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最終話 新たなる軌跡へ

「皇子!」


 欄干から声をかけると、朝もやの中で、髪を美豆良に結った小柄な男が振り返った。


「出雲国王」


 笑顔を浮かべる男の顔は、夜明け前の青い光に照らされ、白磁のように輝いていた。

 早る心を抑えつつ、覇夜斗はやとは意識してゆっくりと宮殿の階段を下り、庭に立つ月読のもとへ近付いていった。

 そんな彼を笑顔を湛えて待ち構える皇子の背後には、いつものように剣を携える大男がいた。

 覇夜斗はやとの顔を見て、一瞬気まずそうな表情を滲ませた大男だったが、すぐに思い直したのか、頭を深く下げた。


「改めて紹介する。この者は牛利ぎゅうりだ。私の相棒であり、剣術の師匠なんだ」


 自分より頭一つ分は背の高い男を見上げながら、月読は誇らしげに家臣の紹介をした。


「そんな、月読様。勿体無い」


 主の言葉に、大男は慌てた様子で胸の前で手のひらを左右に振った。

 屈強な武人の意外な一面に、覇夜斗はやとは思わず目を丸くした。


「見た目はこんなだが、気のいいやつなんだ。しかも頼りになる」

 

 平然とそう言ってのける月読の隣で、牛利ぎゅうりは大きな体を縮めて、恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 そんな彼らの様子を見て、覇夜斗はやともいつしか笑顔になっていた。


「ああ。確かにいい家臣だな」


 目を細めて覇夜斗はやとが頷くと、牛利ぎゅうりはますます顔を赤くして頭を掻いた。


「この森の朝は、実に清々しいな」


 今にも頭から湯気を吹き出しそうな大男から空に視線を移し、月読は両手を広げて大きく息を吸い込んだ。

 暁の澄んだ空気の中、宮殿を取り囲む草木の匂いが、冷ややかさと共にすうっと鼻腔を通り抜けてゆく。

 それを楽しむかのように、目を閉じて天を仰ぐ白い横顔を見ていると、覇夜斗はやとの中で、彼に自分の国をもっと知って欲しいという思いが込み上げてきた。


「散策するなら浜まで行かぬか。そなたは北の海をまだ見たことがなかろう」


 北を指差してそう声をかけると、月読は弾かれたように瞳を見開き、嬉しそうに頷いた。






 宮殿からほど近い海へやってきた三人は、荒波が飛沫しぶきを上げる浜辺を歩いていた。

 群青一色だった空は、朝もやの中で紫色と滲み合い、波は昇り始めた陽の光を受けて、きらめきながらうねりを繰り返していた。

 この浜は、覇夜斗はやとが故郷からこの地に来て、初めて足を踏み入れた場所だ。

 目の前には巨大な岩でできた島があり、そちらに背を向けて陸を見れば、左側に鬱蒼とした森が見える。

 あの森の中に、覇夜斗はやとたちが暮らす宮殿がある。

 そして、そこから右側の空が開けた場所には、出雲の街が広がっているのだ。

 そろそろ朝餉あさげの準備が始まったのか、街のあちこちからかまどの煙が立ち上っていた。


 あれから五年。

 目に映る景色はまったく変わっていないはずなのに、覇夜斗はやとの心境は、当時と大きく異なっていた。

 初めてこの地に降り立ったあの日は、この光景を見ても何の感情も起こらなかった。

 だが今、改めてこの地に立ってみると、出雲の民が暮らす街も、家臣達と苦楽を共にしてきた宮殿があるあの森も、尊く愛しいものに思われた。


 あの日、船上から陸を指差していた、髭に覆われた宇志男うしおの横顔。

 彼に導かれて出雲の街に初めて訪れた時には、渡来人が横行する光景に、なんとも言えない危うさを感じたものだった。

 そして、あの森の中の神殿で夕月ゆづきと出会い、憎しみの対象であったはずの彼女をいつしか愛していた。

 これまで、数え切れないほどの悲しみや苦しみがあったが、時には民と喜びを分かち合い、笑顔を交わした日もあった。

 それらひとつひとつの思い出が、自分の中に確かに刻み込まれていると感じていた。




 物思いに耽り口数が少なくなった覇夜斗はやとの隣で、ゆっくりと歩みを進めながら、月読も黙って明けゆく空を見つめていた。


「あの森よりも高い社を建てねばならぬな」


 ふと立ち止まった月読は、木々が生い茂る森を指差した。


「この浜に降り立った渡来人たちが、驚くような巨大な社を建てよう」


 つられて立ち止まり、彼の指差す方向を目で追った覇夜斗はやとだったが、次の瞬間、ため息混じりに苦笑した。


「邪馬台では太陽を神と崇めていると聞く。そなたらの信仰する神の教えを、我々にも伝えてくれ」


 先日、月読は出雲を信仰の拠点にすると言った。

 だが、出雲に象徴となる社を構えたとしても、邪馬台国を倭国の中央とするのであれば、彼らが信仰する神を祀らなくてはならないだろう。

 出雲と北海道きたのわたつみち(日本海航路)沿いの諸国は、長い冬の間雪に覆われ、農作物を育てることが難しい。

 だからこそ、暖かい内に少しでも多くの作物を確保する必要があり、農耕技術が発展してきた。

 このような状況から、農耕の神を守護神と崇めてきた彼らだったが、これからは太陽の神を第一に祀らねばなるまい。

 長年信仰してきた神を変えるなど、自分たちの思想自体を変えてしまうようなものだ。

 しかしだからこそ、倭国統一に向けて各国が結束を固めるためには、仕方のないことと理解していた。


「伝えるのはよいが、そなたらの信仰を変える必要はないぞ」


 だが、顔だけで振り返った皇子は、思いもよらない言葉を口にした。


「社が建っても、そこにはそなたらが信じる神を祀ってくれればよい」


 驚く覇夜斗はやとに笑顔を見せ、月読は再び前方に向き直って波打ち際をゆっくりと歩き始めた。


「しかし、それでは……」


 困惑し、顔を歪ませながら、覇夜斗はやとは慌てて皇子の背を追った。


「北海道沿岸諸国は雲に覆われる日が多く、特に冬場は太陽を目する機会が少ないと聞く。そのような国に住む者たちに、太陽を第一の神と崇めよと言っても、難しいであろう」


「……」 


「それぞれの国は、それぞれの風土に合った神を信仰している。身近な神だからこそ、ありがたさを実感でき、信仰心も深まるのだ。山に生きる民は山の神。海で生きる民は海の神。それぞれの神の存在を認め合って、皆共存していければ良いではないか」


 もう一度立ち止まった月読は、今度は体ごと振り返り、覇夜斗はやとと向かい合った。


「出雲の社は、そなたらの神に守ってもらう。その神が年に一度、各国の神々を社に招いてくれれば良い。まあ、そうだな。この地は、日頃は人々を守護するため各地に赴いている神々が、里帰りをする実家のようなものなのだ」


「本気か?」


 とても正気とは思えない皇子の発言に、覇夜斗はやとは怪訝そうに眉間に皺を寄せて問いかけた。

 信仰が異なれば、思想も変わる。

 そのことが戦の原因となることも少なくないのだ。

 

「我々連合国は、皆兄弟のようなものだ。血が繋がっていても、それぞれ考え方は違う。それでも兄弟なら、団結もできるだろう?」


 当然のようにそう言ってのける月読を見て、覇夜斗はやとは一気に胸がすく思いがした。

 今まで、このような考え方をする為政者に出会ったことはなかった。

 彼が知る権力者とは、従属させた国の信仰も思想もねじ伏せ、自分たちの色に染めていくものだった。

 上に立つ者に不満があれば、同士と結束してその地位を奪おうとする者が現れる。

 だからこそ、支配者は属国に信仰の自由を与えないのだ。

 だが、言われてみれば、彼が言うことの方が無理がなく、自然な気もする。

 力で押さえつけるからこそ摩擦が生じ、積もり積もった鬱憤がいずれ戦の火種になり得るのだ。

 かと言って、自分も含め、他の者に彼と同じことはできないだろう。

 この場合、君主となる者は、何人なんびとにも代りは務まらないと思わせるような、絶対的な存在でなければ成り立たないのだから。


「やはり、そなたにはかなわないな」


 朝日に顔を染める皇子の横顔を見つめながら、覇夜斗はやとは波音に紛れるように小さく呟いた。







 「お美しい皇子様でしたね。思わず私、何度も見とれてしまいました」


 月読が吉備国へ引き返して行った夜、久々に部屋を訪れた覇夜斗はやとに、夕月ゆづきはそう語りかけた。

 二人は彼女の寝所の外の回廊に並んで立ち、木々の間からわずかに見える星空を見上げていた。


「惜しいことをしたか? あの方は、お前に惚れておられたぞ」


 わざと困らせるようにそう言うと、夕月は彼に背中を向けて黙り込んでしまった。

 月読がこの地を去った後、彼女が身を呈して自分とこの国を守ろうとしてくれていたと大臣から聞いた。

 思わずいつもの調子で、皮肉めいたことを口にしてしまったが、涙をこらえている背中を見ていると、罪悪感と愛しさが胸の中に込み上げてきた。


「いや、たとえ誰であっても、お前は渡さぬ」


 次の瞬間、覇夜斗はやと夕月ゆづきを背後から強く抱きしめていた。

 突然の出来事に夕月ゆづきの鼓動は高まり、呼吸が荒く乱れ始めた。

 覇夜斗はやとはそのまま白い首筋に顔をうずめ、甘い香りを愛しむように、大きく息を吸い込んだ。


「狗奴国との戦いが終わり、あの方が巫女に頼らない国を造られたら、一緒になろう」


 一瞬動きが固まった夕月ゆづきだったが、やがて何度も頭を上下に振って頷いた。

 同時にあふれ出た嬉し涙が、覇夜斗はやとの腕にはたはたとこぼれ落ちた。


「だからその日のためにも、あの方を最高の兵と武器で、お支えせねばならぬ」


 そう言って、覇夜斗はやとは一層力強く彼女を抱きしめた。

 夕月も同意を表すように、彼の手に自分の手を添えて力を込めた。

 そんな二人の足元の、神殿のそばを流れる小川では、無数の蛍が青白い光を放って飛び交っていた。






 その日も、朝から覇夜斗はやとは宮殿の回廊を、右へ左へ落ち着きのない様子で行き来していた。

 そんな彼の背後から、くすくすと声を殺した笑い声が聞こえ、振り向くとそこには夕月ゆづきがいた。


「大臣たちが、王はまるで熊になったようだと噂していますよ」


 そう言って夕月ゆづきは、今度は少し声を上げて笑い始めた。

 覇夜斗はやとは面白くなさそうにふんと鼻を鳴らすと、謁見の間へ入り、上座にどかりと腰を下ろした。

 それでも、膝に置かれた手の指は、苛立つ心を表すようにせわしく動き続けていた。

 夕月ゆづきも笑いをこらえながら彼の後に続き、王に向かい合う位置に座った。


「皇子様からの援軍の要請は、まだ来ないのですね」


 彼女の問いかけには答えず、覇夜斗はやとは頬杖をついて、明後日の方向を見つめていた。

 月読がこの地を去ってから、彼はこんな調子でずっと落ち着きなく過ごしていたのだ。

 口には出さないが、夕月ゆづきにはその理由がわかっていた。


「待ちきれないなら、ご自分から皇子様の元へ行かれたらよろしいのに」


 夕月ゆづきの言葉に、覇夜斗はやとは目を見開いて彼女の顔を見つめた。


「皇子様のお側でお役に立ちたいのでしょう?」


「……」


 一瞬、少年のように目を輝かせた覇夜斗はやとだったが、すぐに表情を曇らせて彼女から目をそらした。

 つまらなそうに口を曲げている彼を見て、夕月ゆづきは堪えきれずに再び吹き出した。



 しばらくしてようやく笑いがおさまった彼女は、姿勢を正し直して真剣な目で彼を見据えた。


「この国のことならご心配なく。あなたの留守中は、私が責任を持って守ります」


夕月ゆづき……」


 目を丸くしている覇夜斗はやとの前で、夕月ゆづきは大きく頷いて見せた。

 月読が去って以降、彼は援軍の要請をずっと待ち続けていたのだ。

 そしてできることなら、皇子が目指す新しい国造りを一日も早く実現するために、共に戦いたいと思っていた。

 だが、王である自分が長期間国を留守にするわけにもいかず、気持ちを持て余していたのだ。

 そんな彼の思いを、夕月ゆづきが感じ取ってくれていたことが、何より嬉しかった。


「私たちの未来のためにも……」


 目を逸らして顔を赤らめる夕月ゆづきの言葉を皆まで聞かず、覇夜斗はやとは彼女の体を強く抱き寄せた。

 一瞬驚きの声を上げた夕月ゆづきだったが、やがて幸せそうに瞳を閉じて、王の背中をそっと抱き返した。


「やはり、お前は最高の女だよ」


 艶やかな黒髪に顔を埋め、覇夜斗はやとは明るい声でそうつぶやいた。

 その言葉を聞いて、夕月ゆづきも彼の背に回した両手に一層力を込めた。

 だが間もなく、幸せに浸っていた彼女の体が一気に引き離された。


「では早速、兵を揃えよう。皇子の兵は皆鉄剣を携えていたから、その他の武器を用意させよう。あと、弓の名手も必要だな」


 呆気にとられている夕月ゆづきに背を向け、覇夜斗はやとは顎をさすりながら、兵と武器の手配について考えあぐね始めた。


「船と漕ぎ手は吉備国でも用意できるだろう。それならこちらは、船上戦に馴れた兵を用意していくか」


 すでに頭の中は、戦への準備のことでいっぱいの様子の彼に、取り残されたような気分になった夕月ゆづきだったが、しばらくすると胸に熱いものが込み上げてきた。

 これまで王として孤独に戦ってきた彼に、目的を共有できる仲間ができたことが嬉しかったのだ。

 だが、そんな感慨に耽る彼女を残し、覇夜斗はやとはぶつぶつと独り言を唱えながら、謁見の間を早足で出て行ってしまった。


「もう」


 背中を向けたまま、振り向きもせずに去っていった彼に、さすがの夕月ゆづきも、少し口元を尖らせてため息をついた。

 それと同時に、自分が月読に対して嫉妬に近い感情を抱いていることに気がつき、彼女は自己嫌悪に陥った。


 その時、再び覇夜斗はやとが戸口に姿を現し、夕月ゆづきは飛び上がるほどに驚いた。

 恥ずかしさと焦りで狼狽うろたえる彼女のそばへ、ずかずかと近づいてきた覇夜斗はやとは、細い肩を強く掴み、真剣な眼差しを向けてきた。


「狗奴国を下して帰ってきたら、今度こそお前を俺のものにするからな」


「……」


 火を噴かんばかりに、顔を真っ赤にして立ち尽くす彼女を見つめ、覇夜斗はやとは念を押すように続けた。


「覚悟して待ってろ」


 あまりの恥ずかしさに言葉の出ない夕月ゆづきから身を翻し、覇夜斗はやとはまた戸口に向かっていった。


「では、行ってくる!」


 去り際、もう一度振り返り、手を大きく振って行った王の背中に、孤独の影はもう見られなかった。





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