3話
翌日の朝、すすきはベッドの上で悶えていた。となりに寝ている葵が抱き枕のようにすすきを抱えているのだ。
「葵さん、はなしてください」
お試し結婚が決まったあと、雰囲気にのまれたせいか葵にされるがままだった。一線は超えてないものの恋人のような接し方に翻弄され、気付けば朝だ。寝間着として借りた葵のTシャツはぶかぶかで、どうかしたら胸元や肩ががはだけてしまう。なんとか脱出しようと身体をよじるとなぜか拘束がきつくなる悪循環。あまりの密着に羞恥心がピークを迎えた。
「葵さんっ」
必死の抵抗に葵がぱちりと目を開けた。どうやら起きていたらしく、イタズラはわざとのようだ。葵はすすきを見て嬉しそうに笑う。
「朝起きたらすすきちゃんがいる。しあわせ」
文句を言おうとしてぐっとのみこんだ。こんなふうに言われたら怒れないではないか。葵は本当に嬉しそうな表情していて、どうしてなのか考えるがやっぱりわからない。会って二日目の人間に言う言葉じゃないと思うのだ。いや、そもそも結婚を持ち出すことがおかしい。ぶすぶすと焦げ付くような思考回路であったが、そんなことはおかまないなしと言わんばかりに葵はすすきの首筋に唇を落とし、体のラインを手でなぞる。
「昨日の続き、しよっか」
昨夜のあれこれを思い出してぼっと顔から火が出た。
「あ、あのっ」
葵の胸を手で押し返しても、甘い顔して迫ってくる。ここで流されたら絶対にダメだ。
「もう起きます!」
断固として言い放ち、すすきはベッドを抜け出たのだった。
◇
すすき達がいるのはビルの三階だった。一階が喫茶店、二階が事務所、三階が居住スペースとなっている。建物自体は古いのだが改装してあるらしく全体の雰囲気は清潔感があった。三階の部屋はシンプルな木製の家具とお洒落なインテリアで統一され、あちこちにおかれた観葉植物に心がなごむ。
昨夜のうちに洗面用品と替えの下着は買ってもらったので、簡単にだが身支度を整えた。時計を見ると朝の八時を少し過ぎたころだった。
お試しの結婚生活に同意したはいいものの、これからどうしたらいいんだろう。すすきはカーペットのうえに座って、小さくため息をついた。
この地へ来た経緯を思い出す。
働いていた飲食店を解雇され、途方にくれていたところ見かねた友人が声をかけてくれた。気分転換にいろいろ連れて行ってくれたのだが、あまりにすすきに運がないので占いの館に行ってみようとなったのだ。ふたり一緒に三十分の相談なので値段は良心的だった。すすきは特に占いを過信したりとかはしないのだが、その時の占い師は印象的だった。
席に着くやいなやすすきをじーっと見つめるのだ。かなり年配の女性占い師だった。その視線に戸惑っていると、占い師はふっと優しい笑みを浮かべた。
「失せものはT市で見つかる」
それだけ言うと占い師は「こんにちは、かわいらしいお嬢さんたち」と挨拶をした。それからの三十分はあまり覚えていない。すすきの頭には先ほどの言葉がこびりついて離れない。失ったものと言われてもピンとこないが、仕事にそれがあたるのだろうか。それとも知らないだけで何かをなくしているのか。
自然とT市への興味がわいた。仕事か住む場所が見つかればという淡い期待も出てくる。今住んでいるアパートは安さを売りにしているだけあってかなり古く、あちこちガタが来ていた。最近は管理も大変なので、年配の大家さんは住人に新しいところを見つけるよう勧めていたくらいだ。
スマホを取り出して友人にメッセージへ返信した。昨日荷物をなくしたことを報告するとたいそう心配してくれたのだ。さすがに葵とのことは言えず、知り合いの家に泊めてもらったと伝えると、すぐさま「よかったね」とかわいらしいスタンプが返ってきた。
「すすきちゃん、朝ごはんはしっかり食べる人?」
うしろからかけられた声に振り向くと、葵がすっかり身支度を整えて立っていた。
「えっと、あんまり食べる習慣がなくて」
ほんとは習慣というより節約のために食べない。あまり裕福ではない片親家庭に育ったし、独り立ちしても学業と二足のわらじだった程度の賃金では充分な生活費にはならない。だが、夢がかなうのなら朝から栄養たっぷりの朝ごはんを食べてみたいと思っている。間違っても口には出さないが。
「じゃあスープなら入るかな。俺は軽く食べるんだ。今から潤のところに取りに行くから、そのときにもらってくるよ」
そう言って去っていく背中を見つめながら、すすきはソファの端でもじもじした。三階は居住スペースなのだが、作りはほぼワンルームだ。ただ広くておしゃれなものだから気後れしてしまう。この部屋は賃貸ではなく所有物だ。彼はビルのオーナーだと言っていたが、今更ながら葛葉葵という人物が何者なのか気になってきた。
事務所を構えているけれど、その名前からどんな仕事内容なのかさっぱりわからない。あの若さで所長をしてビルも持っていて、もしかして普通の人じゃないかもしれない。そう考えてパッと思い浮かんだのはヤクザだった。事務所にも大きな神棚がなかっただろうか。ヤクザはそういうの大事にしていそうだと考えて、さあっと血の気が引く。
「で、でも、刺青みたいなのはなかったし」
いくら運が悪いと言っても、ヤクザに捕まるなんてことはないだろう。心の底からそう思いたい。でももしそうだったら、いいように利用されて最後はどこかに売られるのでは。
「おまたせ~」
突然の声にビクッと肩を震わせる。葵は手に大きなバスケットを持っていた。まるでピクニックに行く時のような、四角くてふたがついたものだ。そこから取り出されるのは香ばしい香りのクロワッサンに、タッパーに入れられたリンゴやキウイやオレンジ。別の容器にはチーズとサラミが交互に並べられていて、クロワッサンに挟んでサンドイッチにしてもいいようだ。
「潤が昨日ピクニック特集の雑誌を読んで作りたくなっちゃったんだって。こっちの保温ポットはコーヒーでこっちのはミネストローネ。無理しなくていいから、好きなの食べて。のこったら全部俺が食べるし」
爽やかな笑みを浮かべる葵。
はたして彼は何者なんだろう。




