微笑む福音のベルフェリア
『嗚呼…愛しき神の使徒よ…勇ましき英雄たちよ…私の名はベルフェリア。』
天井の虚空から、巨大な顔がゆっくりと現れる。その中央より、一人の悪魔が静かに姿を現した。
微笑をたたえたその者――福音を語るベルフェリア。最も長き時を生きる、原初の悪魔の一柱である。
「二人とも、私の指示に従って。こもじは、デルタチームに状況を共有して。
私が許可するまでは、絶対に祭壇に近づかないように伝えて」
(´・ω・`)おけ。
「これは……ベルフェリアは、俺たちが呼び出してしまった悪魔です! 話を聞いてはダメなんです!」
明らかに異質な存在が、こちらを見て微笑んでいる。
この雰囲気……かつて邂逅した“水神”に酷似していた。生物の域を超え、神格へと至った存在に違いない。ベルフェリアが口を開くと、空間から音が失われるような錯覚に包まれた。声は空気を震わせるものではなく、魂へと直接語りかけてくる。
『うふふ…やっぱり貴女が今世の救世主なのね。
突然の干渉、強制された試練。よく生き残りました。
貴女の人知れぬ努力を、私は見ていましたよ。
自分の身ではなく常に友を救うために生きている。自己概念が希薄なのかしら?
今では守るべき友が、色んなところにいるみたい。
私を受け入れなさい——貴女の魂なら、私の全てを受け入れられるわ。』
言葉の端々に気になることが散りばめられている…。
この超常な存在と会話したい、そんな強烈な欲求がむくむくと大きくなっていくのを感じる。
矢面に立っているのは私だ。一言一句がどう作用するのか分からない。
だが——つい流してしまいそうになるが、いくつか疑問が浮かんでいた。
疑問が浮かぶということは、私は自分の頭で考えているということ。今はそれが大事だ。
疑問その1。なぜ3人のなかで私が選ばれたのか。
⇒受肉後の肉体の強度でいえばこもじ一択だろう。彼の体で暴れるだけで、止められる人間はいない。
そもそも生贄になっていたのはルーカだ。それを覆すほど、私を狙ってきている。
この中で私に特徴があるとすれば、魂の器に他ならない。これが欲しいのだ。
疑問その2。魂を奪う方法は何なのか。
⇒魂をとどめておけないほどに肉体を破壊すること。うーん、フニちゃんがいたら…。
私じゃ分からないことが多すぎるので、いったん思考保留。
疑問その3。よくしゃべるな、こいつ。
⇒私の気を惹くために、私用にあつらえた言葉だ。
圧倒的格上であれば、気を惹くために相手に言葉を尽くす必要などない。
——ベルフェリアは本当に格上なのだろうか?
ウィンドウオープン。記せ、万理の魔導書。
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ж微笑む福音のベルフェリアж
異界の住人。第一階級:原初の冠と呼ばれる最古の悪魔の一人。
召喚の儀式によって地球に現れ、人間に受肉することで世界に定着する。
——これ以上の参照権限無し——
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高位な存在には間違いない。碌な情報が無いが、召喚の儀式/受肉という言葉が気になる。
そっちから調べてみよう。
「ルーカ、召喚の儀式について知っていることがあれば教えて。」
「は、はい!ウィンドウに記した記録があるのですが…それよりベルフェリアが…」
「ん、中々優秀じゃない。勝手に“視る”わよ。」
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≪4/14の記録≫
~神とは――この地球そのものなのだと、俺は思う。~
ж召喚の儀式ж
異界の住人を呼ぶため、世界を接続する儀式。
世界同士を繋げる術式は非常に高度であり、様々な制約を課すことで実現させる。
世界に排斥される悪魔を召喚する時、その魂のみを呼び出して受肉させる必要がある。
ж受肉ж
己の魂を他者の肉体に宿すこと。
肉体の持ち主の了承を必要とする。
魂の格が大きく乖離する場合、成功しない。
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ふむふむ。ベルフェリアについては一旦無視しておきましょう。
にこにこと私を見る目だけを、真っすぐ見返してやる。が、その裏で私が見ているのはウィンドウに記されたルーカの手記と、万理の魔導書に刻まれる情報の数々だ。
ようするに、ベルフェリアは真の意味で顕現できたわけではない。
魂だけのくせに、実体がある様に見えるほどに高位の存在ということだろう。あの天井から見えている巨大な顔、あれがベルフェリアの本体にして肉体であると考えれば整合性が取れる。
もう一つ。ベルフェリアが召喚された時の様子を思い返すと、明らかに力技だった。何度も精緻な魔方陣を組んでは邪魔され、苦肉の策で強制的に門を開いたように見える。
であるならば、その召喚には何か強烈な制約があるんじゃないか。
ああ、私を選んでくれてよかった。私なら——
「ベルフェリア。私はあたなを受け入れないわ。超いらんぽよ。」
『“大いなる情報体”、“滅亡した世界”、
私は貴女の知りたいことを教えてあげられるわ。
このままだと、大いなる情報体から無数の試練が下される。
人類を救いたいんじゃないのかしら?』
「超いらんぽよ。」
『箱庭に閉じ込められた少女の解放。
無限の試練に苦しむ巫女の世界。
貴女の守りたい人に大きな受難が降りかかるでしょう。
私を受け入れろと言うつもりはありません。ただ、知ってほしいのです。』
「超いらんぽよ。」
(´・ω・`)ああ、相手間違えたこもね。
『帆世静香—— 人類の救世主よ。
私の話を聞くのです。
それだけで力を与えましょう。
大いなる情報体を打ち滅ぼせる力を与えましょう。
その体に私が触れるのが嫌なのでしたら、相応の武器を授けましょう。
繰り返し世界が滅ぶのを見てきた知識を伝えましょう。
人のためを想うなら、どうか私を受け入れてください。』
「超いらんぽよ。そして、大体わかったぽよ。お前の願い、私は一切聞く気はないぽよ。」
ベルフェリアと帆世静香の距離は、踏み出せば互いに触れられるほど近い。
祈りを捧げるように手を組み、黒い翼をたたえたその姿は、魔に在ってなお神々しい。
大きな瞳には全知の光が宿っている。対峙する人間の心を見透かし、其の者にとって最大の恩恵を授けてくれる。その言葉はまさに福音である。
だから人間は抗えない。遥かに格上の存在が、目線を合わせてくれるだけで心が沸き立つ。
血のにじむ努力を認めてくれる相手を愛してしまう。
求めていた答えをぶら下げられると、他の物が見えなくなる。
ありえないはずの貴重な機会、絶対に逃したくはないだろう。
ベルフェリアの福音は人間の心に入り込む。ベルフェリアにとって、人間とは等しく餌であり、短い時で使い捨てるだけの玩具である。目の前にいる3人、すこし遠いところにいる4人。受肉するなら誰でもよかった。
驚くことにどの人間も魂がある程度育っており、そのうち何人かは心が砕けそうなほどに弱っている。受肉するために付け込むのも容易であった。しかし、一際輝く魂に目を奪われることになる。
帆世静香。忌々しい大いなる情報体がつけた称号は、統べる者・変革の先導者。
明らかに大いなる情報体のお気に入り個体だった。魂に余白は大きいものの、育てば神格を得ることは可能なほどに器が大きい。なにより、彼女自身が気が付いていないかもしれないが、その後ろには多くの魂が連なり、まるで帆世静香を“主”と仰ぎ付き従うかのようだ。
ベルフェリアが、魂を糧とする悪魔が、帆世静香を選んだことは必然である。そして、それが大きな誤算だった。
「超いらんぽよ。」
全く取り付く島がない。その内なる心では膨大な思考の渦が見えるのだが、出力される意思は、微塵も揺らぎがない拒絶である。ベルフェリアに課せられた制約とは、言葉による契約だ。拒絶一辺倒であり、他に干渉できる人間にも手を打たれている。
本来であれば正式な儀式をもって召喚され、同時に受肉が完了するはずだったのだが。
——今回はしかたがない。次の機会まで待ちましょう。
人類が何周も世界を繰り返すなか、悠久の時を生きる悪魔にとって、待つことは大きな問題ではない。
ましてやダンジョンを使えば、今後何度だって受肉の機会はあるのだから。そう思っていた。
『帆世静香。
貴女の意思は分かりました。
私は元の世界に帰ることにしましょう。
私の力が必要になった時、また呼ばれる日を楽しみにお待ちしております。』
「…俺は…助かったのか…よかった…よかったよ…。」
ベルフェリアが諦めて背を向ける。今回の召喚は種まきに過ぎないということだ。
ルーカとこもじの心に安堵が広がる。
こもじ~、私の理解度がまだ足りないんじゃない?
ルーカくん、ごめんけど、まだ付き合って。
「ベルフェリア——お前が帰るのを許可しないぽよ。」
(´・ω・`)えっ
「ベルフェリア。私はお前に何も望まないし、何も許さない。
そんなに力があるのに、会話にこだわったのは制約があるんでしょう。
今のお前には戦う力が無いと断定します。戦う手を崩した相手を前に、みすみす逃がすほどお人よしじゃないぽよよ。」
帆世の言葉が虚空に放たれた瞬間、
——天井に開かれていた“門”が、ごうっ……という音を立てて震えはじめた。
異界と現世を繋ぐ回廊が、契約の力を失って閉じていく。
ベルフェリアは振り返った。
その顔に、初めて明確な困惑が浮かぶ。
『……帆世静香。
本気で、私と戦うというのですか?
後ろにいる二人、そしてこの場に向かっている四人。
全員を殺し、その魂に永劫の使役をさせることもできるのですよ。』
「帆世さん!! どうして!? 無茶です!!」
ルーカの叫びは、悲鳴に近かった。
だが帆世は、微笑みすら浮かべて、ルーカを静かに振り返る。
「ふふ、ルーカ安心して。この期に及んで、まだ言葉で脅そうなんて。
透けて見えるわ。ベルフェリアは肉体と魂が分断されている、殺すなら今この場以外チャンスはない!」
銀爪を鞘から引き抜き天へ構える。
悪魔に虐げられた無辜の魂にとって、暗闇に一筋の光がさした。




