↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/13

第13章 高嶺の花先輩と、なんか怖そうな同級生に挟まれて楽しい大学生活

 大学生活が楽しいかどうかなんて、結局のところ、予定表を見ればわかるものだ。

 少なくとも、4月の俺はそうだった。

 スマホのカレンダーには、講義の予定と、週4のアルバイト。

 それだけだった。

 名古屋から1人で出てきた俺には、こっちで一緒に飯を食う相手も、暇な日に連絡する相手もいなかった。

 大学という場所には、たくさんの人がいた。

 けれど、人がたくさんいることと、自分の居場所があることは、まったく別の話だった。

 あれから、半年くらい。

 俺のスマホは、ずいぶんと忙しくなった。

 いや。

 正確には、今日に限って忙しすぎる。

「……いや、どうすんだよ、これ」


 昼休み。

 講義を終えてスマホを確認した俺は、思わず声に出していた。

 最初に届いていたのは、恵先輩からのメッセージだった。

『今日サークルの後、時間ある?』

 短い文章。

 そのくせ、俺の心拍数を無駄に上げるには十分だった。

 中野原恵先輩。

 相変わらず、俺にとっては高嶺の花だ。

 とんでもなく綺麗で、優しくて、安心できる空気を持っている。

 それでいて、ベースを持てば驚くほどカッコいい。

 まさに、理想の人という大人の女性。弱点が無さすぎる。

 俺が返信を考えていると、もう1件、通知が届いた。

 真帆からの短い言葉。

『今日ウチ来ない?』

 以上。

 説明もなければ、遠慮もない。

 寺沢真帆という人間は、そういうところがある。

 人を自分の部屋に呼ぶことに、妙な壁がない。

 その部屋には、観葉植物があって、間接照明があって、なぜかいつも落ち着く空気がある。

 何をするでもなく、話しているだけで時間が過ぎる。

 俺にとって真帆は、そういう相手だった。

 気を使わなくていい。

 沈黙していても、別に困らない。

 だからこそ、時々、困る。

 真帆との関係を、俺はどこまでわかっているのだろう。

 彼女が以前、俺に伝えてくれた気持ち。

 それを、彼女自身が引っ込めたこと。

 俺たちは今までどおりに接している。

 けど、今までどおりという言葉は、何も変わっていないことの証明にはならない。


 そんなことを考えていると、目の前に影が落ちた。

「葵」

 顔を上げる。

 臼田知佳が立っていた。

 腰まで届くまっすぐな黒髪。

 相変わらず鋭い目。

 初対面のときは、目が合うだけで身構えたものだ。

 今でも、機嫌が悪そうに見える時がある。

 ただ、最近はわかってきた。

 知佳は別に、いつも怒っているわけではない。

 表情に出すのが、少し不器用なだけだ。

「どうした?」

「今日、夜ご飯食べに行こう」

「……え、急にどうした?」

「どうした、ってこともないけど…」

「ああ、いや、うん。そうか」

「じゃあ、サークル後にね」

 話が早い。

 早すぎる。

 俺はスマホを見た。

 恵先輩。

 真帆。

 そして、目の前の知佳。

 予定が3つ。

 しかも全員、俺にとって大事な人たちだ。

 どうしてこうなった。

 …いや、待て。

 そもそも、これは困ることなのか?

 4月の俺なら、こんなことで悩む必要すらなかった。

 誰かから誘われること自体、無かったから。

 それが今はどうだ。

 誘いを断る理由を探している。

「……俺、贅沢になったな」

「え、なに?」

「いや、こっちの話」

 知佳が不思議そうな顔をする。

 俺は危うく、その顔を見つめたまま固まるところだった。

 この子、笑うと可愛いかったりするんだよな。

 ……いや。

 それは、もう知っている。

 最近は、初対面のときの印象が薄れていくことに、少しだけ寂しさを覚えるくらいだ。

 なんか怖そうな黒い子。

 それが知佳に対する最初の印象だった。

 それが今は。

 音楽の話になると、普段より少しだけ言葉が増える。

 気に入った曲について話しているときは、目の奥が明るくなる。

 演奏中は、普段の静けさが嘘みたいに、音に対して真剣になる。

 そういうところを、俺は知っている。

 知っていることが、少しずつ増えていく。

 それが、嬉しかった。

「葵?」

「ん?」

「スマホ、鳴ってるよ」

「ああ……まぁ、大丈夫」

「ふうん」

 知佳は俺のスマホを覗き込もうとはしなかった。

 ただ、少しだけ考えるように目を伏せたあと、

「空いてたらでいいよ」

 と言った。

 その言い方が、妙に印象に残った。

「……ちょっと、確認してみるよ」

「わかった」

 知佳はそう言って、離れていった。

 俺はその背中を見送った。


 恵先輩。

 真帆。

 知佳。

 3人とも、違う。

 恵先輩といると、知らない世界を見せてもらえる気がする。

 真帆といると、肩の力が抜ける。

 知佳といると、自分の違う部分が見えてくる。

 誰が一番なのか。

 そんなことを考えようとすると、途端にわからなくなる。

 そもそも、今すぐ答えを出さなければならないのだろうか。

 俺はスマホをポケットにしまった。

 とりあえず、今日の予定をどうするかは、考えなければならない。

 恋愛の答えは、もう少し先でもいいだろう。

 ……たぶん。

     

 結局、その日の夕方。

 俺はototteの練習に参加した。

 恵先輩からの誘いは、サークルの後に少し話したい、という意味だった。

 真帆には、別の日に遊びに行く約束をした。

 知佳とは、明日の夕食に行くことになった。

 僥倖。

 3つとも断らずに済んだ。

 俺は自分の調整能力に、少しだけ自画自賛…

 ……いや。

 たぶん、みんなが俺の都合に合わせてくれただけだ。

 練習の終わり頃、恵先輩が俺の隣に腰を下ろした。

「葵くん、最近楽しそうだね」

「そうですか?」

「うん。最初に会ったときより、ずっと」

 俺は少し考えた。

 最初に会ったとき。

 あの日、俺はサークルの説明会で恵先輩を見て、大学にはこんな綺麗な人が普通にいるのかと驚いた。

 そして、知佳を見て、なんか怖そうだと思った。

 あの頃の俺は、2人の名前を覚えるだけで精いっぱいだった。

 今はどうだろう。

 恵先輩がベースを弾くとき、どんな表情をするのか知っている。

 知佳が好きな曲の話をすると、どんなふうに声が弾むのかも知っている。

 真帆の部屋で、くだらない話をしているうちに夜が更けていくことも知っている。

 そういうことが、少しずつ増えてきた。

「…楽しいですよ」

 俺は素直に答えた。

 恵先輩は嬉しそうだ。

「そっか。よかった」

 それだけだった。

 余計なことは聞かない。

 無理に答えを求めない。

 恵先輩のそういうところが、俺は好きだった。

 ……いや。

 好き、という言葉は、少し危険だ。

 憧れている。

 一緒に演奏したい。

 もっと話してみたい。

 そういう気持ちが、いつの間にか1つの言葉にまとまりそうになる。

 けれど、今はまだ。

 俺は言葉にせず、ギターケースを肩にかけた。

「先輩、また一緒に弾いてください」

「もちろん」

 恵先輩は、当たり前みたいに言った。

「何度でもね」

 その返事が、嬉しかった。

     

 翌日の夕方。

 俺と知佳は、駅の近くの定食屋にいた。

 向かい合って座り、注文した料理を待つ。

 知佳はメニューを閉じると、テーブルの端に置いた。

 俺は焼き肉セット、知佳はハンバーグライス。

「昨日、忙しかった?」

「え、なんで?」

「何人かから誘われてたんでしょ」

「……なんでわかるんだよ」

「顔に書いてあった」

「そんなにわかりやすいか、俺」

「うん」

 即答だった。

 ひどい。

「でも」

 知佳は、少しだけ視線を落とした。

「来てくれて、よかった」

 その言葉に、俺は一瞬、返事を忘れた。

 知佳はそれ以上、何も言わなかった。

 店員が料理を運んでくる。

 俺たちは箸を持ち、食べ始めた。

 大学のこと。

 最近聴いた曲のこと。

 次のサークルライブで演奏する曲のこと。

 話題は、いつもどおりだった。

 特別なことは何もない。

 でも、俺は楽しかった。

 知佳と話していると、会話が途切れることもある。

 無理に話題を探す必要もない。

 同じ音楽が好きで、同じ時間を過ごして、それだけで十分なこともある。

 食事を終え、店を出た。

 駅前の風が、昼間より少しだけ涼しくなっていた。

「じゃあ、また」

「うん。またね」

 知佳が手を振る。

 俺も手を振り返した。

 それだけのことなのに、帰り道、俺は少しだけ顔が緩んでいた。

     

 数日後。

 俺は真帆の部屋にいた。

 ローテーブルの上には、飲みかけのジュースと、真帆が買ってきた菓子が並んでいる。

 窓辺には、小さな観葉植物。

 部屋の隅には、見慣れない雑貨。

 真帆の部屋は、いつ来ても少しずつ変わっている。

「それ、また買ったのか?」

「うん。可愛いくない?」

「そりゃそうだけど、置く場所ある?」

「あるよ。たぶん」

「たぶんって」

 そんなやりとりをしながら、俺たちはだらだらと時間を過ごした。

 大学の話。

 サークルの話。

 真帆が最近見つけたカフェの話。

 俺が名古屋に帰ったときの話。

 話題は次々に変わっていく。

 そして、どれも大した話ではなかった。

 けど、気づけば夕方になっていた。

「葵ってさ」

 真帆が、ふいに言った。

「最近、よく笑うようになったよね」

「そうか?」

「うん。最初の頃は、もうちょっと1人で頑張ってる感じだった」

 俺は返事に困った。

 そうだったかもしれない。

 知らない街で、知らない人間に囲まれて。

 誰かに話しかけるだけでも、少しだけ勇気が必要だった。

 今だって、別に社交的になったわけじゃない。

 けど。

「……みんなのおかげだと思う」

 そう答えると、真帆は少しだけ目を丸くした。

 それから、笑顔に。

「そっか」

 その光景を見て、俺は思った。

 真帆といる時間も、失いたくない。

 これからも、こうして会いたい。

 くだらない話をして、笑っていたい。

 それは、確かだった。

「また来てもいいか?」

「もちろん。いつでも来なよ」

 真帆は、何でもないことのように答えてくれた。

 その何でもなさが、ありがたかった。

   

 夜。

 一人暮らしの部屋に戻った俺は、ギターを手に取った。

 窓の外から、電車の音が聞こえる。

 4月に初めて聞いたときは、知らない街の音だった。

 今は、いつもの音になっている。

 机の上には、明日の講義の資料。

 スマホには、サークルの連絡。

 恵先輩から届いた、次の練習の日程。

 知佳から送られてきた、聴いてほしい曲のリンク。

 真帆からの、次に行きたいカフェの写真。

 どれも、特別なものではない。

 でも、俺の毎日を作っているものだった。

 俺はギターを構え、適当にコードを鳴らした。

 ぽろん、と音が部屋に響く。

 スマホが震えた。

 画面を見る。

 知佳からだった。

『今日の曲、別のアレンジも作ってみた。今度聴いて』

 俺はすぐに返信した。

『聴きたい。楽しみにしてる』

 少しして、返事が来た。

『うん。わかった』

 短い。

 いつもどおり。

 俺は笑ってしまった。

 その直後、真帆からもメッセージが届いた。

『来週、あのカフェ行こうね』

『おう。楽しみにしてる』

 さらに、恵先輩から。

『次の練習、あの曲も合わせてみようね!』

 俺はスマホを見つめた。

 ……いや。

 本当に、どうすんだよ、これ。

 

 誰か1人を選ぶことも、恋愛に答えを出すことも、まだできない。

 恵先輩は憧れの人だ。

 知佳は、もっと知りたい同級生だ。

 真帆は、何でも話せる大切な友達だ。

 その気持ちが、これからどう変わっていくのかはわからない。

 いつか誰かを選ぶ日が来るのかもしれない。

 誰も選べないまま、今とは違う関係になるのかもしれない。

 それは、まだわからない。

 けど。

 今の俺は、明日が楽しみだった。

 明日は大学へ行く。

 誰かに会う。

 ご飯を食べる。 

 音楽をやる。

 くだらない話をして、笑う。

 そんな1日が、きっとまたやってくる。

 この街に来たばかりの俺は、大学生活に何を期待していたのだろう。

 友達ができること。

 音楽を続けられること。

 できれば、楽しい毎日を送れること。

 たぶん、それくらいだった。

 でも今は。

 その「楽しい毎日」の中に、具体的な顔がある。

 とんでもなく美人で、ベースを弾くと誰より格好いい恵先輩。

 少し怖そうで、でも実は饒舌で笑うとかわいい知佳。

 何でもない話を、いつまでも続けられる真帆。

 ほかにも、サークルの仲間がいる。

 講義で顔を合わせる友人がいる。

 俺を誘ってくれる人がいる。

 俺を待っていてくれる人がいる。

 それだけで、毎日はこんなにも変わるらしい。

 俺はもう一度、ギターを鳴らした。

 今度は、少しだけちゃんとしたフレーズを弾いてみる。

 音が部屋に広がる。

 窓の外では、いつもの電車が走っている。

 明日もきっと、いつもどおりの一日だ。

 でも。

 俺にとっては、それが最高だった。

 高嶺の花な先輩と。

 なんか怖そうな同級生と。

 最高の友達に囲まれて。

 音楽をやって、飯を食って、笑って。

 時々、誰かのことを考えて、少しだけ悩んで。

 それでも明日が楽しみで。


 大学生活って、最高に楽しい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。