無限回廊 其の1
90話を超え、少しずつストーリーが進んでいます。
もうしばらく2章が続きますのでお付き合いください。
私は今、「無限回廊」と呼ばれるダンジョンの入口に立っている。
場所は、ソロモン諸島のとある無人島。地図にも載らないこの孤島は、衛星から見てもただの密林にしか見えない。僅かな白いビーチを超え、その奥深く、深い緑の間に流れる潮風と腐葉土が交じる湿った熱帯の空気をかき分けて、進んだ先にそれはあった。
鬱蒼とした自然の中に、明らかに不釣り合いな豪勢な門が姿を見せる。
ご親切にも、『無限回廊』と書かれているのだから、そりゃ真人も知ってるわ、と思った。
隣では、レオンが義手の調整をしていた。手首を回し、掌を開閉しながら、金属が擦れる音を確かめている。その背中には、ゴルフバッグのように大きな荷物がある。さらに左手には近未来な見た目の、不思議なサブマシンガンを構えていた。
「準備はいーい? このダンジョンで三つ目。ダンジョンコンプリート勢は、ついに私達二人だけだねっ」
私が軽く言うと、レオンは皮肉気に口角を上げる。
「魅力的な提案だな。――仮に、生きて帰れたらの話だがよ」
そう言うなり、彼は迷いなく門に手をかけ、空間の亀裂へと飛び込んだ。
ちょ、待てや! 私も慌てて続く。
瞬間、亀裂が閉じる音もせず、世界が裏返るような感覚に包まれる。
光が砕け、重力がねじれたような違和感のあと、私たちが降り立ったのは、薄暗いながらも荘厳な、木造の宮殿とも城ともつかない建物の中庭だった。
空には天井らしきものがなく、雲のような何かが揺らめいている。足元は漆塗りの板のように黒く、ところどころ苔が生えている。静寂の中に、水琴窟のような高く柔らかな音がかすかに響いていた。
その静けさの中、目の前に一体のゴブリンが倒れている。首を斬られ、返り血も乾かぬうちに絶命していた。やったのは、レオンだ。
「えらく人工物ね。敵はそいつだけ?」
「ああ、こいつだけだ。」
さあ、行こうぜ。そういうように、レオンがさっさと先に進む。私たちが向かう先は、得体のしれない巨大な建造物の内部である。
建物に足を踏み入れた瞬間、私は一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなった。
目の前には、石造りの玄関と、木造の居間。そして白い灰の中で赤々と炭が燃えている囲炉裏。静かにゆっくりと燃焼する炭火に照らされ、分厚い肉の塊が鉄串に刺さり、じゅうじゅうと脂を落としている。隣では、竹皮で包まれたままのおにぎりが、ほのかに湯気を上げていた。
「……ドラゴンでも出てきた方が、まだ予想できたな」
思わず漏れた声は、高めた緊張感と、かっこつけて先に進んだ勇気の両方が無に帰したことを伝えていた。
「まるで、田舎のおばあちゃん家ってとこね」
囲炉裏の周りには畳のような床材が敷かれ、木の柱には煤の跡。だがその奥には、明らかに異質な要素――アメリカンBBQ風の金属製の焼き網、ケチャップやマスタードが入ったチューブ容器、缶ビールまで転がっている。
伝統的な日本の田舎と、無理矢理アメリカ文化を混ぜ込んだような、歪で妙にリアルな生活空間がそこには広がっていた。
流しは年季の入った木製だが、蛇口をひねるときちんと水が出る。しかも冷たい。奥には布団が几帳面に畳まれ、さらにその向かいにはトイレまで設置されている。しかも水洗だ。
「誰かが住んでる……ってわけでもなさそうだけど」
「完全に俺達のために用意してるな。俺、こういう肉好きなんだよ。」
「え、ぽよちゃんの肉。」
まるで、最初の侵入者を歓迎するかのように。
そして何より――肉とおにぎりの匂いが、どうしようもなく美味しそうだった。
香ばしい匂いに釣られて囲炉裏へと歩み寄った私は、ふと目の前の畳に置かれた一枚の紙に気づいた。
それは、真っ白な和紙。きめ細やかな繊維が光を鈍く反射している。中央に墨で書かれた文字は、筆で一気に書き上げたような力強い筆致だった。誰のものかはわからないが、圧倒的な自信と威厳を感じさせる、そんな文字だった。
私は膝をつき、和紙の内容をゆっくりと目で追った。
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無限回廊へようこそ。
この空間は、八一九二分の一の確率を乗り越えた者のみが突破できる試練の地である。
進むたびに冒険者の前には「2つの扉」が現れるだろう。片方は次なる扉へ続く正しき道、もう一方を選べば始まりの地へ戻される。
この回廊において、時間は限りなく遅く流れている。
外界に比して、ここでの挑戦には時間的代償が存在しない。
ゆえに、選ぶがいい。時は言い訳にはならない。
失敗を恐れず、幾度でも扉を選び、己の運を、意志を、魂を試すがよい。
その資格がある者にのみ、我と語らう時間を与えよう。
――進む意思を持つ冒険者よ。最奥にて待つ。
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「どう思う?」
「とりあえず、行くしかねえんじゃねえかな。扉って、アレだろ?」
レオンが黙って顎をしゃくる。私はその視線を追い、思わず息を呑んだ。
「……あれ、さっきまであんなのなかったよね?」
囲炉裏の奥、柱の間に挟まれた空間が、まるで空気を削ぐように歪んでいた。そこには、先ほどまでは存在しなかったはずの通路が、静かに開けていた。
木造の床がほんの少し傾きながら、奥へと続いている。その先には、確かに二つの扉があった。
右手――緑色の渦がぐるぐると回転する、翡翠のような光を放つ扉。
左手――青く深く、底の見えない水面のように光を湛えた扉。
「よし、ちょっと実験がてら進んでみるぞ。」
そう言って、レオンは囲炉裏の脇にある柱へナイフを突き立てた。木の表面にぎゅっと刃を走らせ、荒い線を刻む。さらにバッグから取り出した一発の弾丸を、囲炉裏のそばへ転がしておく。
「なるほど。頭いいね。」
「戻されるてのも良く分からんが、この空間がリセットされる可能性があるしな。」
「扉は、ぽよちゃんが選ぶね。」
左右の扉を見比べる。もちろん見て何かわかるわけでもない。
何となく島に入った時の鬱蒼とした緑が、この扉の緑色に似ている気がした。選ぶのは右だ。
この世界では、別々の空間に飛ばされる可能性も十分にある。それを見越して、私はレオンの手をぎゅっと握る。
「絶対、離れないでね」
「それはこっちのセリフだ」
二人で呼吸を合わせ、扉に一歩ずつ、足を踏み入れる。
緑の光が、視界を飲み込んだ。
緑の扉を抜けた先、空間がふわりと歪み、視界が晴れる。
「……うわっ、なにここ」
目の前に現れたのは、まるで龍の背骨のようにうねり上がる木造の階段だった。
木の質感は古びていながらも力強く、梁は天井にまで伸び、まるで巨大な生き物の体内を進んでいるかのような錯覚を覚える。
「どうやら……当たりを引いたらしいな」
レオンが目を細め、足元を確認する。来たばかりだというのに、既に下が見えないほど高い位置に立っていることが分かった。足元には長い長い階段が続いていて…
その足元――つまり、私たちが今まさに立っている階段が、ゴトンと鈍い音を立てた。
「え、なに今の…」
振り返ると、数段下の階段が、木の枠から外れて落下していったのが見えた。
ゴトン…ゴトン…一定のペースで足元が崩れ落ちていく。
「うそ、なにこれ、落ちてる!?」
「オイ、走れっ」
階段は下から順番に、板が抜けるように落ちていっている。足元の確保はもうできない。私たちは、とにかく登るしかなかった。
ギシッ、ギシッ、ときしむ木材を踏み鳴らしながら、私は先へ先へと駆け上がる。
階段の落下に追いつかれる心配はなさそうだが、先の階段が崩れない保証もないのだ。
後ろをレオンが付いてくるが、彼も特に問題はなさそうだ。
何度目かのうねりを抜けた先、階段が二手に分かれていた。
「次は左に行ってみようぜ!」
りょーかい、左に進むとすぐに扉が現れた。
どこまでも続いていそうな青色が深く、そこにキラキラと微かに光るものがある。
えいやっ レオンと一緒に飛び込んだ。
「当たり……っぽい?」
1/4。25%を掴んだみたいだ。
扉を抜けた先は、初めて見る屋外の景色だった。
足元には短く刈られた柔らかい芝生が敷き詰められていて、裸足でも歩けそうなほどに心地よさそう。芝の上に並ぶように、左右対称に設置された灯篭がほのかに炎を灯していた。火は揺らがず、まるで道を示すかのように真っ直ぐに燃えている。
「幸先いいなっ。ちなみに1/8192つーことは、13回連続正解だ。ちなみに、約2万回チャレンジすれば、相当運が悪くても正解を引けるぜ。」
「簡単な作業を根性で乗り切るのは得意ぽよなあ。にしても、レオン計算早いね。」
「そうかあ?」
立ち話をしすぎていたのかもしれない。
目の前の灯篭から、ふっと炎が消えた。光が消えるのと同時に、先の見えない森から矢が飛び出す。
「むむ!せいっ」
腰に差した銀爪ベルフェリアを引き抜き、飛んできた二本の矢を斬り払う。
大して早いわけでもなく、毒が塗られているというわけでもなかった。
「あっぶね。さっさと進めと、主がお怒りの様だな。」
「こんな退屈の極みみたいなダンジョン作っておいて、随分気が短いのね…」
右、左と進んできて正解を引いている。
何となく、次はもう一度左に進んでみることにした。
何となく気になって、道中の灯篭を蹴り飛ばして炎を消してみる。
四方八方から矢が飛んできて、主からおしかりを受けている気分になった。
「静香…腐っても日本人だろ…突拍子もない事、良く思いつくよな。」
( ๑❛ᴗ❛๑ )ぽよ~。
進んだ先に、青い扉が待ち受けている。そんなに距離はなく、単純に走れば1分かからずで辿り着くだろう。
「そーれ、目指せ1/8!」
飛び込んだ先で待ち構えていたのは、ゴブリンが二匹。
その先には巨大な城のような建物があり…ハズレだったみたい。
「あちゃー。」
「さっさと片付けるぞ。実験には十分な成果だった。」
ゴブリンが二匹に増えたのは気になるが、刀を抜くまでもない。
距離を詰めて、その首に掌底を放つだけで簡単に殺すことができる。もう一匹にも拳を合わせ、さっさと建物に入る。
私はどうも、ゴブリンが心底嫌いなようだ。
汚れた手を水で流していると、レオンが部屋を探して声をかけてくれる。
「肉うめぇ~。」
「おいこら、ぶっとばすぞ」
「レディがなんて言葉吐いてんだよ、半分残してるから心配すんな」
レオンから肉の刺さった串を受け取り、一口齧る。
うんまぁ~い! 炭火で焼いた料理ってどうしてこんなにおいしいのかしら。お肉の脂が口に広がり、すかさずおにぎりを一口食べる。
私は焼肉食べ放題であっても、白米を注文してしまうタイプの人間だ。
「印、ちゃんとあるな。銃弾もそのまま残っている。」
「じゃあ、この部屋はそのままってことね。次はご飯がどうなるか、そこが気になるわね。」
「ああ、これが無けりゃゴブリン肉だな。」
「最終手段ね~。あ、さっきの矢持ってきたんだけど、ちゃんとあるわ。一応物資を集めることはできそうよ。」
一回の試行で得られた情報としては十分だった。
傾向から予測するに、本当に1/2を選び続けることでクリアを目指すらしい。
各階層、さっさと次を選べと急かされるような仕組みになっているようだ。
「とりあえず、100チャレンジくらいしてみようかしら。スキルの練習しながら進めば、退屈しなさそうだわ。」
「ああ、危険は低そうだな。今度は二人とも別々に進んでみるか。」
こうして、ちょっと変わったダンジョン攻略が始まったのだ。
無限回廊、その主が静に冒険者を待っている。