エギル・ヴァイキング 其の2
「アイツらぁ、全員こん中だ…運んでやってくれ。」
半日に及んだトロールとの死闘の果て、私達はその大半を討ち果たした。
数匹を逃がした悔いは残るが、当初掲げた目的は果たしたといえるだろう。
なおも血の匂いが漂い、戦場の余韻が空気を重く染める中、エギルは低く、静かに呟いた。
彼が示す先。命を削り、誇りを賭して守り抜いた洞窟の奥に、十名に及ぶヴァイキングたちの亡骸が、無言のまま横たわっていた。
「彼らを…そのためにずっと戦っていたのでしょうか?」
トロールは一体だけでも恐ろしく強い。
それを三日三晩、戦い抜くことが人間に可能なのだろうか。ましてや、既に亡くなってしまった人を守る為に…。
戦いを終え、静かに目を伏せるエギルは、私の問いかけに静かに語った。
「戦って死んだんだ、悔いはねえだろうさ。だがな、誇りを胸に死んでいった家族を喰われるなんて許せねえだろうが。……すまねえ、俺はエギル。部下共含めて随分世話になっちまった。」
そう言うと、エギルは膝に手をつき、深々と頭を下げた。
エギルという人物像が、私の中で分からなくなっていく。暴力ですべてを支配する恐怖の象徴として伝え聞いていたが、彼は強くも賢く、こうして人としての義や人情に篤い人間だった。
「頭を上げてください。私も似た境遇から救われたのです。私達を救った英雄の城、ポヨジニアに案内致します。」
城に帰る道中、警戒こそしていたがトロールに出くわすことは無かった。
その代わり、エギルの指示によって始末した後のトロールの体を集めて持って帰ることとなった。
その数は多く、湖のほとりで大きな筏を何艘も作って乗せたほどだ。
「このトロール、何に使うんでしょうか?」
「食うんだよ。俺ぁこいつらを喰って戦ってたんだ。特に肝を齧らぁ傷が塞がるんだ。」
「そんな効果が…いや、あの再生力、あり得る話です。」
準備を終え筏を繋いで、船で湖を渡る。太陽は地平線に沈みかけ、青い湖がオレンジ色に染まる。
風も無く静かな湖の上で、エギルの唄う詩が、朗々と流れた。彼は闘いの後、詩を詠むことを好んでいるのだ。
荒ぶる波を裂きて
鋼を握るこの手あり
雷を孕む怒声をもって
我が敵どもを迎え討つ
──されど
息子よ、友よ
汝らが血は冷たく地に伏した
炎のように笑ったその顔も
いまは影に沈みぬ
──よって
わが心、刃となりて誓わん
逃れし者ら、いかに隠れようとも
屍となるまで、
我は歩みを止めぬ
血をもって、血を購う
死をもって、死を償う
それが我が誓い
それが我が生きる道
しぃんと、全員がエギルの唄に耳を傾ける。
それは血の誓いだった。
戦いへの昂り
息子と仲間の死を悼む悲しみ
逃げた仇に血による償い(復讐)を誓う
そういった彼の想いが籠った唄だった。
「俺が戦ってた化物はなぁ、こんなんじゃねえんだ。こいつらより、もう一回りデカくて、黒い色をした奴がいたんだ。そいつがよ、壁をたたき割って逃げやがった。逃げやがったんだッ」
「俺ぁ許さねえぜ。」
エギルの目は、遠く、閉ざされた世界の先を睨みつけていた。
この男なら、いいかもしれない。
「エギルさん。」
「エギル、でいいぜ。」
「エギル、私もこの先に進みたいのです。私なら、貴方をこの先の世界へ連れていくことができます。」
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六層が拡張されたことに伴い、ポヨジニアは大きく変わっていた。
片倉やヴァイキングが合流したことで、ポヨジニアが内包する人口と戦力がぐっと増えた。
屈強な男手が増えたことで、湖から侵入するラウガルフェルト・リルファの撃退が可能となり、女子供が昼間でも村の畑で作業することができるようになっていた。畑や森から、不足していた食料が供給され、城の修繕や村を囲うバリケードの建設も順調である。
そして、片倉達が連れてきた人の中に夢想無限流が抱える鍛冶師が居たのだ。
彼の指示により鍛冶場が作られ、ラウガルフェルト・リルファから採取されるラウガルフェルト鉱石を使った造剣が開始された。ヴァイキング達の武器はほとんど破損しており、ラウガルフェルト鉱石を使った斧が大変喜ばれた。
また、トロールの肉や毛皮も重宝される。これにより防塵防水の優れたレザーアーマーが増産された。
なにより肝臓を乾燥させ、数種類の薬草と練り固めた丸薬が凄まじい効能を発揮する。この丸薬を飲むことで切り傷程度なら立ちどころに再生され、折れた骨も数日で治癒するのだ。
「ミーシャ様、本当に行かれるのですか?私は心配で…心配でなりません…」
「すぐ帰ってきますから、大丈夫ですよ。エギル、行きましょう。」
ポヨジニアが順調に復興し、武器も回復薬もそろった今、私はエギルを連れて先に進むことにしたのだ。つまり、これより第七層を通り、第八層を目指すのだ。
進化の箱庭の特性上、先に進むことはできても戻ることはできない。ゆえに、帆世様は私に先に進んではいけないと強く言っていたのだ。
だが、ウィンドウが扱えるようになって、私には隠された力があることに気が付いた。
そのステータスは…
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【ミーシャ】
主な称号:[失われた世界の住人]
主な保有武器:ラウガルフェルト槍
保有スキル:階層転移
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【階層転移】
とは何なのか、検証を重ねた。
スキルが発現したのは、私がラウガルフェルト・ドレーキにつかまり、命を落とす直前なのだと思う。
私自身の努力や才能とは関係なく、私の体を第五層に転移させるために植え付けられた力なのだ。
このスキルを使うことで、私と私が触れている人間を第五層に転移させることができる。
それ以外の転移先は選ぶことができないのだが、第五層に転移することができるなら、実質的に第六層に帰る術を得たと言える。
この第六層を出て、少しづつダンジョンを進む。状況次第で第五層に帰るという、比較的安全な攻略ができることに気が付いたのだ。
「ミーシャ、俺のことはいくらでも使え。血の誓いを果たすためだ。」
エギルが斧を振るい、見えない壁に亀裂が入る。
そこから覗くのは夜の湖のような暗く揺れる闇だった。
意を決して飛び込むと、一瞬上下左右がわからない浮遊感に襲われ、気が付いた時には砂っぽい地面に立っていた。
——進化の箱庭 第七階層——
帆世様が記した詳細な情報が載っている。
私達の村を破壊したラウガルフェルト・ドレーキによって開けられた穴が洞窟のようになり、そこを進むことで第八層に繋がっているのだ。
「ミーシャ、これを見な。やっぱり奴さん、ここを通ってやがる」
エギルが地面に膝をついてなにかをつまみ上げる。
それは血がこびりついた長い黒色の毛だった。エギルだけが見たという、巨大なトロールの物に違いないらしい。
「この階層にいるかもしれませんね…気を付けて進みましょう。」
「気配は…しねえな。」
薄暗いトンネルを二人で歩く。
お互いに知っている情報を交換しているうちに、私の過去の話や、帆世様との出会いについても話すことになった。
「その白の英雄様の書いた手紙を基に進んでるわけだな。俄かには信じらんねえが…そうも言ってられねえ世界になったんだな。」
「帆世様の隣に立つことが私の望みです。そのために先に進みたいのです。」
「おう、任せな。俺も会ってみてえな。」
帆世様の書によると、八層にラウガルフェルト・ドレーキが居る可能性が高く、九層ではトロールと交戦したと記録されている。
「エギルはどうしてヴァイキングに?そもそも何歳なのですか?」
「齢なんざ数えてねえよ。そうさなあ…ガキの頃から海に出てたぜ。」
そうして語られるエギルの過去は凄まじいものだった。
この島の開拓者、スカラグリーム・ケヴドルフソンの息子として生まれ、少年期には仲間と激しく競い合い、時には敵対者を殺めるほどの戦いだったという。またその頃から詩を詠むことを好み、何かある度に詩を残すことにしたという。
10代半ばで海を渡り、大陸に到達する。その地を治めていたエイリーク血斧王と、その王妃グンヒルドとの確執を深めた。王家と戦い、弟を戦争のさなかに亡くしてしまう。この悲劇がエギルの復讐心に火をつけ、怒りと悲しみを詩に託しながら、王家への血で血を洗う報復劇を開始する。
見事復讐を果たした後、ヴァイキングとして仲間をもって再び海に乗り出した。時には異国の王に捕らえられ処刑されそうになるが、なんと断頭台でその王を称える詩を詠み、王から気に入られて九死に一生を得たとか。
武人としては百戦錬磨負け知らずであり、多くの貴族から金品を強奪し、時には貧しき者の村で大宴会を開いて食料をふるまった。
そうしてエギルの話を聞くだけで2日間も過ぎ、遂に七層の終着点へとたどり着く。
再び壁に亀裂を作り、八層へと至ったのだ。
——進化の箱庭 第八層——
鉱毒に侵された大地が、どこまでも続いていた。
草一本生えず、木も朽ち果てた鉄の岩山が、見渡す限り連なっている。
川らしきものも流れていたが、濁った赤茶色に染まっていた。
岩の成分が溶け込んでいるのだろう。ミーシャは水面に手を伸ばしかけ、すぐに引っ込めた。とても口にできるような代物ではなかった。
「……火山の近くの水は飲むなって、こういうことかしらね」
ミーシャが呟いたその瞬間だった。
岩陰から、ざらついた音を立てて何かが飛び出す。
「どきなィ」
エギルが私の背中を庇い、身構えた。
跳びかかってきたのは、2メートルほどのトカゲだった。
ゴツゴツした灰色の鱗は、この荒れ果てた地形に見事に溶け込んでいる。
鋭い爪を振りかざし、一直線に襲いかかってきた。
素早く後ろへ跳び退きながら、短剣を抜く。
エギルは一歩踏み出すと、脇にぶら下げた斧を勢いよく振り上げ、トカゲの首を落とした。
「書いてある通りだったな。」
「…ありがとうございます。」
首を落としたトカゲを、エギルがじっくりと解体していく。
皮をはぎ、臓器を取り出して地面に並べていく光景は、私にとって初めて見るものだった。
「あの、何をなさっているんですか?」
「んン…解体してんだ。」
「…どうして?」
「生物には殺すも生かすも方法があるんだぜぇ。筋肉、骨格、臓器、良く調べることが俺のやり方ってわけだ。」
地面に丁寧に並べられたトカゲだったモノ。
暴力と理性の両面が彼の心の中に棲んでいるのだと思った。
乾いた風が吹きすさぶ。
遠くには朧げな山影がいくつも重なり、鉄錆色の空に溶け込んでいた。
私達は、緩やかにうねる岩山の合間を縫うようにして、慎重に歩を進めていた。
この第八層には、地図に記された道など存在しない。帆世様が一直線に第九層に向かわれたためだ。
だからこそ、ここのエリアを探索し、情報を持ち帰ることに意味がある。
黙々と歩みを進めるうち、エギルがふと立ち止まった。
私もその視線を追う。
遠くの岩山群に混じり、ただ一つ、浮いて見える存在があった。
周囲の茶褐色や赤錆色の山々とは明らかに違う、漆黒の光沢を放つ山塊が、地平線の向こうに鎮座していたのだ。
「アレが、アレか?」
「ラウガルフェルト・ドレーキ。間違いないでしょう、ただこんなに大きくなるなんて…」
目標となった黒山に近寄るにつれ、乾いた大地から微かな震えが伝わってきた。
近づくほどに、その巨大さが実感を伴って迫ってくる。
黒い山のように見えたものは、確かに生き物だった──かつては。
しかし、今。
「……動かない。」
ミーシャが囁くように言った。
ラウガルフェルト・ドレーキの表面は、鉱山と一体化するように盛り上がり、
背には鉱物が群生し、まるで大地そのものの一部と化していた。
皮膚の割れ目からは、赤黒い液体がにじみ、乾いて鉄錆の層を作っている。
それでも、確かに僅かに、地面は震えていた。
規則的な、腹の底に響くような震動。これはラウガルフェルト・ドレーキが大地を削って浸食していることを意味していた。
「動けねえ、が正確かもしれねえな。山一つ背負ってんだ、動き回るには重すぎる」
「採掘、始めましょうか。」
取り出すのは、ラウガルフェルト鉱で作ったツルハシだ。
ラウガルフェルト・ドレーキの尾から這い上がり、ゴツゴツとした鱗を伝って背中によじ登る。
剣の突起のように突き出た光沢のある結晶にツルハシを突き立て、その破片や鉱石をバッグに詰め込んでいく。
ここが終着点、エギルがバッグに詰めたあらゆるアイテムを放棄して鉱石を代わりに詰めていく。
そうだ。あることを思いついた私は、着ているローブを脱いで結晶に括り付けた。
「ミーシャ、何やってんだ?」
「目印です。ここの下に捨てていく道具を置いておこうかと。次に来るとき、もし見つかればと思って。」
「機転が利くな、そういうとこ好きだぜ。」
ツルハシを振るい、空いた穴に道具を納める。
ラウガルフェルト・ドレーキの鱗や結晶は尋常ではない高度を誇り、エギルの握っていた斧が砕けるほどだった。
背中を削られているドレーキは、私たちのことなど気にしていないようで、時々揺れが大きくなる程度だった。最初は小さな欠片しか取れなかったが、持ってきたツルハシが全て壊れるころには、二人のバッグをいっぱいにすることができた。
「帰りましょう。これを何度か繰り返すつもりです。」
「オウ、確かに力が増した気がするぜ」
ドレーキを斬った剣聖によると、その命を殺めなくても戦うことで鍛錬になることが示唆されていた。
ラウガルフェルトの襲来に対して前線に出ていた私や、トロールと戦ったエギルは、二人とも常人ではありえないほどに身体が作り替わっていた。
「体ぁ鍛えて、武器を鍛えて、道の先にいるアイツをぶち殺してやる…それが俺の誓いだ」
「では、捕まってください。しっかり。」
——【階層転移】——
六層を出発して七日間、水も食料もとうの昔に尽きていた。第五層に至り、重たいバッグを引きずるように再び壁を超える。
第六層に戻ると、事前に連絡をしていたためか全員が集まって出迎えてくれた。初めての遠征成功に、城は祝福の祭りを催してくれる。
私とエギルという、城にとっての重要な戦力を七日間も不在にすることに不安はあった。
しかし、得られたものも大きい。詳細な情報とバッグいっぱいの新たな鉱石。
先を進む片倉達にとっても役に立つだろう。これから続々と新たな旅人が六層に到達するというし、そのたびに相応の化け物が現れてもおかしくない。
少しでも早く城や街を大きく発展させ、戦うための武器と力を蓄える必要があった。
「明後日、私たちはまた八層に向かいます。」
「ああ、この城は任せてほしい。我々は師匠が到着するまで、ここの街を整えるよう命じられているのです。」
片倉達はとても誠実で、その実力も文句なく高い。
不測の事態に陥っても、彼らなら戦うことができるはずだ。
エギルが酒を片手にヴァイキング達のもとに行き、私はもう一仕事するつもりだった。
水、食料、武器、薬。あらゆる物資を抱えて第五層に飛ぶ。
何かあった場合、五層を一定期間使える拠点にしようと思っていたのだ。
「ふぅ…帆世様はいつ来ますでしょうか…また無理をされていないでしょうか…ミーシャは心配です。」
星に呟く。
ここが閉ざされた世界だと信じられないほど、空は高く、星は瞬いている。