1いつもの帰り道
小鳥も家へ帰るころ、田中璃久は学校が終わって家路についていた。
これといって気分を高揚させることも無い、普段通りの帰り道。薫風が桜の花弁を運び終わって、葉ばかりの木々を揺らす道。
璃久は特段何かを考えているというわけでもなく、脳を省エネルギーモードにして足を進めていた。
ただ歩くだけでは退屈だからと、今日の友人との会話を振り返って、それに対してこれまた何を思うわけでもなく、また歩く。
だから自分の足が、彼がいつも通る、崖の上の公園と下の公園をつなぐ階段に差し掛かっていたことにもたった今気が付いたのだった。
(あ……ここ、苦手なんだよなぁ)
小学生の頃から十一年間通っている道ではあるが、思わずため息を吐いた。やはり億劫なものはいつまでたっても億劫なのである。
さて、北へと一直線に建てられた階段の東側には住宅が広がっていて、階段を上れば上るほどその全貌を拝むことができる。
西側には、山肌の森が階段に接触する形で続いていた。申し訳程度に設置された隙間の大きい手すりを抜ければ山へ入れるが、私有地のため立ち入り禁止だ。五年前の大雨による家屋浸水が起きた時は、この山がだいぶ水をせき止めてくれたのだとか。
璃久は覚悟を決めて、階段を上っていく。しかしすぐに息が切れ始めた。どちらかと言えば屋内で活動することの多い彼は、運動も好きではない。
毎日上るこの階段も、家路の中で最も気分が下がる場所だった。
暑くはなくとも涼しいとは言えない気温の中の運動に、長めの前髪が少し汗ばんだ額に張り付く。半袖の白いワイシャツから出る腕が西日に焼ける音が聞こえてきそうだ。それでも璃久はずり落ちてくる眼鏡を押し上げて、階段を上り続けた。
(いつも思うけど地味に長いな!)
やっとたどり着いたこの階段の中間、踊り場のある位置の西側には、手すりの間から手を伸ばせば触れるくらいの位置に祠がある。扉が閉ざされていて中は見えないが、何かしらの神様が祀られているのだろう。
屋根から下がる紙垂が、苔の生えた木材の中で印象的だ。
しかし神様が祀られているにしては、祠の手入れはあまり行き届いておらず、公園の管理人の薫森がたまにお菓子を供えている姿を見かけるくらいだった。
璃久はなんとなく祠を眺めて、また石の階段を上り始めようとした。しかしそこで、はたと足を止める。東側に、何かの気配を感じた。璃久には霊感もなければ、空気感に敏感なわけでもない。しかし不審に思って視線を少し動かすと、確かに何もなかったはずの視界の端に、微かに黒っぽいものが見えた。
(これは……やばいのでは!?)
璃久はこれまでの人生で幽霊を見たことがない。ただ、話に聞いたことはある。嘘か本当かはわからないが、ぼやける影が、黒ければ負の感情を持ち、白ければ害はない、と。彼の近くにいるのは、明らかに黒いものだった。
待っても、動く様子はない。しかし、消える気配もない。いやに冷たい汗が、璃久のこめかみを伝う。
(あーもう!)
イレギュラーな状況で、何も行動しないのは性に合わなかった。璃久が勢いよく振り向くと、そこにいたのは幽霊でも動物でもない。崖下に組んだ足を放って、踊り場には人が座っていたのだった。
璃久は知らないうちに詰めていた息を細く吐き出す。改めて見ると、その人は紺を基調としたチェック柄のシャツに、灰色のスラックスを履いていた。黒く見えるわけである。
背中の横に手を置き、体重を後ろにかけて足を揺らしているその様は、一見すると優雅にも見える。水面に浮かぶ白鳥、というには少し黒すぎるが、静かにその場に溶け込みそれでいて存在感のある様子は、存在が優美ですらあった。




