第249話「院というかいぬというか(参)」
二階堂行春という武士がいる。
彼は鎌倉以来の官僚の家系である二階堂氏の一人で、重茂の同僚・二階堂行珍と同族でもあった。
仕事に真面目なことが取り得の目立たぬ人間だが、縁の下の力持ちとしては頼りになる男でもある。
そういう一面が認められて、足利政権においても吏僚として仕事を任されていた。
そんな彼だが、奇妙なことに土岐頼遠とはそこそこ付き合いがある。
たまに笠懸や狩りに出かけたり、歌を詠み合ったりすることもあった。
少し気の合う知人という程度の間柄ではあったが、武名轟く頼遠の存在は、行春にとって少しばかり誇らしく思える。
そんな頼遠が、あるとき急に「今度笠懸に行かないか」と誘って来た。
近頃は故あって京に留まっているが、ここにいると身体が鈍りがちになってしまう。
たまには身体を思い切り動かしておかねばならぬと思い、旧知の間柄である行春を誘いに来たらしい。
行春自身は笠懸の妙手というわけではなかったが、間近で頼遠の腕を見られるのは好きだった。
ゆえに、特に深く考えず同意した。
出かけたのは、それから数日後――九月六日のことである。
「相変わらず壮健なようで安心した。近頃はいろいろ大変そうだったからな」
「なんだ、私のことが噂にでもなっていたのか?」
「白金荘のことだ。最初は引付方で少し話題に上がった程度だったが、そのあとそなたが大勢引き連れて上洛してきたものだから、こちらとしてもどう動くべきかとあれこれ語る者が多かったのだ」
最終的には上から「動くな」とお達しがあって落着したが、その後の動向は行春としても気になっていたところである。
「いろいろと騒がせてしまったようで、すまないな」
「こうして笠懸に出かけられるということは、一段落ついたということか」
「まだやることは残っているが、白金荘については一旦こちらが折れるしかなくなった」
「そうか。なかなかに世知辛いな」
頼遠たちに落ち度があったわけではない。
ただ、立場が弱かったというだけだ。
立場が弱い者は、時として上からの不条理に耐えなければならぬこともある。
郎党に的を用意させ、矢を射かける。
静かに立ち止まって撃つのではなく、馬を走らせながら馬上から射かけなければならないので、なかなかに難しい。
行春は何度か外してしまったが、頼遠はいずれも的に命中させていた。まるで矢が的に吸い寄せられているかのようである。
「さすがの腕前だな。狙ったものは外さない」
「うむ、今日は調子が良さそうだ」
この結果に満足したのか、頼遠はほがらかな笑みを浮かべた。
「これなら――問題ないだろう」
行春はその呟きに少しばかりの違和感を抱いた。
が、あえて口に出すほどではないかと思い、そのまま流すことにした。
その日、光厳院は伏見殿から仙洞御所に戻る支度を進めていた。
三日前の九月三日は、光厳院にとって祖父にあたる伏見院の忌日である。
今年はその日から、法華八講を行っていた。
法華八講は、法華経を四日間かけて講じる天台宗系の法要である。
一日のうち朝夕に二巻。それを四日間かけて全八巻講じることから、法華八講と呼ばれるようになった。
光厳院は、この四日間で亡き祖父のことに深く思いを馳せていた。
伏見院といえば京極派勃興のきっかけになった人でもある。
京極派の創設者は京極為兼だが、その歌が認められたのは彼が仕えていた伏見院が後押ししたのが大きい。
特に、伏見院による勅撰和歌集である玉葉和歌集の存在は欠かせない。
勅撰和歌集は歌人が目指す到達点の一つだが、そこで初めて京極派を取り上げたのが玉葉和歌集であった。
これに載ったことで、京極派の社会的地位は飛躍的に向上したとも言える。
従来の歌風に合わせることを良しとせず、自らの道を考えて確立した伏見院と京極為兼の姿は、光厳院の目指すところだった。
今、光厳院は新たな勅撰集編纂を考えているだけでなく、朝廷の内情や武家との関係についても新たな道を探っている。
仏事を通して伏見院という存在に触れることは、大いに励みとなった。
四日目の法華八講は既に終わっていたが、光厳院は珍しく余韻に浸っていた。
日頃、政務に対して集中し過ぎている反動かもしれない。
治天の君という立場は、考えなければならないことがあまりに多かった。
「公重。私は祖父を越えることができると思うか」
「それは、難しい問いかけにございますな」
「越えてみせよと、祖父に激励されたような気がした。おそらく気のせいだとは思うが、そのまま流してしまうことができぬ程度には心に残っている」
西園寺公重はこの法華八講の供を務めていた。
彼は彼なりに神妙な面持ちをしている。
四日間もかけて行われる仏事というのは、心に少なからず影響を与えるものなのかもしれない。
「そろそろ暗くなって参ります。遅くなれば皆も心配するかと」
「ああ、すまぬな。支度を急ぐことにしよう」
気づけば陽も落ちかけていた。
逢魔が時。邪気が生じやすいとされる時間帯だということが、なんとなく光厳院の脳裏をよぎった。
良忠は神経をすり減らしていた。
ここ数日、土岐頼遠の様子を観察し続けているからである。
部下に任せて休むこともできたが、頼遠の「何をしでかすか分からない」という性質が、現場から離れることを躊躇わせた。
自分がいないときに頼遠が動き出したら、部下だけで判断するのが難しいかもしれない。
そういう懸念が、良忠から休息を奪っていた。
「しかし、本当に動くんですかね」
見張っていた部下の一人がぼやいた。
今日の頼遠は、僅かな供回りと友人を連れて笠懸に行っただけである。
とてもではないが、何か大きなことをしでかそうという風には見えなかった。
「ぼやきたくなる気持ちも分かるが、気は緩めるなよ。少しでも不自然な点があれば俺に報告しろ」
「へえ」
実際、頼遠を見ていても何か企てているような様子は見えない。
郎党に何かを命じたりしている様子はあったが、本人はまるで大人しい。
暗殺のための下準備といえるほどのこともしていないし、美濃から応援を呼んだりするわけでもない。
「しかし、今日はよほど上機嫌なんすかね」
「あん?」
「だって、えらい遠回りしてますもん」
言われてみれば、笠懸から戻って頼遠もしくは行春の邸宅に戻る道ではない。
意図は分からないが、どうも遠回りをしているようだった。
「二階堂行春と話が盛り上がってるから、少し遠回りをしている――って可能性もあるっちゃあるが」
頼遠と行春はずっと近くで話を続けているようだった。
遠目からだと分かりにくいが、雰囲気は良さそうである。
「だいぶ暗くなってきたからか、ちと見にくいな。灯りをつけるわけにもいかんし難儀なもんだ」
今自分たちはどの辺りにいるのだったか。
疲れた頭でそんなことを考えているうちに、頼遠たちの足が止まった。
「別の集団と行き合ったみたいっす」
「……」
何か、妙な胸騒ぎがした。
自分たちは今どこにいるのか、早急に思い出さなければならない。
背筋が凍えるような感覚に突き動かされて、良忠は急ぎ頭をフル回転させる。
そうして、一つの答えに行き着いた。
「ここは、伏見殿と仙洞御所の間だ」
「はあ」
「そして、ちょうど今日は伏見院のための法華八講が終わる日でもある」
それを聞いても、部下たちは一様に疑問符を浮かべていた。
彼らは、法華八講に誰が参加していたのかを知らない。
伏見殿と仙洞御所の間という言葉が何を意味するのかも、よく分かっていないだろう。
「説明は抜きだ。お前らいつでもやれるよう準備しとけ」
良忠の言葉に、部下たちの顔つきが変わる。
「頼遠はやるかもしれん。今、この場でな」





