送別
「殿・・・ジェイク殿・・・」
何者かの呼び声でジェイクは目を覚ました。
寝坊でもしたものかと一瞬焦りを感じたジェイクであったが、まだ周囲は漆黒の闇に包まれ、月灯りだけがぼんやりと室内を照らしている。
目を擦りながら声の主を確認すると、それは紛れも無く教団の仲間イグニスであった。
「あれ、イグニスさん・・・」
「夜分遅くに失礼いたします」
イグニスはまず真夜中に突然訪問したことを詫びた。
しかし、その目はいつになく真剣そのもので、何か深刻な事態が発生した事をジェイクに予感させた。
「いえ、大丈夫です・・・僕に何か?」
「何も言わず、自分に着いてきて頂けますか?」
イグニスがこんな不鮮明な話をするのは初めてだった。
そのためジェイクは言いようの無い不安に襲われたが、彼はイグニスの事を信頼している。
一切口を挟むことなく身支度を整えると、すぐさま一緒に自宅から飛び出した。
先導するイグニスは一直線に坂を下る。
光源は僅かな月の光と街灯のみだが、何千何万と往復しただけあり、ジェイクはつまづくことなく後を追う。
外気は冬が間近に迫っている事を感じさせ、それが体に纏わりつき寝起きの意識をすぐに覚醒された。
「こちらです、ジェイク殿」
やがて到着したのは港の船着き場。
いつもは漁師や魚を買い付けに来る買い物客でごった返している場所だが、今は真夜中という事もあり人気も無く静まり返っている。
イグニスは注意深く辺りを警戒しつつも足早に動き、うず高く積まれたトロ箱の後ろに身を潜めた。
「一体何があったのですか?」
イグニスの隣に隠れ、息を整えながらジェイクは尋ねる。
今まで何度か急な召集令により呼び出された事はあったが、説明すらされずに現場につくのは未経験だった。
「えぇ・・・あぁ・・・実は、密航者の・・・情報が入りまして・・・」
イグニスは何度も口ごもりながら答えた。
その様子に、ジェイクの違和感は加速する。
いつもの彼ならば、解りやすく簡潔に任務の説明をしてくれるはずだ。
「密航・・・大物ですか?」
ジェイクは首をかしげながら更に質問した。
ただの密航者であれば常駐の情報部と治安維持局で事足りる。
秘宝の任務専任のジェイクまで動員されるとなれば、彼の言う通り余程の重要人物であることが想定される。
「いえ、そうでは無くて・・・あー・・・何と申し上げれば宜しいか・・・」
イグニスは明らかに普段と様子が違っていた。
何か重大な情報を握っているが、それを口に出せない理由がある。
「どうしたんですか? そんなにすごい相手なのですか?」
しかし、ジェイクには全く心当たりがないため、彼が喋るように急かす事しかできない。
しばしの沈黙が、寝静まるバッカニアの夜を支配する。
「・・・密航者は、ナハトの騎士1名と・・・メリッサ殿であります」
ついに観念したイグニスが語る情報は、とても信じがたい物だった。
「・・・はい?」
ジェイクは思わず自分の耳を疑った。
メリッサとは友好な関係を築いている。
旅は順調そのものであり、危険はあれど得る物も多く、彼女も嫌がっている素振りは無い。
一方、ナハトの内乱は継続中であり、何一つ彼女が帰る動機は無い。
「恐らく・・・明朝出港する、あの船にあらかじめ潜伏するものと考え、ジェイク殿を御呼びした次第であります」
「え? え?」
ジェイクは思考が定まらず混乱するが、イグニスは淡々と話を続ける。
無理も無い、この街でメリッサを良く知る人物であれば、彼女が再度密航をすると聞かされ驚かない者はいないだろう。
そうでなければイグニスがあれほど頑なに口を閉ざしたりはしない。
この情報で最も強いショックを受けるのは他でもない、今隣で狼狽えているジェイクなのだから。
「ん? 足音・・・ジェイク殿、今はお静かに」
何者かの到来を察知したイグニスは息をひそめ、物陰から様子を伺う。
「こちらです、この船は日の出と共に出港致します、そうすれば教団も追ってはこられますまい」
最初に現れたのは白髪と口元に豊かなヒゲを蓄えた初老の男だった。
上質な革製のズボンと上着、磨かれたブーツからは位の高さを感じさせ、ただの旅人で無い事は一目瞭然である。
「アーノルド様、本当に大丈夫ですか? 見つかれば大変な罪に・・・」
そして、その後ろから現れたメリッサを見た瞬間、ジェイクは心臓を鷲つかみにされたような感覚を受けた。
いかにそれらしい理由を探して否定しようとも、目の前の現実はイグニスの情報が確かであると証明している。
「ご安心くだされ、絶好の隠れ場所もございますぞ」
そのまま2人は港に停泊している一隻を目指し、隠れているジェイク達のすぐ横を通り過ぎてゆく。
その後ろ姿を呆然と見つめるジェイクの横で、イグニスが急に立ち上がった。
「それは初耳でありますな!」
無音の港に突然響いたイグニスの大声に、2人は足を止めて振り向いた。
「この不肖イグニス、後学のために是非ご教授頂きたい物であります、その隠れ場所について・・・」
イグニスが合図をすると、教団のローブを身に着けた血族達が海中から次々と水飛沫を上げ飛び出し、2人の行く先を塞いだ。
「な、何だお前達は・・・何だその顔は?」
(アーノルド)と呼ばれた男は突然現れた血族達の姿に身構えるが、その顔には自分たちの計画が筒抜けであったという明らな狼狽の色が見えた。
「ご老人、質問しているのは我々であります、無用なお喋りは控えて頂きたい」
追い詰めているのは自分達であり、密航者2人は追い詰められている。
それを突きつけるかのように、イグニスは質問を却下した。
「近寄るな、私にはこのお方をナハトまで送り届ける義務が有る!」
剣を構えたアーノルドは勇敢にも血族達に挑みかかるが、そんな行為は時間稼ぎにすらならない事を、彼以外の全員が知っていた。
「いけませんアーノルド様、彼等に逆らっては・・・」
「拘束せよ!」
このバッカニアで武力を持ち出す者は、神の使徒である血族の手により無力化される。
そこに一切の例外は無い。
「くっ! この、これしきの・・・」
アーノルドは(門)から放出される海水を真正面から浴び、全身をフジツボに拘束された。
それでもなお抵抗しようと力を込めるが、体は石像のように硬直したまま動かない。
「年寄りの冷や水、でありますよご老人」
イグニスはアーノルドの握っていた剣を強引に奪うと、小枝のように刃をへし折った。
「さて・・・何故このような真似をしたかお聞かせ願えますか? メリッサ殿は密航の罪を免除する対価として秘宝の調査をする契約でありましたが・・・」
剣の残骸を放り捨てながら、イグニスはメリッサへと詰め寄る。
そこにはいつもの友好的な眼差しは残っておらず、ドツバの部下として、教団の血族として、敵に尋問する時の姿をしていた。
「ごめんなさい、イグニスさん・・・」
メリッサは怯えたように縮こまり、深々と頭を下げた。
「自分は謝罪を求めているのではありません、納得のいく説明が欲しいのであります」
そんなメリッサの謝罪をすっぱりと切り捨て、イグニスは彼女の行動に対して責め立てるように追及する。
「お父様が・・・ひどい怪我をしたと聞いて・・・」
「ほぅ、メリッサ殿のお父上が・・・」
微動だにしないメリッサの周りをゆったりとした歩調で歩きながら、イグニスは情報を聞き出そうと会話を続ける。
その行為は、獲物の周囲を泳ぎ続けるサメのようにも見える。
「それで、ナハトに戻ろうと――」
「甘ったれるのもそこまでであります!」
突然大声を張り上げられたメリッサの体が跳ね上がった。
「メリッサ殿は自分1人の都合の為に我々教団、ギルドの職員、それにジェイク殿の期待を裏切るつもりでありますか!?」
そこからイグニスは間髪入れずにメリッサの行いを批判する。
彼女はバッカニアで生活をする上で、様々な人間に支えられて生かされて来た。
もしそれらの助力が無ければ、間違いなく投獄生活か、最悪死を迎えていたであろう。
そんな彼女が黙って帰郷するという行為は、受けた恩を仇で返す行為と言っても過言ではない。
「そんな、ワタクシは・・・」
「そもそも海を渡って我々から逃げるなどできるはずも無いのであります、それをメリッサ殿は知っているはずであります!」
何とか弁明しようとするメリッサであったが、イグニスは堰を切ったようにまくし立て、聞く耳を持たないと言った様子。
それもそのはず、彼が口にした言葉は全て真実だからだ。
「ちが・・・違います!」
「違わないのであります、どうせ教団が目こぼししてくれると思っているのであります!」
仮に運よくバッカニアから抜け出したとして、無事教団の情報網をすり抜け、目当ての港に辿り着ける可能性は限りなくゼロに近い。
彼女は今まで散々教団の力を目の当たりにして、その事実を知りすぎるほど知っているはずなのだ。
イグニスの言う通り、教団が彼女から手を引かない限りは。
「お願いイグニスさん、話を・・・」
「嫌であります、聞きたくないのであります! 自分はメリッサ殿にほとほと愛想が尽きたのであります!」
それまで罪悪感に強張っていたメリッサの顔が、初めて悲しみの色に染まった。
あの人当たりの良く生真面目な男から、一直線にぶつけられた決別の言葉。
それはただでさえ父親の危機で追い詰められている彼女の心にヒビを入れるには十分すぎた。
「これを船長に渡せば隠れずとも目的地まで行けるのであります、もう何処にでも行ってしまえ、であります!」
イグニスは懐から取り出した茶封筒を無理やり押し付けるかのようにメリッサに差し出す。
中身を窺い知ることはできないが、それが旅先への片道切符である事は彼女にも容易に想像できる。
そして、精神的にすっかり打ちのめされてしまった彼女には、震える手でそれを受け取ることしかできなかった。
「全員撤収!」
イグニスの吠えるような号令に道を塞いでいた血族達は再び海中へと姿を消す。
それを見届けたイグニスも、くるりと背を向け歩き出す。
もう振り向くことは無いだろう。
そして彼はジェイクの隠れている場所まで近づき、軽く目配せした。
(後は、ジェイク殿にお任せします)
そう訴えかけるイグニスの頬は涙に濡れていた。
本当は別れを惜しむ言葉と、旅の無事を祈りたい所なのだろう。
しかし、先ほど彼が口にしたようにメリッサの行いは教団への裏切りであり、到底許される事ではない。
しかし、どちらかを蔑ろにできるほど、彼は器用な男では無かった。
あれが、彼の立場からできる精一杯の選別だった。
「う・・・うぅぅ・・・」
「メリッサ様、どうかお気を確かに・・・」
ジェイクが箱の後ろから様子を伺うと、そこにはさめざめと泣くメリッサの隣で、彼女に声をかけ続ける老騎士の姿があった
(どうする?)
ジェイクは頭の中が真っ白になった。
こんな状態で出て行ったとして、何を言えば良いのかなど皆目見当もつかない。
そもそもメリッサがバッカニアから脱出してナハトに向かう事すら、彼には寝耳に水の大事件。
冷静に物事を判断できるはずもない。
(どうしたら・・・)
メリッサがナハトに戻れば、戦乱に巻き込まれる事は避けられない、そうなればここが話をする最後のチャンスになるかもしれない。
その事実が、彼の心を絞めつけた。
「メリッサちゃん、いるの?」
港に響く、ひどく弱々しい声。
迷い、戸惑い、そして疑心が入り混じる声の主を3人が注視すると、その視線の先には、メリッサに対してまるで身内のように世話を続けたミーモの姿があった。
「待ってください、この人は・・・この人はワタクシの友人です」
その前に立ち塞がろうとするアーノルドをメリッサは静止すると、涙を袖でふき取り立ち上がった。
「ミーモさん、ワタクシはこれからナハトに戻り、務めを果たさなくてはなりません、何も相談せずに去ろうとして、本当にごめんなさい」
気丈にもメリッサはそのままミーモの前まで歩を進め、自分の身勝手な行動を謝罪した。
ミーモはメリッサがこの地に辿り着いてからというもの、良き話相手となり続け、心身共に支えとなり続けた。
だからこそ、最後にきちんと伝えるべきだと彼女も感じたのだ。
「・・・そう、寂しくなるわね、ジェイクちゃんには話したの?」
ミーモはそれに対して何ら口出しすることなく、ただ受け入れた。
しかし、その口から出たジェイクの名を聞いた瞬間、メリッサは思わず顔を伏せた。
「いえ、ジェイクさんにはまだ・・・沢山お世話になったのに、こんなお別れの仕方・・・軽蔑されますよね?」
自嘲気味に笑うメリッサの話を、無言のまま聞き入るミーモ。
彼女も薄々感づいているのだ、これで最後化もしれない、と。
「全て、ワタクシの我がままなのです」
まるで、胸の内に貯まった重荷を吐き出すかのように、メリッサは全てを打ち明けようと顔を上げる。
「アーノルド様からお父様の話を聞いて、帰る決心がついたのに、もし・・・あの人に会ってしまったら・・・引き留められてしまったら・・・」
その時のメリッサの顔は、とても形容しがたい物だった。
歓喜に打ち震えているような、それでいて恐怖に怯えているような。
とても感情の整理ができているとは思えないその様。
彼女は完全に取り乱していた。
「きっと・・・きっと帰りたくなくなってしまう! 家も、名も、捨ててしまいたくなる! ワタクシにそんな事は許されないはずなのに!」
そして、堰を切ったかのように泣き出すメリッサ。
頭の中では、今すぐに帰らなければならないと理解している。
だが、心の中にいる別の自分がそれを拒否していた。
彼女は自分自身の首を絞め、己を苦しめているのだ。
「うん、うん・・・大丈夫、私からちゃんと伝えておくわ、ジェイクちゃんも解ってくれるはずよ」
そんなメリッサに、ミーモはゆっくりと歩み寄ると、両手で優しく抱きしめた。
まるで本当の我が子のように。
どれほどそうしていたかは誰にも解らないが、やがて泣き止んだメリッサはミーモから離れ、頭を下げた。
「申し訳ありません、もう・・・大丈夫です」
「いいのよそんな事、人間は辛かったら我慢せずに泣けば良いの、一回も二回も同じことよ」
先ほどの悲壮な顔つきからは幾分マシになったメリッサを見て、ミーモは安堵した様子で答えた。
それはメリッサが良く知る、いつもの頼れるの彼女の顔だった。
「そうでしたね、またミーモさんの胸をお借りしてしまいました」
それと同時に、メリッサはバッカニアに来た初日にミーモの胸で大泣きした事を思い出し、少し気恥ずかしい感覚を覚えた。
赤の他人に2度も泣き顔を見せる事など、中々ある事では無い。
「気にしないで、おばさんの胸で良かったらまた何時でも貸したげる・・・さぁ、出港まで時間があるわ、それまであたしの家にいなさい、こんな所で夜を明かしたら風邪引くわよ・・・そっちのお髭さんも」
「お髭・・・はい、かしこまりました」
自分の扱いに少しだけ不満げな様子のアーノルドであったが、メリッサに促されしぶしぶミーモの提案を承諾し、港を後にした。
残されたのは完全なる静寂の中に、ジェイクがただ1人。
彼はあらゆる意味で完全に取り残されていた。
イグニスも、ミーモも、メリッサとの別れに向き合い、それぞれが自分の中でけじめをつけた。
しかし彼はどうだ、メリッサとしっかり話もできず、かといってあんな話の後で出ていくわけにもいかず、宙ぶらりんの気持ちのまま、物陰に力なく腰を下ろした。
「はぁ・・・」
今から追いかけてメリッサと話をしようとも考えたが、そんな事をしても彼女を苦しめるだけだと彼はすぐに思いとどまる。
お互いに傷口を広げるだけの行為に、何の意味があるのか。
それならばいっそ、何も知らないふりをして流れに任せればよい。
時間が全てを解決してくれる。
そう自分に言い聞かせた。
「くそぅ・・・」
いつのまにか涙があふれていた。
拭っても、拭っても、止めどなく溢れるそれは、彼の本音だった。
上辺だけの嘘など、誰も騙せはしない。
まして相手は自分自身。
諦めの言い訳に、説得力が無いのは当然だ。
「くそ・・・くそぉ・・・」
とにかく大声を出したかった。
爆発しそうな感情を露わにしたかった。
腹の底から叫び、涙と喉が枯れるまで泣きたかった。
しかしできなかった。
今、静かなバッカニアの夜更けに力のかぎり声をあげれば、きっとメリッサの耳まで届いてしまう。
だから彼は必死に声を押し殺し、港の片隅で泣いた。
泣いて、泣いて、泣き疲れて、気を失うように眠るその時まで。




