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【 北カディアナ大陸極東地方
城塞都市ディエト・マギト 】
そして午前二時の、少し前。
ふたたび街にログインすると日はすっかり暮れており、街の路地には霧が出ていた。オレンジの街路灯がぽつぽつともった狭い路地を抜け、港の入口まで来る。ここに来る間に霧は深さを増し、少し先の地面さえも見えにくくなっている。その霧の向こうに、いくつも並んだ巨大な帆船の影がぼんやり見えていた。ここの霧にうっすら海の匂いが混じっているのは、ゲームとしてはなかなかリアルな演出だと思う。気温は少し、肌寒いくらい。このへんの気温の体感度も、なかなかにリアルだと実感する。
北埠頭の先の方で、すでにアーチャーの女の子が待っていた。昼間見たときと違って、厚手の毛織のコートっぽいものをノーマルコスチュームの上から身につけている。そして背中には、銀色に輝くロングボウ。まあたぶんゲームだからそれほどの重量感は感じないのだとは思うけど、アーチャーの宿命というか。何を着てても、ぜったいその装備だけは外せないキャラビジュアルになっているのはちょっぴり気の毒だ。こっちに気がつくと、その子は「こんばんは。」と礼儀正しくこちらに手を振った。
「おい、乗れ。ぐずぐずすんな」
船の上から男の声が飛ぶ。黒い三角帆をつけた小型の帆船。ここの世界で言うところの「スクーナー」っていうやつだ。リアル世界で言うところの、競技用ヨットみたいなのをイメージすると、それなりに近いかもしれない。
わたしはハイジャンプで船のへりを超えてさっさと乗り込む。
「えっと、これ、どうやってジャンプすればいいんですか?」
アーチャーの女の子が、船の外から言った。
「さっきから地面を蹴ってるんですけど、うまく飛べなくて」
「え。その基本動作ができないとか??」
わたしはちょっぴりあきれてそっちを見下ろす。恐縮した感じで、ちょっぴり泣きそうな目をして彼女がこっちを見ている。
「その、わたし、初心者なもので」
「もう。しょうがないなー。えっと、体感的には、地面を蹴るだけじゃなくて、どこまでジャンプしたいか、視線で、そのジャンプの最高点をターゲットする、的な。そのターゲットをせずに蹴ってても、単なる蹴りだと判定される」
「はあ。視点を、ターゲット、ですか?」
そう言って少女が、ふたたび地面を――
「うぁあああ??」
飛んだ、のはいいけど。ちょっぴりそれは高すぎる。その子は大きく帆の高さを飛び越えて―― まあ、別にこのゲーム、高所落下ダメージ判定がほぼないに等しいから、特にプレイに支障はないけれど。まあただ視覚的に、あまり高くジャンプするとそこそこ恐怖感があるってのは、たしかに否定はできない。そのあとようやく降りてきたけど、ちょっぴり着地に失敗。その子はズダッと、船の上に崩れた。
「おい。なに遊んでる。こっちは急いでるんだ」
船の後方から、男の声が飛ぶ。視覚的には見えないけど、でも声の感じからして、たぶん、昼間のあいつと同じ男だろうと推定する。なにげに偉そうな、鋭い目をした黒のバンダナ男。なんだ、結局あいつか。あまり好印象はないなぁ。ほかの誰かが操船するかと思ってたけど。わたしはこっそり舌打ちする。
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周囲の視界はひたすらに霧。波を切って進むざぶざぶという波音が通底音としてそこにある。船の揺れは、それほどでもない。どこかのテーマパークのアトラクションの方が、よほどリアルな波揺れを再現しているような気もするけど。まあでも下手に船酔いとかも嫌だから、この程度のチープな揺れにとどめてくれてるのはかえって助かる。船の効果のBGMが、なんだかホラーな暗い音楽だったから、わたしは音をOFF設定に。あとは、ちゃぷちゃぷ、ざばざばっていう波音だけが、この夜の海で聞える唯一の音だ。
「ねえ、なんであなたは、メ・リフェ島に渡ろうってなったの?」
単調すぎる音と視界に退屈してきたわたしは、そばにいるその女の子に、適当に声をかけた。名前はたしか―― 彼女のアタマの少し上のステータスバーを再確認。えっと――
「えっと、あなた名前の呼び方は、『リリア』で良かったんだっけ?」
「はい。それで問題ありません。リリア・ナーグ。ナーグは、名字のつもりで登録したので。『リリア』で呼んでもらって結構ですよ」
リリアがこっちをふりむき、金色の瞳をわずかに細めて、ニコ、と気品あふれる感じで微笑んだ。むむ、これはゲームで、もちろんすべてはゲームビジュアルなのだけど―― なんだかすべての言動や仕草が、彼女の育ちの良さを表現している。まあじっさい、この子すっごいお金持ちのお嬢さん―― みたいな話だし。
「島には―― その――」
船の正面、霧に包まれた夜の海のどこかに視点を定めて、その子が少し、言いよどんだ。左手で、頭の上の髪留めに手をやる動作をした、けど、実際そこには髪留めはない。きっとリアルだと、ふだんそこには何かつけているのだろう。
「弟に。ええ、会いに行きます。面会、と、言えばいいのでしょうか」
「ふうん。弟さん。何、そこで会おうって、なにか二人で約束したわけ?」
「ええ。約束、と、言ってもいいと思います。正確にはメッセージ、ですね。弟から、メッセージメールが、おととい、わたしに届きました」
「なるほど。」
なんだかピンときた。話の先が、ちょっぴり見えてきた。
「じゃ、あれか。オチとしては、弟さん、実際もうリアルでは死んじゃってて、ほんとはメールとか、できないはずなのに。とか。そういう話?」
わたしは軽~く言ってみた。まあ、言ってる中身はけっこう重い気もするけど。
「…えっと。なぜ、それを?」
リリアが驚いて目を見開いてこっちを見た。そこには純粋な驚愕、サプライズがある。
「なぜって、そりゃ、わたしもだから。わたしの場合は姉貴、だね。お姉ちゃん。半年前に死んだのに、なぜか、メッセージ来た。島で待ってる。会いに来て。だってさ」
「……そうだったの、ですか」
沈痛な表情で、リリアが自分の足元を見た。
「わたしの場合は、その―― 三ヶ月前、ですね。弟が、もう、いなくなってしまったのは」
「なに? じゃ、やっぱりそっちも、自殺?」
「え、いえ、そこは――」
「あ、えっと。自殺じゃなかった?」
「えっと。その――」リリアはひたすらに、その、そこには今存在しない架空の髪留めを、左手で、何度も、触るしぐさを見せて――
「事故、ですね。あるいは事件――」
「ほう。じゃ、交通事故とか?」
直球で、すかさずきいてしまうわたし。よくまわりから、「おまえ空気読めなさすぎだろう」って言われたりもするけど、たぶんきっと、こういうところなんだろうなぁ。
「あの、三か月前に、タマサキの駅前で起きた事件、覚えてらっしゃいますか?」
「タマサキ? 事件? っていうと、ああ、あれか」
タマサキのキーワードでピンときた。
無差別殺傷。通り魔。多数の小学生が、犠牲に――
「あの、ごめん。ついうっかり、無神経にきいちゃって。それはたしかに、ん、キツい、事件、だったよね。そっかそっか。弟さん、それで、か。」
「はい。でも、事実ですから。特に、隠すような何かでも、ありませんし」
少女はこっちを向いて、ちらっと、弱弱しい感じで微笑した。
それから何を思ったのかはわからないけど、しずかに船首の方に移動して、船の先端に立って、前方の何かを見る姿勢をとった。わたしはそのあとは追わずに、ただ、その子の後ろ姿を見ていた。その、不釣り合いなくらい長いシルバーのロングボウを背中に背負った、リリアの小柄な立ち姿。海風が、彼女のシルバーグレイの髪を大きく横方向になびかせている。そのまま2分ほどが経過。あれ。やっぱあれか。空気読まなさすぎて、あれは触れてはダメなトピックだったのかな―― と、不安がこみあげてきた頃。
「ねえ、あれって、本当に本人からだと思いますか?」
その可憐なるアーチャー少女―― リリアが、船首からこっちを振りかえって言った。
「どうだろう」
わたしはその場で腕を組む。思考しながら、自分の三歩くらい前の甲板をながめる。でもそこには特に、答えは書いていなかった。
「でも、なんか、無視できないだけの、何かはあった。なんだかほんとに、ほんものっぽかった。そのメッセージ。書き方、というか。そこにある空気、みたいなのが。姉貴がいかにも書きそうな。えっと、うまく説明はできないけど――」
「わたしも同じ、でした」
「同じ?」
「ええ。その、空気感、ですか? 確証はないけれど、でも―― あれはたしかに、弟が書いたメッセージじゃないかって。少なくとも、無視することはできない。確かめてみなくては、って。その島に行って。そこで実際、確かめてみないと」
「…だね。その部分の認識は、じゃあ、二人とも同じってわけだ」
わたしは前方の床部分をターゲットしてゆっくりと歩行し、リリアの隣に立つ。船首に二人、肩をならべて、前方の深い霧の海に視線を固定する。
「なんかあれね。これはわたしの勘、みたいなものだけど――」
「はい?」
「なんかぜったい、その島には―― 何か普通じゃないものが、きっと、ぜったい、あると思う。それが何かは、行ってみないとわからないけれど――」
わたしのその言葉は、たぶん、隣に立ってるアーチャーの娘に言ったのではなく、たぶん、わたし自身の心の向けて。ひとりで、自分に、言ったのだと思う。
「そうですね。わたしもそう、思います。きっとそこで、何かが――」
その先の言葉を、リリアは飲み込んだ。
二人は無言で、前方に広がる霧の海をただ見つめた。
バーチャルな夜霧だとはわかっていたけど――
この霧の先には、何か、バーチャルやリアルを超えた、大事な何かが隠されている。そんな予感、あるいは胸騒ぎみたいなものが。そのときわたしにあったのは確かだ。そしてその予感は、まるごと当たっていたのだと。後になってわたしは、嫌というほど知ることになる。
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霧は突然、晴れた。
船が海域のあるポイントを超えると、急激に霧は薄まって、
そして。
見えた。
島だ。島が見える。
夜のむこうに、かすかに銀色に光り立つようにして、いまその島が。
「あれが――」「メ・リフェ島、か」
わたしとリリアは船首から身を乗り出した。
小島、と。わたしはあくまで想像していた。でも実際見えたそれは、想像よりもだいぶ大きい。雲に覆われて星を失った夜空の底に、さらに黒々とした陸塊が大きく横たわる。はるか先にそびえるボリュームのある山並みが、島の骨格をつくっている。その広大な裾野が、ゆるやかに傾斜しながら広がってゆき、やがては海に落ちていた。海に面した部分は、その多くが崖になっていて、そこから水が滝になって何本も海に流れ落ちている。まだ距離があるけれど、その低い水音がかすかに船まで届いていた。
「でも、見て。あれ」
わたしは船から身をのり出した。
「何です?」
「煙。」
「え?」
「ほら、あそこ。あそこにも。なにかあそこ、燃えているみたい」
「……本当ですね。火事、でしょうか?」
暗い島のあちこちから、灰色の煙が立ちのぼっている。
海岸に近い場所から、見えるだけでも三本。
さらに陸のもう少し奥でも、大きな煙の柱が四つほど上がっている。
「おい、まずいぞこれは。」
後ろから声を飛ばしたのは、痩せて背の高い、目つきの鋭い黒バンダナの男。ここまでの航海ではずっと操船室にこもっていて顔を見せなかったのだけど、そいつが今、はじめて甲板まで出てきた。
「戦闘、だな。見ろ。グマ帝国の軍船どもが、包囲どころか、上陸戦を始めやがった」
「ええ??」「上陸??」
「見ろ。あそこ。海上に火が、いくつも見えるだろう?」
男が指さした海上。島にかなり寄った暗い海の上に、揺れる炎が、横一列になっている。その炎の列は揺らめきながら、少しずつ、島にむかって接近しているようだ。
「あの火。おそらく揚陸艇だ。ひとつの船に、二十人、三十人の兵を満載してる」
「ええ?? 何それ? どういうこと?」
「あっちの大きな明かり、どうやらあれは本船だな。あのサイズ。おそらくイリアス級の戦艦だろう。バカでかいやつめ。同じクラスの船が、あっちにも二隻いる。ったく。やばいところだったな。念には念を入れてこっちの明かりをすべて消して潜航してきたが、その用心は、まったくもってムダじゃなかったってわけだ。あんなバケモノ戦艦と正面からぶつかったら、こっちには勝ち目はない」
「ねえ、ちょっと。いったいどういう状況よ、これは??」
わたしは入れ墨の入った男の肩を、ムリヤリに両手で揺さぶった。
「おい。気やすく触るな」
「ちょっと。説明しなさいよ!」
「だから。見ての通りだ。やつら、戦争をおっぱじめやがったんだ」
「戦争??」
「ああ。どうやら相当な人数を上陸させてる。上陸戦の目的が何だかは知らんが―― やつら相当、本気だってことはわかる。これから島を制圧する、って感じか。ったく。ダメだダメだ。引き返すぞ。これ以上進むのはムリだ」
「え! ちょっと! ここまで来てそれはないでしょ!」
「全速旋回! 180ターンだ。すぐにこの海域から離脱する!」
そいつが声を張り上げると、似たような黒いバンダナだかターバンだかを頭に巻いたマッチョな水夫たちが次々と甲板に飛び出してきて、マストの下で何かぐいぐいとロープの操作を始めた。黒の三角帆が、次々と角度を変える。たちまち船は大きく旋回をはじめた。
「待ってください!」
リリアが、いきなり声を張った。
「ここで戻るわけにはいきません!」
「くどいな、嬢ちゃん。海況不良の場合は引き返すと。最初の契約で言ったろう?」
「ですが――」
「ですが、も何もない。まさに海況不良だ。これより悪い海況はない。引き返す。当然の判断だ」
「で、でも、せっかく今、島が見えたのに――」
「わたしにまかして」
なおも食い下がるリリアの肩を、わたしは後ろから叩いた。
「アリーさん?」
「大丈夫よ、リリア。そんなにアツくなることない」
「でも、アリーさん、」
「大丈夫。これはゲームよ。忘れたの?」
「ゲーム…?」
「つまり遊びよ。つまりここで、プレイヤーをむざむざ引き返させるなんていうオプションは、ゲーム進行上、本来的にありえない」
「…どういう、ことですか?」
「必ず方法があるはず。たとえば――」
「おいこら! 黒黒ターバン男!」
わたしが叫ぶと、部下の男たちに指示を出していたその目つきの鋭い男が、ちょっぴり面倒そうにこちらを振り向いた。
「…グルイザだ。おれにも名前がある」
そいつが、少しイラッとした声でこちらに告げた。
「じゃあ、グルイザッ」
「なんだ、嬢ちゃん」
「あんたたちは、好きに港に戻ればいいわ。止めるつもりはない」
「ああ。言われるまでもないな」
「でも、わたしたちは戻らない」
「ほう?」
ザクッ! ザクッ!
「おいおまえ! な、何を?」
男が混乱したようにうめいて、その場でフリーズした。
ロープ。
今そこのロープを、所持品ウィンドウから引き出してきたダガーソードで――
一瞬で三本、たて続けに切り裂いた。
バシャッ!
船のへりから海側にせり出すように、四隻ほどの木製ボートがロープで吊るして固定してあるのを、わたしは航海の最初の時点からチェックしていた。ひとつのボートに、4、5人くらいは乗れる大きさだ。おそらく救命・上陸用の小ボート。そのひとつが、今、留めていたロープを失って、夜の海上にまっすぐに落ちてしぶきを上げた。
「行くよリリア!」
わたしは船のへりを乗りこえて、その、浪間に漂うその頼りなげな木造船を視線でターゲットし―― 船の手すりを蹴って飛び降りる。
直後に、きれいに着地。
しょせんはゲームだ。リアルだと、こんな離れ業のアクロバティックな動きは絶対できないけど―― ゲーム内なら、ターゲットさえしっかりしてれば、この程度のジャンプは特に難易度高くない。
「ほら、何してるのリリア! 視線でボートをターゲット! こっち! 飛び降りて!」
「は、はい!」
瞬時に空気を読んだリリアが、わたしに続いて飛びおりてくる。
ザンッ! 着地と同時にボートが大きく揺れた。
「おい待て! おまえら、自殺行為だぞ!」
船の上から、あの黒バンダナの男がまだ何か叫んでいたけど――
無視だ。
わたしは二本のオールをかかえあげ、
それを下げて海水にひたし、
漕ぐ。漕ぐ。漕ぐ。
ボートは気持ち良いくらいに加速をはじめ、
みるみる、黒のスクーナーから離れていく。
「すごい。アリーさん、ボート、漕げるんですね??」
リリアが感心しきったように言い、うるんだ瞳で尊敬の眼差しでわたしを見つめたから、わたしはちょっぴり照れた。
「えっと。これは、漕いでるっていうより、ボートの進行方向を視線でターゲットして、あとは、漕ぐっぽいモーションをくりかえすだけで、自動でボートが進んでくれる、っていう感じ? ぜんぜん筋力いらない。もちろんリアルじゃ、ボートなんて、漕いだこともない、けれどね」
わたしは笑って説明する。
ひと漕ぎするごとに、スクーナーとの距離は、どんどん気持ち良いくらいに伸びてゆく。最後には、闇の中に溶けて、さっきまで乗っていたあのスクーナーは、もう見えなくなった。オールが跳ね上げた波のしぶきが四方に散り、顔にも少し降りかかったけれど、視覚的にそう見えるだけで、特に冷たい感触はなかった。あくまでゲームだ。ところどころ細部が適当に手抜きにできていることに、今はむしろ、安堵を覚える。大丈夫。島は危険とか言ってるけど―― あくまでこれはゲーム。ゲームの中のバーチャルな危険に過ぎないわけで―― いけるいける。問題ない。何もかもは、しょせんはゲームなんだから―― ちょっぴり内心ビビりそうになっていた自分の心を、わたしは自分でちょっぴり奮い立たせた。