死闘
「グルルルゥ、フシルルルル」
威嚇の唸り声をあげながら、奥からグルグルが姿を現した。
ジェイク達を警戒しているのか水場を挟んだ場所から距離を置いたまま2人と1匹を睨みつけている。
「メリッサ 構え」
「は、はい! ジェイクさんは援護お願いします」
バオバオに続いて構えを取るメリッサ。
その手つきはまるでお猪口を持つような(杯手)と呼ばれる独特の構えである。
援護、その言葉でジェイクは袖をまくり上げ、自分にできる事を考えながら共にグルグルへの距離をじりじりと詰めてゆく。
対峙するグルグルは砂浜で会った時よりもはるかに近い、その姿は昨日より大きく、犬歯は太く、爪は鋭く映り、特徴的な3色の顔の毛はまるで戦化粧のように映った。
諦める様子の無いジェイク達に、グルグルの威嚇が一層大きくなる。
それだけでジェイクとメリッサは全身が粟立つのを感じた、神喰らいを間近にして、全細胞が警鐘を鳴らしている(目の前の化け物は危険だ!)と。
「今なら 間に合う どうする?」
それは間近にいるバオバオにも伝わっていた、やがてグルグルにも伝わるだろう、動物は他者の感情を敏感に察知する。
一晩の間に芽生えた絆による情か、それとも足手まといは不要という意味なのかは分からないが、逃げたければ逃げろ、バオバオはそう言っている。
「できればワタクシは生きてナハトに帰りたいです・・・」
メリッサは内乱中の戦火から逃げ出し、故郷と家族を失った事を思い出した。
内乱の発端は彼女に何ら関係無い、まして非力な身で逃走する事以外の選択肢があっただろうか?
「・・・ですが、逃げるのだけは嫌です」
しかし全ての後悔はそこから始まったと彼女は認識している。
逃げるくらいならば、共に終わってしまえば良かったと思える過去が、不退転の意思を燃え上がらせた。
「それだけは死んでもお断りしますわ!」
もう2度と逃げるわけにはいかない、自分の事を友と呼ぶ師のために命を懸ける、それがメリッサという人間だった。
「僕も、逃げる気はありませんよ」
咄嗟に出た言葉は強がりだったのかもしれないが、決して偽りではない。
彼は先ほど初めて己の意思で何かを救いたいと思った、それがたとえ屈折した教育の結果であったとしても、それは確かな決意だった。
それすら反故にしてしまえば、何かが終わってしまう気がした。
「神は人の文化、歴史そのもの・・・それを乱すならば、僕は神に代わってグルグルに神罰を下す義務があります」
加えて彼には(策)がある、尻尾を巻いて逃げるのはまだ早い。
「ウホホッ メリッサ ジェイク 強い バオバオ 嬉しい」
バオバオの言う(強さ)とは何か。
それは絶え間ない鍛錬によって磨かれた技であったり、巨大な障害を乗り越えた過去であったり、鋼の信仰であったりと人それぞれであるが・・・恐怖を退け、己を奮い立たせるものをバオバオは強さと呼ぶ、単純な力の話ではない。
「僕から行きます!」
ジェイクの手のひらに(門)が浮かび、そこから水流と共に輝く何かが飛び出した。
それは魚鱗だがただ魚鱗ではない、直径はピンポン玉ほどのサイズで表面はおろし金のように尖り、側面は刃物のように鋭く、おまけに半透明で視認しづらい。
ダガースケイルと呼ばれる教団が専用に繁殖させている生きた凶器からはぎ取った鱗である。
だがグルグルは咄嗟に伏せて回避したため、水流は右肩をかすめた程度だった。
鱗が見えているのか、野生の勘という奴なのか、ジェイクはそう考えたが、実際は違った。
グルグルは手から飛び出した海水を見て察知したのだ、昨日砂浜で自分に辛酸をなめさせた張本人は毛むくじゃらの仇敵でも、それを真似する娘でもない、後ろの魚臭い小僧だと。
で、あれば・・・ただの水で無い事は自明の理である。
「くっ! 避けられた!」
石壁に水鉄砲が命中すると、壁はまるで宝石でも埋まっているかのように太陽の光を反射し始めた、実際はもっとえげつない物であるが。
そのまま起き上がり態勢を整えようとするグルグルだったが、それをさせまいとする影が2つ。
「えぇぇぇぇぇぇい!」「ホォォォォォォウ!」
まるで一対のように息の合った師弟が目の前に迫っていた。
しかしまだ間に合う、後方に飛べば避ける事は容易だ、すぐさま行動に移すべく四肢に力を入れるグルグル。
そうすれば今まで通り、致命傷をもらう事はない。
「つ か ま え た」
顔でもない、急所でもない。
バオバオが掴んでいるのはグルグルの左手だった。
そんな事をすればたちまち爪と牙の餌食になる、もみ合いになればグルグルが圧倒的に有利、バオバオが勝ちを拾うとすれば、長い腕で一方的に殴り合いを続ける事だ。
今までならば。
「もらいます!」
メリッサの拳が形を変える、杯手の状態からそのまま拳を握りこみ人差し指の第2関節を突出させる(一本拳)へと。
急所を突く事に特化したその拳は、避け損ねたグルグルの眉間へと突き刺さる。
「グワッ!」
眼と脳で火花が散ったような衝撃を受けたグルグルは、そのまま後方へ吹き飛ばされる。
久しぶりの痛みだった、バオバオと初めて戦った時以来だ。
「神様 返せ」
バオバオとメリッサはすぐさま追撃にかかる。
流れを掴んだのならば、後は一気呵成に責め立てる他ない。
しかしグルグルはすぐさま起き上がると、2人に向かって口を大きく開く。
「ウゲェ!」
何かが口から飛び出した、それは鼻の曲がるような臭いを放つ黒いドロドロとした液体だった。
「うっ! ちょっと何ですかこの臭い!」
追わず怯んだメリッサ達をよそに、グルグルの口から謎の液体はどんどんあふれ出てくる、まるで温泉にあるライオンの首のようだ。
実際に流れ出ているのは湯とは比較にならないほどの異臭を放つ汚物だが。
「これはヘドロ・・・何で・・・まさか!?」
無尽蔵にあふれ出るヘドロは見る見るうちに広がり、広間の床は占領された。
ジェイクは以前鉱毒に汚染された河川を浄化する任務でヘドロだらけの川岸を歩いた事を思い出した、不潔で酷い悪臭だった事に加え、足元がぬかるみと滑りでとにかく歩きづらかった。
つまり、この場所は走ったり跳んだりはもちろん、満足に歩く事すら難しい環境下に置かれたということだ。
「まずい・・・これじゃ勝負にならない」
ジェイクは(門)を開け、足元を洗い流そうとするが、粘度の高いヘドロから両足を解放するのには数秒の時間を必要とした、一歩ごとに同じ事をしている余裕はない。
「ハァ・・・ハァ・・・・ハァ~」
グルグルはひとしきりヘドロを吐き切ったのか大きく深呼吸をすると目の前にいるメリッサとバオバオに牙をむいた。
「ど、どうします師匠? このままでは・・・」
「チッチッチ・・・狼狽えるな メリッサ」
動揺しているメリッサに対して、人差し指を立て左右に振るバオバオ。
その表情は冷静そのもので、恐怖や動揺は微塵も感じられない。
「歩けない なら 歩かないで 戦う」
次の瞬間、バオバオは地面にあおむけに寝転んだ。
酔拳は地功拳という地面を背にして戦う拳法に属し、雪深い地域で編み出された拳法である、足場の悪い所では寝転んで戦った方が良いという合理性により生まれた武技は立ち技はもちろん、寝た状態での蹴りや跳び蹴りなどを駆使して戦う術もある。
「ついてこい メリッサ」
言うなりバオバオはヘドロの上を寝転がり始める。
「えぇ!? あ~もう、こうなったらどこまでもお付き合いしますわ!」
ヘドロの上で横になる事に躊躇した様子のメリッサだったが、バオバオを見捨てるわけにもいかず、意を決して倒れ込み師の後を追った。
1人と1匹がまるで坂を転がる丸太のように向かっていく様子を唖然としながら見守るジェイク、しかしすぐさま我に返ると、2人を援護するべくぬかるみの中に再び足を突っ込んだ。
「ホワッ!」「たぁ!」
回転の勢いを利用したメリッサの蹴りとバオバオの手刀をグルグルは両手で防ぐ。
バオバオの腕は樹上での活動に特化され足の倍以上の長さがある、それ故に師弟は完全に同じ動きではない。
グルグルは悟った、小娘の動きはただの猿真似ではない、バオバオと同じ技を伝授された仲間だ、どこから沸いて来たのかは知れないが、厄介な存在がまた1人増えた。
ならば叩き潰して芽を摘まなければならない。
早急に、今すぐに。
「メリッサさん!」
風を切る音、鮮血、そして苦悶の声。
それが己が身からこぼれているのだと知るのに、グルグルは少しの時間を要した。
なんだ、これは、と。
「助かりましたジェイクさん」
グルグルの振り上げた右肩には、奇妙な魚が突き刺さっていた。
鋭く尖った長いアゴ、槍のような細長い体躯、その名を(ダツ)という。
一部の地域ではサメよりも恐ろしいと言われている魚だ。
冗談のような見た目の魚はグルグルの肩で抉るように回転し、それが現実であると知らしめる。
「グオォォォォ!」
深々と突き刺さったダツを強引に引き抜くと、傷口からは次々と血が溢れだしてきた。
ダツは小魚の鱗が反射する光に反応し、獲物に突進すると傷口を開くように回転する、そのため刺された漁師は抜かずに病院へと運ぶのだ。
だが、そんな事を知る由もないグルグルは必死に傷口を抑えながら後ずさる。
その時血に混じって右肩に輝く鱗が付着しているのが目に入った、伏せて回避したと思った鱗の一部が水流から逃れていたのだ。
まさかそれが今になって牙をむくとは夢にも思うまい。
地上での使い勝手は悪いが、目印さえつければ鉄板すら貫く危険生物は、教団が飼育している生きた凶器である。
「ジェイク 良いぞ」
深手を負ったグルグルに追撃するべく再び転がる丸太になる1人と1匹。
迫りくる脅威に対して、もはやグルグルは袋のネズミだった。
師弟の一撃を防いだ所で、ジェイクが反撃に転ずる事を許さない。
勝負は詰めに入っている、確実に。
「ウ・・・ウグ、グプ・・・」
しかし、グルグルはまだ勝負を諦めてはいない。
敗北を認めないのであれば、決着はつかない。
それは幼子の喧嘩でも、命を懸けた戦場でも同じことだ。
「ウオエェェェェェェ!」
まだ余力があったのか、それとも最後の力を振り絞ったのか、グルグルは再びヘドロを吐き出した。
「むっ? まずい」
それは流れというよりも、噴流であった。
転がりながらも向きを変え、なんとか避けたバオバオであったが、メリッサは反応が遅れたようで間に合わない。
鉄砲水のようなそれはあっと言う間にメリッサを飲み込み、後方へ一塊となって吹き飛んでいく。
「しまっ――」
メリッサを飲み込んだ奔流は後方のジェイクも道ずれにする。
衰える事をしらないヘドロはまるで巨大な蛇のようにうねり、神殿の壁に激突、炸裂した。
「ウオォ! グルグル 許さない!」
壁に叩き付けられたジェイクが再び眼を開いた時、バオバオとグルグルはもみ合いになり、地面を転げまわっていた。
援護しようと身を乗り出すジェイクだったが、さらに信じがたい光景が目に飛び込んできた、目の前の泥の山から見覚えのある手が突き出ている、メリッサの腕だ。
「メリッサさん!」
返事は無い。
ジェイクは壁に手をつき、全身をひねりながら泥の中から抜け出すと、メリッサを救出するべく動き始めた、後頭部の痛みなど気にしている場合ではない。
「今いきます!」
ジェイクはヘドロに上に横たわり、その身を丸太に変えた。
傍から見れば間抜けな姿だが、時は一刻を争う、最適解があるのなら四の五の言っている場合ではない。
メリッサの所まで到達したジェイクは必死に手で泥をかき分け、彼女の上半身を掘り出したが、衝撃で気を失っているのか、揺らしてしても反応がない。
「メリッサさん、起きてください!」
「ゲホッ! ゲホッ! う・・・痛・・・」
何度か呼びかける内に意識を取り戻したメリッサは、至近距離で泥を浴びた時に飲んでしまったのか、口から咳と一緒に泥を吐き出した。
命に別状はなさそうだが、満身創痍な上まだ下半身が埋まっている彼女はもう戦闘不能。
ジェイクはひとまず彼女を置いてバオバオに加勢する事にした・・・が。
「ウオォォォォ!」「ゴァァァァァ!」
組み合っているバオバオとグルグルは密着状態で激しく動き回っている、ジェイクの術では同士撃ちになってしまう恐れがあり、手が出せなかった。
「く・・・どうする・・・」
そうしている間にも、残酷に時間と状況は動いていた。
グルグルは鼻血を流しながらもバオバオの上に馬乗りになり、左から首筋に食らいついた。
「グワッ!」
「バオバオさん!」
真っ赤な血が噴き出した、まるで黒い絵の上に落ちた赤い絵の具のように、どこか現実感の無い光景がヘ
ドロの上に零れ落ちてゆく。
ジェイクは首飾りを握りしめ、神への祈りを捧げた。
「ウ・・・ガ・・・コ・・・」
必死に呼吸しているのか、それともただ空気が漏れているだけなのか、バオバオの口から言葉にならない声が漏れだした。
震える左手でグルグルの首筋を掴むと、右手に持った瓢箪をグルグルの頭に打ち付けた。
透明な中身がこぼれだし瓢箪にヒビが入るが、グルグルは怯む様子は無い。
勝負は決着した。




