第1話「やきそば導線」
俺、堀田友樹は、高校を卒業してしばらく経ち、21歳になった。
大学では、出世した母の仕事を将来手伝えるよう、経済を学んでいる。
そして両親の助けもあり、君野……いや、吉郎と、小さな2階建てのアパートで2人暮らしを始めていた。
俺の通う大学へ入れる学力がなかった吉郎は、今は家のことをしながら暮らしている。
たまにアルバイトへ出ても、いじめられて帰ってくるか、少しでも愚痴をこぼせば、俺が辞めるよう勧めてしまう。
またいつ、アイツを欲しがる人間が現れるかと思うと怖い。
だから、それでも俺は毎日こいつとキスをする。
愛しているからだ。
――けれど、呪いのキスは消えない。
吉郎と俺がキスをすると、次の日には
コイツの記憶から、俺の存在がまっさらに消えている。
「……」
3月も中盤。
大学は春休みで、アパートの前には誰かの引っ越しトラックが止まっていた。
俺はビールを片手に、テレビのスポーツ中継をぼんやり眺める。
正午の穏やかな陽射しの中、ベランダでは自分たちの服や下着が風に揺れていた。
そんな何気ない時間が好きだった。
ふと左へ目を向ける。
奥の小さな台所では、吉郎が2人分の昼食を作っていた。
焼きそばだ。
包丁は使わず、キャベツを手でちぎり、もやしを袋ごとフライパンへ放り込む。
「あ、入れすぎちゃった……」
小さく呟く声に、思わず頬が緩む。
この狭い台所で、自分のために料理を作ってくれる姿を見るのが好きだ。
今この瞬間だけは、吉郎の頭の中には俺しかいない。
気づけば、その華奢な背中を後ろから抱きしめていた。
「あ、堀田くん。まだできてないよ?」
抱きつかれたまま、吉郎はフライパンを動かす手を止めない。
俺は「吉郎」と呼ぶのに、コイツは相変わらず「堀田くん」のままだ。
それでも構わない。
どう呼ばれようと、この背中も、首筋も、柔らかな髪も、全部愛おしい。
俺は首筋へ顔を埋め、そのまま髪へ頬を擦り寄せた。
「もう、くすぐったいよ」
「相変わらず独特な焼きそばだな」
大きなフライパンを覗き込む。
キャベツは豪快にちぎられ、ピーラーで削ったにんじんが、そのまま短冊状に混ざっていた。
「堀田くん、焼きそば嫌いだった?」
「いや、好きだ。お前が作るものなら、なんでも」
酒のせいだろう。
このままだと、気持ち悪いくらい愛の言葉が止まらなくなりそうだった。
吉郎は抱きつかれたまま、慣れた手つきで料理を続ける。
右手の薬指には、シンプルな銀色の指輪。
一年前、俺が旅先で手作りした。
歪で、できることならもっとマシなものを買ってあげたい。
だが、それでも吉郎はこの指輪を外さない。
疑うこともしない。
毎日同じ流れになるよう、昼は必ず焼きそばを作る生活を続けているからだ。
俺が大学へ行く日でも、冷蔵庫の中身は変わらない。
ゴミ箱には同じゴミが入り、部屋の散らかり具合も、吉郎の行動も、キスをする前の日とほとんど同じになる。
――焼きそば導線。
必要なものを切らさず、この家に揃えておけば、吉郎の1日はここで完結する。
……監禁しているわけじゃない。
そう、自分に言い聞かせる。
ただ、呪いのキスを抱えたこいつには、少しだけ補助が必要なんだ。
「できた!」
吉郎が嬉しそうに声を弾ませる。
最後に半熟の目玉焼きを焼きそばへ乗せるのが、コイツのお気に入りだ。
出来上がった皿を、ベランダの隣にある小さなリビングテーブルへ運ぶ。
焼きそばが2皿。
新しいビールが1本と、吉郎の甘い果汁ジュース。
それにもやしのコンソメスープを並べると、小さな卓上はすぐいっぱいになった。
二人で顔を見合わせ、微笑みながら手を合わせる。
「いただきます」
「うん!美味しい!ねえ、味どう?」
「美味い。毎日これでもいい」
……いや、毎日昼は焼きそばなんだけどな。
心の中でツッコミを入れる。
満足そうに笑う吉郎を見ていると、それだけで十分だった。
昼食を終えた2人は、そのままゆっくりと午後を過ごす。
すぐ後ろのベッドを背もたれ代わりにしながら、俺はスマホゲームに夢中な吉郎を腕の中へ閉じ込めていた。
丸まった背中へ頬を寄せる。
それだけで満たされていた。
だが、ゲームオーバーになった途端、吉郎がぽつりと呟く。
「それにしても僕、なんで昨日までの堀田くんの記憶がないんだろうね。どこかで頭、強くぶつけちゃったのかな?」
その一言で、酔いの残る目が一気に見開いた。
「……別にいいんじゃないか。そんなの」
「どうでもいいの?」
「お前が無事なら、それでいい。……だって、俺のこと好きだろ?」
「うん」
吉郎は静かに頷く。
朝、「はじめまして」と挨拶を交わしてから、まだ数時間。
それでも、目を覚ましたときの状況を見れば、自分たちがどれだけ深い関係だったのかはすぐに分かる。
一夜の過ちなんかじゃない。
そう理解してくれているらしい。
……つまり、それが毎朝続いているということだ。
ちゃんと愛は伝わっている。
そう信じたい。
再びゲームを始めた吉郎を、俺はぎゅっと抱きしめる。
それでも構わず続けようとするので、こっそり脇をくすぐった。
「ひゃっ!? ちょっと……!」
「悪い。酔ってるから」
卑怯な言い訳をしながら、腕の中でバタバタともがく姿を眺めて笑う。
このままベッドで、のんびり過ごせたらいいのに。
そんな欲まで混ざって、くすぐる手が止まらない。
しばらくすると、可愛い顔がむっと膨れた。
「もう離れてよ!お酒、飲みすぎてない?」
吉郎はもぞもぞと腕の中から抜け出すと、床へ寝転び、俺に足を向けたままゲームを再開する。
少し残念だった。
それでも、こうして俺のそばにいてくれるだけで嬉しい。
……なのに。
我慢しようとしていた右手が、また勝手に動いた。
気づけば、吉郎の足の指をそっとなぞっている。
「くすぐったいよ」
「しょうがないだろ。お前の可愛い足がここにあるんだから」
「もう構ってあげない。お酒臭いんだもん!」
「そんなこと言うなよ!悲しいだろ……!」
「うわあっ!!」
酒を飲むと、俺の構いたい病はさらに悪化する。
今度は両足の裏へ頬を擦りつけた。
「また負けちゃった!!もう許さない!!」
吉郎は足を引っ込めると、そのまま俺の背中へどさっと覆いかぶさる。
ようやく構ってくれるのかと期待して顔を上げた。
……が、そのまま俺を台にしてゲームを始めてしまった。
「なんでだよぉ~」
もういい。
俺はコイツ専用のスマホ台だ。
コイツが呪いのキスを持っていて、毎朝キスで記憶を失っていること。
それは、俺だけの秘密だ。
だからこそ、こんな毎日がたまらなく幸せだった。
背中越しに伝わる吉郎の重みを噛み締めながら、俺は静かに床へ顔を沈めた。




