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波濤揺蕩う神殺し  作者: 韋駄天
ナハトの争乱編
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神降ろし

「様・・・お父様!」


カインが目を開けた時、そこには瞬く星と見知った愛娘の顔があった。


「う・・・メリッサ・・・か」


カインが上体を起こすと、体に衣類が纏わりつく。


そこで彼はようやく自分が水中に投げ出された事を思い出した。


「良かった・・・無事だったのですね!」


メリッサは意識を取り戻した父親の姿に安堵したようで、喜びの表情を浮かべカインの鍛えられた腕に抱きついた。


「ここは・・・いや、何故ここにいる?」


自分の状況を把握したカインであったが、今度はテントにいるはずのメリッサがここにいる説明がつかない。


「ごめんなさい、ワタクシお父様の事が心配で、こっそり後を・・・」


メリッサはばつが悪そうに肩を落とす。


うつむきながら全身びしょ濡れの彼女を見たカインは、幼い頃に悪戯をして叱った時と全く同じ姿であると思い出した。


あの時も、忙しくて構ってもらえなかった彼女が、父の気を引こうと起こした小さな事件だった。


その微笑ましい記憶に、流石にカインも牙を抜けれ、怒る気が失せてしまう。


「全く、父の言いつけを・・・いや、今はよそう、それよりあの流れから良く私を引き上げたな?」


カインの疑問はもっともだった。


多数の人間で動いているカインを追いかける事は容易いが、今もすぐ近くに流れる激流から彼を救助するのは並大抵の事では無い。


「それは、このお守りのおかげですわ」


メリッサが胸ポケットから取り出したのは、海水に濡れて青白く光る奇妙な鱗だった。


それはバッカニアから去る直前にドツバから手渡された茶封筒に、船長への手紙と共に同封されていた海難避けの護符だった。


血族の鱗を剥がし、そこにザダの祝福を宿した特別な護符であり、ジェイクが授かっている加護とほぼ同じ物を一時的に持ち主へ与える事ができる。


船長から護符の説明を受けてから、彼女はこれを肌身離さず持っていたのが土壇場で吉と出たのだ。


「そうか・・・とにかく私は部下達と合流する必要がある、すぐにでも・・・ぐっ!」


「お父様!」


立ち上がろうとしたカインが急に顔をしかめて地面に倒れると、メリッサは慌てて父の体を支えた。


流されている間に何処かへ足をぶつけたのか、力が入らなくなっているようだ。


「いかん、こうも不覚を取るとは・・・歳には勝てんか」


カインは敵に背後を取られた事を心底恥じているようだが、寄る年波に肉体の衰えを感じているのもまた事実だった。


しかし、そうも言っていられない危機が、すぐそばまで迫っているのだ。


「やれやれ、念のためにと思って見回っていたら・・・悪運の強い奴」


メリッサの背後から音も無く現れたその男は、口ぶりとは裏腹にカインの姿を見て喜んでいるようだった。


まるで、これから始める闘争を楽しんでいるかのように。


「貴方は・・・いえ、聞くまでもありませんね」


蛇のように静かに近寄るその者を見て、メリッサはカインを優しく地面に横たえると、その前に立ちはだかった。


顔も名前も知らないその男の正体をメリッサは知っていた。


以前海賊の根城で出会った静寂の死神と同じ気配、狩りの神アンドラスの信徒であると。


「メリッサ、何をしている? お前は戦う術など・・・」


カインは狼狽えた。


彼は父としてメリッサを教育してきた身ではあるが、きちんと武芸を教えた記憶は無い。


ましてエメラルダの加護が失われた今、彼女は戦いとは無縁の存在であるはずだった。


「旅が、ワタクシを少しだけ鍛えてくださいました」


人間は必要に迫られるとある程度の事は覚えてしまう。


危険を伴う秘宝への旅は、バオバオから教わった技を彼女の体に染みこませるまでに至った。


「無茶だ、こいつは相当の手練れだぞ、お前だけでも逃げろ」


しかし、彼女はバオバオに師事してからまだ1年も経過していない。


積み重ねた鍛錬も、戦いの経験も、目の前の男との差は歴然。


カインはそれを即座に見抜いた。


「・・・お断りしますわ」


それは誰よりもメリッサ自身が痛感している事だった。


ゆっくりと歩み寄る男は構えてこそいないが一分の隙も無く、何処に打ち込んでも通るビジョンが全く見えない。


「はっはっは! こんな時にも親子喧嘩か! ・・・けどな、俺も雑魚狩りの趣味はねぇ、戦えねぇならとっとと失せろ」


男は2人のやり取りを笑いながらも、メリッサを見逃す提案をした。


大物の首を落とし、皮を剥ぎ、その全てを自分の血肉とする事に喜びを覚えても、生まれたばかりの雛を殺す行為は、神に捧げる狩りに相応しくない。


無差別かつ無作為に思える彼等の狩りにも、彼等なりのルールがあるのようだ。


「魅力的なご提案、痛み入ります・・・でも、お断りしますわ!」


メリッサはそれを拒否すると、自分に纏わりつく緊張と恐怖を振り払うように大地を踏みつけ、構えを取った。


「・・・死んでも後悔するなよ」


男は首を鳴らして構えを取ると、周囲に刃物のように鋭利な殺気を放つ。


狩りをする体勢に入った男はすり足のまま滑るようにメリッサへ肉薄すると、小手調べとばかりにジャブを放った。


「くっ!」


それをメリッサが手で払うと、間髪入れずに1発、2発と打ち込んで見せた男は、3発目の大ぶりな一撃でようやく隙を見せた。


それは針の穴を通すかのようなか細い勝機だったが、次に何時それが巡ってくるか解らない。


迷っている時間は無かった。


「しっ!」


晒した隙へとメリッサは突きを打ち込むが、男は身を屈めて避けるとそのままメリッサの足を刈った。


余りにも呆気なく、バランスを崩したメリッサは床に倒れた。


「あんな見え見えの誘いにかかるたぁ!」


男はその腹部を力任せに踏みつけた。


骨で守られていない柔らかな内臓が潰されたメリッサは声にならないうめき声を上げる。


「話にならねぇ、な!」


「ぐぁっ! ・・・は・・・」


その足を退かそうと抵抗するメリッサに対して追い打ちとばかりにもう一度踏みつけると、男はぐったりとした彼女からようやく足を外した。


「さて、お待ちかねの本命・・・と言いてぇ所だけど、傷物とはテンション下がるなぁ」


言葉通りやる気を感じさせない男がカインへと向き直ると、彼は近くに転がっていた木材を松葉杖代わりにして体を支え、片手で剣を握っていた。


「ふんっ・・・手負いの獣ほど、侮れん事を知らんと見える」


カインは剣を向け臨戦態勢に入るが、誰がどう見ても戦える状態には見えない。


虚勢を張っているのは疑いようも無かった。


「ロクに立てもしないクセにか? ・・・まぁ、お前みたいな偽善者にはお似合いだな」


当然ながら警戒する事もなく男はカインへと歩み寄り、見下すように彼を偽善者と罵った。


「何だと?」


身に覚えのないカインは当惑するが、男は肩を震わせて含み笑いをしている。


「聞いたぜ、お前の演説・・・ったく笑っちまうよなぁ、おい・・・あれだけの人数の面倒見るとか、バレバレの嘘ついてんじゃねぇよ!」


そして、とうとう堪えきれなくなったのか、男はカインの目の前でケタケタと笑い始める。


彼にとって、あの橋上での会話は茶番劇以外の何物でもなかったのだろう。


「あいつら何も解ってねぇよ、獣だろうと人だろうと、弱い奴は食われて誰かの養分・・・だろ?」


狩りの神を信仰する彼にとって、弱肉強食こそが世界の真理。


捕食者が獲物に施しをする意味など無い。


愛玩用か、肥やしてから喰らうかの選択肢はあるかもしれないが。


「解っていないのはお前の方だ」


そんな意見を、カインは真っ向から否定する。


その表情は追い詰められたというより、むしろ男を追い詰め勝ち誇っているようにすら見えた。


「・・・あぁ?」


逆に男は追い詰めたはずの獲物が余裕の笑みを浮かべた事に不機嫌さをあらわにした。


絶体絶命のこの状況で、どうしてそんな顔ができるのか、彼には全く理解不能だった。


「人とは本来誰もが等しく弱い・・・だからこそ互いに手を取り合う事を学び、この世界で最も栄えた種族となった、歴史がそれを証明している・・・はたして本当に解ってないのは私とお前、どちらかな?」


カインは領地を預かる為政者として、軍人として、また子を持つ親として、弱者に手を差し伸べる事の重要性を知っていた。


か弱い1つの力でも、集結すれば途方も無い力になる。


それを何処まで生かすかが国を動かすための資質だと、彼は亡き父から教わっていた。


その教えは次代へと引き継いで行く物、だからこそ彼は戦うのだ。


この戦いを終わらせるために。


「いいぜ、そこまで言うなら証明して・・・ん?」


苛立つ男が拳を振りかぶろうとしたその時、彼は背後から何者かの気配を感じ取って振り返った。


「・・・」


そこには、先ほど戦闘不能にしたはずのメリッサが立ち上がり、おぼつかない足取りで2人へと歩き始める所だった。


「ほぉ~、女にしちゃ思ったよりタフだな・・・やるじゃん」


男は感心したように呟くと、再び構えを取った。


今度こそ、永久に立ち上がる事などできなくさせる、そう決心しながら。


「だけど、そのふらついた足じゃあ・・・」


体勢を低くとり、急接近。


狙うは顎、一撃で眠らせる。


そのための渾身の一撃を、彼は放った。


「2度目は無ぇ!」


全身のバネを使った完璧なアッパーがメリッサを捉えた。


かに見えたが、その拳は寸前の所で彼女の右手に捕まり、動きを止めていた。


「がっ!ぐっ! 何だ、急に・・・これが女の力か!?」


強引にその手から逃れようと腕を引くも、万力で挟まれたかのようにメリッサの指は男の拳を離そうとしない。


「信念無き拳に、魂は宿らず」


そして、メリッサの口から小さく発せられた言葉は、まるで歴戦の武人であるかのように重厚な威圧感を放つ。


「はぁ? 何を、ぐはっ!」


まるで別人のように喋るメリッサに気圧されまいと男は抵抗するが、自由な方の拳が届く前にメリッサが胴に蹴りを入れて男を吹き飛ばした。


「魂無き技は、武にあらず」


またもや奇妙な言葉を口ずさみながら、メリッサはゆっくりと男へ近寄る。


その構えはついさっきまでの素人の物では無い、まさに達人のそれであった。


「くくく・・・湿気たハズレくじを掴まされたと思ったら、とんでもねぇ掘り出し物だなぁ・・・おい!」


瞬時に受け身を取り立ち上がる男は楽し気な笑みを浮かべていた。


小物ばかりの狩場にようやく大物が現れたのだ、これを狩らずしてアンドラスの信徒が名乗れるものか、と。


「武を修めぬ拳、これを暴と呼ぶ」


男はすぐさま反撃に移るも、まるで霞を相手にしているかのように、メリッサに打ち込むことができず、今度は眉間に鋭い一撃を喰らってしまう。


「うごぉ!」


眼前で火花が散ったような衝撃。


男は思わず下がって距離を取り瞼を開くと、メリッサは腰から下げていた瓢箪の栓を開け、中身をあおっている最中だった。


「暴とは即ち、童子の喧嘩・・・酒の肴にはならんな・・・変わるぞ、バオバオ」


男の脳内で、何かが切れた。


数分前に圧倒したはずの相手に今度は歯が立たない所か、目の前で酒を飲まれ、挙句の果てに子供の喧嘩と揶揄されている。


ここまでコケにされたのは、彼も初めての経験だった。


「こんのヤロウ・・・調子ぶっこきやがって」


彼は確かに優れた戦士ではあったが、怒りに思考が乱され、相手の実力を正確に推し量る事ができなくなっていた。


そして何よりも認めらなかったのだ。


自分が女に負けるなどと。


「バオバオ 戦う メリッサの ために」


ひとしきり酒を味わったメリッサは、瓢箪の栓を戻すと、赤い顔でふらふらと構えた。


明らかに酔っている。


その姿に、男の怒りは頂点に達した。


「なめてんじゃねぇぇぇぇぇ!」


男は猛然と突進するが、彼女はその腕を防ぐと勢いを殺さぬようにするりと重心を動かして受け流した。


「頭 冷やせ」


そのまま男は体勢を崩され、転がるように宙を舞いながら水中に没した。


傍目には男が勝手に転んでそのまま退場したようにしか見えないが、その手際を横で観察していたカインには良く解った。


眼の前にいるのは自分の知る娘ではない。


武術を体得した見知らぬ達人であると。


「お前は誰だ、メリッサ・・・ではないな?」


カインの絞り出すような言葉に、それまで残心を続けていたメリッサは目線を彼の方に移して大きく息を吐き、構えを解いた。


「あ・・・お父様・・・」


そして、次の瞬間には氷のような緊張感を放つ眼光は失せ、纏う雰囲気もいつものメリッサに戻った。


「今のは・・・一体何だ?」


恐る恐るカインがメリッサに先ほどの現象への説明を求めるが、視線の先にいる娘は虚ろな瞳をしたまま何も無い空中を見つめている。


「ワタクシの中に・・・師匠と、雫の神様が降りてきて・・・」


やがてメリッサは口を開き、ポツリポツリと喋り始めるが、いまいち要領を得ず聞いているカインは唖然としている。


「師匠? 神? ・・・何を言っている?」


メリッサの言葉をカインは欠片も理解できなかった。


彼女に起こったのはその身を神に貸与する(神降ろし)


選ばれた特別な能力者か、エメラルダの腕輪の力を借りてようやく可能となる神秘が、奇跡的にも彼女の体に宿ったのである。


「でも、もう行ってしまわれました・・・」


そうしてメリッサは膝から力なく崩れ落ちそうになる。


「おい、大丈夫か!」


カインは上半身を地面に滑らせ、メリッサが地面に倒れる寸前の所でキャッチした。


「御二人は神殿に引き寄せられたのです・・・その途中で偶然ワタクシを見つけて、それで・・・」


「もういい、無理に喋るな!」


メリッサは更に話を続けようとするが、神降ろしは彼女の体力を根こそぎ奪ってしまったようで息も絶え絶えに弱っており、カインは見かねて制止した。


「ごめん・・・なさい・・・」


父の言葉が嬉しかったのか、それとも自分の非力さ故か。


メリッサは涙を一滴流すと、静かに目を閉じた。


「くそっ! この都市で・・・エメラルダ様の神殿で・・・一体何が起こっている?」


メリッサを抱きかかえたまま、カインは遠くにそびえ立つエメラルダの神殿を見上げる。


かつては神々しかったその姿も、既に過去の存在。


神無き神の住処は新たな主人を求めているのか、それとも新たな主人が神を求めているのか。


もはや身動きの取れない彼が、この世界一騒がしい夜更けに、その答えを知る事は無いだろう。

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