審判の時、近し
メリッサがバッカニアから姿を消した一週間後、ドツバとイグニスはジェイクの家を目指して坂を上っていた。
「あのバカ、ま~だ引きこもっていやがるのか?」
「はっ、六日前からジェイク殿を外で目撃した証言はゼロであります」
メリッサがいなくなってからというもの、数日はその話をする者はいたが、やがて誰の話題にも上がらなくなっていた。
彼女の名前を口にするのも、すでに街では彼等くらいなものだろう。
「アホかあいつは、女に逃げられて落ち込むくらいなら、力づくで捕まえときゃ良いものを・・・」
ドツバは呆れ顔でため息をつく。
教団からの任務を遂行する立場にあって、遠慮や気おくれで目的を逃す事などあってはならない。
まして自分が欲しい物ならば、なおさらの事。
彼の人生観からは考えられない話だった。
「ジェイク殿は、そういった強引な方法は好まないと存じます」
しかし、イグニスはそんなドツバの意見を否定した。
ジェイクがそんな方法で女性に迫るなど町の誰にも想像できない話だ。
「じゃあ(好き)だの(愛してる)だの、ちったぁ気を引く台詞を吐けるってのか?」
ドツバはその意見を鼻で笑う。
親愛であれ恋慕であれ、口にしなければ伝わらない事もある。
誰も相手の心の内を見透かす事など叶わないのだから。
「いえ、それも恐らく無理であります」
ジェイクの脳は神を称える単語であれば泉のように湧き出す上に、唇も舌も滝のように神を称賛する言葉を発する事はできる。
しかし、意中の相手を口説くとなると、とたんに錆び付いてしまう。
それは2人にとって容易に想像できた。
「ほらな、だったら簡単で確実な方法を取れば良いのによぉ・・・まっ、良い勉強になったな」
ドツバはジェイクを幼い頃から知っており、同時に上司として長年その働きぶりを観察していただけに、彼の性質を知りつくしている。
この結果も、ドツバにとっては想定内と言った所なのだろう。
「勉強・・・恋愛とは学問でありますか?」
「色恋だけじゃあねぇ、あいつには人生の知識が足りてねぇのさ」
首をかしげるイグニスに対して、ドツバは達観した様子で告げた。
実践させて、学ばせる。
命に関わる物でなければ、失敗すらやがてジェイクの中で大きな糧となる。
「欲しいモンはな、待ってたって永久に手に入りゃしねぇ、テメェから取りに行くのよ、なりふり構わずな」
そうして持論を語るドツバであったが、イグニスは腑に落ちない様子だった。
2人の知る限りジェイクにとって、メリッサは初めて恋に落ちた相手には違いない。
初恋は実らない物が常とはいえ、もっと後押しをしてやれたのではないかと、未だにイグニスは考えていた。
「そうすれば、このような形にはならなかったでありますか?」
もっとも、その考えをドツバが聞けばまた怒鳴り始めるのを知っているため、口には出さないが、やんわりと腹を探ってみるイグニス。
自分にとっても、ドツバにとっても、ジェイクは家族同然。
茨の恋路と知りながらも、ドツバなりに援護をしようとしたのではないかとイグニスは信じようとしていた。
「さぁな? ・・・でも、少なくとも今よりはマシだったと思うぜ」
そんな心中を知ってか知らずか、ドツバはジェイクの家にノックもせずに上がり込むと、一直線に寝室へと向かう。
室内は予想に反して片付いており、綺麗に掃除が行き届いている上に花瓶に新しい花が挿してあり、水も新しかった。
この不自然な状態はミーモが世話をした証拠あるとイグニスはすぐに察した。
あの夜に自分と入れ替わりでミーモが現れた所を目撃はしたが、彼が呼んだわけではない。
つまり、明らかにドツバが関与している。
しかし、何故そんな事をするのか。
そこまで気を回しながら、何故メリッサを素直に帰らせたのか。
何故突然現れた老騎士を、メリッサに接触させたのか。
それがイグニスには全く見当がつかないまま、ドツバの背中を追う他なかった。
「おぅジェイク! いつまでメソメソしてんだ!」
ドツバが寝室の扉を壊しそうなほど乱暴に開くと、そこにはベッドの上に座ったまま壁の絵を呆然と見続けるジェイクの姿があった。
その視線の先にあるのは、ドーベルマンが描いた(最後の審判)
彼にとっては、まさに世界最後の日が訪れた心境なのであろう。
「・・・ドツバさん」
ジェイクは油の切れた機械のようにぎこちない動きでドツバの方へ向いた。
その顔に生気は無い。
「な~に湿気たツラしてんだ? あの女がいないなら、他の奴を誘えよ、今の組合なら選び放題だぜ」
ドツバは気を使っているのかいないのか解らない口ぶりでジェイクに冒険者組合へと来るように告げる。
彼の言う通り、組合は日に日に登録者を増やし、既に職員の増員や寝泊まりする為の宿を増築するために動いている。
新しい相棒を探す程度、造作も無い事だろう。
「今は・・・何も・・・したくないです」
しかし、ジェイクはドツバに従うことはなかった。
どん底まで意気消沈し、何に対してもやる気がおきないらしい。
これほどまでに弱りきった彼を見るのは、流石の2人と言えど初体験であった。
「馬鹿言え、秘宝の調査は俺の命令じゃねぇ、ザダ様の意思だぞ、それを否定する意味・・・解ってんだろうな?」
若干怯んだかに見えたドツバであったが、すかさず神の名を出して再度命令する。
ジェイクに下されているのは単純な物ではない、教団の頂点、神からの勅命である。
それに逆らう事はつまり、教団に背くことも同義である。
「僕は・・・神官失格でしょうか」
ジェイクが蚊の鳴くような声で絞り出した言葉は、2人を凍り付かせた。
あのジェイクが。
神のためなら五体を投げ出すであろうあの信心深い男が。
ただ一度の失恋でここまで自暴自棄になっている。
流石のドツバも、これには言葉を失った。
「・・・これは、かなりの重症でありますな」
しばしの沈黙の後に、イグニスが呟く。
2人はようやく理解した。
ジェイクは重い病にかかっていた。
恋の病という、不治の病に。
「ジェイクの奴、マジで惚れてたのか・・・ってそんな事は今関係ねぇ!」
気を取り直したドツバは乱暴な足音を立ててジェイクの傍に近寄ると、胸倉を掴んでベッドから強引に立ち上がらせた。
「しっかりしろや! このまま干からびて死ぬだなんて腑抜けた考え、俺は認めねぇぞ!」
窓ガラスが割れんばかりの大声で怒鳴りつけるドツバ。
その声量に思わず耳を塞ぎたくなるイグニスであったが、ジェイクは無表情でそれを聞き終え、目線を下に落とした。
「もぅ、僕には何も残っていません・・・」
その言葉に、ドツバの眉がピクリと動き、手が震えだした。
イグニスはそれが何なのかは良く知っている。
ドツバがブチ切れた合図だ。
「いい加減にしやがれ、このアホウ!」
怒りに任せドツバはジェイクを投げ飛ばす。
背丈はそれほど高くは無いとはいえ、成人男性を軽々と片手で投げ飛ばすその圧倒的膂力になすすべも無く、ジェイクはボロ雑巾のように壁に叩き付けられ、床に倒れた。
「随分と甘ったれた事抜かすな? テメェには家もある、生きていくだけの金もある、同僚もいる、俺もいる、この期に及んで1つや2つ無くした程度で何だ!?」
床にうずくまっていたジェイクの服を再び掴み、またもや立ち上がらせるドツバ。
完全に頭が沸騰していると判断したイグニスは、いつでも割って入れるように準備をした。
万が一、という事もありえるだけに。
「・・・」
ジェイクは相変わらず何の反応も見せず、抵抗もしなかった。
自分の生命すら興味が無い、このままドツバに殺されても文句は無い。
そんな様子すら見て取れた。
「それで・・・もう諦めるのか? 一辺しくじったらもうギブアップか? そんなモンなのか、テメェの根性は?」
イグニスは驚愕した一方で、深く安堵した。
ドツバは暗にもう一度やれ、諦めるな、と言っている。
やはり、何だかんだと言ってもジェイクを見捨てはしないのだ。
「僕は・・・」
その言葉に、ジェイクはその日初めて反応らしい反応を見せた。
声を震わせ、逡巡しながらも、自分の中にある感情を言葉にしようと顔を上げた。
「僕は・・・まだ、諦めたく・・・無いです」
ジェイクが必死に吐露した言葉を、ドツバは満面の笑みで受け取った。
そうだ、まだ終わってはいない。
何かも諦めるには、彼は余りにも若すぎる。
「何だよ、解ってんじゃねぇ・・・か!」
機嫌を直したドツバはジェイクを解放すると、背中を平手で思い切り叩く。
過去に何度もした彼流の活の入れ方ではあったが、今までで最も激しい音を立てた。
「いたっ!・・・・でも、どうしたら・・・」
その威力に思わずつんのめって倒れそうになる所を何とか踏ん張って堪えるも、自分の行く末が見えないままのジェイク。
しかし、上司からの激励が、同僚からの熱い視線が、そしてひりひりする背中が彼に訴える。
1人ではない、と
「次のお前の仕事はナハトだ」
「・・・え?」
ドツバの口にしたジェイクの任地。
それはメリッサの故郷、彼女がバッカニアを去り、向かっていった場所だった。
その事実に、枯れ木のように萎えていたジェイクの心臓に血液が急速に集まり、鼓動が早まる。
「その首都のど真ん中、女神エメラルダの神殿に辿り着く事」
置いてきぼりのジェイクをよそに、ドツバは説明を続けるが、そこには大きな問題がある事をジェイクは即座に思い出す。
「何故ですか? 今ナハトは戦時中です」
ジェイクの疑問はもっともだった。
どれほど素晴らしい秘宝があったとしても、戦時中のナハトに足を踏み入れるのは、むざむざ死に向かうに等しい。
調査リストはまだ無数にある、無理をするタイミングとは思えなかった。
「そうだ、だから介入するんだ・・・俺達教団は平和と人道の旗の下に、内乱を鎮めるんだと・・・」
しかし、ドツバからの指令はジェイクの想像を超えていた。
今回課せられた任務は教団全体でナハトの反乱軍を叩き、首都を奪還する事。
それは今まで情報部だけで活動してきたジェイクにとって、初めての経験だった。
「で、でも血族達は地上では戦えません・・・いだっ!」
血族の欠点を口にするジェイクを、すかさずドツバが小突く。
どうやらジェイクが思いつく程度の事は教団はとっくに織り込み済みらしい。
「ごちゃごちゃうるせぇな、やるのか? それともやらねぇのか?」
ドツバは苛だたし気に作戦参加への意思を問うが、この任務に伴う危険度はこれまでの比では無い、下手すれば最悪の結果となる可能性もある。
今までのどんな調査よりも危険な旅になる事は明白だった。
「・・・やります、やらせてください!」
しかし、今のジェイクに撤退の2文字は無い。
失った物を取り戻すためならば、彼は命を賭して任務に向かう覚悟があった。
「決まりだな・・・よし、ロズウェルに行け、そこに案内人を待たせてある」
ジェイクの決意に満ちた表情にドツバはニヤリと笑う。
彼はこの場ですべき事は全て終えたのか、満足した様子でジェイク背を向けると、そのまま部屋を後にした。
その足取りは、珍しく上機嫌であった。
「はい、すぐに準備します!」
去ってゆくドツバとイグニスの背中へとジェイクは叫ぶと、すぐさま旅の準備を始めた。
自分の思い描く未来の為に。
話は変わるが、最後の審判を迎えた世界が焼き尽くされた後、善行を為した者が救われ、悪人は地獄に落ちるとの話が一般的である。
はたして彼は救われるのか、それとも破滅するのか。
誰がそれを裁くのか。
今はまだ、誰にも解らない。




