10.灯りと冬
「はい、薫子です」
「僕は秋人です」
携帯だから、お互いだという事は分かっているのに名乗り合う。
そんなよく分からない不器用さがお互い似ている気がした。
見合いの時に交換したきりの携帯番号。
かけてきてくれたのは初めてだわ。
「特に用という訳じゃないのだけれど、かけてごめんね。練習してたでしょう?」
何か用なのだろうか、と思う直後にそう言われる。
用はないのか。
「いえ、婚約者ですから。練習はしていましたが。ええ、その………」
異性との用はない電話は初めてで、なんと言ったらいいのか分からなくなる。
でも、婚約者だから電話するのも当たり前だろう、多分。
「うん、ありがとう。最近、学校では薫子さんとは練習であまり話してない事に気付いて。その、家に帰ってきてから、薫子さんと話がしたいな、と」
いつも余裕を保っている感じの秋人さんが言い澱む。
秋人さんが私と話がしたい、それを理解すると頰が急に熱くなった。
な、なんだか気恥ずかしい気持ちになる。
少しむず痒くてフワッとした心持ちが恥ずかしい。
「ありがとう」
「こちらこそ」
とっさに出たお礼の言葉に、秋人さんが電話の向こうで優しく返事をしてくれる。
私には勿体無い程の婚約者だ。
こんな良い人と婚約できたのは………。
それもこれも私が天上家の娘だからこそだろう。
ふわふわした気持ちがすぐに冷えた。
私のバイオリンに、学校に転入してまで付き合ってくれた。
そんな優しい人を、バイオリンだけにかかりきりで捨てようとしていた。
バイオリンだけやれないなら、と家を追い出される覚悟だった。
「薫子さん、僕は薫子さんの事好きだから」
私の沈黙をなんと思ったのか、秋人さんが言葉を重ねてきた。
「ありがとう」
私はそれだけを返す。
秋人さんは、
「それじゃ、おやすみ」
少し震えた声で言って。
電話が切れた。
私は本当に冷たい利己的な女だ。
誰を傷つけても、親を裏切ってもバイオリンだけしか見えない。
私は携帯電話をソファーの上に放り出した。
そして、バイオリンを手に取って弓を構えると、全てを忘れる。
ビバルディの「冬」、激しい吹雪で真っ白になる。
もう前も見えない。
後ろも見えない。
吹雪が吹き荒れていた。




