06 朝食
朝食
俺は固い椅子の上で夜を明かした。
添い寝を行う予定の侍女にベッドを明け渡したためだ。
朝、侍女の女の子に俺は起こされた。
その顔に感謝の眼差しが見られる。
そこで初めて俺は侍女に名を名乗った。
すぐ追い出されるにしても名前で会話したいからだ。
彼女は驚いた顔で恥かしそうに「ニーナ」と名乗った。
どうやら、侍女に名前を名乗るのが珍しいようだ。
「ニーナ、朝食はどうなっている?」
「すぐに持ってくると思いますが」
「いや俺自身、作るところが見たいけど駄目かな?」
「志郎様の頼みなら、何とかしてみます」
ニーナの中に感謝の念のような物を感じられる。
どうやら、添い寝は命令だったようだ。
それを断った俺に対して感謝していた。
廊下をこっそり抜けて、厨房に案内される。
厨房では六人が働いていた。
そのうちの一人が俺を凄い目で睨んでいた。
睨んでいる男は、厨房で一番威張っている。
おそらく、厨房の主なのだろう。
『面識が無いはずなのに恨まれる』とは不思議な物だ。
俺は、訳の判らない恨みに困惑した。
俺が、厨房の主の恨みを浴びて立ち往生しているとニーナが動いた。
そして、ニーナがその男に耳打ちする。
すると、男が信じられない顔でこちらを見た。
そして、先程の顔が嘘のように柔和になったではないか。
どうやら、男はニーナの想い人のようだ。
それで、俺にも事情がわかった。
「アランというんだ」
「志郎といいいます」
アランは年上だったが、俺が客人と言う事で丁寧に応対してくれる。
「ニーナを抱かなかったと聞いたけど」
「俺のところの風習ではそういうのはないから」
「ありがとう、ニーナとは来月結婚する事になっていたんだ」
「それは、おめでとう」
「昨夜、アーサーから命令された時は・・・」
あからさまにアーサーを嫌っている雰囲気だ。
アランと俺は、その点では息が合う。
俺も初対面からあのアーサーとは近付きになりたくないからだ。
「可愛い彼女だからね。大事にしなよ」
「ありがとうございます。それで用事というのは」
「朝食を見たいけどいいかい?」
「朝食といっても、普通ですよ」
そう言って見せられたのは、目玉焼きと薄肉の炒めと牛乳と例の固パンだ。
薄肉の炒めというのは、ハムのようなものを想像すればいい。
肉質は不明だが、おそらく昨夜の牛肉のような物だろう。
金持ちと思われるのに予想以上に質素だ。
それと、どうやら『パン』という概念はなさそう。
俺は、昨夜の食事を、客人に出すとは思えないと判断した。
けれども、この世界の食事事情は俺が思った以上に酷い状況だった。
俺は厨房を見せてもらう。
アランはニーナの件で感謝しているのか親切だ。
アラン自身が、厨房を案内してくれる。
アランは、やはりその部屋の『主』という感じだ。
他の者は文句も言わず仕事をこなしていた。
俺が見た限り、一通りの道具は見事にそろっている。
竈の形のオーブンまでそろっていた。
道具はあるのだから、使い方を知らないわけではない。
だから『調理の技術概念が無い』という感じだった。
簡単に言うなら小麦粉は焼いて食べるのが当たり前だ。
それ以外の食べ方は考えもしない。
そして、それが常識だ。
料理に関する視野の狭さが、あの結果と判った。
俺はアランに焼く前の『パン生地がまだあるのか』を確認する。
すると、「御嬢様用の物がこれから」という。
そこで、俺はアランにアイデアを提供した。
現代なら『パイ生地』といったところだ。
生地を目一杯伸ばしていく。
三十センチ正方形の小さめの風呂敷。
そんな感じだ。
その真ん中にバターを乗せる。
それを薄く拡げていく。
ちょうど小さめの風呂敷で、本を包むような感じだ。
バターをその本のような感じで広げる。
そして、四方からそれを包んで生地を叩いて馴染ませて又伸ばす。
三つ折りにして、再び伸ばす。
三つ折りを五回行う。
そして、オーブンで焼かせた。
具も何もないパイ生地だけになる。
けれども、粉のうまみが濃いから、それで十分だ。
俺は、二つ焼いて一つをアリサ用に持たせた。
残り一つはそこに居るみんなで試食だ。
部屋の者は興味深い眼差しでそのやり方を見ていた。
試食した結果は、食堂の者からは声も出ない。
でもその顔は最高の誉め言葉だった。
食堂で俺用の朝食を食べることにして、時間を過ごす。
ニーナとアランの熱い雰囲気が俺には目の毒だ。
しかし、俺がここにいる限り二人は一緒にいられる。
そのため、俺は我慢した。
ニーナが選ばれて以降のアランの荒れようはかなりの物だったらしい。
俺は、厨房の他の者達からかなり感謝された。
朝食が済んだ頃、アリサが食堂に飛び込んできた。
「今日のあれは何?」
そして、俺の顔を見る。
するとアリサは驚いたような表情だ。
しかし、すぐに納得したような顔をする。
「あれは、あなたが作ったの?」
「作ったのはここにいるみんなだ。俺は指示しただけ」
「いいわ!、あれ、なんと言うの」
「単なるパイ生地さ」
「たんなるぱいきじ、変わった名前ね」
俺の言葉をそのまま名前と勘違いしていた。
俺はあわてて言い直す。
「『パイ生地』というんだ」
はっきり区切って誤解のないように伝えた。
「『ぱいきじ』ね。これから毎朝お願いできるかしら」
「太るぞ?」
「いいもん、おいしさには変えられない」
俺とアリサの会話に、食堂に居る者たちは唖然としていた。
お嬢様と俺のあまりにフランクな会話についていけないようだ。
口をさしはさむ事もなく、呆然と見ているだけだった。
結局、固パンの替わりに領主の家族の分はパイ生地に変えることになる。
アリサの話では「父親も弟も反対するわけない」ということだ。
『突然出して驚かせてやる』という話になった。
どうも、アリサは悪戯好きのようだ。
なんとなく同じ名前の亜里沙を髣髴する。
彼女も人を驚かせるのが好きだったからだ。
俺と話をした後は、アリサは忙しいらしい。
未練たっぷりに戻っていった。
残った俺はもう少し厨房で彼らと話をすることにした。
俺はアランの協力を得て食べ損ねたクッキーを作ることにする。
ただ粉もバターもある。
しかし、ベーキングパウダーが無い。
固めの食感にはなる。
けれども、味は問題ないので諦める事にした。
そして、アランにバターを練らせる。
アランも初めての要求に戸惑っているようだ。
生地に空気を入れるというのが良く判らなかった。
また、『湯せん』という概念も無い。
ここでも大きな問題があった。
無塩バターが存在していない事だ。
使っているバターは結構塩味が入っていた。
所詮、無い物ねだりだ。
そこで、俺は砂糖を少し大目にして誤魔化すしかなかった。
バターは十分練り上げられた。
そこで、砂糖を混ぜた粉を投入。
ここで粉をしっかり練ってしまうと失敗だ。
ただでさえ固いクッキーはカチカチになってしまう。
バターと粉が適度に混ざったところで寝かせる。
多少粉っぽさが残る。
しかし、寝かせておけば粉は馴染んでいった。
そして、三十分程待って型取りをする。
膨らし粉がないため、おそらく固くなる。
そこで噛みやすいように薄めに作った。
後はオーブンで焼き上げれば完成だ。
出来た物は、やはり固いクッキーだ。
形状からするなら、せんべいの方が近い。
しかし、彼等には好評だった。
それどころか、匂いにつられてアリサが顔を出したくらいだ。
よほど、あの時食べたクッキーが忘れられないのだろう。
そして、アリサの横にはもう一人知らない子供がいた。




