変わる信仰 ルーカ・ディ・サンティスの視点
視点が変わり、ヴァチカンに住む青年の記録を記しています。
帆世こもコンビ登場まで、今しばらくお待ちくださいませ。
「……神よ、誤ることのないあなたが天から示し、教会を通して教えてくださるすべてのことを、かたく信じます。あぁ神よ…今こそわたしの信仰をお支えください。Amen」
祈りの言葉は、冷たい石畳の上で吸い込まれるように消えた。
十字架に手を重ねたまま、俺は膝をつき、目を閉じた。教皇庁の中庭。子供のころから、俺はこの場所が大好きだった。
俺の名はルーカ・ディ・サンティス。ローマ教皇グレゴリオの孫であり、父は教皇庁で枢機卿を務めている。
代々信仰に生きる家系に生まれた俺は、幼いころから聖書と祈りに囲まれて育った。祖父譲りの切れ長の目に、母似の柔らかな金髪。礼拝の合間にはラテン語の写本を好んで読む一方、身体は鍛えており、フェンシングではヴァチカンの若手競技会で優勝経験もある。
だが、どんなに剣を振るっても、どんなに知識を得ても、俺にとって何よりも確かな拠り所は「神を信じる心」だった。
キリスト教は、長きにわたり人々の祈りと希望の拠り所であり続けてきた。
人の身では到底理解しえない奇跡を、俺たちは神によってもたらされたのだと信じていた。そう信じ、祈りに救済を求めて尽くしてきた。教えに人生を捧げるほどの熱心な信者は多く、またそれ以上に生活に困窮する弱き人々、が世界中の教会に救いを求めて集まっていた。
キリスト教は、確かに世界最大の宗教であり、長年にわたり人々を支えてきた歴史がある。
だが、そんな信仰の構造が――ある日を境に、大きく揺らぎ始める。
奇跡が、試練が、神のみに許されたはずの御業が、この世界にあふれんばかりにもたらされるようになったのだ。
最初に世界が息をのんだのは、2月の寒い雪の日だった。遠く東の島国、日本で、人知を超える強大な獣が現れたという速報が流れた。その映像は、世界中で放映された。山のような巨体、建造物をなぎ倒す四肢、軍隊すら蹴散らす破壊力。まるで神話の世界から悪夢が抜け出してきたかのような存在だった。
軍が出動したが、戦車の砲撃も空からの爆撃も通じなかった。獣はただ、無慈悲に人を喰い、地を踏み荒らした。
それは単なる災厄ではなかった。“試練”という名のもと、全人類に等しく突きつけられる脅威である。恐ろしいことに、1か月に1体、これと同等に凶悪な試練が世界各地で発生しうると発表されたのだ。
この報せに、世界は凍りついた。人々は心の底から恐怖した。
こういう時にこそ、宗教が人々の心を救う——そう思っていたのだが、違った。
教会を通して告げられるはずの神の言葉を、人の身では知りえぬ世界の真理を、知っている男がいたのだ。彼の言葉は、不思議な半透明のウィンドウを介して全世界のすべての人々に語りかけられた。
“1か月に1体、人類に敵対する超生物が現れます。”
“1か月に1つ、危険なダンジョンが現れます。”
“これら試練によって人類は滅亡の危機にあるのです。”
“このウィンドウは、人類が抗う力を与えてくれます。努力鍛錬の果てにはスキルという形で、特別な力を有する人が出てくるはずです。”
“情報が判明次第、このウィンドウを介して皆さんにお知らせします。ともに団結し、人類存亡の危機をのりこえましょう。”
今日という日も、ヴァチカン街には無数のウィンドウが浮かんでいる。待ちゆく人々はウィンドウを掲げ、かくいう俺の腕にも浮かんでいるのだ。
神の意志とは異なる原理に従って動くそれは、人々の団結を促し、クエストとして試練を可視化する。あまつさえ全知を体現する、“大いなる情報体”という神のような存在がいることまで明らかになった。
変わりゆく世界に、人々は恐怖した。
そして、同時に熱狂した。
スキル――人知を超えた現象。それを得た者たちは、まるで神の使徒のように崇められ、人類の救世主という大役を担っていったのだ。
俺だって見ていたさ。その時、怒りと絶望に染まった父の顔が忘れられない。
「キリスト教が担ってきたすべてを、真人鷹平という男が奪っていったのだ」と、父は毎晩のように口にするようになった。
俺たちが二千年以上かけて信じてきたものは、何だったのか。
熱心な信者ほど、その反動は大きかった。涙ながらに教えを求めていたはずの信徒が、今では教会に石を投げ、火を放つ姿すらある。かつて集っていた弱き人々は背を向け、静かに、だが確実に、去っていった。
神の言葉を聞く神聖な仕事は、今や詐欺詭弁の類として見られるようになってしまったらしい。
『試練も、奇跡も。神にのみ許された御業ではなかったのですか。』
この変化に、誰よりも苦しんだのは祖父だった。“ローマ教皇” 世界最大の宗教の頂点に立つ存在。
長年信じてきた教えが揺らぎ、集っていた人が次々に去っていくことに心が耐えられなかったみたいだ。騒動のさなかに、体調を崩して床に伏せるようになった。枢機卿である父は、教皇の右腕として、教義と秩序の維持に尽力していたが、しかし、急激な変化に翻弄される教会内の混乱を収めることはできなかった。
祖父や父の感じた思いは、キリスト教徒であれば、誰しも少なからず感じたことだと思う。アイデンティティの一部、言い換えれば自分という人格を構成している一部を突如失ったに等しい苦痛といえる。
俺自身も揺れていた。祈っても届かない現実に戸惑いながら、それでも目をそらさず、自分の信じてきたものと向き合おうとしていた。揺れ動く教義を見つめなおし、俺は何度も心の中で自問した。
——神とは何か。宗教とは何か。
子供のころ、俺が教会を愛してやまなかったのは、単にそこが家庭の延長だったからではない。
たしかにそこには、“何か”があった。
聖堂に差し込む光、沈黙のなかで聞こえる誰かの祈り、ただ存在するだけで人を救うような空気――神聖としか呼べない、言葉にできない感覚が、あの場所には確かにあった。
それを感じていたからこそ、俺はこの道を歩いてきた。
決してキリスト教は詭弁だらけの宗教じゃなかったと、まずは俺が信じよう。信仰の価値を疑うことなく、人を照らす力を信じていた自分を、宗教の力を、裏切ることだけはしたくなかった。
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そんな激動の日、ヴァチカン枢機卿の間で一つの報告が駆け巡った。
「サン・ピエトロ大聖堂の地下に、異変在り。」
教皇庁上級職に緊急招集の令が出され、俺もその末席に加わるよう父に呼ばれる。
枢機卿たちが集う会議室の扉を開けたとき、俺はまだその意味を正確には理解していなかった。だが、父の厳しい眼差しと、誰もが押し殺すようにひそめた声から、それがただの地盤沈下や老朽化の問題ではないと直感した。
サン・ピエトロ大聖堂。
キリスト教世界の中でも最も象徴的な聖堂であり、歴代教皇たちの墓所が眠る聖なる地。その地下にはカタコンベと呼ばれる古代の納骨堂が広がっており、敬虔な巡礼者たちが静かに祈りを捧げてきた。
「ルーカ、これを見なさい。」
父の呼びかけに、俺は無言でうなずいた。
その“異変”の現場には、信じがたい光景が広がっていた。
古代の構造物のさらに奥、誰の記録にも残っていない空間が突如として開けていたのだ。
神に関する数々のレリーフ、見たこともない構図の聖書の断片、不思議な装飾が施された道具の数々――まるで「神とは何か」と問い続けたものに対して、直接答えが与えられたかのような空間がどこまでも続いている。
ぽっかりとあいた心の空洞を埋めるように、教皇庁の空気が変わった。誰もが高揚し、希望に目を輝かせた。
「神は見捨てていなかった」「これは我々への導きだ」
極秘のうちに、教皇庁の人間のみで構成された調査隊が発足。遺跡から収集された物を調べ、未知なる情報の解読が始まった。非常に古い文字や、見たことも無い記号、使い方の分からぬ道具の数々、解析や解読には大変な労力が必要だった。
「聖遺文字Aの解読が成功したぞ! 最奥の扉を開くためには、以下の道具を集めなければいけないらしい。」
「定時報告だ。隠し扉が発見されたが、どうも暗号の解析が必要らしい。」
「おーい、その暗号はこっちに回してくれ! 俺たちが解いて見せる!」
「うおー!!見てくれ!!! 探索隊が発見した箱から純金の神像が出てきたんだ!」
俺も解析班に加わっていたが、こと神教においては世界最高の頭脳が結集している。不眠不休で調査と解析が進み、遺跡の奥へと至る度に新しい情報が発見される。時には、解析した情報をもとに非常に高価な遺物が発見されることさえあった。
虚無に浸っていた日常が反転し、騎士団をくわえて大規模な調査が続いた。世間とは隔絶され、選ばれた者のみが参加できる栄誉が、俺たちの熱狂を後押しするようだった。
しかし、調査が奥へ奥へ進むにつれ、空気が変わっていくのを感じた。レリーフは歪み、書物に記された出来事は聖書とはかけ離れていき、扉を開けるために必要な儀式に禍々しい雰囲気が感じられるようになった。扉を開けるために、人の血を流しこめ…などである。
「父上…少しお休みになられた方が…」
「ルーカ。私は大丈夫だ、それよりもお前の解析班のことは聞いているよ。難解な暗号を解いたそうじゃないか、よくやった!お前は昔から頭がよかったものなァ…どうも遺跡の奥には大きな広場があるようなんだ。その扉を開く鍵を探していてな、これでキリスト教は復活するぞ!」
「父上ッ!お褒めにあずかり、ありがとうございます。ですが、調査もお身体があってのことです。目にクマができておりますよ。」
「ハハハッ、すまない。そうだな、どうも最近の私は浮かれているみたいだ。今日はすこし休むとしようか…」
「ありがとうございます。ところで…サン・ピエトロ大聖堂遺跡は、例のダンジョンではないのでしょうか。UCMCへ報告というのは…」
「ルーカ!!! 何を言っておるのだッ 神聖な遺跡に、あのような下賤な外部の人間を立ちいらせてなるものか!!! 遺跡のことはこちらで報告しておく、くれぐれも言動を気を付けるように!!!」
父が扉を叩きつけるように閉めて出ていく。
心臓がバクバクと早鐘を打ち、眩暈がしてその場に座り込む。父に怒鳴られた経験などほとんど無く、先ほどの顔が目に焼き付いたように消えない。
ギラギラとした目、墨のように黒いクマ、やせこけた頬、異様に饒舌な口…なにより邪気のような、禍々しいオーラが一瞬噴き出したように感じた。何か良くないことが起こっている。間違いない。
あの遺跡が原因に違いなかった。調査を止めないと、恐ろしいことになる。
そんな確かな予感がした。




