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幸田露伴「荷葉盃」現代語勝手訳(1)

幸田露伴「風流(ふうりゅう)微塵蔵(みじんぞう)」のうち、「()(よう)(はい)」を現代語訳してみました。

本来は原文で読むべきですが、現代語訳を試みましたので、興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。

「勝手訳」とありますように、必ずしも原文の逐語訳とはなっておらず、自分の訳しやすいように、あるいは勝手な解釈で訳している部分もありますので、その点ご了承ください。


浅学、まるきりの素人の私がどこまで適切な現代語にできるのか、はなはだ心許ない限りですが、誤りがあれば、皆様のご指摘、ご教示を参考にしながら、訂正しつつ、少しでも正しい訳となるようにしていければと考えています。

(大きな誤訳、誤解釈があれば、ご指摘いただければ幸甚です)


「風流微塵蔵」は長短合わせて十篇の作品から成り立っています。

(ただし、最後の作品である「もつれ絲」は幸田露伴と田村松魚の合著と表記されているが、実際は田村松魚が著したものと言われています)


この「荷葉盃」は第五番目の作品。

「さゝ舟」→「うすらひ」→「つゆくさ」→「蹄鐡」からの続き。


本文の冒頭に、これまで登場した主な人物の関係図ファミリーツリーを掲げていますので、参考にして下さい


この現代語訳は「露伴全集 第八巻」(岩波書店)を底本としましたが、読みやすいように、適当に段落を入れています。


(参考)風流微塵蔵に登場する人物の関係図


挿絵(By みてみん)



 荷葉盃 (かようはい) 


 (こう)()(しょう)


 記得那年花下深夜初識謝娘時水堂西面画簾垂携手暗相期

 惆悵暁鴬残月相別従此隔音塵如今倶是異郷人相見更無因


(*忘れるものか。あの年、花の(こぼ)れ咲く下、夜も更けた頃、池に面したお堂の西側、画が描かれた(すだれ)の中で、初めてあの娘を抱いた時のことを、そして、手を取り合いながら、密かにこの次会う約束をしたことを。

 ああ、しかし、恨むほどに辛い、悲しい。まだ名残の月が架かっているのに、夜明けを告げるように鶯の鳴き声がして、二人は別れたのだ。そして、それ以来、なんの音沙汰も無くなってしまった。彼女は今ではもう会うこともできない遠い、違う世界の人となってしまったのだ)



 其 一


 雪丸は叔母お静の(いさ)めも聞き入れず、野心の暴風(はやて)に身を任せ、分別ありげな無分別でもって、眞里(まり)()の家をがむしゃらに飛び出した。

 その後の一月(ひとつき)二月(ふたつき)、お静は雪丸を諫めたものの、ややもすれば陽が落ちる頃、西の(かた)、雲の漂う(そら)を仰ぎ見ながら、湧き上がってくる物思いの色を隠せず、それがそのまま顔にも出ていたものであった。

 しかし、気持ちの踏ん切りをつけることができたのか、あるいは心安まるような便りが届いたのか、何時(いつ)の頃からか、そんな様子もなくなり、相も変わらずお小夜を(いつく)しみ育てることに精を出し、早くから起きて夜半には寝る、といった具合で、穏やかにその日その日を笑顔で暮らしていた。


 一方、我が儘なお力、腑抜けな新右衛門のいる青柳の家は、運は柱と共に傾き、主人(あるじ)を初めとして隅々に至るまで、根性は朽ちた(のき)同然に腐って行き、()ず今は飲むのが一番だと、さし当たっての口、腹を(さも)しく満たす新右衛門がいるかと思えば、お力は何かにつけて()()()()を身につける算段を巡らしながら、あるに任せて、先妻の着物をだらしなく着切っては放り出し、また他のを着るというような有り様。子守までもがそんな様子を見ては真似し、落ち散っている小銭をそっと(たもと)に隠し、戸外(そと)へ出て飴菓子に()えるという始末。こんなことになれば、たとえ黄金(かね)()る木があっても枯れずにはいられない。まして、由緒ある家柄もその資産が底をつく頃になれば、何代も続いたこの家がどうやって保たれるというのか、気の毒ながら破産は目に見えたことと、誰もが噂し合うようになった。


 自分がしたことでもないのに、こんな状況にいて零落の巻き添えを受ける身体(からだ)の不自由な老婆おとわと、何も知らない新三郎は、貧しい暮らしをさせられるだけでなく、邪魔者、余計者と見做されるようになり、朝から晩まで口汚く罵り(はずかし)められていた。そんな様子を知っているお静は、あの雪の日に寝衣(ねまき)を洗わせようと新三郎を(いじ)めたお力の振る舞い(*「うすらひ」其 三を参照)を聞いて以来、同時におとわの扱われ方についても堪えかねていた。 

 我が家は陽当たりも好く、非常に暖かいので、寒い時だけでもおとわ殿を自家(うち)に置いて差し上げよう、そうすれば少しは病気の辛さも薄らいで、身体のためにも()かろうという考えの(もと)、おとわを自分の家に引き取り、大層親切に介抱した。


 また新三郎にも読み書きを習わせなくてはと、自分の家に毎日通わせ、お小夜を教えるついでというのもおこがましいが、私が教えたいと新右衛門に申し入れれば、流石(さすが)にお力も口を入れ兼ねて、午前中だけは新三の勝手にすればよいと許した。他の人には決して心を許さない新三も眞里谷の家に通うことを喜びこそすれ、嫌がることなく、誰が促した訳でもないが、自ら進んでお小夜と一緒に日課の勉強を受けている。それを見て、お静は自分の子どもと差をつけることなく、愛しんで教え導くことに専念した。


 こうして、おとわと新三は、暗黒の世界を出て、少しばかり光のある場所に入ったけれど、余りの喜悦(よろこび)から気が緩んだか、おとわの病気は一旦軽快した後、どっと悪化してしまった。


つづく


※ 冒頭の漢詩はあたかも「(こう)()(しょう)」の作品だと思われるような書き方ですが、調べてみると「韋莊(いそう)」という人の作品でした。 

 最初の作品「さゝ舟」でも同じように、作者と作品が違うという書き方がされており、露伴先生は何らかの意味を持たせていると思うのですが、素人の私には分かりません。ご存じの方がいらっしゃればお教え下さい。



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