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第22話

 パトリシア殿下は観客席の中でも特別に拵《こしら》えられた豪華《ごうか》な観覧席に腰《こし》かけていた。目の前には殿下がボルゴグラード城に着任した時の祝宴が霞《かす》むほどのご馳走《ちそう》が並《なら》べられている。


 そのパトリシア殿下に向けて武勇を誇示《こじ》するように剣闘士の怪物は血に濡《ぬ》れた剣を掲げた。


 パトリシア殿下は自分がなぜ小鬼の虐殺劇《ぎゃくさつげき》を見せられなければならないのか理解できないようだった。俯《うつむ》いていた顔をなんとか持ち上げて口の端を持ち上げる。しかし、その体は恐怖で小刻《こきざ》みに震《ふる》えていた。


 殿下が無理やり作ったぎこちない笑みに怪物は気を良くしたようで、再び喜びに満ちた咆哮《ほうこう》をあげたかと思うと、中央に戻った。


 鉄格子の怪物はその間せっせと周囲の小鬼の死骸《しがい》を集めていた。それらの死体は闘技場の隅《すみ》に開けられた血まみれの穴に落とされ、それから先の行方はまったく分からない。


 剣闘士の怪物が急《せ》かしたてるように鉄格子の怪物に向かって吼《ほ》えた。


 鉄格子の怪物はすぐに僕たちのいる出口に向かってどしんどしんと巨体を揺《ゆ》らしながらやってくる。


 僕たちは隠れる場所がないか周囲を探した。そして、ちょうど脇にあったガレー船の影に身を隠した。


 恐らく、この闘技場では水を張って模擬《もぎ》海戦をしたこともあったのだろう。辺りにはガレー船の残骸《ざんがい》が無数に積まれていた。怪物の視界から逃れるには絶好《ぜっこう》の場所だ。


 仕掛けに乗って地下に姿を消した怪物は小鬼を連れてすぐに再び姿を現した。そのまま急いで闘技場へと向かう。慌《あわ》てていたのだろうか、僕たちに気がついた様子もなかった。


「マルグレット卿、まずはあの怪物たちを各個撃破《かくこげきは》しましょう。まずはあの鉄格子の怪物を倒し、その後に剣闘士の怪物と戦うということでいいでしょうか。」


 小声ですぐ隣のマルグレット卿に話しかける。マルグレット卿は小さく頷《うなず》きを返した。


 僕とマルグレット卿、二人でコソコソとあの鉄格子の怪物を倒す算段《さんだん》を立《た》てる。ひとたび方針を決めると、僕たちは配置についた。


 闘技場からの喧騒《けんそう》が遠く感じる。肉が潰《つぶ》れ、骨が軋《きし》む不気味な音がひたすら闘技場中にこだまして聞こえていた。またあの悪趣味な小鬼の虐殺《ぎゃくさつ》をしているらしい。


 しばらくして、闘技場へと続く通路からどすどすと鉄格子の怪物の足音が聞こえてきた。油断《ゆだん》しきった、敵の存在など思いもしていないような足取りだ。


 次の瞬間、マルグレット卿がガレー船の影から飛び出てきて、鉄格子の怪物の進路の前に立った。そのまま矢を放ち始める。


 次々と矢が鉄格子の怪物に刺さっていった。だが、鉄格子の怪物は痛みを感じていないかのようにそのまま突進《とっしん》を始めた。マルグレット卿の矢から顔を守るためか、手を前にやっている。


 そのまま鉄格子の怪物はマルグレット卿にずんずん近づいていく。そうだ、そのまま進め。


 鉄格子の怪物が手の届くほどの距離までマルグレット卿に近づいた時、天井に張り付いていた僕は飛び降りた。


 そのまま鉄格子の怪物の首元にとりついて、その目を短剣で刺し貫こうとする。が、がむしゃらに暴れる鉄格子の怪物に僕は振り払われ、地面へと落ちた。


 鉄格子の怪物が喉を抑える。落ちるさなかに何とか喉を切りつけることは出来たらしい。鉄格子の怪物の手の隙間から勢いよく鮮血《せんけつ》が噴《ふ》き出していた。


 しかし、ああ、これはまずいな。僕は全身に走る痛みをこらえてなんとか立ち上がった。初撃《しょげき》で無力化するのに失敗してしまった。


 怒り狂った目つきで鉄格子の怪物が僕を睨《にら》んでくる。怪物の背後からマルグレット卿が必死に矢を射かけるも、怪物は気にする様子を見せなかった。


 鉄格子の怪物が僕に向かって鎖をふるう。通路の壁を削《けず》り取りながら飛んできた太い鉄の塊をかがみこんでなんとか避けると、僕は間合いを詰めるために怪物に向かって駆け出した。


 近づく僕に怪物は鎖を投げ捨て、拳を握りしめて床を殴りつけた。地面に亀裂《きれつ》が走り、土煙《つちけむり》が立ち込める。僕は躊躇《ためら》うことなくその煙の中に突っ込んでいった。


 土煙が晴《は》れた時、僕の眼前に鉄格子の怪物の拳が迫《せま》る。僕は前に倒れこむようにしてその拳をかわし、怪物の股《また》の間を通って後ろへと抜けた。


 背後から鉄格子の怪物が尻餅《しりもち》をつく衝撃が伝わる。僕は短剣に新しくついた血を払いながら振り返った。


 あの瞬間、僕はすれ違いざまに怪物の足の腱《けん》を切ったのだ。これで少なくともこの鉄格子の怪物は動くことができないはずだ。


 僕は恐る恐る怪物に近づいた。鉄格子の怪物は僕を憎々《にくにく》しげに睨《にら》み、立ち上がろうとする。が、足が無駄にジタバタと動くだけに終わった。


 マルグレット卿が僕に駆け寄ってくる。


「よかった、無事で………。」


 僕が大して怪我もしていないのを見てとると、マルグレット卿が心底《しんそこ》安心したようにほっと息をついた。それから鉄格子の怪物に視線を落とす。


「止めはささないのですか?」


「ええ、まあ。いつぞやの双子の狼のように相方が死んだことを察知されては困るので。」


 魔獣の一部には自身のペアが死んだことを本能的に悟るものがいる。剣闘士の怪物とこの鉄格子の怪物の間にそのような絆があるのかは分からないが、用心するに越したことはない。


 それに目的のものは息の根を止めなくとも手に入る。僕は怪物の懐を探る。あった。僕は鍵の束を引っ張り出した。


「これです。これが欲しかったんです。」


「はい?」


 マルグレット卿が不思議そうに小首を傾げる。僕はマルグレット卿の耳元に口を近づけて企《たくら》みを話した。


「それはまた、大胆な……。」


 マルグレット卿は開いた口が塞《ふさ》がらないといった風だ。僕は茶目《ちゃめ》っ気たっぷりにウインクしてマルグレット卿の手に鍵を押し付けた。


「ですから、これはマルグレット卿に持ってもらいたいのです。」


 マルグレット卿がカギを受け取ったその時、闘技場から剣闘士の怪物の低い唸《うな》り声が聞こえてきた。


 深い怒りが秘《ひ》められたその声に鉄格子の怪物が慌てて起き上がろうともがく。恐らく追加の小鬼が来ないことにお怒りなのだろう。


「もう時間がないようです。よろしく頼みますよ?」


 マルグレット卿が頷《うなず》いて地下へと急いで姿を消す。それを見届けた僕は企《たくら》みがうまくいくまで時間稼ぎをするために闘技場へと踵《きびす》を返した。


 相変わらず、剣闘士の怪物は怒りをこめた咆哮《ほうこう》を放っていた。僕は呆れてため息をつく。小鬼がやってこないからってそんなに怒らなくてもいいのに…。


 堂々《どうどう》と、闘技場へ歩きだす。視界にはいら立ちを隠しきれないように剣を地面に何度も叩きつける剣闘士の怪物が映《うつ》っていた。


「待たせたね。」


この前の借りは必ず返す。

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