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第1章 大学って、こんな綺麗な人が普通に歩いてるんだ

 大学に入れば、自動的に何かが始まると思っていた。

 少なくとも、高校を卒業するまではそう思っていた。


 知らない人たちと出会って、知らないことを学ぶ。

 新しい友達ができて、サークルに入って、一緒にご飯食べて、夜もいっぱい遊んで。

 もちろん彼女もできて。

 そんなふうに、大学生活というものを輝かしいものとして想像していた。

 が、――現実は、そう甘くなかった。


 4月半ば。

 昼休みの学食で、俺は1人で380円の日替わり定食を食べていた。

 周りを見れば、

「午後の授業、教室どこだった?」

「え、私もわかんない」

「じゃあ一緒に行こうよ」

「その前に購買寄ろう」

 あちこちから声が聞こえる。

 入学して、まだ1週間ほど。

 なのに、もう何人かでまとまっている連中がいる。

 スマホを見せ合って笑っている女子。

 椅子を寄せて、くだらない話で盛り上がっている男子。

 男女混ざって昼飯を食べているグループもあちこちに。

 みんな、ずいぶんと大学生らしかった。

 俺は1人で定食を食べている。


 高校時代は、自然と誰かが隣にいた。

 放課後はバンドの練習があった。

 ギターを弾いて、曲を作って、動画を撮って。

 休日はバイトも頑張った。

 勉強は……まあ、そのぶん犠牲になるのは仕方ない。


 3年の2学期には世界史で赤点を取った。補習も受けた。

 さすがに受験が迫ってきたときには危機感を覚えたが、修正は簡単じゃない。

 今さら文系科目をどうにかするのは無理な状況。

 しかし理系科目は悪くない、というかもともと得意な方だった。私立理系なら何とかなる。

 以前から少し興味のあった分野を調べて、農学系の大学を志望することに。

 そして、神奈川の資源科学大学を見つけた。


 ちょうどいい。

 俺たちは高校時代、何度も言っていた。

『卒業したら上京しよう』

 だから、俺は本当に上京した。

 問題は――。

 俺以外の全員が地元に残ったことだ。

 4月になって俺が、

『関東来たぞ』

 とメッセージを送ったら、

『いいな~。今度遊び行くよ』

 と返ってきた。

 お前らも来るんじゃなかったのか。

 そんなことを考えながら、茶碗の最後の一口を食べた。

 窓の外を見る。

 春の陽気に誘われるように、キャンパスを歩く学生たち。

 楽しそうだ。

 本当に楽しそうだ。

 俺は、楽しくない。

「……大学って、こんな感じなのか?」

 思っていたより、ずっと退屈だった。

 いや。

 きっと退屈なのは大学じゃないんだ。

 俺が、まだ何も始められていないだけなんだろう。

 そう考えると、少しだけ腹が立った。

 せっかく名古屋から出てきたのに。

 せっかく新しい生活を始めたのに。

 周りの楽しそうな奴らも、努力して環境を作っている。

 講義で、食堂で、図書館で、目の前の人に声をかける。

 それだけのことが、なかなかできない。

 このままじゃ、本当につまらない日々が続く。

 そんなことを考えながら席を立った。

     

 それから数日。

 あちこちに色とりどりの看板が立ち、学生たちがビラを配っている。

 サークルの新入生勧誘が始まった。

「テニスサークルどうですかー!」

「新入生歓迎会やってます!」

「軽音興味ない?」

「映像制作、一緒にやりませんかー!」

 急に大学が騒がしくなった。

 4月のキャンパスは、どこか浮わついている。

 新しい生活を始めたばかりの1年生と、そんな1年生を捕まえようとする上級生たち。

 誰もが何かを始めようとしている。

 俺も、その波に少しだけ乗ってみることにした。

 もちろん、興味があるのは音楽系だ。

 高校時代からずっとギターを弾いてきた。

 大学でも音楽を続けたい。

 それだけは決めていた。

「軽音……コーラス……管弦楽……こっちはVOCALOID?」

 もらったビラを眺めながら歩く。

 音楽系だけでも、意外といろいろある。

 高校までなら、バンドをやるならバンドを組むしかなかった。

 大学には、音楽をやる人間がこんなにいるのか。

 それだけでも少し新鮮だった。

 そのときだった。

 人の流れの向こうに、1人の女性が見えた。

「……」

 思わず足が止まった。


 最初に目に入ったのは、髪だった。

 少しウェーブのかかった、長めの栗色の髪。

 春の風を受けるたび、毛先がふわりと揺れている。

 その人は、特別なことをしているわけではなかった。

 ただ歩いている。

 それだけだ。

 なのに。

 目が離れなかった。

 顔立ちが、綺麗だった。

 綺麗という言葉だけでは、なんだか足りない。

 整っている。

 目元も、鼻筋も、口元も。

 どこか一つが突出しているというより、全部が綺麗にまとまっている。

 肌もきれいだった。

 そして、小柄な身体に似合わないほど、女性らしい柔らかな存在感がある。

 服を着ていても分かる。

 いや。

 そんなところをじろじろ見るな、俺。

 そう思って視線を逸らそうとした。

 逸らせなかった。

 なんというか。

 ただ綺麗なだけじゃない。

 その人がいるだけで、そこだけ少し明るく見えるような華があった。

 すれ違う男子がちらりと見る。

 女子も見る。

 俺も見る。

 そして、見たあとで、

 ――まあ、見るよな。

 と納得してしまう。

 圧倒的な存在感だ。

 芸能人とかじゃないのか。

 一瞬、本気でそう思った。

 でも、こんな昼間のキャンパスを普通に歩いている。

 特に人に囲まれているというわけでもない。

 普通に大学生なのだろう。

「……」

 俺は妙に緊張していた。

 別に話しかけるわけでもない。

 ただ見ているだけなのに。

 それでも、胸の奥がざわつく。

 高校にも可愛い女子はいた。

 もちろん、何人もいた。

 でも、この人は完全に別格だった。

 今まで俺が知っていた「綺麗」とは、少し次元が違う。

 テレビや雑誌で見ていたような人が、目の前を歩いている。

 進学して、引っ越して、新しい環境に身を置いて毎日がそれなりに刺激的だった、が 

 この瞬間に最大の衝撃を受けた。


 大学って、こんな綺麗な人が普通に歩いてるんだ


 その女性が、ふと足を止めた。

 俺も反射的に立ち止まる。

 彼女の視線の先には、音楽サークルのブースがあった。

 小さなテーブル。

 その上に置かれたギターとキーボード。

 そして、手書きのポスター。

 総合音楽サークル ototte

「……音楽、やる人なのか」

 その女性は、ブースにいた学生たちに声をかけられ談笑している。

 笑うと、少し印象が変わった。

 異世界の住人かとさえ錯覚するほどの美貌も、笑って話す姿は普通の大学生に見える。

 …まあ、状況が作っているだけで。

 普通の大学生としては美しすぎるが。

 

 俺はその場を通り過ぎかけて、もう一度ブースを見た。

 総合音楽サークル・ototte

 この謎の名称からして、ただの軽音サークルではなさそうだ。

 ギターもある。

 キーボードもある。

 二胡やシタールまで置いてある。

 個人の音楽を尊重してくれているのがわかる。

 作曲や編曲、今なら動画とかもやるのだろうか。

 もしそうなら。

 高校時代にやっていたことが、明日からも生きる。

 新しい仲間と。

「……説明会、聞いてみるか」

 俺は小さく呟いた。

 別に、あの人がいるからじゃない。

 たぶん。

 ……いや。

 半分くらいは、あの人がいるからだろう。

 この絶好の機会に、お近づきに…

 うーん…どうにも、こういった経験が足りていない。

 3年間、野郎どもと楽器カキ鳴らしてたしな。

 今の俺、浮かれすぎかな?

 …けど大学のサークル、入会の動機なんてそんなものでいいだろう。

 うん、いいだろう。


 4月上旬。

 まだ友達もいない。

 昼飯も1人。

 そんな俺が、キャンパスで見かけた知らない美人に少し興味を持ったからといって、人生が変わるわけでもない。

 それでも。

 ほんの少しだけ。

 今まで灰色だった大学の景色に、色がついたような気がした。

 俺はototteのブースへ向かって歩き出した。


 と、その途中。

 ふと、前方を歩く女の子が目に入った。

 長い黒髪。

 やや長身。

 少し猫背で、周囲を気にするように上目遣いで歩いている。

 彼女は講義資料を手に1人で歩いていた。 

 何ともなしにそちらを伺っていた。

 すると。

 不意に、その女の子がこちらの方を振り向いた。

 ほんの数瞬、目が合う。

 あぁー…


 ――なんか、怖そう


 俺はその女の子から視線を外した。

 そして、少し先に見えるototteのブースへ歩を進める。


 今日の大学に来てから、初めて自分から何かを始めようと思った。

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