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Ep81. 名前を呼ばれるたびに

名前とは、識別記号だ。前世の俺は、そう考えていた。


個体を区別するためのラベル。呼びかけの効率化。社会的管理のための便宜。それ以上でも、それ以下でもない。誰かに名を呼ばれて、心が動く。そんな感覚は理解できなかった。


ルーク・E・オリバー。その名は、才能と実績を示す記号だった。賞賛。嫉妬。嫌悪。さまざまな感情が、その名に貼りついていた。だが、そこに温度はなかった。……少なくとも、俺にはそう思えていた。


「ルーク」


朝。バーバラが俺を抱き上げながら呼ぶ。いつもの声。柔らかくて、少し眠たげで、どこか気の抜けた響き。


それでも、その二文字を聞くたび、胸の奥が微かに温かくなる。……奇妙だ。これは単なる音の連なりだ。そう分析しても、実感がそれを否定する。


「今日はご機嫌ね」


バーバラが笑う。違う。機嫌ではない。たぶん、安心だ。この声を聞いて、今日もここにいると確認する。そんな感覚、前世では知らなかった。


昼になると、いつものように扉が開く。


「ルークー!」


オリヴィアだ。相変わらず勢いがある。声量も大きい。少しは遠慮を覚えろ、と言いたい。


だが、その声を聞いた瞬間、身体が自然に反応する。視線が向く。胸の奥の火種が揺れる。待っていたのだと、嫌でもわかる。……重症だ、本当に。


「聞いて! 今日ね、パン屋さんのおじさんに褒められたの」


オリヴィアが興奮気味に話し始める。どうやら買い物を手伝ったらしい。荷物を運び、その礼に焼きたての小さなパンをもらったのだとか。


「半分、ルークにあげるね」


……またか。この少女は、なぜこうも自然に分け与えるのか。見返りもなく、計算もなく、ただ、当たり前みたいに。理解しがたい。だが、もう以前ほど拒絶感はない。むしろ、少しだけ、嬉しい。


オリヴィアがパンを小さくちぎる。当然ながら、俺はまだ食べられない。それでも。


「はい、ルークのぶん」


そう言って、俺のそばに置く。その仕草が、妙に胸に残った。分けてもらう。自分のために取り分けられる。それは、前世でほとんど経験しなかったことだ。


「ルークって、ちゃんと聞いてくれるよね」


オリヴィアがぽつりと言う。その言葉に、俺は少しだけ固まった。


聞いている。確かにそうだ。以前の俺なら、他人のどうでもいい話など途中で切り捨てていた。興味がない、価値がない、そう判断して。だが今は、彼女の話を聞いている。しかも、それを悪くないと思っている。


名前を呼ばれるたび、少しずつ、この世界での自分が輪郭を持っていく。


前世のルーク・E・オリバーではない。傲慢な天才でも、孤独な医魔術師でもない。バーバラに抱かれ、オリヴィアに話しかけられ、ここで生きている。


新しい“ルーク”。その実感が、胸の奥で、静かに育ちはじめていた。

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