68 間話 『ひだまりの武器屋で』
いつもの事だが、伊藤の店は暇だ。
されど伊藤は気にすることなく、店内の掃除をしていた。
ショーケースをピカピカに磨き終えた伊藤は、ショーケースから少し距離を置き、親指と人差し指でLの字を作り、左右を組み合わせて四角いレンズに見立て、その中から覗き込んだ。
もちろん指で作った長方形は、美しいまでの完璧なる黄金比だ。
ショーケースには一遍の曇りすらないことを確認した伊藤は、窓際のテーブルに座り、先ほど届いた夕刊に視線を落とした。
伊藤の口元が少しほころぶ。
「伊藤さん!」
元気よく戸をあけて、あの子達がやってきた。
ノエルとカトリーヌだ。
ノエルの持つバスケットにはたくさんの果物が入っている。
魔法ショップで働いている二人だが、店が早く終わる日にはこうしてやってくる。
「伊藤さん! 伊藤さん! 熱心に何を読んでいるんですか?」と言うノエルに、カトリーヌは「伊藤さんは新聞なんて一瞬で読めちゃうのよ。だから読んでいるんじゃないわ。眺めているのよ。きっと嬉しい記事があったに違いないわ」
カトリーヌの洞察力はなかなかである。
伊藤は少し笑った。
当たったことを大喜びしているカトリーヌに、友人に先を越されてちょっぴり頬をふくらましてムクれるノエル。
だけどノエルは気を取りなおして、伊藤の手の中にある新聞をのぞきこんだ。
見出しにはこのように書かれてある。
『謎の二大ヒーロー軍団現る!? 彼らは、人知れずアイゼンハードに巣食う悪を斬る!』
腕利きのパパラッチが、そのヒーローとやらの影を写真に収めていたのである。
わずか後姿だけ。
だけどノエルには一目瞭然だった。
「あ、シュバルツァーさんだ!」
白い長髪をなびかせて魔法を詠唱している勇姿を、彼女が見間違える訳がない。その後ろには弟子らしき少年の姿もある。
もうひとつのヒーローは?
ノエルの視線の先には、二人の少年が映っていた。
伊藤は新聞から視線を上げると、
「彼はニード。世の中に必要とされる存在です。もうお一人は、次世代の勇者となられたお方です」
ストーカーとニート。
社会の裏側を生きるタクティクスを持つ二人は、それぞれの道で悪と戦っている。
そしてエリックは、かつて自分を馬鹿にしたフロイダと熱い友情を結び、そのバックには強力な協力者――魔王までいるのだ。
もはや彼らに敵など存在しないだろう。
それが例え無法改造しまくったチート大王とて問題などない。
だが伊藤は気になっていた。
それはカノンのことだ。
あのカイルだって改心したというのに、あれだけの感動を手にしたはずのカノンは好き勝手やってきた。
だが、感動というものは感じる方の感性によるものだ。
それでとやかく言うのは、気持ちの押し売りでしかない。俺が感動した本だから読め、お前もきっと感動するだろうと押し切られても、感じ方は人それぞれである。
まぁそのしっぺ返しといえばそうなのだが、カノンは自分の肉体に戻り、レベルは3まで落ちている。もちろん勇者という職業でもない。あれは世を欺くための経歴詐称。
これから彼女には、哀れな末路が待っていると、大抵の者は思うだろう。
彼女がああなった生い立ちを伊藤は知っていた。
別に調べるつもりなどなかったが、日にたくさんの相談を受けているのだ。いろいろな情報が目まぐるしく伊藤の目や耳に入ってくる。だから、たまたま知り得ただけだった。それはあまりにも悲劇なる物語であった。
伊藤は悲しそうにうつむいた。
白く曇るシャープなメガネは、まるで今の心境を投影しているかのようだった。
だが――
どんなに辛い過去があろうとも、悪事をして良い法なんて存在しない。
その結果、悪徳武器商人のゴンザのような最期を遂げるのが世の常。
だがカノンはゴンザのように強いわけではない。
今の彼女は、何もない。
全身には囚人たちを守ってできた傷跡がある。
更に目まで見えない。
なのに社会的弱者や罪人を従えて義勇軍を立ち上げ、闇の凶悪集団チートに戦いを挑んでしまっている。すべて魔王の行動で起きた結果なのだが、あまりにも過酷な未来が彼女の肩に重圧としてのしかかっている。
逃げようにも、彼女を慕って集まった義勇軍の目がある。
盲目の彼女に果たして逃げ延びることができるだろうか。
カノンはどうするのだろうか。
また今までのように傍若無人を振るうのだろうか。
それとも――
カノンはただの悪ではない。
信念のある悪だ。
利用できるものはすべて利用して、のし上がろうとする。
そのために道化を演じることはもちろん、バカを装うことすらいとわない。
もし私利私欲の為だけに悪をやっていると、いざというときに芯がぶれる。
それが見当たらない。
まるで悪と正義が戦えば、必ず悪が勝つと信じて疑わなかったゴンザのようである。
いや、あのゴンザをも超える凶悪な一面だって持っている。
大抵の悪は、心が弱い。
だから、状況が悪くなったらすぐに逃げる。
だが正真正銘の悪は、己のタクティクスをかけてその道を貫こうとする。
あのゴンザが最後まで勝利を諦めず、愛娘を手にかけ、仲間だったラドンの肉体をも奪って完全体へと進化したように。
そして、その結果――
「どうしたの? 伊藤さん」
「あ、いえ。ノエル様、カトリーヌ様、ひとつご質問をさせてください」
「あ、はい」
「人は変われると思いますか?」
一瞬きょとんと首を傾げたノエルは、にっこり笑って、
「伊藤さんらしくない質問ですね。伊藤さんのおかげであたしもカトリーヌも変われたんだよ」
カトリーヌも強く頷いた。
父――ゴンザを失ったカトリーヌ。
けれど伊藤やノエル、その仲間を恨みはしなかった。
今度は母を変えてみせると言って、今、懸命にもがいているところだ。
伊藤はショーケースを見つめた。
その中には美しく磨かれたひのきの棒が眠っている。
それは多くの冒険者に夢と勇気と希望を与えてきた、己の最高傑作である。
――カノン様。あなたがこれからどのように生きられるのか、これ以上わたくしの詮索することではございません。
ただ……
人は変われる。
己の強い心次第で……
to be continued...




