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肥ノ国立志伝~戦国制度革命史  作者: 日野龍哉


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第59章 西の王と東の覇王

この物語は生成AIの力を借りながら、細々と進めています。ご了承ください。

挿絵(By みてみん)

 朝靄が琵琶湖を静かに包んでいた。

 近江国南部、安土城の絢爛たる天守は、その霞の向こうに悠然とそびえている。

 龍重は船の舳先に立ち、遠く城を見つめていた。

「大きいですな。」

 空海が呟く。

「天下人の城じゃ。」

 龍重は苦笑する。

「城の大きさでは負けたな。」

「勝とうと思われますか。」

「いや。」

 龍重は首を振った。

「今日は勝ち負けではない。」

「答え合わせじゃ。」


 西国議定が結ばれてから一月。

 一通の書状が日野館へ届いた。

 差出人は、織田信長。

 内容は一行だけだった。

『碁を所望』

 日時。

 場所。

 安土城。

 それだけである。

 明日香は最後まで反対した。

「罠の可能性があります。」

 龍朋も頷いた。

「護衛を五百。」

「いや。」

 龍重は首を振る。

「二十で行く。」

「少なすぎます!」

「戦うために行くのではない。」

 空海だけが静かに笑った。

「殿らしい。」


 安土城。

 城門が開く。

 迎えに現れたのは明智光秀だった。

「日野殿。」

 深く一礼する。

 龍重も礼を返す。

「お久しぶりです。」

 光秀は微笑む。

「以前より、お顔が穏やかになられました。」

 龍重は笑う。

「心労は臓腑に出ております。」

 二人は並んで城内を歩く。

 途中。

 龍重はふと立ち止まった。

 城下町。

 整然と並ぶ町屋。

 広い道。

 活気ある市。

「見事ですな。」

 光秀は少し誇らしげに言う。

「上様は。」

「人が集まる国をお望みです。」

 龍重は静かに頷く。

「同じか。」

「え?」

「いや、独り言じゃ。」


 広間。

 信長は一人で待っていた。

 家臣は誰もいない。

 武器もない。

 卓の上には酒と碁盤だけ。

「遅かったな。」

「申し訳ございませぬ。」

 信長は笑う。

「謝るな。」

「今日は戦ではない。」

「碁を打とう。」

 龍重は思わず笑った。

「望むところです。」


 碁石が置かれる。

 最初の一手。

 信長は迷わない。

 龍重も迷わない。

 静かな時間が流れる。

 やがて信長が口を開いた。

「西国連合。」

「面白い。」

「ありがとうございます。」

「じゃが。」

 黒石を置く。

「面倒じゃ。」

 龍重も白石を置く。

「ええ。」

「非常に。」

 信長は声を上げて笑う。

「正直者だ。」


「龍重。」

「はい。」

「なぜ天下を取らぬ。」

 その問いはあまりにも真っ直ぐだった。

 龍重は少し考える。

「取れぬから。」

 信長は笑う。

「嘘を申せ。今の西なら半分は取れる。」

 龍重は碁盤を見つめた。

「取れます。じゃが、守れませぬ。」

 信長の手が止まる。


「一人で国を治める。」

 龍重は静かに続ける。

「人は必ず死にます。次が名君とは限りません。」

「凡君ならまだしも暗君や暴君ならば、存在だけで国は揺らぐ。」

 信長は黙って聞いている。

 龍重は白石を置いた。

「だから、人ではなく制度を残します。」


 信長はしばらく動かなかった。

 やがて黒石を置く。

「面白いがの、制度を作るのも人だわ。」

 龍重は笑う。

「やけん育てるったい。」

「誰を。」

「制度ば守る人を。」


 信長は酒を口に運ぶ。

「儂はな……戦が好きではない。」

 龍重は驚いた。

「意外です。」

「好きなら終わらせようとは思わぬ。」

 広間が静まる。

「儂は戦を終わらせたかった。」

 龍重は信長を見つめる。

 教科書の信長は革命児、覇王、魔王。

 そのどれとも違う。

 ただ、高い理想を掲げ、直走る一人の男がそこにいた。


 信長は笑った。

「おぬしも同じ顔をする。」

「何のことでしょう。」

「元就。」

 龍重は苦笑する。

「お会いになられたので。」

「まあの、年寄は皆、同じ目をする。次の世代を見る目じゃ。……爺を思い出す。」


 碁盤は中盤へ入っていた。

 互いに石を取り合う。

 しかし、勝負は急がない。

 信長が言う。

「龍重。」

「はい。」

「おぬしの西国議定、百年続くと思うか。」

 龍重は少しだけ考えた。

「続かんでしょう。」

「ほう。」

「とりあえず二十年持てば上等でしょう。二十年後は二十年後の人間に押し付けますよ。めんどくさい」

 信長は満足そうに頷いた。

「その答えが聞きたかった。」


 その時だった。

 広間の外で慌ただしい足音が響く。

「上様!」

 障子が勢いよく開く。

 柴田勝家が息を切らして飛び込んできた。

「甲斐より急報!」

「武田勝頼、兵を挙げました!」

 広間の空気が一変する。

 信長はゆっくり立ち上がる。

 そして龍重を見る。

「続きをやるか。」

 龍重も静かに立ち上がった。

「戦の後に。」

 信長は豪快に笑う。

「約束だ。」

 二人は碁盤をそのまま残し、広間を後にする。

 黒も白も、まだ決着はついていない。

 それは二人の思想も同じだった。

 答えは戦ではなく、その先の時代が決める。

 碁盤の上には、一局の勝負ではなく、一つの時代そのものが置かれていた。


 広間に静寂が戻った。

 武田勝頼挙兵の報を伝えた柴田勝家は、信長の一礼を受けると静かに下がっていく。

 障子が閉まる。

 残されたのは、碁盤と酒、そして龍重と信長だけだった。

 信長はゆっくり席へ戻る。

「もう少しだけ続きを打とう。」

 龍重も向かい合う。

「戦支度は。」

「家臣がおる。」

 信長は黒石を摘まみながら笑った。

「儂がおらねば動かぬ国なら、その時点で終わりじゃ。」

 龍重は思わず白石を持つ手を止めた。

「……同じですな。」

「何が。」

「私も七老頭へ、同じことを申しました。」

 信長は目を細める。

「ようやく分かったか。」

「英雄とは、最後には不要にならねばならぬ。」


 黒石が一つ置かれる。

「龍重。」

「はい。」

「おぬしは、儂をどう見ておる。」

 龍重は少し考えた。

 前世なら答えは簡単だった。

『天下布武』、『革新者』、『魔王』、『覇王』

 教科書はいくらでも言葉を並べる。

 だが目の前の男は、そのどれでもない。

「……壊す人です。」

 信長は笑った。

「続けよ。」

「古い秩序を壊す。寺も、関所も、座も、身分も。古い常識全てですな。そしてそれらを壊した先に、新しい国を作ろうとしている。」

 信長は静かに頷いた。

「半分正しい。」

「半分?」

「儂は作れぬ。」

 龍重は顔を上げる。

「作るのは後の者じゃ。」

 その一言は、龍重の胸へ深く落ちた。


「人はな。」

 信長は酒を注ぐ。

「儂を覇王だの魔王だのと言う。」

 苦笑する。

「じゃが違う。ただの掃除人じゃ。」

 龍重も笑った。

「掃除人ですか。」

「ああ。」

「腐った木を切り、腐った橋を壊す。それだけだ。」

 琵琶湖からの風が冷たい。

「新しい森は。」

 信長は庭を見た。

「若木が育てる。」


 龍重は碁盤を見る。

 白石が少し優勢。

 だが勝負はまだ分からない。

「では。」

 龍重が問う。

「信長殿。」

「何じゃ。」

「なぜ私を呼ばれたのです。」

 信長は迷わず答えた。

「見たかった。」

「何を。」

「次の時代を。」

 瞬間、広間に僅かに温かい風が吹き抜ける。


「儂は天下を一つにする。」

 信長は黒石を置く。

「おぬしは。」

 白石を指差す。

「天下を繋ぐ。」

「同じではありませんか。」

「違う。」

 信長は即座に否定した。

「儂は中央へ集める。」

「おぬしは地方へ任せる。」

 龍重は静かに頷く。

「確かに違います。」

「じゃが。」

 信長は笑う。

「どちらも戦を減らしたい。そこだけは同じじゃ。」

 二人は顔を見合わせる。

 初めて。

 完全に同じ答えへ辿り着いた瞬間だった。


 夕暮れ。

 結局、碁盤は終局を迎えようとしていた。なんだったんだ、戦の後とは。

 最後の一手。

 龍重は石を置かず、碁笥へ戻した。

「負けました。」

 信長は盤面を見る。

「いや。」

「引き分けじゃ。」

「ですが。」

「儂は東を取り、おぬしは西をまとめた。」

 信長は笑う。

「勝負になっておらぬ。」

 二人は同時に笑った。


 広間を出る。

 安土城の天守からは琵琶湖が黄金色に染まっていた。

 信長が隣へ立つ。

「龍重。」

「はい。」

「最後に一つ。」

「何でしょう。」

「もし。」

 信長は湖を見つめたまま言う。

「儂がおらぬ世になったら。」

 龍重は黙る。

「西を頼む。」

 短い言葉だった。

 不吉、と言いたかったが俺の記憶が正しければ……。

 龍重は深く頭を下げた。

「お引き受けします。」

「東は。」

「東は東の者が守る。」

「西は西の者が守る。」

「されど。」

 龍重は顔を上げた。

「民は同じです。」

 信長は満足そうに笑う。

「それでよい。」


 安土を発つ朝。

 光秀が見送りに来ていた。

「昨日のお話。」

 光秀は苦笑する。

「難解すぎですな。」

 龍重も笑う。

「私もですよ。」

「ですが。」

 光秀は真顔になる。

「お二人とも、同じ未来を見ておられました。私には見えぬ……未来を」

 龍重は馬へ乗る。

「まだ、道は半ばですぞ。日向殿、ご自愛を。」

 

 一行が安土を離れる。

 城は少しずつ遠ざかる。

 空海が隣へ並ぶ。

「殿。」

「何じゃ。」

「信長殿は敵でしたか。」

 龍重はしばらく答えなかった。

 やがて静かに笑う。

「違う。」

「ならば友ですか。」

 龍重は首を横へ振る。

「それも違う。」

「では。」

 龍重は振り返り、遠ざかる安土城を最後に一度だけ見つめた。

「同じ時代を生きた。」

「もう一人の国造りじゃ。」

 空海は静かに頷いた。

 その言葉以上の表現はない。


 その頃。

 安土城。

 信長は一人、昨日の碁盤を見つめていた。

 黒石も白石も、そのまま残されている。

 蘭丸が尋ねる。

「片付けましょうか。」

 信長は首を振った。

「そのままでよい。」

「なぜでしょう。」

 信長は一つの白石を指先でなぞる。

「この勝負はまだ終わっておらぬ。」

 蘭丸は意味が分からない。

 だが信長は微笑んでいた。

「百年後、千年後……どちらの道が、多くの民を笑わせるか。その時に決着がつく。」

 信長は碁盤へ最後の一手を置いた。

 黒でも白でもない。

 誰も触れない盤上に、そっと指を置いただけだった。

「龍重。面白い男であった。」

 西へ沈む夕日が、安土城を黄金色に染めていた。

 そして同じ夕日は、瀬戸内の海にも静かに沈み始めていた。

 東と西。

 二つの道は交わることなく、それでも同じ未来へ向かって続いていた。


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