勇者と魔王がいきなり宿命の対決を始めたんだが……お前ら乳児と仔猫じゃん!
「20」「21」「22……」
魔王リックが腹筋をしている。
こいつ身体鍛えたりするんだ……
「精が出るな」
あまりにも一生懸命なんで思わず声を掛ける。
「おうヒロシ! お前もサンダーコア使う?」
サンダーコア……確か腹筋運動用の通販グッズだ。
「このベルクマン商会製の健康器具は、2000年もの伝統があるんだぜ~ オレ、昔から愛用しているんだ」
「怪しいな……」
と、言いつつも、俺も前世でこれに似たものを買ったことがある。
ちなみに3日も続かずに押入れの奥へと移動した。
「今は、ちょっと無理かな」
正直なところ、少しやってみたい。
けど今は難しい理由があるんだ。
「なんだー、おっぱいデカすぎて無理かー」
ストレートに言うなよ、デリカシーのない奴だな。
今日のブラだとスポーツは無理。
しかし、つくづく女はスポーツに向いていないと思う。
「じゃあ、こっちはどうよ。吸引力が毎日変わるただひとつの掃除機デイソン」
「毎日変わる……?」
「だからDAY-損」
「そんな掃除機買うなよ……」
今度はフライパンを出してきた。
いったいリックはどこから物を出しているんだ?
「じゃあ、こっちは? 釘を焼いても表面が傷つかない、表面四層のスーパーセラミックコーティング加工で、食材の旨みを逃がさないんだぜ!」
ドヤ顔で語る魔王、けどコイツは家事とか絶対しないロクデナシ男タイプだ。
「お前、自分で調理するぐらいなら面倒だって言って生米のままでも食うだろ」
「おっ、よくわかったな!」
「それなのに、どうしてフライパン買ったわけ?」
「いやぁ、深夜番組みてたらほしくなって……腰に装備すると敵の銃弾も跳ね返せそうじゃん」(※実際は弾けません)
通販グッズの誘惑に負ける魔王って……
「24回の分割払いだから、毎月の支払いよろしく! 金利手数料はタキタ社長に持ってもらったから安心だな!」
「……」
今日も辺境の地で、人々に恐怖を振り撒いていた。
☆〇
「それでね、マリアン様。私の執事ったら、私がウスリーで生活することになったら、私の可愛がっているミーシャを、コンテナに入れて送ってきたのですよ。酷いと思いませんこと?」
「そ、そうだね。ミーシャがかわいそうだね」
「ですわよねー」
学校帰りの車内。
グラフィリカは俺の隣で楽しそうに話し掛けてくる。
ちなみにミーシャとは熊のぬいぐるみのこと。男性的発想ならコンテナで送るのは当然だと思うが……
グラフィリカはカラザール家の車で毎朝、俺の家に迎えに来ていた。
そして学校帰りもいつも俺を待っていて一緒に帰る。
ローザリア家の運転手は自分の仕事が減って喜んでいるだろう。
「それで、お兄様ったらね。今まで女心の分からない朴念仁でしたのに、去年、急に優しくなられて、私にミーシャのお友達を連れて来てくれたのですよ」
グラフィリカは俺に身体を密着させて話してくる。場合によっては腕を絡めて来たり、手を握って来たり、顔を覗き込んで来たり……
普通に車内に座っているだけでも、右側にグラフィリカが、左側にラナがいて、ドアに寄らずに、俺の方にピッタリとくっついて座る。
女子の世界は本当にお互いの距離が近いと思う。スキンシップが日常で、親しい友達はいつも一緒。
俺はマリアンとしても16年暮らしていたけれど、やっぱり41年間男だったのは大きい。
可愛い女の子が左右にいて身体をすり寄せて来るというのは楽しくていい感じだ。
「カラザール家は昔、中央アジアの辺境に本領があったのですわ。それで~」
グラフィリカの話はあちこちに飛ぶのでまとまって理解するのが難しい。
これも女子の会話ではよくあること。そういうものだと思えば、次第に慣れてくる。
「お嬢様、あれは何でしょうか?」
ラナが何かに気が付き、脇道を示した。
見るとフード被り、杖をつきながらゆっくりと歩いている女性が見える。
最初は老婆かと思ったけど、もう少し車を近づけると、結構若そうだ。
しかも下腹部が膨らんでいる。
妊婦だろうか?
「どうしてこんなところを一人で歩いているんだろう?」
ウスリーは田舎なのでバスの本数は少ない。乗り遅れたりでもしたのだろうか。
次の民家まででさえ数キロもある。
妊婦が歩いて行くなどとても無理だ。
「運転手さん、止めて」
俺が声を掛けると、カラザール家の運転手は意図を察してすぐに車を停車させた。
うちの運転手より有能だ。
「どうしましたの?」
「ああ、妊婦さんが困っているようなんだ」
「まぁ、それは大変ですわ」
困惑するグラフィリカに説明して、俺は車を降り、その女性に近寄っていく。
灰色の長い髪に灰色の目、バサラ族風の肌色、黒いチャイナドレス。
マリアンの記憶だと、たぶん“コンロン族”だろう。ウスリー辺境伯領の西隣、中華帝国の黒竜江省で一番多い種族だったと思う。
年齢はイメージよりずっと若そうだ。もしかしたら自分と同じぐらいかもしれない。
「大丈夫ですか?」
俺は声を掛ける。
けど、その女性は杖を地面に突き立て、苦しそうに震えていた。
顔を顰めさせ、油汗を流しながら、歯を食いしばっている。
「だ、大丈夫です。これぐらいの痛みで……」
明らかに辛そうだ。
立ち上がろうとするが、遂に地面に膝をついてしまった。
「ハァハァ、はやくリック師父にお伝えしないと……」
リック?
今、この女性はあの魔王の名前を言った。
あいつの関係者なのだろうか?
それとも……リックが腹の子の父親とか?
まさかねって……
いや、ありえないとはいえない。あいつ遊び人だし。放蕩モンだし。エロガキだし。魔王だし。
現地妻とかいたりするかもしれない。
「う、ウグッ!!」
その“コンロン族”の女性は、下腹部を抑えている。その痛みは半端ないようだ。
それだけじゃない。
彼女の太腿から血の滲んだ液体が滴り始めた。
「えっ、これって、陣痛じゃ!?」
「大変ですわ! すぐに病院へ連れていきませんと!」
「破水しているようです、すぐに手配いたします」
グラフィリカは侍女メイドを4人も連れている。
そのメイド達と俺とラナによる人海戦術で妊婦を担ぎ上げ、車内の座席に寝かせた。
そして車をすぐに発進させながら、病院の手配をする。
「僕を何処へ連れて行くのですか?」
「大丈夫だよ、病院に連れていくから」
苦しそうにしながらも、その女性は不安そうだ。
しかし、こんな田舎道を臨月間近の妊婦が1人で歩いているなんて……
「僕はサンです。はやく、はやくリック師父の所へ……」
サンと名乗った女性は、またリックの話をしている。
ローラシア帝国にはない短い名前だが、中華帝国ではわりと普通の名前だと思う。
しかし、そこまでしてリックに会いたいという事は……やはりリックが父親なのか?
子供の責任を取れ、みたいな昼ドラみたいな話なのか?
俺はリックにSNSでメッセージを送っておいたが、あいつの事だからすぐは見ないだろう。
サンは、さらに痛みが強くなったのか、車内で悶え苦しみながら呟く。
とにかく、一刻も早く病院に連れて行くのが先だ。
☆〇
ウスリー辺境伯領は田舎町とはいえ、街中には救急病院ぐらいはある。
産婦人科のある病院に連れて込むと、サンはさっそく分娩室へと運ばれた。
すると、病院側からひとり誰か立ち合いをしてほしいと頼まれる。
お産は病院関係者以外の立ち合いも必要なのだという。
出産は事故も多い、病院関係者もいきなり連れ込まれた正体不明の人物の出産をするのであれば、後々のトラブルを考えても立ち合い者がいないとマズいらしい。
かといって場所が場所だけに男を立ち会わせるわけにはいかない。
というわけで、俺が選ばれる。
まぁ腹の子の父親の飼い主であるからして、無関係とはいえない。
俺の中身は半分男ですけど。
分娩台に乗せられるサン。
女性が大股を開いて分娩台に乗せられている姿というのは、初めて見ると凄い格好だ。マリアンでも見たことがない。
俺は頭の上の方から、サンに近づいていく。
「大丈夫だよ、手続きはこちらで面倒をみるから。リックにもメールしておいた」
俺が元気を付けようとするが、その女性は何か嫌がっているようだ。
「このままでは大変なことになります! すぐにリック師父に伝えないと!」
「大変な事?」
「勇者が……勇者が誕生してしまう!」
勇者が産まれる?
ちょっと意味が分からない。
「お母さん、力みすぎです。もっとリラックスしてー“ヒッ、ヒッ、フー”ですよ~」
産婦人科の女医はラマーズ法の説明をしているが……
「クッ、させるかぁー!」
なんで、お産で雄叫び?
このサンという女性は、産まれようという子に対し、まるで産ませまいとして抵抗しているようにも見える……
そんな母親がいるのだろうか?
まさか望まない子供とか……
それは子供がかわいそうだ。
俺はリックに責任を取らせるべく、直接電話を掛けてみることにした。
――トゥルルル
「オッス! オイラ、リック。いまちょっと留守にしていて、電話に出られ……」
留守電だ。
俺はムカついたので電話を切った。
「くっ、くそぉーー!!」
出産は最高潮へと達していた。
サンは両脚を震わせながら何かに抵抗してさらに力んでいる。
股を閉じようとするのだが、分娩台に乗せられ、さらに胎児が出ようとしているとできないらしい。
激痛が走り身体中から油汗が滲み出ている。
出産はリンゴを鼻の穴に通すぐらいの痛みと言うが……
俺も女になった以上、いつかこれを経験することになるのだろうか。
「はーい、頭が見えてきましたよー、お母さんリラックスしてーお尻の穴の方に力を入れて下さーい」
看護婦は力を抜くように促すが、なぜかこのサンという女性は、違う場所に強い調子で力が入っている。
しかし、物理的に出ようとする胎児との妊婦との力関係では、出ようとする胎児の方が強いらしい。
――オギャア、オギャア!
テレビドラマかなんかの演出で、よく聞いたことのある泣き声がする。
「産まれましたよ。元気な男の子です」
産後の処置が終わると、看護婦は赤ちゃんをバスタオルでくるんで母親の所に連れてきた。
「くっ……師父、申し訳ありません……」
しかし、子供を受け取らずに顔を背けるサン。
普通はカンガルーケアと言って母と子を一緒に抱かせて愛情を育てるらしいが……
「おー、子供だ」
サンが嫌がるので、俺が代わりに受け取った。
俺は赤ちゃんが産まれるところなんて見た事ない。
男からみても、赤ちゃんはほんとうにカワイイ。
例え両親が望まない子供だったとしてもだ。
子供に罪はない。
そう考えると、父親としての責任を放棄しているリックの奴がさらに許せなくなってきた。
「おー、よしよし」
赤ちゃんはまだ目が開いていない。
手も足も小さくてパタパタと動かしている。
なんというカワイイ生き物だ。
――ガチャッ
「なんだよ、ヒロシ~呼んだー?」
そこへ現れたのは、魔王リック。
まったく、父親のくせに、こういう時に男はなんの役にも立たないんだから。
俺は何か一言いってやろうと思った。
だが、分娩室に入った瞬間、リックの動きが止まる。
表情が強張っている。
「師父、逃げてください! こいつは勇者です!」
「げえっ! ラーちん!! ヤバッ……」
俺が抱えている赤ちゃんは、まだ産まれてから10分くらいしか経っていないはず。
それが……リックを睨んでいる。
普通、赤ちゃんは、目が開いていたとしても視力はほとんどないはず。
それなのに部屋の対岸にいるリックに焦点をピッタリ合わせて見据えている。
一瞬にしてその場の空気が凍り付いた。
回れ右して部屋から逃げ去ろうとする魔王リック。
「『懺悔の審判』!」
――えっ!?
今しゃべったのは、この赤子だ。
まだ産まれてから10分くらいしか経っていないのに、もう言葉を発している。
いやいや、それおかしい。
赤ちゃんはまだ発声器官がちゃんと出来ていないはずだが……
俺が抱きかかえていた赤子は、リックの方に手をかざすと、リックの身体全体から光のようなものが滲み出る。
「う、うわぁ!」
リックの断末魔。
光は次第に強くなり、魔王の身体は完全に光に包まれ、そのまま姿が見えなくなってしまう。
そして、その光が消え去ると、その場所には、俺がリックに最初に出会った時にみた橙色の仔猫が一匹いた。
「ニャア!」
「リ、リック?」
俺は恐る恐るリックに声を掛けてみる。
「ニャー」
前回とは違う。行動に、なんだか人間らしい知性がない。
以前は猫でも行動や視線が少し違っていた。
今は、完全に猫だ。
「ううっ、リック師父。また封印されてしまうなんて……」
サンが台の上で身体を少し起こしながら悔しがっている。
俺はどうなっているのか理解できない。
けれど、産まれたばかりの赤子によって、リックが猫にされたのは分かった。
「師父の2番弟子である僕が、勇者の封印に失敗するなど……師父に顔向けできない!」
「ど、どういうことだよ、これ……」
「勇者は師父の天敵なんです。僕は転生した勇者を胎児の状態で固定し、産まれないようにしていたんですが……」
「産まれないようにって……」
「胎児交換法と、胎児成長停止薬を使うことで400年間、勇者の誕生を足止めしていたのです」
「た、胎児交換? 成長停止?」
余りにも凄い話が飛び交っている。
「それが、胎児成長停止薬とハイレモンを間違えて服用してしまい、勇者の成長を止めることに失敗してしまったんです」
薬とラムネ菓子を間違う奴いるのかよ……
話が急に低レベルになったぞ。
それはともかく、この赤子が勇者っていう奴らしい。
魔王の天敵だから勇者なのだろうか?
「お前はどうしてリックを狙うんだ?」
俺は、今抱いている赤子に尋ねる。
赤ちゃんが返事をするわけないのだけど、さっきなんか技みたいなの使ったので、思わず問い掛けてしまう。
しかし、予想に反し、その赤ちゃんから答えは返ってきた。
「私は審判の勇者ラーヴェル。魔王リックはたくさんの罪を犯した。その贖罪がまだ済んでいない。奴には服役期間が800年も残っている」
新生児でも耳は聞こえるとは言うけれど、名乗られてはっきり話されると、こちらがびっくりだ。
「罪を犯したって、何やったんだよ」
「復讐のための殺人、侵略戦争の実行、胎児の監禁……」
赤子の口から告げられるリックの罪状。
「……無許可のハーレム建設、女性に憑依しての覗き、下着泥棒、スカート捲りなどだ」
ローシラア帝国などの超大国が全て加盟している連邦。この刑法には死刑はないけれど、懲役が加算される。
後の方はどうなのかという気もするが……
周囲の女医や看護婦はいつの間にか分娩室の外に出されてしまっている。部屋の外のラナやグラフィリカ達も同じように内部の異常に気が付いていない。
この勇者とかいう赤子も、リックと同じような集団憑依能力があるのだろうか?
「ちょっとまってくださいよ」
突然、リックの弟子と名乗ったサンが反論を始めた。
「憑依状態でのプライベートゾーンの管理は、1200年前に制定されたTSF法で“精神が身体の管理権者である”と決められていたはずです。つまり、後ろの方の罪状は現在では無効です!」
な、なんだ。いきなり法律談義が始まったぞ。
しかも、互いに身体的には母親とその子供じゃないか。
「例えば、昔、姦通罪は罪でしたが、今は罪ではありません。当然、以前の姦通罪での服役義務などは無効になります」
なるほど、つまりリックが女性に憑依して自分のスカートを捲ったり、パンツを脱がしても罪にはならないっていう法律があるのか。
そんなピンポイントな……
「それに胎児の監禁もおかしいです。母親には胎児の成長を自由に管理する権限があります。刑法には堕胎罪はありますが、成長抑制が罪になるなんて法はありません」
赤子は目を瞑って考えている。
「ふむ、後の法律制定で、刑罰が減刑された場合は事後の量刑が優先されるんだったか。それでは、それらを計算して……リックの服役期間はあと400年だな」
赤ちゃんが指折り数えているのでかなり変な仕草だが、リックの刑罰は軽減されたらしい。
しかし400年か……俺が生きている間はずっと猫か。
サンに、それ以上のツッコミ材料はないようだ。
仔猫のリックはサンに抱きかかえられて寝てしまった。やっぱり精神まで完全に猫になってしまっているらしい。
俺はマリアンの知識から、勇者のした計算に違和感があった。
マリアンの知識と鈴木弘の知識を総動員して考える。
「それ計算方法間違ってない?」
「?」
「勇者さんは400年間封印されていたから知らないだろうけど、連邦法では量刑の計算方法が変わったんだよ。ええと……」
俺はスマホの電卓機能を使って、計算を始めた。
「重複する罪状は0.7掛けすることになったんです。で、余分に服役した分にも還付があるから……ほら、残り40年でしょう?」
まるで借金の一本化のように、見積もり額を計算し直す俺。
俺が20年間培った社畜技術が炸裂する。もし、仕事で見積もりの計算書を間違えたら、上司にも叱られるし、お得意にも迷惑が掛かる。始末書もたくさん書かされる。
まぁ、こんな仕事は慣れたもんだよ。
俺は計算した見積もりを見せて勇者に迫る。
もっとも、それを見せているのは、上司でもお得意でもなく、俺が抱きかかえている赤子にではあるけど……
「なるほど、確かに残り40年だな」
「今までの服役期間の総計は?」
「800年だ」
「すると残り5%未満ですよね。たしか連邦法では、服役の管理者が認めれば仮釈放が認められる期間ですよね」
「うむ……」
勇者ラーヴェルは悩み始めた。
魔王リックでも友達だ。法律の許す範囲でならば助けてやりたい。
「そ、それより……」
勇者がもぞもぞとしている。
「私は腹が減った。食事を与えてくれないだろうか?」
赤ちゃんはサンに対して手を伸ばしている。
「産まれたばかりの子の身体は、乳を飲まないと病弱になりやすいのだ」
それはそうだ。
聞いたことがある、赤ちゃんは初乳を飲まないと免疫機構が弱くなるらしい。
「確かにお前は俺の股から産まれたな」
「そうだ、乳はでるのだろう?」
「だが断る」
ところが、サンは胸を張って拒否する。
ドヤ顔だ。
「僕はリック師父の2番目の弟子。2000年前からお仕えしている妖狐のサンだ! お前に乳をやる義理はないっ!」
いやいや……それはまてよ。
母親しか赤ちゃんに乳を与えられない。
「それに、僕は子宮憑依でこの女性が生まれた時から憑依している“タマモ族”の男だぞ! 男が乳なんてやってやれるか! お前の好きな渋い緑茶でも飲んでろ」
「魔王の手下め! 私の食料を抑えるとは卑怯な!」
魔王軍の育児放棄攻撃。
補給を断たれてはさすがの勇者も苦しそうだ。
「私は審判の勇者ラーヴェル。魔王の手下などと取引はできん。仕方がない、衰弱死した後でまたレインに頼んで転生させてもらおう……」
「ふふん、その時は胎児のお前を見つけ出して、また胎児交換法と、胎児成長停止薬でお腹の中で永久に飼ってやる。もちろん、お前の嫌いなコーラも毎日飲んでやるからなっ!」
「く、くそっ。私にコーラを飲ませるなど……」
「ちょっと待て」
俺は割って入った。
というか、片方は俺が抱きかかえているわけだが。
「命を粗末にしたらダメだろ。何が“レインに頼む”だよ。そんなの俺が許さないぞ」
「しかし……」
「リックの保釈許可は服役管理者の勇者ラーヴェルさんが権限を持ってるんでしょう? その許可を出すのはどうだ?」
「魔王と取引など……」
「取引じゃないよ、まず仮釈放は法的に認められている事。普通はどこの刑務所の管理者もするよね?」
「それはそうだ……」
「仮釈放中は、社会貢献する義務がある。もちろん、お腹を空かせている赤ちゃんに乳を与えるのも社会貢献だ」
「うむ……まぁ、今後リックが悪事をしたら、仮釈放を取り消せばいいわけだから、正義は維持されているかもな」
「そうそう、正義大事」
「わかった。リックの仮釈放を認める。ヒロシ殿、立会人になって欲しい」
なんか今日の俺はよく立会人になる日だな。
俺が了承すると、再び光に包まれる橙色の仔猫。
光が消えると、俺がリックに最初に会った時みたいに、また人間の姿になる。
まぁ、こうなると奴は全裸なわけだけど。
「ニャア」
リックはとぼけて猫の真似をしている。
するとサンはリックの足元に跪いた。
「リック師父、サン忠勤に参上致しました」
「おう、サン。元気だったかー。まったく、ラーちんのやつ。いっつもいつもオレの邪魔ばっかりしてさー」
リックは俺が抱いている赤子をジト目で言う。
「それはお前が悪事ばかりするからだ」
「オレは他人から押し付けられる正義とか、義務の社会貢献とか大嫌いなんだよっ! あっかんべー」
こいつ子供かよ……
「それはともかく、母の身体を持つ者よ。私に食事をくれないか」
再びおっぱいを欲する勇者。
当たり前の事なんだけど、文面は凄い。
「師父どうしましょう?」
愛人のようにリックに擦り寄り、耳元で囁きかけるサン。
リックが裸なのでかなり淫靡だ。
なんだか距離が近い。
え、この人達そういう関係なの?
男同士で師匠と弟子だから衆道みたいな。
まぁ、片方の身体は女だけど。
「まーヒロシの仲介だし、オレは構わんよ。サン、お前のおっぱいだ。お前に任せる」
リックはドヤ顔で言いながらサンの乳房を揉んでいる。
「畏まりました」
サンはリックから離れると勇者に対して胸を張って言った。
「一杯、100ルーブル」
「は?」
「おっぱい、一杯、100ルーブル」
「どこの世界に乳幼児から金を取る母親がいるのだ……」
「お前は僕の子じゃない。産んだってだけ。搾乳サービスなんて面倒だ。善意のボランティアなんてやらないぞ」
産んだ子は自分の子なんじゃないですかね……
代理母とか、遺伝子上の母とか、魂の転生の母とか、母親の精神的な性別とか、複雑な母子の定義が絡み合う。もうこんがらがっててよくわかんない。
「そんなので小銭稼がんでも……」
「僕は師父が作った膨大な借金を返す為に、一生懸命お金を稼がないといけないんです」
は、は?
まぁ、リックなら散財しそうだが。
魔王じゃなくて借金王だったのか。
つーか、持っている優待株売れよ。信用取引なのか?
「ばっか、ヒロシに言ったらオレがみすぼらしくなるだろー」
「申し訳ありません師父」
不貞腐れるリックとすぐに跪いて謝るサン。
「そんなに借金したって……」
「オレ様は宵越しの金は持たないんだぜ!」
結局、自動販売機のジュースみたいな母乳料金の提示に、勇者はやむを得ず、その見積もり金額で了承した。
「わかった。金は後で“使徒”に届けさせるから」
「後払いだと、金利手数料を忘れるなよ」
しかし、金銭取引だけで話は終わらなかった。
「取りに行けないので母乳の配達も頼む」
「僕の方から、お前におっぱいを近づけろって? めんどくさいなぁ」
母親が子供に授乳するのって母乳の配達って言い方するの?
出産の立ち合い経験のはずが、魔王と勇者の宿命の対決になったり。
乳児に母乳を与えるだけでこんな大変な思いをするとは……
☆〇
「うーん、乳首を吸われるって変な感覚だなぁ」
サンは不思議な感覚に首を傾げている。
勇者と言っても赤子、母乳をたくさん飲んでお腹がいっぱいになると、すぐに眠ってしまった。
勇者が眠りにつくと、リックはまたドヤ顔で勝ち誇る。
「ふっふっふ、こんなこともあろうかと、母乳に睡眠を促進させる物質を仕込んでおいたのさ!」
「師父、それ母乳にはみんな最初から入ってますから」
「そうだった」
俺は勝ち誇るリックに服を差し出した。
「その前に、まず服を着なさい。お前が赤ちゃんじゃないんだから」
「そうだった」
リックが服を着ると、部屋にラナとグラフィリカが入って来る。
「マリアン様、大丈夫でしょうか?」
「なぜか、ぼーっとしてしまいまして……」
2人とも何があったか理解していないようだ。
しかし眠っている赤ちゃんには興味をそそられたらしい。
「こちらの子供ですね」
「まぁ、かわいいですわ~」
赤ちゃんがいるとその場が和むもの。
中身は何歳生きているかわからない伝説の勇者らしいけど。
診断の結果、母子ともに健康。
こうして伝説の勇者と魔王の弟子は入院せずに帰宅することになった。
もちろん俺の家に居候である。
☆〇
俺の家族は、さっそく魔王によって洗脳されているようだ。
話がうまく進みすぎる。
「というわけで、これからこの家でお世話になります。リック師父の2番弟子のサンです」
「サン様ね。リックさんのお弟子さん? ようこそローザリア家へ、いつまでも滞在していていいのですよ」
「奥さん、こいつ中華料理が得意なんだぜー、おう、そうだ。久しぶりにギョーザ作ってくれよ!」
「お任せください師父!」
母のアルマリアも妹のミリアムもすっかり信用しているようだ。
「サン様。こちらの赤ちゃんは何というお名前なのですか?」
「えーと、なんでしたっけ? 師父?」
「ラーちんだよ」
「ラーちんさんですね、かわいいですわ~」
確か勇者はラーヴェルと名乗っていたはずだが。
ライバルにも産んだ母親にも名前を覚えてもらっていないって……
☆〇
「どうして私が魔王と同じ家で暮らさなければならないのだ」
部屋に戻ると、勇者が不満を口にした。
「はぁ? 僕はお前の母親なんだから仕方がないだろ」
そりゃあ、乳幼児だし母親からは離れられないわけですが。
「これでは私が魔王の一味のようではないか」
「はっはっは、精神の力は使えても身体が無力だと辛いよなぁ~」
リックは他人事のように言っている。
「おのれ魔王……ところで、魔王の手下よ、次の乳を頼む」
「えーっ、またかよ。さっき飲んだばかりだろ」
「新生児は一度に飲める量が少ないのだ」
「僕はこれら師父の夜食を作らないといけないのにさー、適当に絞って哺乳瓶に入れておくから、勝手に飲んでくれよ。」
「それだと鮮度が……」
「しょうがないなぁ」
うーむ、子育てって大変だなぁ。
こうして俺の家に勇者(乳幼児)と魔王の手下(勇者の母)が来たわけだけど。
だんだんスローライフから外れてきてないか?