↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
52/73

1の1 【現代・東京】

新章 現代編です。

意識がはっきりしたのは水に身体が落ちてからだった。


「ぶはっ!?う、うみ…ゴボ!」


カイトはいきなり海に投げ出され、パニックになる。もともと彼は泳ぐ習慣はなく海に入るなんて事は無かった。当然、いきなり足もつかない海に落ちたりしたら、泳げない。カイトは必死に浮上しようとするが、服が水を吸い信じられないほど重い。そんな間にも沢山水を飲み呼吸もできず次第に意識がうすれて、身体が沈んでいく。


こんな格好の悪い死に方をするだなんて…ついてない。


そう考え、カイトは意識を失った。


『…いと!』


暗闇に染まった視界の中でなにかが聞こえた。


『カイト!』


聞き慣れた少女の声で目を覚ます。


「ごぼぉ!!」


息をしようとし、口から大量の塩水を吐き出した。


「よかったぁ…カイト、まさか沈んでるなんて思わなくて…びっくりしちゃった」


空は暗く、闇の中でずぶ濡れのマールがカイトにくっついて心音を確かめる。


「マール、ありがとう…助かりました」


「えへ、いつものことじゃん?…気にしないで」


後で聞いたが、転移で海に落とされたマールは直ぐに沈んでいたカイトを見つけ、この浜辺まで泳いできたのだという。


「ここがカイトのいた世界?なんかいろんな音がする…」


マールはゆっくりと身体を起こして耳を澄ましている。


カイトは起き上がり、そんなマールを眺めていた。水に濡れずぶ濡れなまま耳を澄ます栗色の髪の少女は実に絵になる姿だった。


「カイト、これからどうするの?」


思えばこの世界のお金は持ち合わせてはいない、朝になれば五枚の金貨を手に入れる事はできるだろうが…この世界で異世界の金貨は使わないほうがいいだろう。


「一先ず、場所を把握したいですね…すこし…歩きますか」


「へ?カイト、大丈夫?今よるだよ?野生生物に襲われたりしない?」


「ははは、森の中ならいざしらず…ここなら大丈夫ですよ」


カイトはにこやかにマールの手を取ると、夜の海の側を歩き出した。夜の都会はベルラートとは比べ物にならないほどに明るかった。


「凄いね…夜なのに昼間みたい…」


手を繋ぎ、歩くマールは見るもの全てが珍しいようで、輝く電灯の灯りにさえ喜んでいた。


「カイト!あれ何!?」


マールが指を差したのは車だった。


「あれは車です、以前話しましたよね?油で動く鉄の馬車です」


実際には鉄ではないが、彼女にはその方が伝わるだろう。


「わ!地面が硬い!!これ、レプテリアン村の壁に似てる!」


モルタルの次のコンクリートだが、似た様なものだろう。


「カイト!なんかあるよ!!」


マールは興味を持った物を見つけると走って行く、その先には明るい自動販売機がある。


「これなに?」


「それはジュースの自販機です」


「ジュースって?甘い奴?」


カイトは頷くと、マールは盛大に腹を鳴らした。


「朝ごはん食べてからくればよかったね…」


「それは…不味いですね…」


冒険者は燃費が悪い、その為、大量の食糧確保は急務であろう。それをするためにも…今は早く場所を認識する必要がある。


「君達…何をしているのかな?」


不意に声をかけられ、振り返ると青いシャツに紺のズボンに帽子を被り、手には懐中電灯を持った警察官が珍しい格好の少年、少女を見て目を丸くしている。


「おっちゃんだれ?」


「な!まだおじさんみたいな年齢ではないよ!おちびちゃん!」


マールはおチビと言われる年齢ではないのだが、現代人からすればベルラートの人々は小さい部類にあたるだろう。


「マール、その服を着た人は警察官といって、街の安全を守ってくれる良い人なのです」


「へー!!じゃあ!おっちゃんは良い人なんだね!」


マールはケラケラと笑いながら警察官を見上げれば警察官の青年も悪い気にはならないのだろう。照れくさそうに頬をかく。


「それで?君達はなんでこんな時間にこんなところを歩いているんだい?」


彼の目線から見れば小学生にしか見えない少年少女が夜中でびしょ濡れで徘徊しているのだから気が気ではないだろう。


「ごめんなさい、僕たち、海で遊んでいたら親と逸れて迷子になってしまいまして…浜辺を歩いていたら気づいたらこんな時間になってしまったんです」


「迷子!?…浜辺をずっと歩いて来ただって!?それは参ったな…すぐに親御さんに連絡を取らなくちゃいけない、家は?電話番号はわかるかな?」


警察の青年はメモ帳を取り出すとカイトの前にしゃがみ込み同じ目線で語りかける。


「ええと…」


カイトは生前の住所を警察官に伝えた、すると警察官は疑う事なく親切に対応してくれ、最後にはしっかりしているカイトの頭を撫で、夜は危ないからと派出所まで案内してくれた。


「私はパトカーを回してくるから、君達は中にいなさい、中に私の同僚がいるから」


そう言い残してから裏口へ行く。中には青年が言っていた小太りな中年の同僚がおり、退屈な夜の派出所へやって来た奇妙なマールとカイトを見て目を丸くするも、直ぐに察したようだ。


「なんだチビ達、迷子か?」


「チビじゃないよ、僕はマール!」


ムキになって言い返すマールに小太りな警察官は豪胆に笑う…その雰囲気は何処となくゲイルに似ており穏やかな気持ちになる。すると、再びマールが盛大にお腹を鳴らした。


「なんだちび、腹減ってるのか?しゃない、少し待ってな?」


中年の警察官は頬を掻きつつも、立ち上がり冷蔵庫を漁ると中からチョコとナッツのカロリーバーを取り出し、マールに差し出す。


「ほら、これをやる」


「これなに?」


マールは受け取ると、珍しいものを見るようにビニールのパックに目を輝かせている。


「甘い奴ですよ」


「あまいやつ!?どうやったら食べれるの!?」


マールは甘いものに目がない、カイトは開け方がわからないマールのチョコバーを開けてやり、差し出す。


「ちゃんとお兄さんにお礼を言って?」


「うん!ありがとうおっちゃん!」


「お兄さんな?ガハハ!」


小太りな警察官は再び豪胆に笑うと、元位置の席に戻り書類の処理に戻った。マールは貰ったカロリーバーを口一杯に頬張り、目を輝かせる。


「カイト!これ甘い!すっごく美味しい!!」


「はは、そんなに美味いか!?」


「うん!!」


元気の良いマールに気分をよくしたのか小太りな警察官は自分の袋からもう一つカロリーバーを取り出すと、それをマールに投げた。


「甘い奴!いいの!?」


完全にそのカロリーバーの虜となっていたマールは声を張り上げる。


「どうせ夜勤の支給品だからな、ちゃんと歯は磨くんだぞ?」


「ありがとう!」


あっちの世界では食べる事は無いだろう甘いミルクチョコとキャラメルに砕いたナッツを混ぜたカロリー爆弾のバーは、甘いものが好きなマールを立ち所に虜にした。いつもなら一口二口で食べてしまう彼女が、少しずつちびちびと味わっている。


「お待たせ!君達、パトカーの用意できたよ!」


先程の親切な警察官が派出所の外に車を横付けしてからやってくる。


「先輩、彼らを自宅に送って来ます」


「おう!」


二人は節度ある敬礼を交わし、青年がこちらに向き直る。


「さ、こっちにきて」


青年はにこやかにエスコートし、外に横付けされたパトカーへ案内される。


「カイト!この馬車白くてピカピカしてるよ!!」


「馬車って…これは車っていうんだよ?」


「くるま!かっこいい!」


カイトははしゃぐマールを押し込む様にパトカーに押し込みつつ乗り込む。


「こんな時間じゃ夜があけちゃうな…結構遠いから、寝ちゃっていてもいいからね?」


カイトは興奮して窓にへばりついて外の景色を見ているマールにベルトをつけてやる。


「椅子もふかふか!この身体に巻きついたのはなに?じゃまだー!」


「それはベルトです、車に乗ったらつけなくちゃいけないんです」


「へー!!そうなんだ!変なのー!」


バックミラーから、カイトとはしゃぐマールのやり取りを警察官の青年は微笑ましそうに見ていた。きっと兄弟のやり取りの様に見えているのだろう。


「…マール、お腹はどうです?」


警察官には聞こえない様な小声で問いかける。


「ん?へいきだよー?ちょっと物足んないけど、あれすっごく美味しかった!」


カロリー爆弾は、案外ちゃんと効果があるのかもしれない。大喰らいの冒険者の空腹をたった2本で回復させているのだから…マールは動くパトカーの中でもずっと楽しそうだった、高速道路では目に入る全てのものをカイトに聞いて来る程だ、しかし、しばらくして警察官の運転がいいからか、彼女は直ぐに微睡み始めると眠りへ落ちた。


「大変だね、お兄ちゃん」


やはり、彼には兄弟に見えていたようだった。マールが寝静まるタイミングでそうつぶやいた。


「手が掛かってこまりますよ、本当に…」


「そっか」


警察官は幸せそうに笑う…すると、不意にマールが鼻をクンクンと動かすとパチリと目を覚ます。


「…亜人の臭い」


亜人、マールはハッキリと言いながら体に巻き付いたシートベルトを外すと、クンクンと鼻を動かし始めた。


「ちょっと…マール?」


「カイト!亜人の臭いがする!」


高速道路で?カイトは訝しむ、マールが嘘を言う筈はないひょっとすれば本当にこの世界にも亜人がいる可能性はある、ふとバックミラーに目をやると、警察官の青年は不思議そうな顔でこちらを見ていた。


「お、お兄さん!すみません!マールが車酔いしてるみたいです、少しやすませてもらえますか?」


「へ?…僕は」


「吐くかもしれません!!」


「なに!?ちょっと急ぐか…まだ吐かないでくれよおチビちゃんー!?」


パトカーのシートに吐瀉物を撒き散らす訳にはいかない、彼にとっては死活問題である。パトランプを回転させた青年はアクセルを強く踏み込んだ。若い警察官の起点により、パトカーは直ぐに近場のパーキングエリアに入り込む事ができた。パーキングエリアの駐車スペースにつくなり、カイトはマールの手を引いて一緒に男子トイレへ駆け込み、個室のトイレにマールを連れ込んだ。


「ここなら二人で話せます、マール、本当に亜人の臭いがしたんですか?」


カイトの問いかけにマールは渋い顔をする。


「そんなのここで話すこと?…うーん…まあいっか…さっき、うん、亜人の匂いがしたような気がしたんだ」


「…なんの亜人ですか?」


カイトの問いかけにマールは小さく呟く。


「最初はゴブリンかな?…って思ったけど…」


マールは言いながら自信が無さそうにトーンが落ちていく。


「……はあ、どうせ杖は持って来たのでしょう?」


「…バレてたか…」


マールはズボンから剣の持ち手の様な形の杖を取り出す。


「いつでも使える様にしておいてください」


「ふえ?似ているだけかもしれないよ?」


「それならそれでいいんです、警戒して損はないですからね」


「ん、そっか…わかったよ」


マールは杖を腰のベルトに引っ掛けてキーホルダーの様にぶら下げると手を繋いでトイレから出てパトカーに戻ると、パトカーのそばでは警察官の青年がジュースを買ってくれていた。


「はいどうぞ」


青年はマールに可愛いイラストが描かれたオレンジジュースを渡す。


「これなに!?」


マールはそれを受け取るとはしゃぐ。


「さっきあなたが欲しがっていたジュースです」


「ジュース!?」


マールは目を輝かせ、小躍りするような勢いで喜んだ。


「ありがとう!おっちゃん!!」


「だからお兄さんな!!」


ただ、マールはペットボトルを初めて見るためになかなか空けようとはしない、いやわからないのだ。


「マール、ここを、こうです」


見かねたカイトはペットボトルの蓋を掴んで回すとパキパキとペットボトルの蓋が空き、口が開く。


「ありがとう!カイト!」


マールは生まれて初めて甘味料を口にする。


「美味しい!!甘い!」


向こうの青臭いジュースなど比べ物にならないのだろうマールは満面の笑みで小さなペットボトルの中を空にした。


「私のもどうぞ」


カイトは可愛いイラストが描かれたリンゴジュースを蓋を開けてからマールに手渡してあげた。


「いいの?!」


マールはカイトからリンゴジュースを受け取ると、今度は大事そうにちびちびと飲む。


「甘い!美味しい!」


外見相応の喜び方にカイトは思わず肩から力が抜ける。そうして、親切な警察官のパトカーは高速道路を抜け、生前カイトが住んでいた東京都にある自宅へ帰ってくることができた。カイトとマールはお礼を言ってパトカーと別れると、自宅の前に立つ。時刻はすでに明け方、日が上と共に、闇の中から見慣れた家が浮かび上がる。見慣れた玄関…2階の自分の部屋は自分が死んだあの日と同じ様に雨戸がしまったままである。


「カイト?どうしたの?入らないの?」


カイトはインターフォンの前にいた、きっと中には母がいる、カイトは久々に見るだろう自分が死んだ後の母の姿を…そう思うと気が引けてしまう。


ピンポーン、見ればマールがインターフォンのボタンを押していた。


「はーい!いまいきまーす!」


聞き慣れた女性の声と共に、ガチャリと扉が開かれ年配の女性が不用心にも出てくる、悪いセールスマンや強盗だったらどうするつもりなのだろうか?カイトは散々注意したことを思い出しながらも、おもわず口元がゆるんでしまう。


「えっと…間違えたのかな?」


母はそう、目の前の見ず知らずの少年少女に声をかけた。


「ただいま、母さん」


カイトは思わずそう真っ直ぐに答えてしまった、母は目を丸くすると、小さく首を傾げる。


「わたしはあなたのお母さんじゃないわよ?イタズラならよそに行きなさい、お家は何処?こんな子供達近所にいたかしら」


若干気分を害した様子を見せる、このままでは良くない。カイトは入り口を開けて母の前まで行くと見上げる。


「間違えてなんていないよ、わたしはあなたの息子だったんです。死んで、転生して今に至ります」


カイトの言葉に母は目を見開き、瞳が動揺で揺れる。


「そんな…海斗は…死んだはずよ、ねえあなた、悪戯はやめなさい、良い加減にしないと…」


「私の部屋の引き出し、1番上」


カイトは語りだす。


「実は引き出しの1番うえは二重構造にしていたんです、中学生の頃、友達といっしょに度胸試しで買ったエロ本があなたや父に見つからないようにするために、わざわざ机の引き出しを改造したんです…確か1番上は妹系アンソロジー、その下が楽園の無邪気…」


カイトのそんな言葉に母は訝しむ。


「わかった、見て来てあげるわ。間違えていたら警察をよぶからね?」


母はそう言いながら家に入り、階段を上がって行った。しかし、すぐさま階段を駆け降りて来て扉を開ける。


「あなた…本当に海斗なの?」


「ええ、本当です。いま、こうして新たな生命として…記憶を持ったまま生まれ変わっ…」


そこまで言うと、母はカイトを抱きしめた…久しぶりの母の温もりにカイトは安堵する。


「本当に…本当に海斗?…ああ…今まで何処にいたの…心配させて…この子は全く!」


母は涙を流していた、見れば母はあの頃よりもずっと痩せていた、まるで病に侵され、枯れ枝の様になっている。母の目線はカイトから後ろのマールにも向かう。


「その子は?」


「彼女はマール、転生した異世界で私を救ってくれた命の恩人で…その、私のコイビトです」


その言葉に母は目を点にする、そしてマールをよく見える位置に連れてくる。そして息を呑んだ。


「こんな小さな子をコイビト!??!」


母は絶望に顔を染めた、思えばカイトは25歳…外見的にも小学生にしか見えないマールを連れていればこんな反応にもなるだろう。母はマールにしゃがみ込み、同じ目線の位置で目を見ながら問いかける。


「マールちゃん、こいつに騙されてない?」


「え…?いや…その…うー…わかんない!そうかも」


母は音もなく携帯を取り出し110番を押す。


「誤解だよ母さん!!待って!!突き出さないで!」


息子を警察に突き出そうとする母を必死に止める。


「あなた達酷い格好ね、すぐお風呂に入りましょ話はその後よ!」


「へ?」


「ほら、マールちゃん!女の子が海水に濡れたままだなんてだめじゃない!海斗!バスタオル用なさい!あなたの部屋から着れそうな服も持って来て!」


母はカイトとマールを家に上げると、マールの手を引いて風呂場に消える。


「良いけど…母さん、マールに合う服なんてないよ!?」


「今はとりあえずなんでもいいわ!!あとで買ってくるから!」


風呂場の奥から声が響き、カイトはひとまず階段を駆け上がり自分の部屋へと向かう。薄暗い自分の部屋には小さな仏壇が置かれており、きれいに清楚される事なく自分が死んだ時のままの状態になっていた。まるで、主人の帰りを待っていたかのように…。しかし、仏壇には生前の自分の遺影が置かれているのを見つけるとそれを手に取り、生前の自分をマジマジと見つめた。


「カメラ映り…わるいなあ…」


その写真は高校時代アルバイトの面接に行った際の写真だった。もともとカメラに映るのが嫌いで写真を撮って来なかったツケがこんな所にまで回ってくるとは思いもよらないだろう。物思いに耽っていたカイトは我に還ると、直ぐに箪笥の引き出しから適当なシャツやジャージをひっぱり出し、それを手に風呂場に向かう。


「マールちゃん!髪の毛酷いわよ?ちゃんと手入れしてあげてるの?」


「手入れなんてしないよー!目が痛いよー!」


「我慢なさい!あなた女の子なんだからこう言うところも気にしないとだめじゃない…全く」


母はマールを叱りつつ頭を洗っているようだ、当然、シャンプーなんて初めての経験であろうマールはその目に染みる洗剤に苦戦しているようだ。


「母さん、ジャージと下着とシャツ、ここに置いとくよ!」


「ありがとう!バスタオルも出しておいて!海斗もマールちゃんが終わったら入るのよ!」


「ハイハイ…」


カイトは母のあまりの変わらなさに苦笑しつつも、再びリビングに戻る、ふと台所の長机に置かれた薬局から貰っただろう見慣れない薬の袋に目線がいってしまう…カイトはそれを手に取りめくる。


「……オピエイド…鎮痛剤?…」


それは、癌の患者がもらう鎮痛剤の名前である。そこでシャワー室の扉が派手に開け放たれ、裸のマールが逃げ出そうとする。


「ほらマールちゃんこっちよ!逃げないの!!」


腕を掴まれシャワー室に引き摺り込まれると同時に激しい機械音が響き渡る。ドライヤーの音だろう。


「もう大丈夫ー!!これあつい!あついよー!」


激しいドライヤーから出る熱風を嫌がている、マールにとって今されていることは何もかもが初めての事だろう。


「次はあんたよ!早く入っちゃいなさい!」


「え、ええ…」


マールと入れ違いでカイトは久しぶりの我が家での湯浴みを楽しむ、向こうの世界でも衛生観念が無いわけでは無いが、こちらとは天と地程の差がある。軽い湯浴みを終わらせたカイトが外に出ると、リビングではマールがブカブカのシャツとジャージを身につけてたまま、ふかふかなソファーに座らされ、櫛で髪を溶かされていた。


まるでペットの猫のようにおとなしくなったマールは気持ち良さそうに目を閉じている。


「よし、と」


「あ…ありがとう…ございます…えっと」


「母の名は雪乃です」


マールに母の名を教えると、母はカイトの頭に拳骨を落とす。


「いいのよ、マールちゃん。私のことはママってよんで?」


「ママ?…でも、僕親なんて…」


「カイトのコイビトなんでしょ?ならあなたは私の娘!」


横暴な理論を口から吐きながら、母はマールを抱きしめる。


「ママって呼んで?マールちゃん」


「うん…ママ…ありがとう」


マールは産まれてからこれまで、母というものを知らなかった…故に、今は母の温もりを感じ感激していた…。


「さて、じゃあお母さんは貴方達の服を買ってくるわね!おとなしく待ってなさいよ?」


「はーい!」


「わかりました」


母が家を出ていき、カイトとマールだけが部屋に残される、ふと気づいてテーブルに目をやると、そこにあったはずの鎮痛剤が無くなっていた。


「カイトのお母さん、凄い良い人だね!」


マールは実に上機嫌に笑いながら、ソファの弾力を楽しんでいる。


「ええ、そうですね…自慢の母でした」


そこで、カイトは手の中に何かが握られる感覚にとらわれる。手を開くと金貨が手の中に握られていた。


「カイト?毎日の日課?」


マールに聞かれたカイトは頷く。


「ええ、ですがこの金貨はこっちの世界で使わないほうが良いでしょうね…」


この金貨は間違いなく純度100の金を使って造られた物であるのは間違いない、だが、現代の日本では出所不明な貴重品は取引する事が出来ないため、現状では価値がない重しに等しい。


「金貨もなかったら、カイトなんてただのもやしじゃん?」


マールは嫌味に笑う、うるせえっ


「…金貨は机の中にでも入れておきます、小銭と混ぜておけばわからないでしょう」


カイトは立ち上がると、足早に階段を駆け上がり部屋へと戻ると、開け放たれたままの机の引き出しに金貨を放る。


「ここがカイトのへや??」


「うわっ!?」


声をかけられて驚き振り返ると、マールがいた。ブカブカのズボンは途中で脱げたのか、ブカブカのシャツに小さな体はスッポリと収まっている。


「何?やましい物でもあるの?」


あるにはある。


「ええ、生きていた頃の私がいますから」


咄嗟に引き出しのエロ本を隠したカイトは、仏壇に手向けられた生前の自分が映った遺影をマールに手渡す。マールはそれをジッと見つめた。


「カイト、昔はこんな感じだったんだね」


キモい、等と言われるかとも思ったがマールは特に気にする事なく穏やかに海斗を見つめていた。


「かっこいーじゃん、とてもお母さん達に迷惑かけてた奴には見えないよ?」


そう、笑いながら遺影を元の位置に戻した。


「人は見かけによらないんですよ、残念ながらね…」


「…へえ!でも、君は今違うじゃん?きっかけが無かっただけでしょ?よくわかんないけどさ」


マールはパッと明るく笑いながらもそうだ、と言葉を紡ぐ。


「カイトがこんなにガリガリになっちゃわないように。がっつり鍛えてあげなくちゃね?」


「お、お手柔らかに…」


今は結構筋肉質ではあるとはおもうのだが、そんな話をしていると、玄関の扉が開け放たれる音が響く。


「ただいまー!あれ?カイトー?マール?」


「カイト、ママ帰って来た」


マールはすっかり母をママと呼んでいた、にこやかににカイトの手を取ると一緒に階段を駆け降りる。

しかし待って欲しい、今、マールはシャツ一枚である。今のマールを事情を知らない母が見たら何を考えるだろう…?


「マール!2階にいたの?カイトと…一緒…」


母は大きな買い物袋を手にしたまま、笑顔だったのにも関わらずマールのその格好を見て言葉を失っていきそして真顔になると流れるようにスマホを手に取った。


「待って母さん!!途中で脱げただけ!!何もしてないよ!!神に誓って!!」


母はカイトを信用してはいない、ギロリとマールを見る。マールは?と首を傾げている。彼女にとっては四角い何かを使って何かをしようとしているだけにしか思えないのだろうが…。


「えっとね、生前のカイトを見せてもらってた」


マールの言葉に母の表情は曇る。


「そうね…息子は死んだんだったわ…そしたら別の身体に入り込んで、彼女までつれて帰ってくるだなんて思わなかったけど…まるで漫画やアニメの世界ね」


マールにはカイトの母が何を言っているのか言葉の大半は分からなかった。だが、その母の仕草が何処となくカイトの雰囲気を感じる。


「さ!二人とも着替えなさい!」


母は袋いっぱいに買って来た子供用の服を外に出すなりマールを連れて行き、着替えさせる。


「カイト!身体は幼いかもしれないけど26か7なんだから自分で着付けは出来るわよね!」


「は、はい…」


母には敵わない、カイトは苦笑しながらもブカブカの自分の服を脱ぐと、床に投げられた子供用の服を手に取り身につける。戦隊ヒーローがプリントされた、正に小学校低学年が着るようなシャツと半ズボンという、センスのかけらも無い装いだった。


「母さん、これは流石に幼すぎでは?」


隣でマールを着付けている母に思わず口走る。


「サイズがわからないんだから仕方ないでしょ?文句言わない!」


その割にはマールにはちゃんとした服を買って来ているのが、この母親である。


「ママ…ちょっときつい」


「え?あ、ごめんなさいね?こうかしら?」


戦士として戦場を駆け回るマールにとって、装いというものは動き易さに特化されたものが多い。故に現代の衣服は彼女にとっては窮屈に感じてしまうのだろう…しかしながら。


カイトは失念していた、マールは元の世界でも誰もが振り返って二度見する程に可愛らしい外見をしている。元の素材が良いのだから現代風に着付ければ、それはそれは可愛らしくなるのは間違い無かった。


「か…」


思わず思考が口から飛び出そうになった。カイトは強靭な精神力で口から出そうになった言葉を飲み込む。


「さて、ご飯でも作ろうかしら」


「ご飯!」


マールは大喜びで母についていく、シイロにも雛鳥のようにくっついて行っていたなと、カイトは思い出しながら台所に立つ母をソファーから眺めた。幾度となく見た、懐かしい光景にカイトの視界が次第に微睡んでくる。


「カイト、ママが何を作るって」


微睡んでいたカイトをマールが揺すり起こす。


「母さん、マールはめちゃくちゃ大食いです。だから我が家のいつもの量では足りませんので多めに作ってください」


「え?そうなの?…ならスパゲッティにしようかしら?」


母はそういうと台所でゴソゴソと食材や調味料を並べていく、マールは母の隣に行き楽しそうに料理を眺めている…実に親子のような光景である。


「マールちゃん、危ないからリビングでテレビでも見てなさい」


「テレビ?」


「リビングにある四角いのよ、カイト!使い方を教えてあげて?」


母に誘導され、マールがやってくるとテレビをつけた。テレビは昼時のためかたいして面白くも無いバラエティ番組がやっており、あいも変わらず雛壇に並べた芸人達が団扇の話で勝手に盛り上がって騒ぎ立てている。


「ふあ…」


マールにとっても退屈だったようだ、直ぐに大きなあくびをして、眠そうにし始めた…。


「あ、運動しなきゃ…」


そう言ってマールはいつものように天井にへばりつくと、逆さになった。まるで蝙蝠のような体勢である。


「マール、それをやるなら服脱ぎなよ。せっかくの洋服屋が汗だくになっちゃうよ?」


「あ、そうだった…カイト、ごめん受け取ってー?」


マールは蝙蝠のまま、気にせず服を脱ぎカイトに投げると、いつもの異様な運動を開始する。これはマールがレイから教わった訓練の一つらしく、全身に気を巡らせ続ける必要があり心身が共に鍛えられるのだとか…実際、これを続けるだけで加護の数字がもりもり増えていくので本当に効果はあるのだろう。彼女は戦いがない時は毎日こうして何処かしらの天井にへばりついている…何も知らない一般人から見たら異様な光景にしか映らないのだが…カイトは散々見せられた為、もう慣れてしまっている。


「マールちゃん!カイト!出来るわよ!」


母は鍋いっぱいのナポリタンを抱え台所から出て来てテーブルに乗せる。


「あれ?カイト、マールちゃんは?」


母に聞かれ、カイトは天井を指差す。そこには天井にありえない体勢でへばりついている下着姿のマールがいた。


「がっ…!?」


絶句する母、それはそうだろう可愛い娘が天井にへばりついていたら誰でもこうなる。


「マール、食事ができたみたいですよ!」


「うん?わかったー!」


マールは尋常ではない量の汗をかいており、ゆっくりと重力に逆らうような動きで着地する。


「シャワーで汗を流して来たら?」


「うん!」


マールはソファーに置かれていた自分の服と下着を持って浴室へ消える。


「か、海斗…一応聞くけど…あの子人間なのよね?」


「異世界基準の一般人です、向こうではこちらとだいぶ事情が違いますから」


「そうなのね…どんな世界なの?」


「母さんにもわかりやすくいうならドラクエですかね…」


パッと母は顔を向ける。彼女は元々ゲーマーで、特にRPGはよくやり込んでいた。


「成る程ね…凄いわね、異世界の人って」


少し前なら信じなかっただろうが、死んだ筈の息子が帰って来た今では信じざるをえない。


シャワーで汗を流したマールが直ぐに帰ってくる。


「ママ!ご飯!」


本当の幼児の様になっている、そんなマールに母は溜息を吐き出す。


「こら、シャワーを浴びたならちゃんと身体をふく!それから頭を乾かしなさい?髪がバサバサになっちゃうでしょ!」


「えー!面倒くさいよー!」


母はごねるマールを連れてシャワー室へ戻ると、シャワー室からは頭をタオルでぐるぐる巻きにされたマールが出てくる。せっかくの食事が冷める前に食べさせたかったのかもしれない。


「ママ、これなに!?」


「あなたの世界はスパゲッティは無いの?」


「ありませんよ、麺類の様なものはありますが…まだ発展途上です」


「そっか…」


母はそういうと、マールの隣に座り食事にはしゃぐマールがグーで握るフォークを丁寧に持ち方を教える。


「フォークはこうやって持つの」


「え…そうなんだ!」


マールは飲み込みが早い為、教わった事は直ぐこなせる。普段は教わる気も覚える気もないのだが、母の言う事は直ぐ覚えるようだ。そして鍋に山盛りにされたナポリタンをマールの皿によそうと、隣で食べ方も教える。


「美味しい!!すっごい!!」


あっちの世界の食事に慣れた舌では、現代の食事は何もかもが美味いだろう…マールはキラキラと瞳を輝かせながらも、口の周りをケチャップまみれにしながらもりもりとナポリタンを平らげた。


「デザートもあるわよ」


鍋いっぱいのナポリタンなど、マールの胃袋の前には雑魚も同然である。母はそんなマールの前に、リンゴを綺麗にウサギ型に切り分けて持って来た。


「うえ…りんご!?」


マールは顔を顰めた。


「あら、リンゴは嫌い?」


「こっちのリンゴは甘くなくて酸っぱいだけなんです、酸っぱすぎて苦味を感じる程で、口に入れたら三日は消えない程なんです」


母は楽しそうにカイトの話を聞き、笑顔をつくる。


「大丈夫、こっちのりんごは甘いから、好き嫌いは良く無いわ」


母はフォークでリンゴを刺すとマールの口元に持っていく、まるで乳幼児にやる様な感じに見えて実に異様だ…マールは恐る恐るリンゴに齧り付くと、その目が光る。


「甘い!美味しい!」


「あのリンゴを知っているとそうなりますよね」


「カイト!こんな美味しいものばっかりの世界から来たんだ!…ずるいなあ!」


マールは本気で言ってそうではある、ニコニコと満面の笑みでリンゴを次々口に放り込んでいる。そんなマールを微笑ましく見つめていた母とカイトは目が合った。


「母さん、もしかして体調が良くない?」


カイトに問われ、幸せそうだった母の顔が曇る。彼女は先程から昼食時にも関わらず、マールに食べさせてばかりで食事には一口も手をつけてはいない。それに、彼女の作ったナポリタンは、料理上手な母にしては異常に味が濃かったのだ…。


「ママ、どっか悪いの?」


マールに真っ直ぐ問われると、さすがの母は諦め、溜息混じりに口を開いた。


「ふふ、相変わらず鋭いわね。母さんね、末期なの…治療しても治る見込みはないんですって」


それを聞き、カイトの思考がまっさらになる。頭の中には嘘だという否定が浮かぶ。


「末期ってなあに?」


マールは言葉がわかっていないようで、母に問う。


「もう直ぐ死ぬって事よ」


それを聞き、マールはカイトに目を向ける。


「…カイトの世界は、蘇生ないんだっけ?」


「……ええ、ありません」


それを聞いたけマールは素早く立ち上がると果物用のフォークで自らの腕に突き刺さした。


「ちょ!?マールちゃん何してるの!!」


「ごめんねママ!」


マールは左手で母の顔を掴むと血に塗れた右手を口に捩じ込んだ。マールの機械の様な力にただの人間が抗えるはずもなく、口の中いっぱいに広がるマールの血液を吐き出す事もできず飲み込んでしまう。


「マール、飲みましたよ」


カイトは強引に血を飲まされる母を助ける事は無かった、マールはその言葉を聞いてゆっくり母の口から手を抜き、解放する。


「ぷ!!い!!いきなり何をするのよ貴方達!おかしいんじゃないの!?」


母は顔を真っ赤にして煙が出る勢いで怒っていた、いや、実際に煙が出ている。


「へ?あ…あれ?…」


母もその体の異変に気づいたようで、信じられない様な目をしている。


「偉い人たちがいうには、僕の血は万能の回復薬なんだって…ママの病気や悪いところも治してくれると思ったの…無理矢理しちゃってごめんなさい」


マールは素直に頭を下げて謝り、母は驚愕に目を見開いていた…煙と共に病的にやつれていた肌が艶やかに戻り窪んでいた目が健康的な光が刺す。


「……マールちゃん」


母はマールの頭に手を触れ、腕に刺さったフォークに触れる。


「手当てしないとね?」


その言葉にマールはパッと明るくなる。


「えへへ!この程度の怪我なら手当なんていらないよ!みてて!!」


マールは腕に刺さったフォークを抜くと、みるみるうちに傷が塞がりきれいに治ってしまう。マールはあの日以降、オウレウスに教わった通りに再生を習得した…そう、まるで元々やり方を知っていたかのように。


「うふ!なら買い物に行きましょう!なんだか体が軽いわ!!」


母は立ち上がると身体中に力がみなぎっている様だった。心なしか、若返っているようにすら見える…否、違う、実際若返っている!?母は今年で50近い筈だ、だがどうだろう?その身体はまるで巻き戻すかのように若々しくなり、見てくれは10代後半、二十歳前後の瑞々しさを取り戻しているでは無いか?

たった数滴の血を飲み込んだだけで…この異常なまでの再生力を目の当たりにし、カイトは改めて考える。


マールの血がもつこの力を、絶対に他人に知られる訳にはいかない…と魔王が秘匿してあえて書や伝記に記さなかった力の強大さに思わず手が震えてしまう。


「カイト!早く早く!おいてくよー!?」


いつのまにか買い物の支度を終わらせたマールと母は既に玄関にいた、すでに親子のように手を繋いで近所のスーパーへ向かう気まんまんである。


「ま、待ってください!」


カイトは慌てて外に出て、玄関横の植木鉢から合鍵を取り出すと鍵をかけ再び植木にしまい、歩く二人を追いかけた。


「カイト!ママ!」


マールは見るもの全てが新鮮な様子であらゆるものに興味を抱いていはカイトや母に聞いていた。あれは何?あれは?この柱は?この地面の落書きは?その瞳は年相応に爛々と光り輝いている。

向こうの世界では常に退屈そうだったマールは、こちらの世界が楽しくて仕方がないようだった。


スーパーマーケットにはいり、さまざまな食材やお菓子に感激し、さまざまな肉がならぶ精肉のコーナーではパックに入った肉の切り身にいちいち喜んで反応したり、気に入ったお菓子をおねだりしたり…本当に子供のようにはしゃいでいた。そんなマールは本当に可愛らしく映り、道ゆく人々が甘え、はしゃぐマールの姿を見ては顔を綻ばせている。


「カイト!あそこにもスーパーがある!」


「あれはコンビニです、年中無休でやっているお店ですね」


「そんなおみせあるの!?すっごい!ゼノリコ様みたいな人がやっているのかな?」


一人で回してねえよ…というか、ゼノリコ王は寝ず、食べずに毎日執務を片付けているのだろうか。


「入ってみる?」


母の提案に、マールは頷く。


「うん!!」


マールははしゃぐように母と手を繋ぎ一緒にコンビニへ入っていく。不思議と…コンビニの周りには僅かな人だかりが出来ていた、その人だかりの理由を、カイトは直ぐ知る事になる。


「いいから、金庫の金をここにつめてよ、おじょーちゃん」


中では絶賛強盗の真っ最中、目出し帽を被り厚めのロングコートを着込んだ強盗は、手にした出刃包丁を店員に突きつけている。


「ママ、僕、喉が乾いちゃった!」


状況が状況だけに固まってしまうカイトと母だが、マールは特に中の惨状を気にすることはない。ケラケラ笑いながら素早く奥の棚へ行くと、お茶のペットボトルを手に戻ってくる。


「マール、それは甘く無いやつですよ?」


「うえ!?そうなの?じゃあ教えてよ」


マールははい、とてにしていたお茶をカイトに渡すと手を取り冷蔵棚へと向かう。


「どれが甘いやつかおしえて!」


状況がわかっていないのか、強盗がいようがお構いなしに、マールはジュースを選んでいる。


「昨日、警察の人がくれた奴がこれです」


指差してマールに教える。


「今日は他の味がいい!」


「わがままね!!ならこれ!!同じ会社のぶどう味」


可愛らしい幼児向けのイラストが描かれているそれをマールに手渡した。


「ありがとう!どんな味なんだろー!」


マールはジュースを受け取るとウキウキでレジに向かう、レジでは強盗が店員に包丁を突きつけたまま状況は特に変わっていない。


「なあ、店員さん!早くおかねつめてよー!」


レジ上の頭陀袋を叩き包丁の剣先をいつでも刺せるとアピールしながら凄む強盗の後ろにマールは律儀に並ぶ、さっきスーパーで母から教わった事だ。


「おっちゃん、買わないならどいてよー」


マールは特に警戒も恐怖心もない様子で目の前の強盗に声をかけた。


「あん…?ガキ、状況見てわかんねえのか?」


強盗はマールに顔を向けるとニヤリと笑う、きっと小学生にしか見えないマールを人質にして金をふんだくろうとでも考えたのだろう。強盗は即座にマールの体を掴んで引き寄せると、その首に出刃の剣先を突きつけた。


「おら!全員動く…な…?」


強盗はそのまま白目を剥いて崩れ落ちた。なぜ?簡単な話しだ、マールは目にも止まらぬ速さで彼の体を打ったのだ。マールの身長的にそこは丁度股間であったが故に、横たわった強盗は泡を拭いて失神してしまう。


「よし、どいた。ママ!これ買って!」


入り口で茫然としていた母を呼びつけ、母は直ぐにレジへと向かう。


「な、何をしたの?」


母がマールに問いかけると、マールは白々しく首を傾げた。


「わかんない、急に倒れちゃった」


小学生低学年にしか見えない小さな女の子に殴られて失神した、だなんて誰も理解はできないだろう。


「お、お代は結構です」


店長らしき男がバックルームから出て行ってそう言った、母は財布から200円を取り出してレジに置くとマールの手を取って足早にレジから出て行く。


「はい、包丁」


カイトは男の手元に転がっていた包丁を拾ってレジに置く。


「早く警察を呼んだ方がいいですよ?では」


そう言い残し、母とマールの後を追いかけた。外では母がマールを厳しく叱っていた。


「マール!ああ言うのはもうしちゃだめよ!何かあったらどうするの?」


「ええ?でも、あんなの危ないにはいらないよー?」


母はマールが戦士である事はしらない、あの程度の現代人など、マールにとっては赤子も同然だろう…しかし。


「マール、王様に言われましたよね?こっちの世界には迷惑をかけないって…」


そう言われると、マールは少し気不味そうに顔を顰め、それから俯く。


「…ごめんなさい」


腑に落ちてはいなさそうだが、納得はしているようである。


「ほら、そんな顔はしないの!今日はすき焼きなんだから早く帰るわよ?」


「…うん!」


母は再びマールと手を繋ぐと、来た道を戻る。その後ろ姿は本当の親子のようである。家に帰ったカイト達は母が腕を振るうと意気込み台所へ向かい、マールもついて行く。


「あ、カイト、怠けてもいいけど明日からちゃんと日課の体力錬成はするからね?」


「え!?」


何を言ってるんだこの野生児。


「当たり前じゃん?旅行だからってだらけるわけにはいかないんだから!指揮者だっていざという時は動けないとダメなんだからっ!…それに、ちょっとだけ気になることが…」


気になる事?…そこまで言いかけたタイミングで扉が開かれる。


「ただいま!」


誰かが帰ってきた、の太い男性の声が家に響く。聞き慣れた父の声である。


「雪乃?…料理してるのか?お前、寝てなきゃダメだろ?」


玄関からゆったりと歩きながらリビングへやって来たのは初老の男性、こちらもカイトの生前よりもだいぶ痩せており、威厳のあった目はそのままに加齢によって優しい印象に変わっている。


「あら貴方!お帰りなさい…」


台所で料理していた母がリビングにやって来た父に声を掛け、その姿に驚愕する。


「雪乃か?…ど、どうしたんだその姿…て言うかこの子供達は誰だ??お前、からだは大丈夫なのか!」


当然の質問攻めである、父はかなり几帳面であり、気になる事は全て指摘しないと気が済まない。


「体は大丈夫、なんかまるで若返ったみたいに軽いの!」


「…確かに、若返っているな…」


そして父はカイトとマールに目を向ける、マールはカイトの後ろに隠れている、父はマールにとっては苦手なタイプなのかもしれない。


「驚くかもしれないけど、海斗よ、転生して帰って来たんだって…」


「……」


絶句、父は口をあんぐり開けてからカイトを見た、そしてカルトか何かに染まったのかと母の額に手を当てる。


「ちょっと、病気はもうないわよ?」


次に頬をつねっている。


「ゆめじゃないわ」


そんな面白い行動の後にゴホンと咳払いすると、カイトを見た。


「悪魔め、息子を語り、雪乃をたぶらかせているな?正体を見せろ!」


信用していないようだ。芝居がかった口調なのは趣味の大河ドラマの影響だろう。


「マール、実はわたしの父である陸夫は昔、倶楽部ふんわりと言う店に入り浸った事があるんです」


「くらぶ…なに?」


「倶楽部ふんわりです」


「な!何故それを!?」


驚愕する父、カイトは笑いながら続ける。


「倶楽部ふんわりってどんなお店なの?」


「ただのクリーニング屋です…えっと、洗濯屋さんですね」


「ちょ…ちょっとカイト!」


母はハッとなり、カイトを止める。


「当時、母が父のスーツから出て来た倶楽部ふんわりの割引券を見て、良くない店に入り浸っていると大喧嘩になった事があるんです、我が家最大の離婚の危機ですね、兄と、私で母を羽交締めにしましてね…」


「カイト、お兄ちゃんいたの?」


「あれ?話していませんでしたっけ?」


「初耳だよ!」


「……」


父は海斗の前までやって来て、威厳のある目を潤ませながら目を見る。


「本当に…海斗なんだな?」


「………」


そんな父の顔は初めてみた、カイトは驚きのあまり頭が真っ白になる。


「え…ええ…」


絞り出て来た言葉はただそれだけ、父は海斗を強く抱いた。


「で?この子は誰だ?」


父はマールに目を向ける。


「カイトの彼女、向こうの世界から連れて来たんだって…こんな可愛い子をどこでひっかけたんだか…」


母は嫌味たっぷりにカイトに吐き捨てる。


「えーと…お嬢さん、カイトに騙されてない?」


「え?…えーと、それはわかんない!」


同時に母と父はスマホを手に取る。


「待って!両親!!二人とも待って!」


「冗談だ、つまりは私の娘だな!」


切り替え早ッ!父はマールの頭を大きな手でわしゃわしゃと撫でる。


「マールちゃん、遠慮なくパパって呼んであげてね?この人、本当は女の子が欲しくて仕方がなかったの」


「ママ、パパ…うん、パパ!」


マールはすると立ち上がり、父の匂いをクンクンと嗅ぎ始める。


「パパ、さっきのママと同じ匂いがする」


さっきのママと?その言葉に父は笑う。


「ははは、一緒にすんでいるのだから匂いはおなじだろう?」


しかし、マールはそんな返答に首を横に振る。


「ううん?違う、病気の匂い!」


「……まさか?」


「カイト!パパにもあげてい?」


「はいどうぞ、許します」


「わかった!」


マールは素早く父の顔を機械的な力で掴むと、口を開けさせ、指先を噛んで切ると溢れ出る血液に濡れる手を口に捩じ込んだ。


「私もさっき、あれをされたのね…」


母はしみじみとその光景を語り、眉間に皺を寄せていた。


「ぷは!いきなり何をするんだ君は!!」


普段物静かな父の怒鳴り声は久しく聞いていなかったな。同時に父の身体からも煙がで始める。


「か…身体から煙が?…え、な…なん」


やつれた枯れ枝のような父の身体がみるみるうちに大きく細長い体となり瑞々しく身体が巻き戻って行く。


「なんでパパとママは若返ったんだろう?」


マールは疑問に顔をカイトへと向ける。


「考えられるのは、異世界の影響ですね」


カイトにも確証はない、しかし、考えられるとすれば異世界人と現代人の寿命である。現代の三ヶ月は異世界にとっては一ヶ月程度の時間に過ぎない。異世界は時の流れが非常に遅いと、ゼノリコは言っていた。


故に、勇者の血の力によって。現代人の体質を強引に異世界人の体質に変質させた可能性は高い。


あの異世界の人々は非常に免疫力が高く、亜人の襲撃や飢餓がなければ滅多に死ぬ事はない。ゼノリコが長い年月をかけて衛生観念を民達に浸透させたからというのもあるのだろうが。


「……とりあえず、ご飯にしましょうか!!」


母は特に気にせずリビングのテーブルの上に並べたすき焼き鍋に火をつける。


「ママ!これどうやって食べるの!?」


マールはキラキラしながらすき焼き鍋を見ていた。


マールはこの世界に来て、笑顔が絶えない。きっと彼女のいた世界にはないものばかりだからだろう、知りたいと思う端から様々な情報や食べ物が次から次へとやってくるのだから、マールが退屈する事はないのだろう、このすき焼きにしたって…生の卵を溶かしたものに牛肉を絡めて食べるなんて贅沢な食べ方はした事がないだろう。


「これお肉!?」


マールは肉を口いっぱいに頬張り満面の笑みで聞いて来た。


「すっごい!?なにこれ!なんのお肉なの!?すっごい!!」


「牛って動物の肉です、向こうにこんな肉はないですよね?」


マールはブンブンと頷く。


「カイトがこっちで食べるもの全て美味しく無さそうな顔をしてたのもわかるや!」


よく見ている…カイトは苦笑していた。


「あなた達、普段からどんなものをたべているの?」


母の問いかけに、マールとカイトは目を見合わせる。


「そうですね、向こうの食文化はとても薄味です、調味料は塩位しかないので…」


「古代ウルクとか…その辺りの文化レベルか?」


父が興味深そうに聞いて来た。


「そこよりは少し上、そうですね…言うならば戦国時代あたりに近いかと」


「あー…それは…厳しいな」


父はそう言うと、カイトの器に煮えた肉をよそった。


「マールちゃん、お野菜も食べなさい」


母はマールを甘やかす事なく、煮えた野菜をもっさりと器に入れた。


「僕野菜きらーい!」


器に入れられた野菜をカイトの器に入れようとしてくる。


「マール、多分こっちの野菜はあなたでも食べれますよ?」


カイトは野菜を避けながら問いかけると、マールは凄く嫌そうな顔をした。


「ホント?…うう、苦くない?」


マールは不安そうにネギを箸で摘んでから口に入れる。


「!?」


跳ねた、そしてすぐに飲み込む。


「美味しい!何これ?ホントに野菜?甘い!」


よく煮たネギは甘味があり、それがザラメ砂糖と醤油のタレとよく絡んでいるのだからまずいわけがない。マールは大嫌いな野菜も美味しい美味しいと喜んで食べ始めた。あっちの世界の知り合いが見れば驚愕の光景だろう。


「そっちの野菜は美味くないのか?」


父の問いかけにマールは頷く。


「こっちの野菜は品種改良などはされていませんからね、原生のままです。」


「林檎が甘くないんですって…」


「本当に!?まるで神話の世界だ…」


父はこちらの世界に興味津々のようだった。楽しい食事のひとときはあっという間に過ぎ、母はマールを風呂場へ連れて行くと、父とカイトがリビングへ残される。


「父さん、少し、見てもらいたいものがあるんだけど…いい?」


カイトの問いかけに、新聞に目を向けていた父は顔を上げる。


「…なんだ?」


父の了承を得て、カイトは立ち上がり、自室の机の中から一枚の金貨を持って来ると、それを父の前に置いた。


「…これは?」


父はすぐに興味を示すと、電灯の光を当てその輝きに目を凝らす。


「純金製?しかし、少し輝き方が違うな…真鍮のようにも見えるが…」


素早く仕事カバンを手繰り寄せ、中から口に仕事用のルーペを取り出して身につける。カイトの父は古物商を営んでおり、こういった物に詳しい。


「私の世界の金貨です、一枚で大体100万位の価値があるようです」


「成る程…異世界の金貨か…」


父は興味深そうにルーペで金貨をじっくりと見回してから顔を上げる。


「売るつもりならやめておけ、これをこっちの世界に流すのはやめた方がいいだろう」


はっきりとそう告げた、カイトは頷く。


「やはり、そうですか?」


カイトの問いかけに父は頷く。


「ああ、これは紛れもなく純金だ…しかし100ではない、5か6か、別の何かが混ざっている。これはこっちの世界にはない物だ…こんなものが市場に流れたら、利益を取り合い戦争になるだろう…」


そこまでか…想像を軽く超えた道の物質に父は顔を顰めていた。


「いつまでここにいるのかはわからんが、この金貨はちゃんと持ち帰れよ、こっちの世界には絶対に残すな?あと、マール、彼女の血のこともだ…世間に知られたらさまざまな研究機関が彼女を手に入れようと躍起になるだろう」


「き…気をつけます」


父はそういうと、新聞に目を戻す。


「金なら心配するな、こっちにいる間は私達が工面しよう」


「とうさん…」


「ただし、条件はもちろんある…次来る時は、孫の顔が見たいな?」


新聞より顔を上げ、若返ったハンサム顔を笑わせる。次、は無いかもしれないのに、カイトは頷く。


「そんなに早く子はできませんよ」


「ふふ、それもそうだな」


「カイトー!あなたー!上がったわよ!二人も入っちゃいなさい」


母の声で会話は終わり、カイトは久しぶりに父と風呂を楽しんだ。


夜、寝巻きに着替えたマールはいつものようにカイトの部屋に来るとカイトよりも先にカイトのベッドに座った。


「凄い!ふかふかー!」


マールは笑顔でベッドに飛び込みその小さな体が布団の弾力に跳ね上がる。


「マールちゃんはこっちよ、ママと寝ましょ?」


母はそう言うがマールはカイトに目を向ける。


「マールは夜泣きしますよ?大丈夫ですか?」


「誰に言ってんの?私はあんたやお兄ちゃんの夜泣きだって見て来たのよ?」


母は強い、マールに目をむけると少しだけ不安そうにその表情は暗かった。きっと、無意識のうちに迷惑をかける事を心配しているのだろう。


「マール、ものは試しですよ?」


「うん…」


シュンとしながら立ち上がると母に連れられて寝室へ向かった。部屋に残されたカイトは久しぶりに一人での就寝に心を落ち着かせるも、困ったものでいつもあるものが側にないと…眠れないのだった。


ため回です、次回から物語が動きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。