嵐の夜に
嵐の中を一隻の帆船が進んでいた。
いや、それはもはや進んでいるとは言い難いほどに頼りなく、まるで木の葉のように揺さぶられている。
「船長、港に戻りましょう、これ以上は無理です!」
「この腰抜け、今更引き返せるか! こんな大シケの中でまともに舵を取れるような奴がいたら、そいつは人間じゃねぇよ!」
真横から殴りつけるような雨粒と風に邪魔をされ、思うように船員に指示が出せないでいる船長はそれでも必死に叫び続けるが、それをあざ笑うかのように一際大きな波が船体を叩いた。
「うわああああ!」
「船長、ヤンの奴が!」
1人の船員が海に投げ出され、波間に消えた。
だがもはや、誰にも彼を気に掛ける余裕はない、誰もが自分の身を守るため、船にしがみつく事に精一杯なのだ。
「えぇい、全員体に縄を巻け! 海に落ちたらお陀仏だぞ!」
声を荒げ船員に檄を飛ばす船長の背後で、一本のマストが激しい軋み音を出しながら真っ二つに折れた。
「マストがやられた、もう駄目だぁ・・・」
「泣き言抜かすな、次にふざけた事言ったら俺が海に叩き込んで黙らせてやる」
「おーい」
どこからともなく聞こえた呼び声に、船長は思わず周囲を見回した。
「お前、何か言ったか?」
「いや、自分は何も」
「おーい」
再び耳に飛び込んできた声が、この嵐の中でもしっかりと聞こえる事に気づいた船長は、ずぶ濡れで冷え切っているはずの体からじわりと汗が噴き出てくるのを感じた。
「何だ、誰だ、この声は」
「船長、船の周りから聞こえてきます」
「化け物だぁ! この嵐の主が来たんだ!」
1人の船員が悲鳴混じりに叫んだ言葉が、船員の間で瞬く間に伝播し、全員が最悪の未来を想像して互いに顔を見合わせる。
「黙れ、出て来たら俺がたたっ切ってやる!」
船長は喉を枯らして船員を叱咤激励し、何とか船の混乱を静めようとする。
しかし、それも全て海と空の機嫌次第、彼らの命運はもはや、天に委ねられていると言っても過言ではなかった。
だからこそ、きまぐれな自然を相手にするとき、人はただ祈るしかできないのだろう。
神の加護を求めて。
「船長、でかいのが来ます!」
船員が指した先には、小山のような波が立ち上がり、船へと覆いかぶさろうとしていた。
「おーい、おーい」
「くそったれぇ! 全員何かに・・・」
船長の叫びは無残にも高潮に飲み込まれ、誰にも届くことは無かった。
帆船は呆気なく転覆し、1人の例外も無く船員は海中に没する。
冷たく濁り、潮流で天地すら定かにならない状態で船長はなんとか体から縄をほどき、空気を求めてもがき始めた。
「おーい、おーい」
まただ、またあの声が聞こえる、海の中でもはっきりと、たしかに自分を呼んでいる。
それが確信へと変わったのは、視界の隅を横切る未知の影だった。
人間ほどの大きさの何かが、この猛り狂う海中を自在に泳ぎ回っている。
(嵐の主 化け物)
つい先ほど誰かが口にした言葉が蘇る。
気が付けば船長はその何かから逃げようと水をかいていた。
しかし、もはや肺の酸素も心許ない、逃げようにもどちらが海面であるかすら解らない。
「おーい、おーい、おーい」
声は最初よりも明らかに大きく、すぐ近くから発されており、目に映る影も1つから2つ、3つと数を増してゆく。
(何てこった、ここで終わりか)
心を諦めに支配された船長は、肺の中に残っていた酸素を全て吐き出すと、ゆっくり両目を閉じた。
死を覚悟した彼は悲壮な決意の中、自分の腕を凄まじい力で掴む声の主が耳元で呟いた声をたしかに聴いた。
「おい、大丈夫か? ふむ、まだ脈がある・・・ジェイク、こいつは任せたぞ」
ジェイクって誰だ? そんな事を考えながら船長の意識は深い暗黒へと落ちてゆくのであった。




