第21話
僕は足元に落ちていた木の棒を拾い上げ、それを腰にさしていたナイフで研ぎ始めた。しばらくして即席の刺突剣が出来上がる。
まあ、ないよりはましだろう。それを片手に、闘技場に向けて歩き出した。
「その、やっぱり考え直しませんか? 副団長も分かってくださると思いますよ?」
後ろからついてくるマルグレット卿が僕を説得しようと試みているのを無視しながら、僕たちは闘技場に近づいた。
闘技場の周囲は先ほどまでの豪奢な街並みが嘘かのように荒れ果てていた。
石像の群れが闘技場の一帯を徘徊し、通りの見事な敷石はあちこちで剥がれ、立ち並ぶ建物は全て倒壊寸前の廃墟と化している。
どこか、上手いこと闘技場に入り込めるような場所はないものか。僕は路地裏に隠れながら周囲を見渡した。
そして、ふとまくれ上がった通りの舗装の下から大きな通路の一部が丸見えになっているのに気がついた。
その通路は方向から推察するにずっと闘技場の地下まで続いているように見える。
闘技場に野獣でも運ぶために作られた地下通路だろうか。どちらにせよ、僕にとってはおつらえむきだ。石像たちの目を盗んで、僕はその地下道に滑りこんだ。
背後からマルグレット卿が慌ててついてくる。
「マルグレット卿、これは僕のわがままです。もし嫌なようでしたら無理に助力していただかなくとも…。」
パトリシア殿下を助けに行くのは僕の心の中での決定事項だが、それにマルグレット卿を巻き込むのは本意ではない。冷静に考えて、僕がしようとしていることは自殺行為に近いのだから。
しかし、マルグレット卿は頭を抱えると、深いため息をついた。そして、僕を睨みながらやけくそ気味に口を開く。
「私を舐めないでください。私にとってショルツ卿はすぐに見捨ててしまえるほどどうでもよい存在だとでも? 親友を捨てておけるほど私は人間性が欠如しているように見えますか? ショルツ卿を一人で行かせるわけにはいきません、私も一緒します。」
そう言い捨てたマルグレット卿は肩を怒らせながらずんずんと通路の先を進んでいく。その背中に僕は心が温かくなった。
「…ありがとう、マルグレット卿。僕は得難い友人を持っていますね。」
「当然です、その幸運を良く噛みしめてください。」
地下通路は意外に明るく、そして広かった。天窓からは絶えず光が差し込み、古代帝国の高度な採光技術を感じさせる。トロッコでも通っていたのだろうか、地面には長いレールが敷かれていた。
僕とマルグレット卿はうまいこと頭上にたむろしているだろう石像たちをやり過ごしながら、闘技場の地下にまで近づいた。自然と採光の窓の数も少なくなり、辺りは薄暗くなる。
やがて、通路が開ける。そこに現れたのは広大な地下牢であった。汚れ一つ見当たらない鉄格子で仕切られた牢獄がえんえんと続いている。
「待ってください、何か声が聞こえませんか?」
先を進んでいたマルグレット卿が急に立ち止まり、僕に振り返った。僕はそっと耳をすませる。
すると、通路の奥から、呻きとも悲鳴ともつかない声と鉄格子が揺らされる金属音の喧騒が聞こえてきた。
僕とマルグレット卿は顔を見あわせると、足音を忍ばせながら牢屋の間を進んでいった。
角にそうっと身を隠して通路の先を覗き見る。途端、マルグレット卿の息をのむ声が聞こえた。僕も驚きで思わず目を丸くしてしまう。
視線の先の牢獄には無数の小鬼が囚われていた。皆、体のどこかに深い傷を負っていて、ひどく怯えた様子だ。
小鬼たちは気が狂ったかのようにひたすら鉄格子を揺らしたり噛みついたりして牢獄から逃れようと必死に試みていた。
僕とマルグレット卿が影から姿を現しても、一瞥した後は、僕たちに興味を失ったかのように脱獄の試みを再開する。
その姿は騎士の姿をした僕たちよりも恐れる何者かから必死に逃げようとしているようだった。
小鬼たちの捕らえられている牢獄の一角の奥には物を地上へと運び上げる巨大な仕掛けがあり、動力源が何かはまったく不明だが絶えず木製の床が上がったり下がったりを繰り返していた。
最悪の場合はこれに乗るしかないだろう。
しばらく僕たちは周囲を捜索するが、付近の牢獄に怯えた目つきの無数の小鬼が閉じ込められているばかりで、大して変わったものはなかった。
と、次の瞬間例の仕掛けから木が大きく軋む音がした。僕はとっさにマルグレット卿の腕を掴んで物陰に身を潜める。
逃げることのできない小鬼たちはより一層騒ぎ立て始めた。
やがて、仕掛けに乗って、一体の怪物が姿を現した。ぶくぶくと太った姿で、赤い肌がむき出しの体には長い鎖が巻き付けられている。
背中に大きな鉄格子を背負ったその怪物が小鬼の入っている牢屋をひとつずつ覗き込み始めた。小鬼たちは先ほどの喧騒が嘘かのようにしんと静まり返っている。
しかし、そのうちの一匹が恐怖に耐えきれなくなったかのように悲鳴をあげた。
周囲の小鬼が慌てたようにその小鬼の口を塞ごうとするが、気が狂ったようにけたたましい大声を上げ続けている。
怪物は素早く反応した。その小鬼が入っている牢へと振りむくと、懐から鍵を取り出し、その牢の扉を開ける。
中で縮まりこむ小鬼たちを無理やり牢から出すと、背中の鉄格子にひょいひょいと投げ入れていった。そして、そのまま怪物は仕掛けに乗ると、地上へと姿を消していった。
しばらくして、仕掛けの木板が再び牢獄へと降りてきた。そこには誰の姿もない。僕たちは一瞬ためらった後、仕掛けに飛び乗った。
手に持つ、木製の剣の手触りが実に頼りない。僕たちは身を低くしながら、地上へと出た。とはいっても、その仕掛けが僕たちを運んだ先は屋内だった。
遠くの通路の先から明るい光が差し込んでいる。どうやら外へとつながる出口があるらしい。鉄格子を背負った怪物はその逆光の中を出口に向けてゆっくりと歩いていた。
僕たちはそうっと気づかれないように怪物の後ろをついていった。差し込む眩い光に目が慣れて、出口の外の景色が怪物の後ろをついていく僕たちにも見えた。
闘技場だ。周囲を見上げるほどの高さの石段が見下ろすように囲んでいる楕円形の闘技場。
周囲ではかつてパトリシア殿下が教えてくださった古代ロンデルニア帝国の真っ赤な旗が誇らしげにたなびき、よく整備された闘技場には日差しがさんさんと降り注いでいた。
豪奢極まる大闘技場。その中心に、あの剣闘士の格好をしている怪物が待っていた。いまだ左腕は使えないのだろう、だらんと垂れ下がったままだ。
しかし、剣を天高く掲げる自信に満ち溢れたその姿からは少しも弱っている様子はうかがえなかった。むしろ、仮面越しにも伝わるほど怪物は高揚している。
鉄格子を背負った怪物は闘技場への出口の手前で立ち止まると、連れてきた小鬼を次々と闘技場へと放ち始めた。
小鬼たちは自分たちがいったい何をさせられるのか理解できない様子で、困惑したように立ち尽くしていた。
しかし、僕はうすうす見当がついていた。ああ、なんと悪趣味なんだろう。
小鬼たちが恐る恐る闘技場の中央へと進む。だが、剣闘士の怪物は身動き一つしなかった。剣を高々と掲げたまま、じっとしている。
一匹の小鬼が闘技場の壁に武器がかかっていることに気がついた。剣、槍、斧……。ありとあらゆる種類の武具が用意されている。
しかも、それらは一級品といってもいいような業物ばかりだった。小鬼が引き寄せられるようにそのうちの一振りの槍を手に取る。
それが、その小鬼の最後であった。次の瞬間、勢いよく踏み込んだ剣闘士の怪物が文字通りその小鬼を潰した。
隣でマルグレット卿が軽蔑するように目を細める。今、確信したのだろう。あの怪物は小鬼を蹂躙し虐殺するためだけに無数の小鬼を地下牢に留めていたのだ。
一匹の小鬼の無残な死は、小鬼たちに恐慌をもたらした。悲鳴をあげ恐怖に震える小鬼たちは一目散に僕たちが隠れて覗いている闘技場への出口へと殺到する。
しかし、一番最初に辿り着いた小鬼の末路はあまり良いものではなかった。
鉄格子の怪物が体に巻き付けていた太い鎖をふるう。その小鬼は吹き飛ばされて壁に叩きつけられ、真っ赤な花を咲かせて絶命した。
出口を目指していた小鬼たちの動きが止まる。もはやにっちもさっちもいかなくなり困惑した小鬼たちに絶望が襲い掛かった。
「オオオォオォォォォオオォオオオオ!」
剣闘士の怪物が咆哮する。凄まじい音圧に小鬼たちの体が竦んだところで一匹の小鬼が弾丸のごとく突っ込んできた怪物に踏みつぶされた。
そこからはまさに地獄絵図だった。逃げまどう小鬼たちはみな容赦なく殺されていった。
一部の小鬼たちが破れかぶれに各々剣や槍をもって襲い掛かるが、その刃は怪物の鎧すら貫くことができず、そして数瞬の後に地面の染みになった。
小鬼たちが怪物から逃れようと必死に壁をよじ登る。だが、壁は見事な石組みで手をかけられるようなでっぱりは一切ない。
小鬼たちはそれから数分もしないうちに全滅し、闘技場にはおびただしい数の恐怖に顔が歪んだ小鬼の死体が残された。
剣闘士の怪物が勝利の雄たけびを上げる。僕は怪物が観客席のある一点を見つめていることに気がついた。
今まで鉄格子の怪物が邪魔でよく見えなかったところに、一人の女の姿がある。自分が今何を見せられているのか理解できないように歪んだその表情を見間違えるはずもなかった。
「パトリシア殿下っ………!」




