第56話「キミの心の中」
「吉郎!!!」
一つの部屋へ入った堀田は叫んだ。
探し続けた焼きそばは、どこにも見つからなかった。
それが気がかりだったが、最後の部屋で君野の姿をみて堀田は安堵した。
毎回ランダムに部屋の配置が変わる夢の中の白戸家
その部屋のベッドの上で、君野は眠っていた。
そう分かったのは、床から見上げた先に、ベッドから垂れた足と白いワンピースがかろうじて見えたからだ。
堀田は登りやすそうな天蓋の柱へ飛びつくと、小さな身体ですばしっこく登っていく。
そして君野の胸の上まで辿り着くと、相変わらずスヤスヤと眠っていた。
「でっかい吉郎だ……」
これはこれで、一家に1人欲しい。
顔の近くまで寄ると、鼻から生ぬるい息が吹きつけてくる。
まるで室外機から出る風のようだ。
このまま吉郎に咀嚼されてもいい。
ボルゾイの唾液よりはマシだ。
「うーん……」
「うわ!!」
そのとき、鎖骨の上に乗っていたハムスターを鬱陶しく感じたのか、君野は右手で堀田を鷲掴みにした。
そのまま、身体をうつ伏せにする。
だが、起きる様子はない。
堀田は君野の口元近くへ移動した右手の中に、すっぽりと収まってしまった。
「ヤバい!!潰される!」
チュイチュイ!!
ハムスターの悲鳴を今度はうるさいと感じたのか、君野はベッドへ投げ出していた右手をひっくり返す。
その勢いで、堀田は頭からコロンコロンとマットレスの上を転がった。
「ふっかふか!!」
そう思う余裕があるほど、ベッドはふわふわだった。
「ん?」
待てよ……。
この、ふわふわ具合。
嫌な予感がした。
それに、あまりにも天蓋が立派すぎる。
まさか、ここ……。
「貴聞部屋!!!!?」
ハムスターの絶叫が部屋に響いた。
堀田は慌てて君野の白いスカートへしがみつく。
「頼む!!一旦ここから出てくれ!!」
お前の居場所はここじゃない!
昨日、このベッドで『桃太郎』を読んでいた貴聞と吉郎の姿が、嫌でも脳裏に浮かぶ。
嘘だろ。
嘘だろ、嘘だろ、嘘だろ!!!!
俺の焼きそばが。
あのアパートでの生活が。
負けるのかよ……!!!
一気に絶望感が広がった。
頭に血が上り、一瞬力が抜ける。
その拍子にスカートから手を離してしまい、堀田はそのまま床まで勢いよく転がり落ちた。
目が回る。
意識が朦朧とする中、どこからかギターの優しい音色が聞こえてきた。
「なんでだ……」
等々元さんとの思い出は、こんなにあるのに。
本当に。
本当に、もう……。
吉郎の心から、俺は消えてしまったんだ。
そう思った瞬間だった。
「クワッ!!!」
部屋へ飛び込んできた黒鳥が、羽をバサバサと激しく羽ばたかせた。
「クワッ!!!クワッ!!!」
その声に集まってきたのは、俺だけじゃない。
シャム猫とボルゾイも、もうめぼしいものを見つけられなかったのか、この部屋へやってきた。
ベッドの上を見た2匹が固まる。
そして黒鳥だけが、やたらと得意げだった。
それが怖かった。
嘘だ。
昨日の夜だ。
貴聞が吉郎に読んだのは――。
「……桃太郎」
そう呟いたつもりだった。
「ちゅ……」
出たのは、情けない鳴き声だけだった。
シャム猫も動かない。
ボルゾイも、桃へ鼻先を向けたまま固まっている。
分かっている。
全員、同じことを考えている。
昨日まで、この夢のどこにも桃なんてなかった。
それが今――。
吉郎自身の手の中にある。
「クワァッ!!」
黒鳥だけが、大きく翼を広げた。
うるせえ。
分かったよ。
お前の勝ちだって言いたいんだろ。
貴聞は俺をくちばしで拾い上げると、ベッドの上へ適当に放り投げた。
そして君野の胸の上を悠々と歩いていく。
誰も追わなかった。
追えなかった。
貴聞はわざわざこちらへ向き直ると、大きく翼を広げた。
――ほら、ごらん。
――やっぱり僕が、吉郎の王子様だったんだよ。
そう言いたげに、その光景を見せびらかすように俺たちを見渡す。
誰もが固唾を呑んで見守る中、黒鳥のくちばしが君野の唇へ近づいていく。
その瞬間だった。
「バウ!!!!」
ボルゾイが狼のように桃へ飛びついた。
そして迷いなく――。
桃を噛み砕いた。
「……!?」
むしゃむしゃと桃を食べるボルゾイを、全員が唖然として見つめる。
だが貴聞は、自分の痕跡が見つからなかった白黒が、悔しさのあまり桃を破壊したのだと思ったらしい。
すぐに気を取り直し、再び高らかに鳴き始めた。
そんなことをしたって、状況は変わらない。
そう言っているようだった。
堀田は、再び深い絶望へ沈んでいく。
シャム猫も同じなのだろう。
さっきまでとは明らかに様子が違っていた。
黒鳥が、俺たちに向かって何かを語り始める。
上品にスピーチでもしているようだが、何を言っているのか全く分からない。
やがて黒鳥は、紳士のようにペコリと頭を下げた。
そして――。
君野の唇へ、くちばしの先端を重ねた。
「はっ!!!!」
堀田は目を覚ました。
「はあ……はあ……」
全身が汗でびっしょりと濡れていた。
喉はからからに渇き、張りつくように苦しい。
ここは……俺の召使い部屋だ。
狭い部屋を見渡し、ようやく頭が現実へ追いつく。
堀田は小さな冷蔵庫を開けると、中にあったペットボトルの水を一気に飲み干した。
「っ……」
起きてしまえば、ただの夢だったと処理できると思っていた。
でも、できなかった。
もう、吉郎は貴聞のものなんだ。
「うわああああ……!!!!」
小さな部屋を突き破るような雄叫びが響いた。
涙が止まらなかった。
床へ突っ伏した堀田は、身体を震わせながら、わんわんと泣いた。
まだ心のどこかで、諦めているのは俺だけだと思っていた。
こんな金持ちの家なんて、一時の気の迷いだって。
帰りたかった。
記憶がなくても、毎朝笑ってくれる吉郎が、まだどこかにいると思っていた。
俺が甘かったんだ。
俺が……。
「ううううう……!!!!吉郎……俺の吉郎……」
どうしたらいいんだ。
もう、吉郎には届かないのか……
コンコンコン。
部屋にノックの音が響いた。
「堀田?大丈夫か?もう出勤時刻だけど。今日、休むか?」
「……」
時計を見る。
気づけば、もう朝5時だった。
そうだ。
朝からゴミ出しをしなければならない。
そう思った途端、どうしようもなく自分が惨めになった。
それでも堀田は、よろよろと立ち上がる。
そして震える声で、ドアの向こうにいる仲間へ答えた。




