教団幹部フィオーレ
冒険者組合のいつもの席で、食事を終えた2人は湯気の上がるコーヒーを飲んでいた。
「大体死んでるなら一緒じゃないですか、焼き魚にしても寄生虫が消え去るわけじゃありません」
「それはそうですけど・・・何か納得できませんわ」
砂糖をたっぷり入れるジェイクに対して、メリッサはコーヒーを猿酒で割って飲んでいる。
安穏とした店内の雰囲気と、満たされた胃袋、そして良い感じに回っているアルコールによって他愛もない内容の会話が延々と続いていた。
そんな2人の所に受付からミーモが歩み寄ってくる。
「ジェイクちゃん、メリッサちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど・・・このメガネ、フィオーレさんが忘れて行っちゃったみたいなのよ、悪いけど出かけるついでに届けてくれないかしら?」
ミーモは黒いメガネケースを2人の机の上に置いた。
革製の上品な設えで多少の使用感はあれども傷1つない、持ち主は几帳面な人物のようだ。
「へぇ、珍しいですね、解りました、後で届けておきます」
「よろしくね~」
ミーモはそれだけ告げると仕事に戻ってゆく。
とは言っても他の職員の世話を焼いたり、お茶を入れたり、お喋りをするのが彼女の日課だが。
開店直後の業務が片付き、冒険者が増えなければ雑務以外する事がないのだ。
もっとも、チラシの日付まではまだまだ時間がある、仕事に追われる日々は当分訪れないだろう。
「フィオーレさん、とはどなたです?」
「教団幹部の1人で、バッカニア商工会の役員です、ちょっと固い所もありますけど、真面目でいい人ですよ、たぶん幹部の中では一番の常識人です」
(商工会)とは、冒険者組合が冒険者達の集まりであるように、バッカニアで事業を行う商人達で構成された組織である。
国からの補助で事務所を構え、組合に所属する商人達に様々な相談や助言を行っている、しかも秘密は絶対厳守、相談料は基本無料である。
しかしこの組織は地元の商業の発展、また小規模な商店を守る目的で結成されているため、所属者は100%バッカニアの住民である。
よってよそ者の商人が介入する余地は無い、ましてザダが支配するバッカニアで妙な事をする輩がいれば速やかに排除され、都市の経済は健全に保たれる。
それが教団の考える秩序であり、ザダの意思である。
「商工会の役員・・・どんな方なのかしら」
「何なら今から会いに行きます?」
「はい、是非お会いしてみたいです!」
港とは反対の方角には、服や靴などを扱うブティック、宿屋、雑貨屋などが並ぶ商店街が存在する。
その中の一軒の前でジェイクは立ち止まった。
木製の建物の壁に小さく(ワタツミ)と書かれた商店だ、重厚な扉以外はショーウィンドウも無い、外から店の中身を伺うことすらできない謎の店だ。
「ここは・・・一体何を扱っている商店なのかしら?」
「入れば解りますよ、失礼します・・・」
ジェイクは服装を整え、入口のマットで靴の泥を落とすと、ゆっくりと扉を開けて中に入る。
そこはまるで黄金郷だった。
目に入るのは、白真珠、黒真珠、桃真珠、指輪、ネックレス、ブローチ、ピアス。
天井に吊るされた魚群を模した照明から照らされた品々達がチリ一つない店内で鎮座している。
「おや、誰かと思えばジェイク君、御機嫌よう・・・今日はどのような用件かな?」
奥から現れたのは痩せた壮年の女性、長身に真っ黒のスーツ、銀縁メガネ、燃えるような紅の長髪、この店の主フィオーレだ。
「これ、冒険者組合からです」
「いけないな、私としたことが、わざわざありがとう・・・それで、そちらの女性はどちら様かな?」
眼鏡ケースを受け取ったフィオーレの指す先には、メリッサがガラスケースに鼻先まで接近し、中の真珠のアクセサリーを凝視していた。
まるでオモチャ屋の前にいる子供のように目を輝かせている。
ジェイクは他人のフリをしたい衝動にかられたが、それは通らない。
「あ~・・・こちらはメリッサさん、僕の仕事仲間です」
「そうか、彼女は随分と当店の品に興味があるようだが、気を利かせて1つくらい包んであげたらどうかね?」
「ご冗談を、僕の稼ぎは知ってますよね? ここの髙い真珠にはとても手が出ませんよ」
自虐気味にジェイクは笑う。
そう、何しろ(ワタツミ)の真珠は高い、よって一見さんが入ってこないようにわざと中が見えないようにしてある。
この店を訪れるのは、貯金を吐き出して一生物の真珠を買いに来る市民か、幹部から紹介を受けた他国の富豪しかいない。
ふらっと用事の無い旅人が入って来たり、通りから金目の物を探す強盗の目については困るからだ。
「ナンセンス、(高い)ではなく、(お値打ち)と言いたまえ、君もここの真珠がどれだけ苦心して作られているか、知らないとは言わせんぞ?」
真珠専門店ワタツミは教団が直接経営している装飾店だが、真珠を生産する事は教団とはいえ簡単ではない、まず海に稚貝を何年もかけて肥育させ、頃合いを見て専門の血族が海中で核(丸く削った貝殻の破片)を挿入する、その後収穫、選別、研磨の作業を経て最後に職人が丁寧に装飾品へと仕上げる、その苦労は並大抵ではない。
密猟者に備えて番人が24時間警護に当たり、天敵のタコやヒトデが大量発生すれば血族全員で駆除する、その結晶が店内に並んでいるのだ、簡単に購入できてしまえる方が異常と言えるだろう。
「僕も何度か駆り出さ・・・お手伝いしたので、重々承知しています」
「なら理解できるな、君1人が現在得ている労働の対価が、この店の真珠ひと粒に足りるか否か・・・」
無論、足りるわけがない。
教団が新たな財源として準備した最高級の真珠を売る店だ。
給料何か月分、ですむはずもなし。
「世知辛い話です」
「そう、真実はバラのように美しく、見る者を引き付けて止まないが、触れ方を誤れば手痛い傷を受ける・・・さぁ、解ったら怪我する前に行きなさい」
「もうズタズタなんですけど・・・ほら、メリッサさん行きますよ」
傷心のジェイクはメリッサを引っ張って店を出て行こうとするが、メリッサはまるでタコのようにケースにしがみついて離れない。
「えぇ!? こんなに素敵な天使達を置いて、何処に向かうというのですか?」
まるでこの世の終わりのような表情だ、男のジェイクにとって真珠はたしかに美しいとは感じるが、それ以上でも以下でもない。
「お・し・ご・と・で・す・よ、次の秘宝を探しに行かないと・・・」
ジェイクがもう少し乙女心を理解できるのならば気の利いた言葉の1つでもかけて慰めたのだろうが、残念ながらザダの経典に女の口説き方は乗っていない。
「も、もう少しだけこの子と一緒にさせてください!」
「駄目です、いくら見たって買えない物は買えません」
メリッサに(ワタツミ)の真珠は刺激が強すぎたのか、完全に陶酔しきっている。
駄々をこねる子供を持つ母親の気持ちを味わいながら、ジェイクはメリッサをケースから引きはがし、出口へと引きずってゆく。
「道中お気をつけて・・・そうそう、ジェイク君、将来的な話になるが、我々は君に対して一定の評価をしている、もし男として人生の決断をする時が来たらまた来ると良い」
「はぁ、どうも・・・ありがとうございます」
フィオーレの言葉の意味を掴み損ねたジェイクは困惑した顔でメリッサを羽交い絞めにしながら(ワタツミ)を後にする。
少なくとも褒められてはいる事だけはわかったジェイクは少しだけ傷が癒されたような気になった。
「またのご来店を・・・お待ちしております」
周囲の一般人からの突き刺さる視線を受けながら去ってゆく2人を、フィオーレは恭しい礼で見送るのだった。