第26話
怪物は、かつては人間だった。
怪物が古代ロンデルニア帝国に仕える忠実な軍団長だったころ、帝国は崩壊の一途を辿っていた。
各地の属州では奴隷や被支配民の反乱が頻発し、国内では権力闘争に明け暮れる元老院貴族たちの間で暗殺が横行した。皇帝にはもはや実権はなく、ただ滅びゆく祖国を傍観することしか出来ない。
怪物は、それが歯痒くて仕方がなかった。自身が愛した帝国。それがこうも無残に、混乱と退廃の中、歴史に埋もれていくのが納得がいかなかった。
だから、怪物は同志を集め、皇帝と密談し、帝国の栄華を後世に伝える箱庭を作り上げようと決意した。
帝国最北端の属州。人気のない森の地下に、怪物は巨大な都市を建造した。建築、書物、絵画、彫刻……。帝国の全ての誇りがその北方の辺境に結集された。
その間にも帝国の衰退は続き、最後には王国の帝都侵攻によってかの偉大なインペラトゥム・ロンディニカは滅亡した。
最後まで古代ロンデルニア帝国に忠誠を誓った怪物を含む数十人の人々と皇帝はその箱庭都市に逃げ込み、内側から封印を施す。
こうして、帝国の残滓は地下で細々《ほそぼそ》と生き延びることになった。
怪物は自ら怪しげな呪術の実験台となることで、永遠にこの帝国最後の砦を守る番人となることを誓う。
そうして、怪物はそれから数百年の間箱庭を見守った。数百年間、皇帝が変わり、人々が生まれ、出会い、子をなし、死んだ。
しかし、人々は次第にこの箱庭を後にしていった。過去の栄光にすがって窮屈な地下で一生を終える、そんなこの都市に嫌気がさしたからだった。
だんだんと人々の姿が消え、都市から笑い声が聞こえなくなる。最後に残ったのは、怪物に身を変えた軍団長たちと最後の皇帝だけだった。
怪物は皇帝を喜ばせようと、一日中都市の中心の闘技場で催し物をした。手品、決闘、猛獣退治。出来ることは何でもやった。
しかし、都市に残った最後の人間である女帝が笑うことはなかった。
そんな彼女が初めて笑い声をあげたのは、この都市に迷いこんできた王国の王子と話した時だった。その王子と皇帝とはすぐに親しくなり、やがて恋仲となった。
初め、怪物たちは喜んだ。当然だ、皇帝が幸せそうに笑っていることを喜ばぬ臣下などいない。
しかし、その喜びはやがて不安へと変わっていった。彼女が外の世界に興味を抱き始めたのだ。
もしかして、皇帝がこの箱庭を去ってしまうのではないか、自分たちはここに置いていかれてしまうのではないか。そんな恐怖がさざ波のように怪物の心の中に広がっていった。
それは、怪物にとって到底受け入れがたいことだった。もし、皇帝がここを去ってしまえば、もはや帝国を伝えるものはなにもなくなってしまう。今までの努力も、全てが無駄になってしまう。
そして、その不安はある夏の日、的中した。彼女がついにそのグラシニアスと名乗る王子と共に地上にいくと言い出したのだ。
当然、怪物は仲間の軍団長たちと共に抵抗した。王子の手足をもいで一生ここに縛りつければいい。そんなことを上奏した軍団長もいたほどだ。
しかし、最後まで皇帝と怪物が互いを思いやることはなく、主君と臣下の間の関係は決裂した。
怪物となった軍団長たちも不老不死ではない。グラシニアス王子のもつ青く光る剣の前に軍団長たちは次々と倒れていった。
怪物はその最期を覚えている。力なく倒れ伏す自身に申し訳なさそうに声をかけながら、弾む足取りで地上へと向かう皇帝の後ろ姿を。
そうして、都市に残ったのは二人の怪物だけになった。
怪物はもう全てがどうでもよくなった。地上への出口を閉ざし、この箱庭でわが身が朽ちるまで眠りながら過ごそう。そう、怪物は諦めた。
それから三百年がたっただろうか。ある日、怪物は小鬼たちの騒がしい声に起こされた。怪物は激怒した。その小鬼たちが帝国の遺産を好き勝手にいじくりまわしていたからだ。
怪物は小鬼たちを皆殺しにすると、不快な気分のまま眠りにつこうとして―――。
ふと皇帝の血を引く者が近づいていることに気がついた。
自分があの気配を間違えるはずがない、皇帝の血を引く、正統な継承者だ。怪物は狂喜した。ついに皇帝が戻ってこられたのだ!
怪物は次こそ皇帝を失望させまいと、その姿をじっと観察した。そして、確かに聞いたのだ、その口から『小鬼退治を行う』と語られるのを!
皇帝は帝国最後の都市であるこの箱庭を荒らす賊を退治するため、はるばるこの地にまで訪れたに違いない。怪物は確信した。
怪物はじっと皇帝がこの都市に凱旋するのを待っていた。そして、ついに、皇帝は箱庭に足を踏み入れなさった。
怪物はすぐさま皇帝の通ってきた坑道を塞ぎ、歓迎の用意をした。もちろん、小鬼を集めることも忘れない。
時が満ち、怪物は皇帝陛下をお迎えに上がった。そして、腕によりをかけた料理でもてなした後、恐る恐る期待に胸を膨らませながら小鬼退治をご覧に入れる。
そして、その瞬間を怪物は一生忘れないだろう。自分が初めて皇帝を喜ばせることができた瞬間を。あの皇帝の浮かべた笑みを。
今までの努力が報われたのだと、ようやくあの栄光の日々を取り戻せるのだと。怪物は今なら自分が世界で一番幸福なのだと胸を張って言い放てる気がした。
だというのに、何だこれは。
怪物は目の前であの忌々《いまいま》しい剣を掲げる騎士と、そしてなによりその騎士に目を奪われている皇帝を見た。
また、自分はこの地下に置き去りにされるというのか。
また、自分は皇帝に裏切られるのか。
………また、自分はあの剣に大切なものを奪われるのか。
怪物は咆哮した。
そんなこと、認められるか。今度こそは決して失敗しない。今度こそはその怪しげな光を放つ剣を粉砕し、見事皇帝の寵愛を得てみせる。
怪物は手に持つロングソードを構えた。かつて、未だロンデルニア帝国が健在であったころ、皇帝自らその忠義の証しとして賜ったこの剣。その剣に誓って目の前の騎士に負けるわけにはいかない。
眼前の騎士もまた、その手に持つ剣をゆっくりと構えた。
いつになく頭が冴える今ならわかる。目の前の騎士は強敵だ。軍団長として、怪物としていくつもの戦乱を戦い抜いてきた歴戦の戦士はそう判断した。
だから、どうした? 怪物はロングソードを握りしめた。
己は何度このロングソードを振るってきたというのだ? いまさらこのような若造に敗北するなど、なによりも栄光あるインペラトゥム・ロンディニカの軍団長の誇りが許さない。
「イ、イ、インペラトゥム・ロンディニカ、第七軍団長、スキニウス・ガレディウス・スピカ、オマエ、ホコリ、タオス。」
驚いた後、眼前の騎士もまた礼をとって名乗りを上げた。
「北方騎士団が剣、ショルツ・ド・バイヨン、我が誇りにかけて貴公を打ち倒してみせよう。」
今、怪物と騎士が最後の戦いを迎えようとしていた。
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