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 膝を曲げ、迫り来る水の流れを読む事に集中する。動かしやすいように胸の前に上げた手をゆっくりと掲げ、ジェノは鋭い瞳を二階で手を振るカルシェンツに向けた。少女の熱い眼差しを受け、親指の爪を噛んだ少年は「ハア・・・ハアッ」と頬を染めながら階下を見下ろす。

 

 「王子様ぁ、悶えないでくださいよー。やばい変態ちっくです」

 「黙れヒョウン。そういえばお前先程ジェノ君の手を握っていたな・・・私が気づいていないとでも思っていたのか?」

 「げっ・・・いや、あれですよ?転びそうになったから手を添えただけでー」

 「問答無用だ。例えどんな理由があろうと私のジェノ君に触れる事は許さん。減給+1年間の王城潜入調査だな」

 「ふぁっ!?ちょっと待ってください!潜入調査だけは嫌ですっ、ベリオン様の傍にいられないじゃないですか!しかもあんなギスギスのドロドロな城に行くなんて冗談じゃないですよ!」

 「月に一回は密偵の報告をベリオンに伝えろ。良かったな、優良な情報を持ち帰れば褒めて貰えるぞ。頑張ってくれたまえ」


 ごにょごにょと話している二人を玄関ホールの階下から眺め、ジェノは手に持っている箸をブンブン振って頬をプクーっと膨らませた。

 もう!なにしてるんだよー 早く開始してくれよな!

 無表情なカルシェンツと興奮気味に嘆くヒョウン。そんな彼等を竹の角度を微調整しているベリオンとタイレンは不思議そうに見上げて首を傾げる。


 「カル!お兄様はお腹が空いてきちゃったよ」


 「王城に帰って食べたらどうです?誰もラーギュント殿を夕食に誘っていませんよ」

 

 「ねぇカルシェンツ、僕もお腹すいたー」


 「あっごめんねジェノ君!今すぐ私が満たしてあげるね。さぁ行くよ、私のハートをガッチリ受け止めておくれ!」


 「あれ、おかしいな・・・親友とお兄様で随分態度に差がある気がするんだが、私の気のせいだよね?カルはお兄様大好きだよね、ね?・・・ちょっと無視しないでぇ!」


 面倒臭いカルシェンツとラーギュントの兄弟は放っておき、ジェノは良さげなポジションを確保するために竹の下を潜って移動していく。

 だだっ広い玄関ホール全体を使って設置された超ロング『流しそうめん』にテンションが上がり、階段途中の流し場からそうめんが向かって来るのを今か今かと待ちわびた。散策から戻ったジェノを出迎えた竹で出来た長い道は、使用人達による作業の賜物だ。

 ホール中央を横断している竹は蛇の様にしなやかにカーブし、詰まることなく白く細い束を運んでくれる。


 「とったー!僕流しそうめんって初めてなんだ。面白いですねベリオンさん!」


 「ジェノ君の初めて・・・なんて良い響きだ。私はもっとジェノ君に初めての事を経験させてあげたいよ!ふふふっ、私が未知なる世界へ誘うから安心して身を委ねて任せてくれたまえ!」


 「カルシェンツうるさい。僕はベリオンさんと話しているんだ」


 「ジェノ君、私の流したそうめんの味はどうだい?心を込めて混ぜて練って打って切って茹でて流した私特性のツルツルそうめんの喉越しは!親友への言い表せない増大な愛が詰まっているそうめんの感想は!」


 人の話し聞けよっ、せっかく美味しいのに吐きそうになる様な事を言うな!それに流したそうめんと共に一々僕の所にやって来るの止めてくれないか?究極にウザイぜ。

 背中を押して階段へ押しやると「そんなに私の流した愛情たっぷりそうめんが食べたいのか!」とニヤニヤされる。


 「はっはっはっ、お兄様はカルの愛を堪能しちゃうよ!いただきまーす・・・ぐはっ」


 「ラーギュン殿、貴方が食べているのはヒョウン特性の激辛デストロイそうめんだ」


 真っ赤な色したそうめんが床に飛び散り、ラーギュントが口を抑えトイレへと消えていった。

 あの色は食べる前におかしいと気づくべきだろう。あ、そうめんは別大陸の食べ物だから初めてだったのかな。

 壁際でベリオンの肩に乗っているキウイにそうめんをあげているタイレンは、騒がしい玄関ホールを見回し「平和ですなぁ」と微笑んでいる。


 「あっ、王子様!次流すのってベリオン様が作ったのですよね。第一の部下として絶対に受け止めてみせます!」


 「えっ、僕もベリオンさんのそうめん食べたい!カルシェンツ、優しく流してよー」


 「・・・・・・」


 水流が緩やかな時はするっと箸で掬えたが、急激に水の勢いが増してスピードに乗ったそうめんは無常にも目の前を通り過ぎ、玄関外に置かれた最終地点のザルに受け止められた。

 おい・・・いままでと速さが桁違いなんだが、何だコレ。尋常じゃないスピードだったぞ。


 「駄目だよー ジェノ君。私のそうめんしかお腹に入れちゃいけないって法律で決まっているんだからね」

 

 「どんな法律だそれ。そんなクソみたいな法律この世にあってたまるか!」


 絶対にベリオンさんのを食べてやる!そう意気込んだジェノだったが、結果は理不尽な法律を破る事が叶わずに一本も取れないまま終わった。ザルに吸い込まれていった輝くベリオン特性そうめんに向かって、ヒョウンは崩れ落ちながら手を伸ばし「カムバーック!」と叫んでいる。

 ぬぅぅうう、流しそうめん初心者の僕はまだレベル1の段階か・・・いずれは肉眼で捉えきれない速さでもシュバァアッと掬える様に鍛えよう!

 

 熱い決心をするジェノの後ろで使用人達がコソコソとザルに溜まったそうめんを分け合い、「サッパリしてて良いですねー」と和やかに談話していた。時折「ぐはっ!」とか「辛ぁぁああー」と聞こえるのは赤いそうめんに当たった残念な者達だろうか。

 

 そんな賑やかな夕飯を終えると、帰り際のラーギュントにガシッと肩を掴まれ謎の宣言をされる。

 「私とジェノ殿はカルを巡る好敵手だ!親友だという事は認めるが最愛の弟の一番の座は譲らないぞ、また会おう」

 いやいやいや、一番の座とかどうでもいいんで即座にお譲りします。満足そうに去って行くな、兄弟揃って人の話を聞かない奴らだなっ!

 最後まで喧しいお兄さんだったが・・・まぁ、楽しかったからいいか。




 後片付けを手伝い部屋へ戻ると、お腹を摩りながら満足気にふかふかベットに倒れこむ。


 「お風呂も用意してあるから後のお楽しみだね!さて、枕投げでもするかい?」


 「いや・・・その、んーと」


 起き上がったジェノはベットに腰掛けたカルシェンツに近づくと、言いづらそうにもじもじと両手を合わせた。どうしたのかと不思議そうに見つめて来る少年の首を、ぐいっと引き寄せ耳に口を寄せる。突然の事にカルシェンツの身体が硬直したのが手の感触でわかり、自分から近づいておきながらジェノの胸はドキリと高鳴った。


 「そうめん美味しかったし楽しかった。ありがとうな」


 「――っ!ジェノ君・・・」


 自分の為に計画を立て、色々用意してくれていたカルシェンツに素直にお礼を言っていなかったと思い出し、時間が経って恥ずかしかったジェノは顔を見られない様に耳元で囁いたのだ。かなりの密着状態での唐突なデレ発言に、カルシェンツは「耳があぁ!」と奇声を上げてベットをのたうち回る。

 

 「ぬぐわあぁぁああ!耳がもげるぅー、熱い熱い熱い!溶けるぅう、はぁああああー これは反則だよジェノ君!」


 「急に発狂するなよ、怖いだろ!何が反則なんだ、意味がわからん」


 「私の耳にジェノ君の吐息がぁっ!うぅ~耳がゾクゾクするっ。はぁ はぁ、ジェノ君のせいで鼓膜が蕩けるところだったよ・・・デレの破壊力、恐るべし。さて、我が大親友よ・・・もう一度今のをお願いします。優しく労わる様にフーって、ふぅぅう~って!」

 

 耳を抑えながらベットをゴロゴロ転がっているカルシェンツをスルーして立ち上がると、タイミングよくベリオンに手渡された黒色の軽い枕を次々に投げつけた。

 こいつ、本気で黙ってくれないだろうか。何で常に変質者っぽいんだ?たまには他者に向ける様なクールな態度を僕の前でしてほしいのだが、それは無理なのか?うん、無理だな。

 

 顔面に直撃したカルシェンツは目を輝かせてベットの上に立ち、思いっきりベリオンの腹に枕をぶつけて笑う。

 

 「テイク、狼煙を上げろ」

 「火蓋は切って落とされた!皆の者、戦の準備だっ。配置に付け!」

 

 部屋の隅で待機していたタイレンが突然声を張り上げると、廊下の方で何やらゴソゴソと忙しない物音が聞こえてきた。

 へ?なになに、何事だ一体。

 呼ばれてゆる~く登場したヒョウンも加わり、カルシェンツが強引に決めたチーム分けでいきなり『枕投げ』がスタートする。ジェノ&カルシェンツのお子様チーム対ベリオン&ヒョウンの護衛隊チーム。

 

 ルールはベットを挟んで二つの陣地に分かれ、5回枕が当たった者は退場となる。シーツ等でガードをすればセーフなので、相手が枕を投げる瞬間が攻撃の狙い目だ。

 審判役のタイレンの合図で無数の黒い枕飛び交い、目が追いつかずに早くもバフッと当てられてしまった。大人の腕力から放たれる尋常じゃないスピードの枕を目の当たりにし、よけられない事を悟ったジェノは小ささを活かしてベットの陰に潜む。大量に転がっている枕を集めて隠れながら不意をつく作戦だ。

 

 手に汗握る白熱した試合展開に四人共夢中で枕投げを楽しんでいた。しかしジェノは投げようとしていた手をピタリと止め、息を整える。

 ・・・おい、2対2のバトルにも関わらず「ジェノ君に当てたら死刑だ」というカルシェンツのバカな発言のせいで全く枕が飛んでこないんだがっ、どういうことだこれは!


 「この野郎、おのれカルシェンツ!くらえ必殺っ、トロピカルジェノバズーカ砲三号!」


 「うぎゃあああああぁ―・・・ふっ、ジェノ君のバズーカ砲にやられて死ねるのなら本望だ。我が人生に一片の悔いなし!後は託したよ・・・親友、よ。パタッ」


 カルシェンツはジェノの手を握りながら芝居ががった死に方をし、すぐさま「だがジェノ君を独りきりにするわけにはいかないっ。不死身の大親友復活!」と叫んで起き上がった。

 お願いだからそのままずっと寝ていて下さい。途中から味方のカルシェンツに枕をぶつけ出した僕は悪くないはずだ。

 嬉しそうにジェノにバシバシ枕をぶつけられる少年は、目を疑う程の俊敏さでベリオンとヒョウンの枕は全て回避していった。

 こいつ凄いのか気持ち悪いのかわからないな・・・よし、凄く気持ち悪い奴って事にしておこう。

 

 カルシェンツの尋常ではない運動能力を再確認し、大量の汗を掻いたジェノは冷静に状況を確認する。

 次から次へとドアから投入される枕は一体何個用意しているのか。いや、それよりも何故ベリオンさんが投げた枕に味方のはずのヒョウンさんが業と当たりに行っているのだろう?

 晴れやかな笑顔で立ちはだかる部下にベリオンは困惑し、天井スレスレの山なり投球を試みている。もはや試合はグダグダだ。

 

 ヒョウンさんてベリオンさんの役に立ちたいのか邪魔をしたいのかよくわからないな。

 ぶつけられた時の満面の笑がなんだか狂気じみて見え、ジェノは目を合わせないように視線を逸らす。

 ふぅーさてさて、この汗をさっぱりと洗い流したいんだがどうしたものか。カルシェンツと一緒にお風呂に入るのだけは絶対阻止しなければならないし、何かいい策はないかな。


 今後の展開に頭を悩ましていると、部屋に妙にオドオドした使用人の男性が謝罪しながら入ってきて枕投げが中断される。

 あ、プールでヒョウンさんに肘鉄された人だ。


 「たったたた大変申し訳ないので、でっすがお、お、お客様がおみえおみおみ、お見えしておりますでございますですます」

 「落ち着けガンディオロウグス。ゆっくり話すのじゃ」

 「はっ、はいテイク様!も、門の外にっ、モーズリスト家の者だと名乗る人物がお見えです・・・ど、どうなさいますか?」


 ん?うちの者が来てるのか?

 話しを聞くと黒のフードを目深に被った細身の二十代と思われる男性が一人で訪れ、カルシェンツと話がしたいと言っているらしい。モーズリスト家には当てはまる者が数人いるため、誰のことだか分からない。


 「本当にモーズリスト家の者なんですかね?成り済ましの可能性もあるんじゃ」

 『私が行って参ります。使用人の方々の顔は存じていますからもしもの場合対処出来ますし』

 「・・・うむ、私も近くまで行こう。万が一メロスのおじ様だった場合出迎えねば失礼だ」


 通常貴族の当主が夜中に一人でやってくるなど考えられないが、突飛な行動をとるメロスに限っては絶対ないと言い切れない。基本的な常識が通じないからな。

 正体不明の謎の男に会いにベリオン、ヒョウン、カルシェンツの三人が部屋を出ていき、安全対策のためにジェノは屋敷に残された。

 

 一体誰がこんな夜更けに来たのだろう?だが、それよりも・・・

 気になりつつもジェノは別の事に頭を巡らす。手早く自分の荷物を漁り、タイレンに断りを入れて駆け足で5階西棟奥に位置するある場所に向かった。

 これは絶好のチャンス到来だ。カルシェンツがいない今、なんとしてもお風呂に入ってみせる!

 

 「もしカルシェンツが戻ってきても、僕が風呂場ににいるって事は言わないでもらえませんか?」

 一人でお風呂場に向かうジェノに戸惑っている様子のタイレンは、怪訝そうな顔をしながらも頷いてくれた。

 

 キィー・・・パタン。

 オレンジの照明で暖かい雰囲気の脱衣場は和の雰囲気で統一され、モー銭湯の影響を色濃く受けて造られたのがわかる。誰もいない広々とした浴場は、品のある装飾と星空が堪能できる大人な空間だ。

 

 紺色の細部に拘ったシャワーノズルを手に取り身体を清め、備え付けの泡立ちの良いシャンプーを使った。サウナや効能の違う五つの浴槽を見渡し、肌に良さそうな緑色のお湯に浸かったジェノは感嘆の溜息を付く。どうやって引いてきたのかは謎だが三つのお風呂には温泉の表記がされており、王子様に不可能は無いのだなとつくづく感じる。天井部分が一部開放され、こぼれ落ちそうな星の煌きを目に焼き付けた。


 「頑なにカルシェンツと一緒に入りたがらないの・・・不自然に思われたかなぁ」

 タイレンが付いて来ていた手前男風呂に入ったが、大丈夫だろうか?執事長が廊下で待機しているし、客人である僕と一緒に入浴しようと考える人は普通いないよね。

 今日一日の疲れを取るようにブクブクと下に沈んでいき、ずっとグルグルしていた頭を休める。

 ――何で、バレたんだろう。


 『黒にゃんにゃんの秘密ってぇー・・・もしかして、女の子だってことですか?』


 出会って一日ぐらいの人に言い当てられたのは初めてだった。

 何かバレるようなミスを犯したのだろうか、それとも本人の言う通り彼が異常に鋭いだけなのか。


 「ぐうぅぅうう―っ!」

 最近カンバヤシやゴッデスに『雰囲気が柔らかくて可愛くなった』と言われ、オババ様に『恋する乙女はキラッキラじゃのぉ~』と背中を叩かれた事を思い出す。

 まずい・・・これはマズイぞ。自分では気が付かないが、何か僕に変化が起こっている。

 雰囲気? 

 顔? 

 態度?

 恋をした影響なのか、それとも身体が大人に成長する過程で『女』の部分が濃くなってきた為か、今までと何かが違ってきているのかもしれない。

 はぁ、ヒョウンさんが鋭すぎるだけって事にしときたいな。まぁカルシェンツにもバレる日がいずれはくるんだけどさ。


 「・・・・・・あがろ」

 外門に出向いたカルシェンツが戻ってくる前に部屋に戻っておきたい為、あまり長居をせずに五つの風呂全てに浸かってから脱衣所に向かった。


 『――ん』

 しかし着替えようと服に手を掛けた瞬間、聴き慣れた音が遠くから聞こえ身体がピクンと反応する。

 今・・・なにか聞こえた?

 

 『――ェ―くぅん』

 微かに聞こえる少し高めの声に嫌な予感が全身を駆け巡り、警鐘が頭に鳴り響く。急かす気持ちとは裏腹に焦った頭では思い通りに身体を動かせず、余計に追い詰められていった。

 『ジェノくーん、ジェノくーん?ジェーノく~ん・・・ジェノ君どこぉ!ジェノ君ジェノ君ジェノくーん!』


 ノオォォ―――!!

 自身の名を連呼しながら徐々に近づいてくる魔の呼び声に背筋が凍り、手にしていた布を放り出して木製の扉に駆け寄った。廊下の向こう側、階段を上がった付近から聞こえ、このままでは間違いなく風呂場にも探しにくるだろう。

 

 「ちょっ、あれ?おいおい、嘘だろぉ」


 何で・・・何でここの扉鍵が付いてねぇーんだよっ!?普通ドアノブの下に設置するだろ、着替える場所だぞ!

 鍵が見当たらないという予想外の展開に、ジェノは一瞬で蒼白となった。しかし実はこの扉、一番下の部分に床に差し込むタイプの鍵が付いていたのだ。

 だが残念な事にパニック状態のジェノはそれに気づけず、ただただ扉が開かない様に体重を預ける事しか出来なかった。

 

 ガチャガチャッ

 「ああジェノ君、ここにいるんだね?も~そんなに待ちきれない程お風呂に入りたかったの?待たせちゃってごめんよ。さぁ扉を開けてくれ!」


 グググッ・・・

 「違う、人違いです。ジェノハココニハイマセン オカエリクダサイ」


 「ふふっ何でカタコトなの?先に行ったことは怒ってないから心配しないでいいんだよ。早く二人で汗を流していまおうよ・・・開けて?」


 ガチャガチャガチャガチャッガチャガチャ

 「――っ!」

 この瞬間、ジェノは判断を大きく間違った事に気が付いた。最初に声が聞こえた段階ではシェンツとはまだ距離があり、すぐさま扉を抑えに行くよりも服を持って備え付けのトイレに篭ってしまえば良かったのである。

 うっわぁー 僕とした事が痛恨のミス!あまりも名前を連呼されて恐怖でパニクってしまった。あいつ何回人の名前呼んでんだよっ、めっちゃ怖かったわ!


 「ねぇどうして開けてくれないの?ほら、親友を中に入れておくれ。約束通り鎖骨を洗ってあげるからね!」

 

 「そんな約束交わしてねぇーよ!ちょっ、待て、落ち着け!一旦引け、そして去れっ」


 「モー銭湯では一回も一緒に入ってくれないから寂しくてね。ジェノ君が喜んでくれる姿を想像しながら試考錯誤して造ったんだよ」


 ガチャガチャと音を立てて回されるノブを握り込み、押し迫ってくるドアを全力で押し戻す。一瞬でも力を抜けば開け放たれる扉に恐怖を抱き、ジェノは歯を食いしばった。カルシェンツの声音は穏やかだが、手元のノブはどんどん激しさが増している。

 マズイ、この状態はマズイぞおい。

 踏ん張りがきかずジリジリと後退していく足にそう長く持たない事を悟り、ジェノは舌打ち混じりに曇りガラスの向こうを睨んだ。


 「私はこのお風呂イベントを一番楽しみにしていたんだ!ジェノ君、星を眺めながら精魂尽きるまで共に泳ぎまくろうじゃないかっ、開けたまえ!」

 

 「無理無理無理。なんだお風呂イベントって、そんなの起こしてたまるか!それに― 僕、もう風呂入っちゃったぞ」


 「・・・・・・え?」


 カチャカチャ・・・カチッ

 ひっきりなしで回されていたドアノブが停止し、扉の向こう側から息を呑む気配が伝わってくる。

 一言も発さず大人しくなったカルシェンツに「これはチャンスだ」と思うものの、ジェノは一切動かずに更に緊張を高めていった。


 相手が動かないなら着替えに行く絶好の好機。だが不気味な程の静けさにジェノは硬直し、変に乾いた喉をゴキュっと鳴らした。

 これは、嵐の前の静けさだ。

 その証拠に、カルシェンツの傍に待機しているであろうベリオンさんに乗っているキウイが、聞いたことの無い金切り声を上げて怯えている。

 ああ、恐ろし――


 ゴガッ!

 「ひっ!?」


 ガガッチャガチャゴガチヤガッガツグゴッガヤャガチャガガッ、ドッガチチヤャドンッ!


 「お、おい?カルシェンツ!?」


 ズガチャッガチガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガガッドガチャズガッ!ゴドッガチャガチャガチャガチャゴッガチャガチャガチャガチャッ・・・ガンッガンッ、ガンッ!チャガチャガチャガガガッガツグゴッガヤャガチャガガッ


 うぎゃぁぁああああ―  殺されるぅう!

 狂ったように回されるノブを死に物狂いで押さえ込み、連続する音の恐怖に耳を塞ぎたい衝動を必死に抑える。

 

 「待って待って、今はマジでまずいから本当に待って下さい!お願いだから止まってくれカルシェンツ!」

 

 ここで手を放してはいけない、足の力を決して抜いてはいけない。なぜなら、なぜなら僕は今・・・

 ほぼ『全裸』だからだ!

 下着は身につけているがそれ以外は裸も同然だ。好きな奴に素っ裸見られるなんて絶っ対に嫌だ。女だとバレたくないのもあるが、何より恥ずかし過ぎる。誰か本気で助けて下さいっ。

 

 ベリオンさーん!と呼んでも反応はない。声が聞こえていないので当たり前だ。タイレンの動きも先程から感じないので、カルシェンツが来た時に別の仕事に行ってしまったのだろう。状況は最悪である。しかし、本来の力差ならとっくに扉は破られているはずなのだが――

 

 何故か体力が限界な今、力が拮抗していた。

 おおっ、これは噂の『火事場の馬鹿力』というものか。あのカルシェンツと渡り合えるとは、僕って結構凄いな!

 

 しかしよく下を見ると、踏ん張っている軸足が床にめり込んでいる。乙女心の危機に自動的に魔法が発動していたらしい。

 いつも危ない所でいい感じに助けてくれる魔法さん、ありがとう。最初『重力』とか地味だしあんま使えなくね?とか言って馬鹿にしてごめんよ。これからも修行を怠らないように努力させていただきます。

 毎度ピンチになると勝手にフォローしてくれる自分の魔法に感謝し、今の内に何とか状況を好転させる作戦を考える。


 ガチャガチャガッドガチャズガッゴドッガチャガチャガチャ!ガチャゴッガチャガチャッ

 

 「っなんだベリオン、邪魔をするな。私はジェノ君と風呂に入らねばならんのだっ、離せ!おいっ」

 「これ以上の狼藉はおやめくださいカルシェンツ様!ジェノ様が怯えてしまいますよ、嫌われてしまってもいいのですか?一度下に降りましょう」

 

 お!ベリオンさんが止めに入ってくれた。いいぞ、もっと言ってやって下さい!

 よほどの事がない限り『声』を出さない様にしているベリオンだが、ストーカーの加害者と被害者の図に黙っていられなくなったのだろう、身体を張ってカルシェンツを静止している。彼が声を出してカルシェンツに注意してるのをジェノは初めて見た。

 ベリオンさんの説得でカルシェンツが諦めてくれればいいが・・・無理だろうなぁ。

 第二波が来る前にトイレに――


 「ジェノ君が私を嫌うはずないっ、我々の友情は不滅だ!二人でお風呂、に入・・・っ」

 「カルシェンツ様?」

 「あぁそうだな・・・下に行こう。来いベリオン」

 

 「へ?」

 唐突に遠のいて行く足音に理解が追いつかず、ジェノは間の抜けた顔で掴んでいたノブから手を離した。油断させてもう一度ドアを開けに戻って来るのかと警戒し、暫く様子を伺っていたのだが一向にその気配はない。

 あれ、本当に階段降りていった?まさか自分の奇行に気づいたのか?いや、カルシェンツに限ってそんな事はありえないだろう。ベリオンさんも戸惑ってオロオロしてるしてるし・・・一体全体どうしたんだ?


 

 

 その後戸惑った表情のベリオンと階段を降りていくと、四階の薄暗いバーカウンターの席にカルシェンツが腰掛けているのが見えた。ここ四階は娯楽ルームが多く、ずらりと並んだビリヤード台や最新機種のダーツも楽しめる大人の空間となっている。

 しかし今気になるのは、カウンターに突っ伏している少年だ。


 「どうしたんだカルシェンツ、大丈夫か?」

 

 「出てきてくれたんだねジェノ君、会いたかったよ。少し頭痛がしただけでもう平気さ、後で一緒にお風呂入ろうね」

 

 「いい加減諦めてくれよ。もう入ったから無理だって・・・違う事ならなるべく聞いてあげるから、入浴は勘弁して下さい」


 「本当!?じゃあ許してあげるね。何をお願いしようかなぁ~」


 嬉しそうに悩みながらお風呂に向かったカルシェンツを見送り、ジェノは安堵の溜息を付きながら部屋に戻る。今後の要求が不安だがなんとか最大の危機は乗り切る事が出来たのだ。

 ただ、カルシェンツの顔色はまだ青く、体調も優れない様に見えた。本当に大丈夫だろうか、心配になる。


 「今日は本当に疲れたー。カルシェンツが来る前に寝ちゃいそうだなぁ」


 「おぅ坊!なんなら俺が子守り唄でも歌ったろか?地味に上手いってマリーテアに褒められた事あんねんで、どや?」


 「・・・ライヴィ!?」


 ベットに近づくと窓に寄りかかった男が視界に入り、ジェノは驚きに目を見開く。ワインを片手に「元気やったかー?」と笑うモーズリスト家の料理長は、我が物顔で部屋で寛いでいた。突然の事に固まったが、モーズリスト家から来た男というのが彼だったとわかり、「何の用で来たの?」と近づいていく。


 「坊、明日の夕方帰ってくるんやろ?それな、中止してほしいねん」


 「中止ってどういう・・・早く帰れってこと?」


 「ちゃう。帰ってくんなってことや」


 「はぁ?」


 思いっきり首を傾げた少女の頭をライヴィは優しく撫で、言い聞かせる様にゆっくりと話した。


 「モーズリスト家は夜逃げする事になった。今晩中には屋敷を出る。旦那が決めたから決定事項や、この国を出るで」


 「・・・んん?」


 「坊は朝に俺と此処を出て皆と合流する。荷物は支度してあるから安心せぇ、エンジェルにも話は通してあるしな・・・今後なかなか会えんくなるさかい、今の内にいっぱい話しとくんやで」


 あれ、なんだろう、ライヴィが何を言っているのか全然理解出来ないぞ。

 夜逃げって・・・あの借金がどうのこうのの夜逃げの事だろうか。この国を出ると聞こえたが彼は本気か?

 ジェノはこんがらがった思考を整理し、時間を掛けて一つの答えを導き出した。


 「うちって本当に没落だったの!?」


 「あははっ 今屋敷が大変な事態になってるんや、まいっちゃうよなー。他国を渡り歩くんやて、超ウケるわ!」


 ウケるってどこが!?笑い事じゃねぇーよ!

 ボロいボロいと半ば冗談で言っていたのだが・・・まさか夜逃げする程とは思わなかった。

 おいおい、頼むから誰か嘘だと言ってくれ。そして心底楽しそうに夜逃げの段取りを説明をするライヴィをどうにかしてくれ。


 「あっそうそう、ついでに坊の通う学園も決まったで。来年の2月に入学式やからー 半年後や。しっかり準備せなな!」


 「ファッ!?」


 ライヴィからもたらされる予想外の情報に、ジェノは頭を抱えて蹲った。

 学園って・・・ついでに言う話じゃねぇ――よ!!

 それに夜逃げする状態で学園に通うお金はあるのか?モーズリスト家は今後どうなってしまうんだ!?

 掴みかかる様に問いただすとヘラヘラしながら宥められ、ジェノは思いっきり彼の脛を蹴飛ばした。


 「ぐおぉぉぉおおっ、そこはアカン処やでぇえー!」

 

 ジェノ・モーズリスト 12歳。

 唐突に夜逃げすることになった悲劇の少女。 

 来年、ヴェジニア国最大の学園『ジャスクロックス校 魔法学科』への入学が、本人の知らぬ所で決定していた。



ようやく学園編が顔を覗かせましたね。

まだもう少し先ですが主人公の学園生活が書けるのは楽しみです。

お読み下さり、ありがとうございました。

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