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英雄の戦場~帆世静香が征く~  作者: 帆世静香
第二章 現実の過渡期を過ごしましょう。
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神喚ぶ儀式 ルーカ・ディ・サンティスの視点

グギリ……バキンッ。


ぴちゃ、ぴちゃ……


指の骨が折れる音が、暗く湿った牢獄の中で鈍く響く。生木をねじ切るような湿った衝撃が、皮膚を突き破る。激痛が脳を焼き、白い光が明滅するように視界がちらついて見えた。痛みを少しでも和らげようと、本能的に全身の筋肉を硬直させ、声にならない声を脳内に絶叫させる。


しかし、その痛みが長く続くことは無い。裸の女が床にひざまずき、折れた俺の指先に、艶めかしく舌を這わせていた。生温かい感触と、濡れた唇が骨の裂け目をなぞり、唾液がどろりと傷口に染み込んでいく。空気に露出していた神経は、激痛の代わりに、恐ろしいほどの快感の波を送り込んできた。砕かれた関節が、ぐにりと音を立てながら、正しい形へと“戻って”いく。骨がつながり、皮膚がふさがる。血が引き、痛みが薄れる。


そして、治癒が完了するよりも早く、再び指がへし折られる。

絶叫が喉にせりあがる前に、女の口が再び指先を包み込む。激痛と快感の連続が時間を狂わせ、何が起きているのか現実が朧に溶けていくようだった。


俺を拷問している女の顔には見覚えがあった。俺の通っている神学校の1つ後輩、普段の彼女は敬虔で、思慮深く、いつも静かに祈りを捧げている優秀な子だったはずだ。


だが今、彼女の顔にはそんな面影は微塵もなかった。舌を這わせながら、まるで快楽に身を溶かすように身をくねらせ、虚ろな目で俺の顔を見上げている。ぴちゃぴちゃと、粘液がかき回されるような音は、俺の指からだけ聞こえているわけではない。

その視線に、理性はなかった。信仰も、羞恥も、すべてが融けきったような――淫靡で、壊れた笑みを浮かべている。


ウッ…おぇ…げぇええ


人間の尊厳を失い、変わり果てた姿に、吐き気がこみ上げる。もう胃液すら残っていないのに、それでも、何もかも吐き出したいと内臓が暴れる。出てきたのは数滴の涙だけだった。どうして…こんなことに…。



『ルーカ、ルーカよ。何を意地をはっているのだ、私を見なさい。神とともに生きるのが、我々の使命だったじゃないか。』


閉ざされた牢獄の扉が開き、()()()()()が入ってきた。拷問が中断され、その男が俺に話しかけてくる。目は光なく漆黒に沈み、動物の皮で編まれた本を片手に抱いている。


『その血を捧げなさい。』

『その身を捧げなさい。』

『その心を捧げなさい。』


父の声を使った悪魔の言葉が、脳内に入り込むように何重にも響く。

あの日、遺跡の最奥で行われた禍々しい儀式の日が思い出される。父が闇に堕ち、多くの信者が化物に変わり果てた最悪の日。苦い記憶に唇を噛みしめ、どうにか正気を繋ぎとめる。



「主よ、我らを試みに遭わせず、悪より救い給え。

たとえ死の陰の谷を歩むとも、わたしは災いを恐れません。

あなたの御言葉は、わが足のともしび、わが道の光。

わたしの魂は、あなたにのみ属します。」


……Amen.


主の言葉が邪を遠ざけ、頭の中に響いていた声が遠くなってゆくのを感じた。

父の顔をした悪魔が舌打ちとともに牢獄を去っていくのが見える。主への祈りが部屋の空気に清浄を宿し、悪魔には居ずらい空間に変えたのだ。


ハッハッ……ざまあみろ。


しかし、悪魔が去ったとしても、また拷問が始まるのだろう、女が俺の指に手を伸ばす。





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少しだけ、俺の回想に付き合ってほしい。どうしてこうなってしまったのか、誰かに伝えないといけないのだ。



サン・ピエトロ大聖堂。

キリスト教世界の中でも最も象徴的な聖堂であり、歴代教皇たちの墓所が眠る聖なる地。その地下にはカタコンベと呼ばれる古代の納骨堂が広がっており、最近新たに未知なる遺跡が発見された。


権威が失墜する渦中にあった教皇庁は、この遺跡の調査解析に全力で取り組んだ。不眠不休、権力の届く限りの騎士団を集めて奥へ奥へ進んでいく。複雑な建造物、先を阻む扉などの障害は多くあったが、どれも神の言葉を読み解くことで進むことができる仕様だった。


最奥の大広間に、奇妙な祭壇が見つかったのは調査開始から二週間後のことだった。周囲の壁一面に描かれていたのは、聖書とはまるで異なる神話体系。壁一面に描かれた神の姿は、現実のものとは思えない美しさで、たどり着いた調査団はしばらく放心して動けなかったという。


その部屋は広く、床には幾何学的な文様や言葉が刻まれている。俺はその解読を任され、全力で取り組んだ。仲間とともに何時間も床をはいまわり、徐々にその全貌が見えてきた。


——これは、神を現世に降臨させるための舞台装置だ——


顔を上げると、美しい神の御顔が俺たちを眺めているようだった。壁に描かれた神の姿、このお方を呼び出すことが可能なのだ!……そう思って躍起になっていた。

けれど、不思議なことがひとつあった。

部屋を出て少し歩いたとき、ふと気づいたのだ。その“顔”だけが、どうしても思い出せない。

まるで夢の中で出会った幻影のように、輪郭すらも掴めず、ただ確かに“感動した”という記憶だけが胸に残っているのだった。


なんだか気持ちが悪い…まるで濃い人工甘味料を流し込まれたような、そんな無機質な感動の余韻に感じていた。そう思うと、例の部屋の儀式も奇妙だ。神を呼び出すという行為自体が、人間に許されるとも思えなかった…


しかし、そのような疑問を持ったのは俺だけだったようだ。誰に相談しても共感されず、疲れているんだよと諭されるだけだった。

そんな俺を心配したのか、父のはからいで数日休養をとることになる。休養がてら、遺跡を離れて客人の対応にあたる仕事につくことになった。大規模な調査を行うため、さすがに遺跡のことを隠し通せなかったのか、ついにUCMCにダンジョンの存在を報告したのだ。それからというもの、ダンジョンにかかわる対外的なやり取りが急増した。教皇庁はできるだけ外部勢力を遺跡にいれない方針であり、その窓口に抜擢されたのが俺だ。


アメリカ合衆国からデルタフォース特務部隊が派遣されてきた。中国に出現したダンジョンを攻略したという実績のあるチームだ。彼らをダンジョンに入れないよう対応するのが俺の任務だった。適当にあしらえばよいと言われていた。


「私はエリック・ハウザー。このチームの隊長をしている。ああ、俺たちが歓迎されていないことは承知しているさ。よろしく頼むよ。」


 だが実際に彼らと対面して、俺の考えは変わった。


 エリック隊長率いるデルタチームは決して傲慢な軍人ではなかった。人類のために人生を賭け、己と真摯に向き合う姿は、ある種の神教的精神すら感じさせた。

彼らが語った中国でのダンジョン攻略の話は、戦慄と驚嘆に満ちたものだった。常軌を逸した敵の出現と、それに対処してゆく話は、まるで神話を切り取ったようだ。目の前で話すエリックさんや、他のメンバーの方々からは並外れたオーラのようなものを感じる。彼らは、本物だ。

そして何よりも印象に残ったのは、彼らよりも遥かに強く、不思議なリーダーシップをもつという“帆世静香”という存在だった。


彼らには、任せてよいかもしれない。

 

彼らを攻略に参加させるだけの権限は持っていない。その代わり、解析班のリーダーとして攻略に携わってきた情報は持っているのだ。俺は現状把握している限りの情報を、彼らに伝えて相談することにした。


「ふむ……それは危険だな。」


「オイオイ、ダンジョン最深部で儀式だあ? その神様が人類に味方するとは限らねえだろうが。」


「はい…ですが、遺跡には生物は存在せず、死亡どころか怪我した人すらいないんですよ。そこまで危険でしょうか…?」


「むしろ不気味だな。誘い込まれているようにも感じる。」


「ルーカさん、その儀式が執り行われる日は分かりますか?」


「枢機卿を集めた会議で決められます。父が参加するので、俺にも共有されるはずです。」



——今思えば、この時のデルタチームの勘は完璧に的中していた。

もっと早く彼らを頼っていたら…

あんな儀式、止めることができていたら…


後悔先に立たず。今の俺には、当時の記憶を思い返し、正気を保つように考え続けることしかできないのだ。


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