23
紺色の空に並んだ星々は黄色く光り、雲が頭上を薄く流れる。
ジェノが見下ろす中庭は淡いオレンジにライトアップされ、時間ごとに色が変わっていくようだ。
「なんか目ぇ回りそう」
オーケストラが優雅なメロディを奏で、華やかなドレスが宙に舞った。巨大なシャンデリアに照らされた会場では本格的に舞踏会が始まり、男女が軽やかなステップを踏む。恍惚とした笑みの女性達は目を引き、ジェノを誘うかのように音楽が弾んでいた。
「踊んないのー?こんなバルコニーで食べてないで行って来れば?」
「行かない。踊るわけないでしょ?見なよアレ・・・」
中央でゆらゆらと寄り添って踊る男女の奥。壇上の下の人だかりに目を留め、メロスは面白そうにサラダを頬張った。
舞踏会場には豪華な食事が丸テーブルに置かれ、立食形式で食事も楽しめる。ジェノはこんもりと肉料理を盛り付け、隠れるように一番端のバルコニーに逃げ込んでいた。5Mおきに並んだ半円の形のバルコニーにはジェノ達以外誰も出ておらず、曲線を描く手すりにだらしなく凭れかかる。
星が綺麗だ。空気が澄んでいるんだろうなここは、癒される。
「ここで・・・あいつに会うわけにはいかないだろう。あぁもうっ、なんでいるんだよ。聞いてない!」
壇上横の二階へ続く大階段に目を遣り、会場内で一際輝く金色を確認する。
階段上で腕を組み、ホード氏と並び立つ少年はつまらなそうに場を見下ろしていた。
ダンスそっちのけで集まり黄色い声を上げている乙女の集団・・・乙女と呼べない年齢のお姉様方も多く混じってるが。
そして彼女達を誘いたいが、見向きもされない殿方達。
「歳、違い過ぎないか?いくらあいつが美形だからって」
「今はかなり離れてても大人になったら歳の差なんて大した問題じゃないし、彼ほどの優良物件はこの国にはいないからね。世の女性は必死になるのさ」
優良物件ねぇ・・・来月誕生日がきて12歳になるとしてもまだ子供だろう。キャーキャー騒ぐ意味が解らん。まあ、それだけ凄い存在ってことか。
色めき立つお嬢様方とそれを食い止めるボディーガードの攻防に見向きもしない王子様を眺め、ジェノは深い深い溜息をこれでもかと吐き出した。
どうしよう。せっかくのパーティなのにこれじゃあ動けないぞ、困ったなぁ。
知り合いや高貴な家柄の者を見つける度に嬉々として話しかけている貴族達。なんとかコネを得ようとせわしなく動き回っている人や、ちやほやされて澄まし顔の少年少女。もじもじとダンスの誘いを受ける淑女に、何人もの女性に断られている青年。
「僕たちって挨拶まわりとかしなくていいの?みんな色々やってるよ」
モーズリスト家は今回が初参加だ。パーティの決まりとしてはこちらから行くべきなんじゃないのか?はぁ、見物しているだけならいいけどあそこに入りたくはないなぁ。面倒臭そう。
「いいよ挨拶なんて、面倒だし。主催者には後で挨拶するけど他は別にいいかな、皆知らない人だしねー」
・・・やっぱり僕たちは血が繋がってるな。基本的に面倒臭がり過ぎだ!大丈夫なのか、本当に。
溜息をついたジェノの頬を突き、メロスはニヤニヤしながら屈み込んでくる。
「普通に行ってきなよー。バレやしないさ!ジェノは今可愛い女の子なんだから」
「軽く言うなよ、もし目が合ったらどうすんだ。顔を見られたら流石にバレるぞ!」
「他人の空似だと言い張る!」
「あいつ僕の黒子の位置や手相の形、カサブタの色とか書き込んだノートを常に持ってるんだぜ・・・今14冊目らしい。逃げ切れる気がしないよ」
「・・・もはやストーカーとして訴えれば確実に勝てるぞ、ジェノ」
普段のお茶らけた雰囲気を消し、珍しくメロスが考え込むように顎に手を当てる。
「それだけ見てながらどうして・・・?いや、もしかすると――」
ぶつぶつ呟いたかと思えば急に会場内にジェノを入れようと背中を押し、メロスは笑った。
「木を隠すなら森の中って言うだろう。一番安全なのはどこかな?カルシェンツ君が最も興味なくて、見向きもしない所!」
「え?」
「きっと・・・あそこじゃない?」
メロスがスッと指をさした先、そこにあったものは――
「私サアリーと申しますぅ、是非私とダンスを!」
うおっ絶対危ないよな、これ!
大量の汗が背中をつたい、逃げ出したい気持ちをなんとか堪える。
目立つ行動は駄目だ。移動ならゆっくり・・・っく、動けない!女の子が邪魔だ、それにここはやっぱり近すぎるだろう!
ごった返した女子の群れ。木霊する黄色い悲鳴に耳を塞ぐ。
ジェノは散々悩んだ末、カルシェンツに群がった軍団の中に埋もれていた。
『自分に近づく人間は基本無視!特に女性には尚更態度がひどいそうだよー。あの集団に居れば目に映らないんじゃない?このまま僕と一緒にいたら見つかる可能性高いしね。・・・それに、気になるでしょ?』
人波に押され少しづつ前に進んでいる気がしてジェノは距離を確認し、先程よりも見えやすくなったカルシェンツの澄ました横顔に小さな悲鳴を上げた。
近い近い近い!後ろ押すなよ、危ないだろう。いくらこっちを全く見ないとしてもこの距離はまずい。
メロスの言う事なんて聞かなきゃよかった・・・好奇心なんて出さなきゃよかったっ!
くっそぉー!
『気になるでしょ?彼がジェノ以外に、どういう態度をとるのか。もっと色んなカルシェンツ君を知るのもいいんじゃない?友達ならさー』
確かに前からたまに見せる冷たい表情や、怖い顔にはずっと興味があった。
護衛に人払いさせているから会うのは二人で、僕にはいつもキラキラした笑顔で接してくれるし、うちの使用人とも普通に話してる。
でもベリオンさん以外の護衛には厳しいし、話しかける貴族に対しても一切笑わないカルシェンツに少し不安になる。
僕も人付き合いは苦手だし擦り寄ってくる貴族は嫌いだけど、カルシェンツほどではない。ただ純粋にカルシェンツを慕ってる少女も多くいるだろうし、そこまで冷めた瞳を向けるのはどうしてだろう。
なにか昔にあったのかな、それとも日々の積み重ねにうんざりしてるとか?
それとも・・・女の子が単に嫌い、とか。
「こちらをお向きになってぇ」
「あぁん、素敵~」
「一曲だけ踊ってくださらないかしら」
「貴方じゃ無理よ。私があの方には相応しいわ!」
「数年後には更に美しさに磨きがかかるわねぇ・・・私、10歳差なんて気になりませんわ!」
後ろから押しのけてきたお姉様集団に割り込まれ、横にはじき出される。
真ん中あたりでは足を踏む踏まないの言い争いが生まれ、貴族のパーティーとは思えない殺伐とした雰囲気だ。
「将来、きっと私を迎えに来てくれると信じていますの!」
「おいっ、お前は俺の許嫁だろう!」
「あの方が相手なら両親も喜んで送り出してくれますわ」
「ふん、あの方がお前なんか相手にしないさ。叶わない夢を見るのはやめるんだな、もういい歳なんだから!」
「なんですってぇ!貴方にあの方の一割程度でも魅力があれば、私も文句ないわよ!」
「なんだとっ!」
ジェノの前にいた男女が言い争いを始めた瞬間、不意に黄緑色の瞳がこちらを向いた。
やべっ!
反射的に後ろを向き顔を隠す。
「キャヤアァ―― 目が合ったわ、私を見たのよ!」
「違うわっ、私よ!」
「俺を配下に加えてください!必ずお役にたってみせます」
悲鳴に近い叫びが周囲で上がり、ジェノは不自然なほど身を縮ませ人を壁にして隠れた。
男女間での諍いもあちこちで勃発し、支配人側が慌ただしく動き回っている。
人気、あり過ぎだろう。
噂では聞いていたし、カルシェンツの功績だって知っていた。彼はいつも変で理解出来ない存在だけど僕にとってはただの友達だ。馬鹿みたいな行動をとり、よく笑ったり不貞腐れたり喜んだりする11歳の子供だ。
「あいつ・・・つまらなそうだな」
無表情で冷たい氷の王子様。
10M先に佇む澄ました彼が、ジェノはなんだかとても遠くに感じた。
そっと人波から離れて壁に凭れ、徐々に目線を上げる。階下での騒ぎなんか耳に入っていないかの様に、何もない空間を虚ろな表情で見つめるカルシェンツにうっとりする少女達。
いつもだらしなく緩んでいる目も口も、ここでは人形の様に全く温度を感じられず、普段との差に胸がざわく。
本当は冷たくなんかないし、無表情じゃない。
カルシェンツの満面の笑みを頭に浮かべ、ジェノは静かに俯いた。
舞踏会も後半に入り、用意されていた中庭が解放され多くの者達がそちらに流れた。ちょっとしたゲームなどを企画しており、最後には花火を打ち上げるそうだ。
眠くなってきちゃったな。花火は見たいけど人混みはもう嫌だ。僕は大人しく壁の花になるか・・・カルシェンツもいないしこのまま時間を潰そう。
ジェノは中庭には下りず会場の隅で残った他の貴族達をぼんやりと眺めていた。人数は大分減ったが残った者の為に出来たての料理が運ばれ、誘われるようにお皿を手に取る。
壁の花になるには体力付けといた方がいいよね、うん。ローストビーフが僕を呼んでいるから仕方がない。
スペースが空き、悠々と踊る数組はのびのびとしててとても楽しそうだ。一度くらいは踊る経験をしたかったなぁ、とちょっぴり思った。相手役にどうしてもカルシェンツが浮かび、頭を振って切り変える。
ダメダメ!こんな姿見せられないし、普段は男同士なんだから踊るのはおかしいことだ・・・カルシェンツと僕は踊ったり出来ないんだから、想像するな。
胸が唐突にキュっと締め付けられ、息苦しくなる。前から起こる苦しい感覚にジェノは目を瞑った。
深く考えちゃいけない気がする・・・この感覚は、なんか嫌な予感がするんだ。何かが変わる気がして、少し怖い。
気分を変えて次々とテーブルを移動し、皿に乗り切らないところまで盛り付けて飲み物を貰いに行く。他の令嬢は一口サイズの料理を小さな口でおしとやかに食していたのを、ジェノはちゃんと観察していた。
しかしちょっとずつじゃ味が判らない!と即座に頭から追い出し豪快に齧り付く。
肉は齧り付くのがマナーだとカンバヤシが言っていたからな、大丈夫だきっと。でもちょっと食べ過ぎな気もしてきた。いや、そんなことないっ、大丈夫大丈夫。
カルシェンツが消えた安心感と先程の混雑の疲れ、そして眠気でかなり雑な思考になってきている。
果汁100%のパインジュースをゴキュゴキュと一気飲みしていると、向かいに料理を取りに来ていた少年が驚いた様に目を丸くしていた。
おっと、貴族の行動としてはおかしいもんね。ビックリさせてごめんよ少年。
同い年ぐらいの少年に心中で詫び、ジェノは何事も無かったように壁の花に戻ろうとすれ違う。
「なぁ、そのティラミスどこにあった?」
「え、そこだけど」
するとおもむろに少年が話しかけてきた。
その後ジェノの手元を見つめ「盛り過ぎだろ」と呟いたので、「腹八分目だ」と返す。
一見黒髪だが、光に反射するとグリーンがかって見える髪を真っ直ぐに切り揃えた少年は、再度目を見開き眉を寄せた。
おかっぱ頭って言うんだっけ、こういう髪形。サラサラしてて綺麗だな、と眠い頭で考える。
「どう考えても食い過ぎだ。山の様になっているぞ」
「育ちざかりじゃ普通でしょ、動けばいいんだよ。成長期逃したらデカくなれないし」
「一理あるが・・・俺は女子がこんなに食べているのを初めて見た。しかもパーティーでだ」
「あんなちまちま食べていたんじゃ腹が膨れるのに何時間も掛かるじゃん。せっかくの料理も冷めるし、なにより効率が悪い」
「ふむ、確かに。お前の言う通りだな」
なーんか物言いが上からだな、この子。まぁ貴族なんてそんなもんか?
高い鼻にシュッとした顎と切れ長の目が神経質そうな印象を与え、シンプルな黒い服装が少年を知的に見せていた。
「タルトもなかなか美味だったぞ」
ジェノよりも5センチ程背が高い少年は近づきがたい雰囲気だが、女子に人気がありそうな顔立ちをしており、よく見なくてもイケメンの類だとわかる。
「知ってる。ここのデザートはもう全種類制覇したからね。次は麺類が呼んでる気がするんだ」
フリルがいい具合にポッコリしてきた腹回りを隠してくれているのを確認し、フォークを握り直すと少年はキリリとした目を更に細めて小さく吹き出した。
「まだ食べる気なのか!本当に変わっているな。貴族の令嬢とは思えん」
「別に変わってないよ。ところで君が思う貴族の女ってどんなの?食べる子なんて他にもいるだろ」
「たまにいるが、雰囲気が全然違う。他の女は媚び売ってきて集まるとうるさい。すぐ泣くしナヨナヨしてて会話がまともに成立しない」
会話が?そんなことってあるのか?
ジェノが首を傾げると少年は髪をサラサラ揺らして首を振った。
「なんでもこっちに合わせて自分の意見を言わない奴とかな。そのくせ裏ではぎゃあぎゃあ勝手な事を・・・」
苦虫を噛み潰した様な顔は、よっぽど嫌な経験をしたんだろうと推察出来る。
「女の子ってそんななのか?女友達いないから知らなかった。よくわかんないけどドンマイ」
「おいおいお前も女だろう。それに随分いい加減なドンマイだな、気持ちが感じられ」
「ロッツ様ぁ!」
突如少年の後方から切羽詰まった声が響き、何事かと見遣ると頬を赤らめたピンク色のドレスを着た女の子が両手を固く握りしめながら近付いてきた。その更に後ろには黄色のドレスも目に入る。
このピンクの子と黄色の子って・・・昼間の女の子達だよな。
近づいてきた二人にウンザリした表情を見せた少年は、直様ジェノの隣に移動する。それを見て即座に少女達の眉間に皺が寄った。
え、なんか凄い睨まれてるんですけど何コレ。値踏みするような視線が痛い痛い。
「サアリーはずっと待っておりましたのよぉ、ロッツ様のお誘いを」
「ドミニカもですわ!中庭に姿がありませんでしたから、ずっと探していましたの」
「それはそれはご苦労さま。向こうのソファでゆっくり休んでるといいよ」
「はい!ゆっくりお話しいたしましょう。私もし今日ロッツ様に会えなかったらと考えて、身がちぎれる想いでしたのぉ。さあ、3人で行きましょう!」
「いや、お前ら2人で行ってくれ。俺は別の所に行く」
『3人』の部分を強調して言った黄色いドレスの巻き毛の少女は、ジェノを睨み次の瞬間ツンっとそっぽを向いた。
あぁー 流石にこういうのに鈍い僕でも解るよ、今の自分の立場。つまりアレですね、お邪魔虫ってやつですね!彼女達の少年への態度は間違いなく好意だ。そして僕は急に現れた謎の恋敵という立ち位置・・・おおっ、修羅場初体験!
ジェノは3人の男女の会話をドキドキしながらも黙って聞き、押せ押せの少女2人とイライラしながら誘いを断っているロッツ少年を見守る。
内心楽しみながら『ドンマイ!』と目線でエールを送ると、ロッツからは心底嫌そうな視線が返ってきて可笑しさに笑みが浮かぶ。
「ちょっと貴方なんなの!ロッツ様と見つめ合ったりしてっ、仲の良いアピール?私の方がロッツ様の事を知っていますわ!」
噛み付いてきた黄色いドレスの少女を「いや仲良くないよ。初対面だし」と慌てて宥める。
事実だ。
少年の名前だって彼女たちが呼んでいるのを聞いて知ったのだから、本当に仲良くなんてない。
しかし恋は盲目というのは本当のようで、「素敵なロッツ様に惚れない者はいない!」と思っているのか、ジェノは完全にロッツを巡る恋のライバルとして認識されている。
うっわ面倒臭ーい。これもう帰っていいかな、いいよね?僕がいたらややこしくなるだけで彼女達も嫉妬で大変そうだし。
「あ、あのロッツ様!サアリーと踊ってもらえませんか?今流れている曲は映画に使われたラブソングなんですの。是非私と!」
「足が痛いから遠慮する」
「舞踏会ですから一度は踊りになるのがマナーですわ。ですからロッツ様、私と踊りましょう!」
「いいえ、サアリーとですわ!それに聞きましたわロッツ様。トイス家は今婚約者候補を探しておいでだとか!」
「ロッツ様が令嬢方のお誘いを断るからお父上が業を煮やしているとお聞きしました。最早ロッツ様が気に入った女子ならばお認めになると」
「ああ、でもお前等には関係のない話だけどな」
「それは私達はもう既に婚約者候補という事ですわね!キャー!!」
「違うっ!都合のいい解釈するな、頭おかしいのか!?」
「え~とぉ・・・私はこれで失礼しますね。パスタに先程から呼ばれていますから早く行かないと。では!」
「行かせるかっ、俺をひとりにしないでくれ、頼む!」
踵を返したジェノの腕を素早く掴み、ロッツはそのまま歩き出した。
「あいつら何とかできないか?本気でうざい」
「いや僕関係ないし。君の問題だろう、きっぱり断れば?」
「さっきから断ってるの見てただろ。もう自室に戻りたいが舞踏会は一度は誰かと踊らないとまずいんだ。魅力がない人間のレッテルを張られるからな、家の名を汚すわけにはいかないし・・・でもあいつ等とは踊りたくない。絶対に」
へぇーそんな決まりがあったんだ。僕もまだ誰とも踊ってないけど別に何言われてもメロスは気にしないだろうし、平気だな。
後ろを向くと凄い形相でついて来る少女達が「私と踊ってください!」「ロッツ様から離れなさいよ!」と声を荒げ、徐々に会場に戻ってきた周囲の目を集めている。
これはまずいんじゃないか?あんまり目立ちたくないんだよ僕は。どうしてこうなった!
「なあ放せよ。僕はもう帰りたい」
「・・・名前は?」
「は?何急に」
「名前だ。教えてくれ」
足を止め真剣な顔で尋ねてくるロッツを怪訝に思いながらも、そういえば名乗っていなかった事を思い出し名を口にした。
「ジェノか・・・先に謝っておく、巻き込んですまない」
「へ?」目をパチクリさせた少女の前で美少年は優雅に膝を付き、そっと手を取られ口元に運ばれた。
触れるか触れないかの口付は洗礼され、まるで映画のワンシーンの様だ。周囲で微かに悲鳴が上がるが、手の甲が熱を持ったように熱くジェノはそれどころではない。
え・・・なにこれ。
「ジェノ・モーズリスト様。私、ロッツ・トイスと優美な夢の時を共有しませんか?」
「あの・・・どういうこと?」
「是非、私と一曲踊っていただきたい!」
会場内に響くように発せられた声に、横で息を飲んだ二人の少女は口を覆い顔面蒼白だ。同じ様にショックを受けている子の姿がちらほら見え、やっぱこいつモテるんだなーとぼんやり思う。
「あれトイス家のご子息か?申し込まれているのはどこの家の令嬢だ?」
「あらまぁ可愛らしいこと。子供は微笑ましくていいわねぇ」
「ダンスの誘いで手に口付したって事は本気の証だよな。やるぅ!」
「誰よあの子・・・私狙ってたのにぃ!」
「これであの娘が婚約者候補か、トイス殿は一安心ですな」
「ええ、喜ぶことでしょう!跡取りの女性嫌いが一番の悩みでしたからな、これでトイス家も安泰だ」
今すっごい嫌な事聞いた気がする。まさか僕の話じゃないよね?僕関係ないよね!?
前を向くと立ち上がったロッツが小さく「すまん」とこぼした。
「ちょっと何それ・・・めっちゃ怖いんですけど!なんで謝った?あっ、やっぱり言わなくていいわ、聞く勇気ない」
「悪い、後で説明するから。取り敢えず今はダンスの了承をくれ」
「これ絶対踊ったら面倒な事になるだろ」
「断った方が面倒な事になる。自慢じゃないがトイス家は昔、王家に次ぐ家柄だと言われていた。近年は下がり気味だか影響力は現在でも恐ろしくデカいんだ・・・ここは受けてくれるとありがたい。頼むジェノ!お礼は必ずする」
貴族達にどう思われても別に気にしないけど、真剣な瞳で頼まれると断りづらいな。ダンスは経験してみたかったしいいんだけど注目されたくない。どうしたものか・・・
「まあ、いいか」
踊っても断っても面倒な事になるのなら踊った方が良い気がしてきた。何事も経験あるのみ、だ。
青くふわりとした裾を摘んで左右に広げ、軽く膝を曲げて了承の意を示す。
伏せていた目を上げるとロッツはほっとしたように微笑み、甘く優しい声音で「ありがとう」と呟いた。
うっわイケメーン。こりゃ笑うだけで女の子ゴロゴロ寄ってくるわなぁ。
「ちょうど曲終わるし、次から踊ろう。ダンス下手だから足踏んだらごめんな」
「俺がちゃんとリードする。気にせずに楽しんでくれ、ジェノ」
ロッツに身を任せていれば、すんなりと踊ることが出来た。自分のダンスの腕が上達したのかと勘違いするほど軽やかに足が動き感嘆する。
「あんまりクルクルすると目が回る」と訴えると「じゃあゆっくり揺れるから」と紳士的に腰を引かれ、ギクッと肩が震えた。
カルシェンツ以外の男子とここまでくっついたのは彼で2人目だ。因みに1人目はスフレ。
カルシェンツの時みたいなドキドキは全くないが、慣れない感覚に目を見れず肩越しに周囲の景色を眺めて気を紛らわす。
結構人が戻って来てるなぁ。ダンススペースも狭くなってきたし、踊り終わったら部屋から花火を見て今日は終わりだ。色々あって疲れたがこれもいい経験だろう。
くるりと反転し、一階から上がってくる人々の中にメロスを見つけた。どうせニヤニヤしながら眺めているのだろうとしかめっ面を作ったが、目が合ったメロスは複雑そうな顔でこちらを見ている。
どうしたんだ、何でそんな顔――?
そっとメロスは壇上付近を指さし、目線を気まずそうに反らす。嫌な予感に身体が強張った。
嘘・・・まさかっ!
人混みの中でもすぐに目に留まる目立つ存在。
毎日のように見ている顔が、踊るジェノ達を黙って見つめていた。
普段の優しい顔にはありありと驚きと困惑の色が浮かび、ジェノを頭の上からつま先までゆっくりと凝視している。
「嘘だろ・・・」
背筋がスッと凍る。
ジェノは自分の愚かさに唇を噛み締め俯いた。
今更顔を隠したってもう遅い。
信じられないものを見た表情に逃げられない事を察し、ジェノは混乱しながらもどこか安堵した息を吐く。
これでもう・・・隠さなくてもよくなるのか。
関係が崩れるのを恐れながらも、隠し事がかなり辛かった部分があった。
もういっそバレてくれと思った事も一度や二度じゃない。
これから公の場に出る機会が増えるなか、100%隠し通すのは無理だ。
彼が一人なのを確認し、ジェノはしっかりと目を見て頷く。
どうして考えなかったんだろう、彼の存在を。
あいつが来たんだから居るに決まっているよね。
僕は、大馬鹿者だ。
驚愕しながら徐々に近づいて来る彼の唇が、小さく動くのが見えた。
『ジェノ様――』と。
お読みくださりありがとうございます。




