溺れる策
「あぁもう、なんでこんな事に~」
「逃げろ 逃げろ ウホホッ」
メリッサとバオバオは逃げていた、ひたすらに。
後方にはグルグルの仲間達が大量に押し寄せている。
「はぁ、はぁ、ワタクシは貴族として規則正しい生活習慣と適切な運動を心がけておりますがマラソンランナーではありませんわ~!」
「頑張れ メリッサ」
地上を走るメリッサと違い、樹上をスイスイわたってゆくバオバオは気楽そうである。
彼の長い腕と短い脚では、走るよりも遥かに早いのだろう。
「海が見えてきました!」
「あいつら 追いついて 来た」
もう少しで捕まる、と言う所で2人は目的地にたどり着いた。
振り向けば猿の群れ、背後には広大な海、文字通り背水の陣である。
「ぜぇ・・・はぁ・・・も、もう走れませんわ・・・・」
「メリッサ 修行 足りない」
肩で息をするメリッサに対して、余裕綽々といった様子のバオバオ。
彼女も体力は人並み程度にはあるはずだが、村から砂浜までの全力疾走は流石にこたえた様だ。
「ギィィィィィィィ」
「ん? 一匹大きいのが見えますわね」
群れの最後尾からのそりと現れたのは他の猿より一回りも大きい猿、顔や体に無数の傷があり、数々の戦いを乗り越えた風格のある面持ちだ。
「あいつ グルグル 群れの ボス」
「ゴァァァァァァァァァ!」
グルグルの号令で、配下の猿達が一斉にメリッサ達へ襲い掛かる。
正確な数は解らないが、50はゆうに超える大群だ。
「二人とも伏せて!」
その声の後に、猿達の群れよりもさらに大きな波が、彼らを丸ごと飲み込んだ。
高波にさらわれ、メリッサとバオバオは猿達と共に海中に投げ出される。
「こちらイグニス、メリッサ殿の確保に成功しました!」
「僕も、バオバオさんを確保!」
そして、海中に待機していたジェイク達が2人をすぐさま救助すると、(門)から出した泡で包んだ。
これで溺れる事はない。
「了解、総員配置につけ、突撃ぃぃぃぃぃぃ!」
イグニスの叫びにより、海中の岩に身を潜めていた者たちが現れた。
それは血に飢えたサメの群れ、人間程度ならばひと口に平らげてしまえるほどのサイズのサメが次々と姿を現した。
もちろん自然にではない、教団が飼育している処刑用の人食いサメだ。
危機を察知した猿達は慌てて地上に戻ろうともがくが、体中に張り付いたフジツボがそれを許さない。
すでに海中にはジェイクの手によって胞子が散布されていた、もはや逃げ道はない。
大口を開けた死神達は罠に掛かった哀れな獲物達を次々と捕食してゆく。
美しい海が血に染まるのを見ながら、ジェイクは泡に包まれたバオバオと共に砂浜に戻った。
「ふぅ・・・上手く行ったかな?」
「ジェイク あれ 見ろ」
バオバオが指した先には、樹上に退避したグルグルがいた。
手下達をけしかけながら自分は後方で待機、波の発生を確認して逃げたのだろう、そこまではジェイクも想定していたが、なんとグルグルは体にくっついたフジツボを手で払っていた。
「え? まさか、あんな簡単に取れるわけがない!」
ジェイクはその光景に驚きの声を上げる。
「そう なのか?」
「あれは教団の被造物、ただのフジツボとはわけが違います」
ザダの教団が管理しているフジツボは普通の生物ではなく、むしろ種として欠陥品である。
触れた生物に固着しすぐさま成体へと育つが、能力は硬い甲殻と道理を超えた成長速度へと注力されており、子孫を残す能力は乏しく、徐々に周囲へと広がる程度しかない。
加えて(門)から供給されるザダの力が途切れればすぐに塵に帰ってしまう儚い生命、刹那の呪いのような命なのだ。
「きっと 神様の 力」
困惑するジェイクをよそに、グルグルはその力を見抜いていた。
それも当然と言えば当然、グルグルの力はこの島の神を喰らった結果手に入れた者である。
「神様の 水 飲めば 体 綺麗に なる 病気 呪い 何でも 治る」
ジェイクはその説明にキリキリと頭が痛む。
神の力が通用しないのであれば、残された手段は片手で数えるほどしかない。
「ではグルグルに搦手は意味がなく・・・倒すには肉弾戦しかない・・・と」
ジェイクは今更ながら、バオバオから瓢箪を譲り受けた時に、この事態を想定するべきだったと悔やんだ。
グルグルは波に飲み込まれず樹上にすぐさま退避した点から、かなり用心深い性格なのが伺える、同じ手は2度と通用しないだろう。
千載一遇の好機を逃した事実が、ジェイクに重くのしかかる。
「ジェイク殿、部隊は撤収させ・・・どうされました、顔色が優れませんが?」
イグニスが海中から泡にまみれたメリッサを連れて上がってくる。
「どうも肝心のボスを逃がしてしまったみたいで・・・面目ないです」
「なんと、無念であります・・・しかし我々もいささか消耗しました、ここは一度休息を取り英気を養う事を提案いたします」
申し訳なさそうに謝罪するジェイクの悲哀を感じ取ったのか、イグニスも気落ちした様子だった。
しかし、ここで諦めては任務を続行できない。
次の手を、更に次の手を、成功するまで打ち続けなければならないのだ。
「・・・そうします」
イグニスの提案でグルグルとの闘いは一時休戦という形に落ち着く。
ジェイクの策は成り、グルグルは部下を失ったが、対価に手の内をさらす痛み分けの形となった。
「気を落とす事はありません、ジェイク殿の采配は敵に壊滅的打撃を与える事に成功ました、これは紛れもない事実であります・・・またご用命の暁にはこの不肖イグニス、粉骨砕身の心構えで挑む所存であります!」
そう言い残して、イグニスは再び海中に潜っていった。
1度目と異なるのは彼を見送るジェイクの瞳、それにはまるで生気がない。
「彼の言う通りですわね、ワタクシはその・・・服を乾かしたいです」
「バオバオ 枯草 取ってくる」
後には全身ぐっしょりと海水に濡れた服の裾を絞るメリッサと、呆然自失状態で座りつくすジェイクが残された。
「元気出してください、ジェイクさんらしくありませんわ」
見かねたメリッサがジェイクを元気づけようと話かける。
「それがですね・・・バオバオさんも勝てない相手に海辺以外で勝つ方法がさっぱり浮かばないんですよ」
ジェイクは難しい顔をしながら腕を組み、考え込んでいる。
思考の波が寄せて返しを繰り返すが、名案が浮かぶ気配は無い。
「もう! 1人で悩んでいるだけなんていけませんわ!」
「え?」
突然メリッサが大声を上げるので、ジェイクは反応に困り硬直した。
彼の中で彼女は控えめな印象があったのだが、実際は必要とあらばぐいぐい前に出るタイプらしく、ジェイクを力付けようと奮起する。
「そのためのコンビでしょう、もっとワタクシを頼ってください! いつまでもおんぶに抱っこではありませんわ、グルグルを倒す方法を一緒に考えましょう!」
廃村からのマラソンで体力を使い果たし、おまけにずぶ濡れ砂まみれ、すっかり満身創痍となったはずのメリッサの叱咤激励にジェイクは今までの自分の行動を恥じた。
そして気づいた、1人で抱え込んでいるだけでは、打ち破れない壁があると。
「・・・ありがとうございます、メリッサさん」