねえ、救急車を呼んだほうがいいかな?」
<記憶喪失の少女>
「ん?」
<坂下>
「可愛げに首を傾げられてしまいましたが?」
<中上>
「ほらどいて。えっと、大丈夫? 歩ける?」
<記憶喪失の少女>
「……ん」
<中上>
「ちょっと大変そうみたいね?」
<坂下>
「念のため病院に連れて行ってあげたほうがいいと思うけど、足を怪我しているんじゃ歩いていくのはきつそうだなぁ……。そうだ。こういうときこそ、あの人の出番だ。今から電話で先輩を呼んで、バイクに乗せていってもらおう」
二人の返事を待たずに坂下はポケットからスマホを取り出して、電話をかける。
<宮川>
「おう。なんだ、用か?」
<坂下>
「……先輩、まだ遅れそうですか? できれば今すぐ集合場所だったはずの海岸まで来てください。先輩のバイクで怪我人を病院まで連れて行ってほしいんですよ」
<宮川>
「そいつは大変だな。ここで頼れる先輩からのアドバイスだ。怪我人なら救急車を呼べよ。俺だったらそうする」
<坂下>
「緊急ならそうしてます。足の怪我なんですけど、そこまで大怪我ってわけじゃないみたいですから。……でも彼女、歩くのはきつそうですね」
<宮川>
「彼女? ということは女子か。よし、わかった。実はすぐそこまで来てるんだが、できるだけ早く行くよ。怪我したのが男子なら自分の足で無理してでも歩けって言ってたところだがな」
<坂下>
「えっと、先輩は……って、切れちゃった」
坂下はスマホを耳から離す。
<中上>
「先輩はなんて?」
<坂下>
「すぐ来てくれるって。……それにしても女子か」
<記憶喪失の少女>
「……ん?」
坂下が顔を向けてきたのに気づいて、そっと首をかしげる少女。
たぶん同じ年くらいだろうな、と思った坂下は首を横に振る。
<坂下>
「あ、ごめんね。……とりあえず道路のそばまで歩ける?」
<記憶喪失の少女>
「……うん」
<坂下>
「じゃあ、行こっか」
頷いた少女を見て、歩き出す二人。だが、やはり少女は痛そうに足を引きずる。
どうしようかと思った坂下は中上のほうを一瞬だけ見た後、少女に手を差し延べる。
<坂下>
「……はい。僕の手でよければ」
<記憶喪失の少女>
「……うん」
少女は不安そうに坂下の手を握る。坂下は少女に微笑みかける。
<坂下>
「ごめんね。僕、頼りなくってさ」
<記憶喪失の少女>
「……ううん」
首を横に振った彼女はまっすぐに坂下の目を見つめ返す。
そして歩き出す三人。
謎の爆発によって崩れ落ちた橋を離れて、海岸沿いの道路をバイクで走る宮川。
<宮川>
「しかし、さっきは危機一髪だったぜ。一応は救急車を呼んだけど、ああいうのって最初に連絡するのは警察のほうがよかったんだろうか? ……まあいい。あとは大人たちがやってくれるだろう。それより俺は後輩の坂下が呼んでるから早く行かねえとな」
そう長くはかからず、待ち合わせの場所になっている海岸へ到着する。
<宮川>
「お、いた。坂下たちだ」
<坂下>
「先輩!」
海岸近くにある道路のわきで、顔を合わせる四人。
<宮川>
「よお、中上も久しぶりだな。それで、そっちの少女が噂の怪我人か?」
<坂下>
「あ、はい。怪我自体はそんなに大したことなさそうなんですが、あんまりしゃべれないみたいで、記憶もない感じなんですよ」
<宮川>
「マジかよ。それは一大事だな。船から落ちて流されたんじゃないか?」
<坂下>
「水難事故……。となると、やっぱり救急車を呼んだほうがよかったんでしょうか?」
<宮川>
「本来ならそうしたほうがいい。ただ、今はちょっと事情が異なる。実はさっき、あっちで救急車を呼んできたばっかりなんだよ。交通事故も発生して怪我人が多かったから、救急車はすぐには来てくれないかもしれん」
<坂下>
「救急車を呼んだばかりって、それじゃさっき通っていったのは……」
<宮川>
「俺が呼んだ奴かもな。ひょっとしてお前らは知らないのか? すっげえ音を立てて、向こうの橋が爆破されたみたいに崩れ落ちたんだよ。しかも俺が通った直後だぜ。まるで映画みたいに! 今でもちょっと心臓ばくばくだ。爆発だけにばくばく」
<坂下>
「……それはいいとして、爆発したんですか。橋が? ちょっと想像できないなぁ」
<中上>
「にわかには信じがたい話よね。ま、疑ってどうなるというものでもないけれど」
<宮川>
「そのうちニュースにでもなるだろ。……待てよ、あの場に残っていたらインタビューとかされたか? 俺って目撃者の一人だし」
<坂下>
「かもしれませんね。でも橋か。爆発したってことはタンクローリーとかの事故だろうけど、もし意図的な爆破テロだったら怖いなあ……」
<宮川>
「……橋を爆破して、この島を封鎖したってか? そんなことして誰が得をするんだよ。フェリー業界か? けっ、ネットにはびこる無責任な陰謀論でもあるまいに」
<坂下>
「ですよね。この町が巨大な陰謀の舞台になることなんて……」
<記憶喪失の少女>
「……あっ」
話を打ち切るように声を漏らして、空を見上げた少女が不安そうに目を細める。
はるかな上空を、天井のように薄い水の膜が覆っていくのだ。
半透明の藍色のドームに天草全体が包まれて、空気が重くなる。
不思議な光景に呆然となって空を見上げたまま、三人は言葉を失う。
<宮川>
「なあ、これって新種のオーロラか? 地球温暖化による異常気象もここまで来たのか」
宮川は一人、やれやれと肩をすくめた。




