第二十二話 不安
王都に入ったのは、三日後の朝だった。
アルテミアの外交馬車が王都の正門をくぐるとき、ルミナは窓の外を見ていた。
見慣れた石畳。見慣れた街並み。
しかし最初に感じたのは、懐かしさではなかった。
魔力の乱れだった。
「……深刻です」
思わず呟いた。
「どの程度ですか」とザイルが聞いた。
「想定より悪い。街全体の魔力循環が乱れています。北区画だけではなく、王都の中心部まで歪みが広がっています。正門をくぐった瞬間からはっきり感じます」
「修復は可能ですか」
「可能です。ただ」ルミナは目を細めた。「一人ではできない規模です。父が一緒でよかった」
馬車の向かいに、オスカルが座っていた。父もまた窓の外を見ていた。長年離れていた王都を、静かな目で見ていた。
「北区画の手前で、すでに感じます」とオスカルが言った。「五年前の最後の点検のとき以上の歪みです。報告が通っていればと思う」
「今日、通します」
「そうだな」
父が小さく頷いた。
「ルミナ、最悪の場合を教えてください」
「あと四日から五日、手をつけなければ、北区画の基幹陣が完全に崩れます。そこから連鎖が起きれば、二十四時間以内に王都全域の魔力供給が止まります」
「急ぎます」とザイルが言った。
「はい」
王城の応接室でテオが待っていた。その隣に、ルミナが初めて直接目にする女性が立っていた。
シェラ・ノイン。
想像していたよりも若かった。ルミナと同い年か、少し下か。茶色い髪と、大きな明るい目。緊張と見栄が複雑に混じった表情で、しかしその奥に、何か怯えたような色があった。
ルミナはシェラと、一度だけ目を合わせた。
憎しみはなかった。関心、と言うのも正確ではない。ただ、この人物もまた何かに追い詰められている、という感覚があった。怯えた目で、しかし逃げずにルミナを見ている。それがわかった。
責める気持ちも、わかってほしい気持ちも、ルミナにはなかった。ただ、この人物の今後を、ルミナは案じた。追い詰められている者が、この先どうなるかを。
ルミナはテオの方を向いた。
「ヴェルナード侯爵家、技術支援の要請を受け、参りました。エルカリナの制御理論に基づき、王都の基幹魔法陣の診断と修復を行います」
テオが頷いた。「助かる」と言いかけて、止まった。何かを言い直すように少しの間黙り、それから「よろしく頼む」と言った。
「では、地下施設への案内を」
「すぐに手配する」
余分な言葉は、なかった。ルミナもなかった。それで十分だった。
地下への階段を降りながら、ルミナはザイルの隣を歩いた。王城の地下は、思っていたより深かった。灯りの魔法陣が、規則正しく並んでいる。しかしその光が、すでに不安定だった。明滅はしていないが、普通の目には見えない揺らぎが、ルミナには感じ取れた。
案内の役人が前を歩き、ルミナたち三人がその後に続いた。長い廊下を進み、重い扉を抜け、また階段を下りた。
「ここからが仕事です」
ルミナは小さく言った。
「はい」とザイルが答えた。
父が後ろで頷く気配がした。
三人が並んで、地下の通路を歩いた。
それがどれほど大きな一歩だったか、その瞬間には気づかなかった。ただ歩いた。ただ進んだ。
しかしルミナは、廊下を歩きながら感じていた。
地下に近づくにつれ、魔力の乱れが濃くなっていた。空気が違う。圧が違う。何十年分もの歪みが積み重なった場所に、今向かっている。
それをルミナは恐れていなかった。
むしろ、落ち着いていた。
やるべきことが見えているとき、ルミナは落ち着く。祖父が書き、父が研究し、自分が体得した技術の意味が、今日証明される。それだけのことだった。
それだけのことが、百年分の意味を持っていた。




