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縺れそうになる足を酷使し、階段を駆け下りてはまた上る。夜の大通りは酔っ払いの姿がちらほら確認でき、すぐさま入り組んだ路地に身を滑り込ませた。後方から響く金属音が徐々に大きくなる度に、ジェノは唇を噛みしめ腕に力を籠める。
「音が止みました!」
「ダメ! 右から来てる」
通り過ぎた塀の上からザザザァっと降ってくる金色の布。視界の端で脅威の存在を捉え、裏路地の怪しげなならず者達の横をすり抜けた。
「ぎゃっ」
「ごはっ!」
通り抜けた場所から野太い悲鳴が聞こえてきて振り返ったジェノは、ゴミの山に崩れ落ちるチンピラと、ギラリとした光を帯びる刃物が出鱈目な動きで舞う様を目撃する。
1mはある巨大なハサミが樽をいとも簡単に切断した。
「ジェノ様、人が次々に吹き飛んでいきます! 何故でしょう?」
「問答無用で邪魔な人を薙ぎ払ってるから、かなっ」
狭い場所は不利だと判断し、塀を駆け上がる。文字通り重力をものともしないジェノは建物の屋根を飛び越え、空へと身を投じた。
「あら? 私今空を飛んでいますわ。あらあら」
「げっ、ヤバイ」
広範囲に頭上に広がる薄い膜の様な何か。見たこともないソレが行く手を阻む様に迫ってきた瞬間、ジェノは本能的に地面へ降り立った。
アレには触れてはいけない気がする。
「ジェ・・・く ん、ジェノ く、ジェノくん・・・ジぇ の ぐん。っふぐ、ふ ふ」
途切れ途切れに聞こえてくる声に、胸がざわつき逃げる足が速くなる。
広い坂道を滑り落ちる様にスライディングし、迫っていた距離を少し開く事に成功すた。街中じゃ危ないと理解はしているが、1度馬車で通り過ぎただけの王都は、どこを行けば人のいない場所へ出られるのかわからない。
ジャキン ジャキ・・・ ジャキンッ
カルシェンツ宅の森に行くべきか。森はどっちだ? くそ、ずっと反対方向に走ってたじゃないか。
上手く回らない頭で地形を思い浮かべるが、行きたい場所は遥か真後ろにあるという絶望。
ああ~もうっ、最悪!
「あ、ちょっと見えました」
「はあっはあっはあっ」
「街灯に照らされる一瞬、部分的に歪んで見えます!」
抱きかかえているレミアーヌちゃんが首を伸ばして後方を凝視して言った。ジェノの眼には金ピカの人型が1mはあるハサミを振り回しながら追いかけてくる姿がハッキリと見えるのだが、街の住人も見回り中の騎士の人達も、素通りしていくだけで反応すらしない。
ジャキン ジャキ
むしろ全速力で走るジェノとお姫様抱っこされているレミアーヌに注目が集まっている。
なんで見えないんだよアレが! あんな縦横無尽にハサミ振り回してるヤバい奴放置しちゃ駄目だろ!? 騎士仕事しろや!
内心で悪態をつくが、無駄な事だと悟っていた。
あれは魔法だ。姿を見えなくする魔法なんて初めてだが、きっとそういう事だろう。まずい、このままだと。
ジャキンッ ジャキン・・・ ジャキンジャキンジャキンジャキンジャキンッジャキッ
ジャキジャキうるせえっ、こえぇよ!
このままでは殺される――
「キャア!」
ジャキンッ
レミアーヌちゃんが!
「か、風が来ました」
「頭出さないで、襲ってきてるからっ」
鋭い刃先が小さい頭を狙って突き出され、ジェノは身を捻って擦れ擦れの所でレミアーヌを護る。クリーム色の前髪が風圧で浮き上がり、少女は不思議そうにオデコを押さえた。
「しっかり捕まっててね」
「はい、ジェノ様!」
嬉しそうに首に手を回してくるレミアーヌが頷いた瞬間、後ろから低い唸り声が上がった。
うっわ怒ってるぅ。
長い坂道を見つけて勢いよく滑るともう一度距離を開けられ、下りなら勝てると確信出来た。
ブンブンブンブンッ
持ち手の輪っかの部分を手首にかけハサミを高速回転させている追跡者は、定期的に空に向かって白い球を放る。わかりずらいが上の方にガラスのような半透明な膜が張っていくのを見遣り、盛大に舌打ちした。
空に逃げられない。
後手に回っているのに加え、手の内を読まれているせいで此方の攻撃も防がれ続けている。
あの金色のローブが魔法を無効化しているのか、速度をほんの少し落とす事は出来ても、圧し潰す事が出来ない。
「くっそ、あんなの反則だろ」
魔法が通じない相手に焦りと苛立ちが募り、ジェノは冷静さを欠いていった。
実際には重力魔法によって少しずつ追跡者の装備品が消耗しガタがきているのだが、気付くことは出来ない。
ジャキ・・・ジャキンッ
不穏な音に、背筋が凍る。
「いい加減にしろよお前! マジで殺す気か!?」
「・・・なれろはなれろはなれろはなれろ離れろはなれろはなれろはなれろ離れろはなれろはなれろはなれろはなれろ離れろ離れろはなれろはなれろはなれろはなれろはなれろ離れろっ、あ゛あ゛ああっ!」
ぶつぶつと何やら言っているが、風の音に掻き消されよく聞こえない。とにかく会話が成立しなかった。
なんで、なんでこうなった。ただ、会いたかっただけなのに・・・普通に、会いたいと望んでいただけなのにっ。
「――せっかく会えたのに! なんでだよっ、カルシェンツ!!」
「っ!」
やるせない叫びに、ずっと俯いてブツブツ言っていた追跡者がビクリと反応を示した。
「・・・・・・くん」
「カルっ」
小さく名前を呼ばれた気がして咄嗟に振りかえったジェノは、滑る様に振り下ろされた銀の光に息をのむ。眼前に迫った刃はしかし、急に軌道を変え横に逸れた。
ああ・・・こいつ、今・・・
本気で狙いやがった。
仮面の隙間から見える黄緑色の瞳は、じっとりとレミアーヌを映すも、焦点がおかしい。
ヒョウンさんが言ってた。
カルシェンツの精神がヤバいって。
ベリオンさんを助けてくれって。
曇ったカルシェンツの瞳を真正面から見てようやく、ジェノは事の重大さに気が付いた。
接触禁止令が出ていたにも関わらずヒョウンが約束を違え会いに来たのは、そうしなければ壊れてしまうから。
カルシェンツも、傍に仕える人たちも。
「カルシェンツ、聞こえるか」
「・・・・・・」
ガチャ
「カルシェンツ・・・」
無言で武器を構える親友の姿に、喉に石の様に重く苦しいものが込み上げた。呼んでもジェノを見ることなく、殺気の籠った視線は腕の中の美少女に注がれている。
正気じゃなくなった親友の変わり果てた姿に虚しさが込み上げるが、ジェノは歯を食い縛って首を振った。
まだだ。まだ、大丈夫。
「追ってこい!」
カルシェンツが狙いを定めたタイミングで思いっきり真横に飛び、鬼ごっこを再開する。猛追してくる気配を感じ取りながら、ジェノは覚悟を決めた。
まだ、まだカルシェンツは大丈夫。絶対元の変態ストーカー野郎に戻す! あんなカルシェンツなんて認めない。あんなのカルシェンツじゃない。あいつはウザイこと言って気持ち悪い事言ってミュージカル俳優かってくらい気障な動きで馬鹿な事していないといけないんだ。
カルシェンツは、僕の隣で自信満々に『私達は運命の大親友だ!』って言ってればいいんだ。僕の気持ちなんて知らないで親友親友連呼するのは腹立つし泣けてくるけど、そう言ってくれないと落ち着かない。
「勝手に精神崩壊してんじゃねーよ、そんな奴殴ったってつまらないだろうが!」
再会したら殴ると決めていた。
でも、ジェノが殴りたいのはこのカルシェンツじゃない。
「親友なめんじゃねーぞ」
緊迫した鬼ごっこの最中に、ジェノは笑みを零した。先ほどまでの焦りや恐怖は既に無い。ただ一つ、『親友の正気を取り戻す』 その術を考えていた。
カルシェンツは本気でレミアーヌちゃんを狙っていた。殺す気だった。でも、振り返って僕に当たりそうだったから咄嗟に避けた。
「僕を守ったんだ。そうだろ?」
――だから、まだ引き戻せる。僕に危害を加えたくないって想いが存在しているのなら、カルシェンツは完全に壊れてはいない!
ジェノの考えた通り、カルシェンツにはまだ分別が残っている。ずっと子供たちに並走して移動していた2人の忍も、同じ様に考え屋根を飛び越えながら様子を窺っていた。
そうでなければ彼等によってカルシェンツは妨害され、鬼ごっこはすぐさま終わっていただろう。
ジェノに対してではなく終始レミアーヌに対してのみ攻撃が加えられていた為、手を出すことは無かった。
レミアーヌ嬢は可哀想だが、忍者達には優先的に守らねばならない条約というものがある。
最優先事項はジェノの身を護る事。
その次が自分たちの存在を隠すこと。
その次がメロスの身を護る事。
その次が自分たちの身の安全を確保すること。
その次がモーズリスト家の面々とカルシェンツの身を護る事。
大まかにこんな感じに決められていた。
これにより、ジェノが狙われておらず尚且つ存在に気付かれるわけにはいかない2人は、現状見守るだけに留めている。万が一ジェノに攻撃が当たりそうなら勿論迅速に対処するが、半兵は大丈夫だろうと一際高い煙突に飛び移った。
「精神的にかなり追い詰められてるとはいえあの図太いエンジェル様の精神が簡単に壊れるとは思えない。ジェノ様禁断症状MAX時に憎きライバルのレミアーヌ嬢と抱き合っている姿を見て、ガチギレしてるだけだろうな」
「満蔵もそう思いますよ」
「うわビックリした! もー急に隣に来ないでよ」
「えぇ~ずっと横を並走してましたよ。どうしたら気付いてもらえるんです?」
「ああ、ごめん。声かけられないと気付けなくて」
どうしても見失う相方の影の薄さに戦慄を覚えながら、半兵はジェノが森方面を目指しているのだと察する。
「さてさて、どうやって止めるつもりなんですかね?」
「股間に一発」
「ぉぅ・・・それは辛いです」
教会を横切り市場を駆け抜け王城の堀に沿ってぐるりと走り込む。
「お? なんだ」
「今のドレスの子可愛い~」
沢山の人々に派手なドレスを着たレミアーヌをお姫様抱っこしている姿を目撃されているジェノには、今後数々の噂や面倒事が降りかかってくるだろう。
「人攫いか?」
「駆け落ちじゃない?」
「わっ、なんか突風が!?」
数いる令嬢の中でも特に目立つ存在である彼女に人目のある場所で抱きつかれ、あろうことか抱えて逃走したのだ。カルシェンツの姿が見えていない目撃者達の証言が、貴族のみならず庶民の間に瞬く間に広がっていくはずだ。
第三王子の婚約者候補筆頭を拉致・・・言い逃れ出来ない事態になっているが、恐怖の鬼ごっこで手一杯のジェノは気付いてもいないし最早どうする事も出来ない。
「テントが急に真っ二つに!」
「ぎゃっ、馬が暴れだしたぞ」
「看板に穴が!」
透明人間カルシェンツによって被害が拡大していく。何が起こったのか理解出来ない市場の人々は呆然とするしかなかった。
「エンジェル様が透明になってるせいで全部ジェノ様のせいにならないか心配」
「名付けて『クリアエンジェル』ってとこですかね! 透明人間はズルいですよー、あんな魔具が出まわったら暗殺とか覗きとか横行しちゃいますし」
「いや、あれはエンジェル様自身の魔法によるものじゃないか?」
カルシェンツの魔法属性は『光』。魔具開発とは別に己の魔法修行にも力を入れていたのを半兵は知っている。
「以前メロス様と話しているのを盗み聞いたのだが、光の屈折を利用して他者の眼に錯覚を起こせないかと話していた」
「へぇ~、光の錯視ってやつですかね」
「ステルス迷彩とかなんとか」
難しい仕組みはわからないが、あそこまで人の眼を欺ける所まで昇華している事は素晴らしく、そして末恐ろしい。
光属性は治癒魔法も習得可能な有能属性と言われているが、攻撃面では発光で視界を眩ませるくらいしか聞いたことがなかった。
「天才、か」
「他にも隠してる技がありそうですよね。ていうか透明になれたら色々ヤバイ事に使えちゃうし本気で対策考えないと」
「ま、満蔵よりは見つけやすいから大丈夫だ」
「え? ・・・えっ?」
「はぁ、これまでよりも細心の注意を払ってジェノ様の周囲に眼を光らせよう。変態の魔の手からジェノ様を死守しなければ」
「ちょっと待って満蔵エンジェル殿より透明なの? 普通に居るだけなのに? そんなに満蔵見えてないの!? いや嘘ですよね!!?」
「・・・」
「嘘だって言ってくださいよ! 冗談だよって! ねぇちょっと! 無視はやめてください無視はっ」
魔法を一切使わずしてステルス迷彩を常備している男、服部満蔵。彼は一切問いに答えてくれない相方に嘆き続けた。
来た時通った吊り橋から落下するのもアリかも。流石に飛び降りては来れないだろうし。
「ジェノ様、追いかけてきている人物はカルシェンツ殿下で間違いないのですよね?」
「え、うん」
策を練っているとお姫様抱っこ状態のレミアーヌがニッコリと微笑みを向けてくる。魔法で羽の様に軽くしてある少女は重荷にはならないが、ちょこちょこ後ろを覗き込んで狙われるのであまり動かないでほしい。
「ジェノ様が仰るのであれば間違いないのでしょう・・・いつもいつも邪魔をしてきますが、こうして運命的な再会を果たせた私達の間を更に裂こうとするなんて、いい加減我慢も限界というものです」
「ん?」
「見えなくても私がジェノ様をお助け致します。あの醜悪大魔神から今こそ解放させてみせますわ!」
朗らかに笑ったレミアーヌはそれはそれは可愛らしく、女のジェノでも見惚れてしまう凛とした美しさを併せ持っていた。
首に抱き着く細く柔らかい腕がキツくなったかと思うと、耳の真横で鈴の音が高らかに宣言する。
「私はレミアーヌ・ブロンディス、ジェノ様を慕い、尽くす者ですわ。ジェノ様が嫌がっているのがわからないのですかカルシェンツ殿下! 愛しいジェノ様は私をお選びになったのです、潔く諦めてお帰りなさいまし!」
「え・・・」
「私がジェノ様を幸せにしますわ! 親友だかなんだか知りませんが私たちの愛の邪魔をなさるのはもうおよしになって。ジェノ様は親友ではなく愛を紡ぐ人生のパートナーをお求めなのです。こうして殿下から逃げているのがなによりの証拠ですわ!」
「や、ちょっ、レミアーヌちゃん!?」
「親友ならばジェノ様を困らせるのではなく、私達の恋仲を応援をすべきですわ。毎度毎度『大親友の私を通さなければジェノ君に会わせない』と身勝手な言い分で追い返して・・・腹立たしい事この上なかったですわ!」
「そうなの?」
「そうなのですジェノ様! 殿下は悪魔の化身、黄金の魔王、いえ、ゴールデン大魔神なのです!」
「お、おう」
ゴールデン大魔神カルシェンツ・・・ そいつは強そうだ。勝てる気がしない。
「なーにが天使のような美しさですか! 中身はどす黒くて常に周囲の者を馬鹿にして意地悪な事しか言わないくせにー! 氷の王子様なら氷の様に溶けてしまいなさいっ、このゴールデン大魔神め!」
チートプリンスゴールデン大魔神に歯向かうとは何と勇ましく無謀で果敢なんだレミアーヌちゃん。僕は君を過小評価していたらしい。守られるだけの大人しい儚い美少女だとばかり思っていたが、見えない刃が迫り建物や牛が吹き飛ぶ光景を目にして尚、ゴールデン大魔神を挑発する胆力はなかなかだ。
それにしてもレミアーヌちゃんカルシェンツの事嫌いなのか。婚約者になり得るけれど2人の間に甘い空気を微塵も感じない。ちょっと安心。
「やーいやーい、ジェノ様の華麗な走りを後ろから眺めているといいですわ! 私は身も心も一番近いジェノ様の腕の中で堪能させていただきます。ふふんっ、羨ましいでしょー」
「があぁあああっ、ぶっ殺す!!」
「きゃっ、髪が!」
ハサミが尋常じゃないスピードで繰り出され、ふわふわの前髪がスパッと切り落とされた。
そりゃそんだけ煽ったらキレられるよ。ぱっつん前髪も可愛いです。
「綺麗な髪の毛が全部なくなっちゃうから落ち着いて、ね?」
「はいジェノ様! ジェノ様は髪の毛短いのお嫌いですか? 長い方がお好きなら嬉しいです」
「いや、どちらでも・・・ この状況で聞く事!? っうお危な!」
この子大物だな。
「ふふ、ジェノ様耳の後ろに黒子がありますのね、また一つジェノ様の事を知れました。今日は史上最高の良い日ですわ」と頬を赤らめて笑っている。
君いま命狙われてるからね? 自覚ある?
「カルシェンツ殿下、ジェノ様は私の髪を綺麗と言って下さいました。つまり私の髪はジェノ様の崇高なお心を癒す事が出来たのです! どうです、私の勝ちですわね!」
「何が!?」
「グルルルルッ」
「不本意ながら殿下にお会いになる度に、『貴様のちんけな想いなど一生届かん、親友である私の圧勝だ、宇宙1素晴らしいジェノ君は私と生涯共にあるのだ』と馬鹿みたいにのたまっていらしたので、反撃したいのですわ」
「なるほど」
僕の知らない所で勝手な事言いやがって・・・あのやろう。
生涯って言葉を嬉しく感じてしまった自分はもう末期だなと考えたところで、視界に入った吊り橋に笑みを浮かべた。
「自分で言った言葉に責任もてよなカルシェンツ。生涯共にいるのなら、正気に戻りやがれ!」
枯れ木の間をすり抜けて吊り橋に足を掛ける。微かに浮いたまま中央付近まで進み、ふわりと浮き上がった。金属音と橋の軋む音が背後で響き、橋の10m程上にクモの巣型の幕が広がる。
避けようと横へ移動した最中、ジェノの身体が一瞬痙攣し止まる。次の瞬間、レミアーヌを抱えたままジェノは崖下へと落ちていった。
「くそっ、魔法の操作がっ!」
「きゃぁああああ!」
「っ!?」
急降下していく2人に一瞬固まったカルシェンツは、しかしすぐさま橋から飛び降りた。落下の浮遊感に強く目を閉じて抱き着いてくるレミアーヌを優しく撫で、後を追って一緒に落ちている友を見遣やる。
「助けてっ、カルシェンツ!」
「―――っ!」
声にならない声を聴いて、ジェノは両の腕を開放した。此方に向かって右手を差し伸べるカルシェンツの眼には、ジェノしか映っていない。
ああ、よかった。
すごい勢いで斜め上に飛んでいくレミアーヌの身体。魔法具のクモの巣に引っかかることなく空へ上がっていったのを確認し、ジェノは嬉しそうに笑った。
「ジェノ君!」
「カルシェンツ!」
ぐんぐんと地面が近づいてくる中、伸ばされた手を取り金色の布を抱き込んだ。思いのほかスルスルとした生地を手繰り寄せていると、黄緑色の力強い瞳がジェノを見詰めてきた。
「大丈夫、私が守るから。この命に代えても! 守ってみせるっ」
仮面を投げ捨てたカルシェンツが綺麗に笑みをつくる。記憶よりシュッとした頬のラインや男らしい指が大人びた印象を与えるも、安心させるように浮かべている笑顔は見慣れたもので、落下しながらムズムズする胸を感じた。
「・・・ありがとう」
魔法操作が出来なくなった振りをして落下し、カルシェンツの意表をつく作戦だった。追ってこなければ易々と逃げるだけだし、万が一飛び降りてきても空中戦なら問題なく制圧できる算段だった。
しかしカルシェンツはあれだけ執拗に追っていたレミアーヌちゃんに眼もくれず、ジェノに手を伸ばしてきた。ジェノの頭を護るように抱え込み、「大丈夫、大丈夫だよ」と囁き続けるカルシェンツに、不意に涙が込み上げてくる。
レミアーヌちゃんを空に逃がした時点で、僕の魔法が使えるって思わないのか? そのことに考えが及ばないくらい、落下した僕に動転してるのか?
「絶対に守るから・・・今度こそっ」
レミアーヌの殺害よりも、ジェノの救出の方を優先する可能性も考えてはいた。しかし実際に親友が深い谷に落ちたとして、何人の人が自ら助けようと飛び降りるだろうか?
何か助かる策があるのか、それとも自分をクッション代わりにしてジェノだけでも救うつもりなのか。どちらにせよ、ジェノは涙が出る程嬉しかった。
命に代えてでも守ろうとしてくれる存在に、静かに一粒の涙を流す。その雫は落ちることなく、ふわりと空中に浮かび上がった。
「やっとこっちを見てくれた。僕以外に眼を向けすぎなんだよ、もう」
「ジェノくん・・・」
「寂しいだろ、ばか」
ゆっくりと地面に足が付き、抱き合ったまま耳元で想いをぶつける。
顔を覗き見ると信じられないという表情で呆けているカルシェンツの間抜け面があった。
「最後騙したのは悪かったけど、全部カルシェンツのせいだからな? レミアーヌちゃん見過ぎ。ようやく再会したのに僕を無視して他の女の子ばっか追いかけるとかショックだったんだけど。あっ、あと本気で殺そうとしてただろ! 殺人犯になるつもりか! 器物損壊も駄目だからな、罪を償えよ」
「じ・・・ジェノ、くん?」
「ん? なぁに?」
「・・・ジェノくん・・・じぇのくんっ」
「だから何だよ?」
「ジェノ君!?」
驚愕の表情に変わっていくカルシェンツに小首を傾げると、震える指が恐る恐るジェノの頬に触れた。
「・・・ほん、もの」
「ん?」
「本物の、ジェノ君、だ・・・・・・ ぃや、いや・・・いやいやそんな、そんなはずはないっ!」
「は?」
急に取り乱し始めたカルシェンツは肩を両腕でぐっと掴んで覗き込んでくる。
え、僕が本物のジェノか疑ってんの?
谷底は淡く光る苔に覆われ、夜だというのに互いの些細な表情が視認できるくらい明るい。
落ちている最中もあまりの長さにおかしい気がしていたが、どうやらジェノが目指していた吊り橋とは別の橋だったらしい。夜道の森で方向感覚が狂ったのだろう。此方の谷の方が遥かに深い。下に流れているはずの河は無く、結晶石らしきものがそこら中に散らばっていた。
「ジェノ君が目の前にいるはずがないんだ。いちゃいけないんだ、私の傍に・・・でも」
見目麗しい顔が数センチの距離まで近づき、思わず目を瞑る。息遣いを皮膚で感じ、ジェノの心臓は爆音で鳴り響く。
近い近い近いっめっちゃ近い!
「ジェノ君だ。私にはわかる・・・本物だ。今までの偽物とは雲泥の差だ。本物の親友のジェノ君だと、私のジェノ君レーダーが告げている! 間違いないっ」
何だそのレーダーどうやって搭載したんだ。それに偽物って? そんなのいるの?
「僕のドッペルゲンガーでも存在してるのか?」
「ジェノ君のドッペルゲンガー、是非会ってみたいな」
「僕がそいつに会ったら死ぬんだろ? ・・・鉢合わせる前に暗殺依頼とか出さなきゃな」
「かっこいいな、流石はジェノ君だ」
「おい、それより僕の偽物ってな」
「はぁあうあっ!?」
唐突に猫の様な動きで後方へ飛びのいたカルシェンツは、頭を抱えて瞳を揺らしている。
急にどうした?
「ジェノ君と・・・ジェノ君と話している!」
「え」
「私は今ジェノ君と話しているのか!?」
「あ? う、うん。さっきから喋ってるだろ」
「そんなバカな! 大好きなジェノ君と話しているなんてそんな夢のような事があるなんて――・・・っは、そうか、これは夢か」
「夢じゃねーよ! てかだっ、大好きとか言うな! っもう」
「大好きなジェノ君に大好きと言うのは自然の摂理だから仕方がないよ。ジェノ君を大好きじゃない時などありはしないのだから」
「うわぁ、ちょっ!」
待て待て待てまてまて待てっ落ち着け自分。深い意味はない、深い意味はないんだきっと! こいつは深く考えもせずに『親友のジェノ君大好き!』って感じで使っているんだ。特別な意味などそこには無い。恋愛感情などそこにこれっぽっちも存在してないから浮かれるなトキメクな喜ぶな自分!
「と、とにかく、僕は本物でこれは夢じゃない。会っちゃいけない事になってるらしいけど会いに来たんだ。僕が、その」
「ジェノ君」
黄緑色の苔の光が優しく周囲を照らし現実のものとは思えない幻想的な空間で、ジェノは真っすぐにカルシェンツを見据えて言葉を紡いだ。
「カルシェンツに、会いたかったから」
少し恥じらいながら胸に手を当て、赤く染まっているだろう頬の熱を感じながら、微笑む。
「会いたくて会いたくて会いたくて、すっごく会いたかった!」
「!」
急に襲われてそれどころではなかったが、ジェノはカルシェンツに会えて嬉しかった。
姿を見たかったし声を聴きたかったし、触れたかった。
触れられる距離にいない事が、ムカつくくらいの美声が聞こえてこない事が、うざったくて馬鹿な事して変態行動をとる姿が見えない事が、苦しかった。
「我慢できなかった。だって・・・だって、僕たちは一緒にいるのが自然なんだから・・・そうだろう?」
「――っ」
朗らかな、花が咲いた様な満面の笑みが自然と浮かんでしまう。
ただただ、会いたくて仕方がなかった。
ジェノは、広がった距離を詰める様にゆっくり歩いて行く。
その間カルシェンツは微動だにせず、信じられないものを見るかのように立ち竦んでいる。今傍にいる事が嬉しいジェノは、気にせずに柔らかい彼の髪をくしゃりと掻き混ぜた。
「髪、伸びたね」
「ジェ、ノく」
上手く言葉が出ない様子に優しくポンポンと撫でる。
彼と二回目に会った時も、こんな風に頭を撫でた気がするな。ああ、身長伸びてる。あの時は面倒くさくて厄介な子だと思ってたのに、こんなに好きになるなんてなぁ。ふふ、不思議。
相変わらずのフワッフワのねこっ毛が可愛いくて、つい目や口元が緩んでしまう。
僕はいま、蕩けきった顔をしてるかもしれない。それを恥ずかしいと思うよりも、傍にいる事が嬉しくて止めることが出来ない。
「僕も、カルシェンツが好き」
「っ!」
「大好きだよ」
周囲の光が幻想的な景色を作る中、瞳を見開き固まる王子様の姿がマッチしてなくて笑ってしまう。普段なら一番似合うくせに、驚いた顔が幼い。
後ろで束ねた髪が肩以上に伸び、身長も差が広がって見上げる形となっている。成長したカルシェンツは想像以上に男らしく、色気が増していた。
結構筋肉増えてるし、ちゃんと鍛えてるんだな。今や天使というよりは大天使ミサエルって感じだ。ミサエルさんを見たことないから適当だけど。
「・・・・・・」
はくはくと口が動くも声が出ないカルシェンツの顔が、みるみる内に真っ赤に染まっていった。ここまで茹でダコみたいに赤面する様は見た事がない。
「・・・っ、ぁ・・・っつ」
「カルシェンツ?」
胸を掴むように両手で服を握りしめ苦しそうにする姿に、徐々に不安になってくる。
「苦しいのか? どうした?」
「――・・・」
「大丈夫?」
口を押え真っ赤になって震えているカルシェンツはブンブンと頭を縦に振るが、とても大丈夫そうには見えない。心配して背を擦るとビクッと体が跳ねた。
「本当に大丈夫? えっと、僕が普段言わない様な、大好きとか言ったから?」
「っく!」
あからさまに『大好き』という単語に反応し、俯いていた顔がバッと上がる。目が合うと更に赤みが増し、黄緑色の宝石の様な瞳が熱を孕んだ。
うっわ、エロ。ヤバイなにこれ目が潰れる。
何かを期待するような、耐えているような、嬉しくて叫びだしそうな、それでいてどこか辛そうな、そんな妙に心を揺さぶってくる熱い眼差しに心拍数が上がる。
「!?」
次の瞬間カルシェンツの身体が発光し、物理的に目が潰された。
「ぎゃあっ、チカチカするぅ!」
「っごめ、ぅぐ」
「あ、あれだぞ! 大好きっていうのは親友としてって意味で、別に変な意味はないっていうか、そのあれな気持ちはないっていうか、友情がその爆発したっていうか、べべべ別に他の意味なんてないんだから、あの・・・勘違いするなよ!?」
特大のツンデレが飛び出す。
仕方がないんだ。大天使にあんな目で見られて平気でいられる者などいない。あれは反則だ。何だこいつ。好きだ。急に発光するな。
「・・・・・・っ、・・・うん、大丈夫。ありがとう、ちゃんとわかっているよ。 ・・・私たちは誰もが羨む宇宙一仲良しの最高の親友だもんね。あまりの衝撃に思考がショートしてしまって」
「お、戻った?」
「うん・・・うん・・・ちっょとびっくりして、ごめんね。その、まさか本物のジェノ君が会いに・・・私に会いに・・・」
「おう?」
「会いたかったって言ってくれて、実際に会いに、来てくれてっ、それで何故か知らない場所にいるし、あれ何でそもそもこんな所にいるんだ? まぁいいか、本物のジェノ君がいるならそんな事はどうでもいいんだ。えっと、私も会いたくて会いたくてずっとジェノ君の安否を願っててでも会えなくて辛くて辛くて頭がおかしくなりそうで何も考えられなくなってでもジェノ君の事だけいつも頭にあって会いたくて触れたくて堪らなくてっ! でもいつも会いにくるジェノ君は偽物でジェノ君はいっぱいいるのにジェノ君はいなくてジェノ君じゃないのに僕たち親友だろって言ってきてジェノ君の皮を被ったジェノ君は私に優しくてでもジェノ君じゃないなら私は、私はいらない。ジェノ君以外いらない」
発光した状態のまま静かに話すカルシェンツは、穏やかな顔をしていた。思いを、会えなかった時の気持ちを聞いてもらえて嬉しいと微笑んで、ジェノが混ぜて崩した髪にハニカミながら触れている。
「さっきの、凄く衝撃的でビックリしたんだ。冬の合宿の時の、覚えてる? 嬉しさを抑えられなくて今みたいに発光した時の事。あれを上回る衝撃が全身を巡って、息すら出来なかくて血も水分も沸騰して血管がぶち切れたかと思ったよ」
「衝撃?」
「心配かけてごめんね、もう大丈夫だよ。今も心臓からラッパを吹き鳴らす獰猛なキマイラがぶち破ろうかとしているんじゃないかと思うくらいだけど大丈夫。いや、やっぱり死んでしまうかもしれないな。光線銃が飛び交ってピカピカしていたり灼熱の太陽がいつもジェノ君の背後に見えていたけれど、さっきから周囲でビックバンが巻き起こってて星が消滅しているんだ! 青い星も紫色の星も緑の星も。だけどそれと同時に新たな星が生まれている。ピンク色や赤色、金色や虹色。そしてジェノ君にオーロラが降り注いでいる。綺麗だよジェノ君、言葉で表せないくらい。綺麗だ・・・ああ、やはり君はジェノ君なんだね。だってこんなにも神々しい」
「そ、そうですか」
何言ってんだこいつ。
「私はきっと新たな扉を開いてしまった。ジェノ君の後光が私の眼を焼き尽くし、脳や心を浄化してしまう。このままでは私は死ぬんじゃないだろうか!? ジェノ君、どうしらいいのだろうか!」
「病院行こうぜ。今すぐ王子様の権力使って大陸一の脳外科医を召喚して壊れた頭を手術してもらおうぜ。僕付き添うからさ」
「ふふふっ、ジェノ君は相変わらず菩薩の様に優しいね。まだまだ遊びたいし一緒に行きたいところもいっぱいあるしやりたい事も星の数以上にうじゃうじゃあるから気合で生きるよ! たとえ死んでも生き返って見せる。だからそんな悲しそうな顔をしないで?」
「これは親友の頭を憐れんでいる顔だ」
「はうっ、慈愛に満ちた憐れむ表情も眩しすぎるなんてジェノ君は輝いていない瞬間はないのかい? なんて子なんだ・・・流石人間を超越した至高の存在!」
「現実的に輝いてる奴に言われたくないわ! いい加減その発光を解けよ」
「ああ、解きたいのは山々なんだけどね? 私の意思では解除出来なくて・・・ずっと暴、そぅ・・・こんな、の初め・・・て」
「カルシェンツ!?」
突如魂が抜けたように膝から崩れ落ちた体を抱きとめた。瞼と形の良い唇が小さく震え、指がジェノの服を掴んでいるが握力が殆どない。無理しなくていいと声を掛け、首に手を当てた。
脈が弱い!
くそ、魔法が暴走していたのに気付かなかったっ。こんなに近くにいたのに、ベラベラ喋ってて変なのはいつもの事だと油断してた。魔法が意思とは関係なく発動したらどんな作用が起こるかわからなくて危険なのに、気付かないなんて僕は何やってんだ。元々おかしくなってるカルシェンツの異変を一番に察知して対処しなくちゃいけなかったのに!
魔法の脅威を知っていながらの体たらくに、ジェノは自分に腹が立って仕方なかった。
「僕の馬鹿っ・・・ くそ、すぐに助けるからなカルシェンツ! ごめんなっ」
気絶して昏睡状態の身体を抱きかかえ、遥か頭上の谷の入口を目指して飛び立った。
この間、レミアーヌちゃんはお空に浮かんでいます。
❋前書きに前回のあらすじのようなものを付けてみました。最新話を更新したタイミングで古いあらすじは消去していく予定です。
お読み下さり、ありがとうございました。




