153話
「何?勇者召喚の魔法の原理を教えろと?」
「お前が最適かと思ったんだが」
ギルヴァスが縮こまりつつ言うと、オデッティアは楽し気に笑った。
「よく分かっておるではないか。そうであろうな。魔王様を除けば、妾がこの世界で最も魔法に秀でる者であろう。そうよな。妾を尋ねてくるべきであったろうとも」
満足げに頷いて、オデッティアは彼女の部屋の寝台の上、しどけなく脚を組み替えて、話し始めた。
「そもそも、勇者召喚とは2つの魔法から成り立っているのだ」
「2つに?それって、どういう……」
「異界への扉を開く魔法。そして、異界の者の運命を捻じ曲げ、扉のこちら側へ呼び寄せる魔法よ」
オデッティアはそう解説しながら、空中に水で扉のようなものを作ってみせる。どうやら図解してくれるらしい。
「まず、本来ならばこの扉は開かぬ。そして、開いたとしても、何かが通り抜けることは叶わぬ。異世界は異世界。交ざり合うことなく存在しているからこそ、異世界なのだからな」
「まあそうよね……」
頻繁に行き来があったなら、確かにそれは、1つの世界になってしまうだろう。交流があれば文化や技術が行き来する。もしかしたら、生命も。……そうしていく内に、2つの世界は次第に似通い、代わりの無いものになってしまうことも、納得がいく。
「つまり。この扉を開くことができても、本来ならば、ここを何かが通り抜けることはできんのだ。……だが、抜け穴はある」
「それが、『運命を捻じ曲げる』ということか」
オデッティアは頷くと、宙に生み出した水の扉の前後に情景を生み出した。
片側は透み切って透明な水でできた町と木々。そしてもう片側は、中に細かな泡を生じさせることによって白く輝いて見える街並み。透明と白の世界が、扉の両側にそれぞれ生まれた。
「運命を捻じ曲げる、ということは、『本来居るべき世界がどちら側なのかを書き換える』ということよ。まあ……こんなように、な」
オデッティアはそう言うと、透明な水の情景の上に、やはり透明な水の小鳥を生み出す。その小鳥は扉に向かって飛んでいき……扉を抜けた途端、内部に細かな泡を生じさせ、煌めき白く輝いた。
「ええと……つまり、元々こっち側の生き物だった、ってことにしちゃう、ってこと?」
「大雑把に言ってしまえば、そんなものかもしれぬな。……だが、運命を捻じ曲げる、ということはそう容易いものではない。扉一枚を通り抜けさせる、たったそれだけが、酷く難しい」
オデッティアは透明な水の世界の方に、鳥の巣を作り、そこに卵を並べた。
「小鳥が生きれば、巣を作り、卵を産むであろう。だが、その小鳥が異世界へ移動してしまったならば、もしかしたら生まれるはずだったかもしれない卵は生まれず、作られたかもしれない巣は作られぬ。運命を捻じ曲げる、ということは、その先にあったかもしれない未来まで全て捻じ曲げる、ということよ」
オデッティアの指の一振りで、透明な水の世界にあった卵や鳥の巣はぱっと消え失せてしまった。元々そこには何もなかった、というように。
「……まあ、未来のことなど、可能性に過ぎぬ。制御こそ難しいが、ただこちら側へ勇者を呼び寄せることはそう難しくない、ということなのであろうな。人間達が勇者を何度も呼んでいることを考えれば」
「そうよね。そう考えなきゃ、色々と辻褄が合わないもの。人間の国は勇者をぽんぽん呼べるのに、魔物の国では……ラガルがやって上手くいかなかった、っていうくらいでしょう?それってなんとなく、納得いかないわよね」
「そうよな。まあ、ラガルが失敗するのは奴に問題がある、という説明だけで済むが……それにしても、妾が勇者召喚の魔法を扱えない以上、やはり人間側に疑問が残るな」
オデッティアが細く長い指を顎に当てて唸るのを見て、あづさとギルヴァスもまた、首を捻ることになる。
やはり、人間側が勇者召喚を行えること自体、どうにもおかしいのだ。
それほど高度な魔法を、どうして、魔法が失われかけている人間の国で行えるのか。
「これは、聞いてみるしかないわね」
結局、あづさはそう、結論を出す。
「人間側がどうやって勇者召喚してるのか。それを知らないことにはこの疑問、なんか解決しなさそうだわ」
「うーん、しかし、人間側としては最後の切り札なわけだ。そう簡単に明かしてくれるとは思えんが。というか、そもそも人間側がこの問題を秘匿しているから今こうやって俺達は話し合っているわけだぞ」
「そうなのよねえ……あー、もう」
問題は、恐らく人間側は勇者召喚の魔法について、秘匿したがるだろう、ということである。
人間が魔物に対抗できる最後の一線が、勇者召喚なのだ。それを魔物側に明け渡してしまえば、人間側は最早、魔物の気分次第で蹂躙されつくし、滅びる運命を受け入れる、ということになる。
それを人間側が拒否しているからこそ、勇者に関する両国の取り決めが進まないのだ。問題はループしている。どこかで輪を断ち切らなければいけないのだが……。
「……推測になるが」
オデッティアはそう前置きして、言った。
「人間側が我ら魔物の国より優れた魔法の技術を持っている、という可能性はまず捨てるぞ。そこを考え始めたらきりが無い」
「うん。そうだな」
少々渋い顔でオデッティアが提案したことをあづさもギルヴァスも頷いて受け入れ、そして、オデッティアの推測の続きを待つ。
「……まあ、そうなると、技術ではなく、材料か。人間側は、余程優れた供物を用意しているのやもしれん。まずそう、考えられる」
「供物、かあ……」
「ラガルがドワーフとレッドキャップを働かせ続けてなんとか作ったあの分量の宝飾品、よねえ……人間の国があれを超えられるのかしら」
ここでまた、3人は唸る。
……どう考えても、厳しい。
人間の国の技術は、あづさも見ている。宝飾店にも入って、中を覗いている。何なら、王家の武具庫どころかその先の隠し部屋にあったものも見ている。……だが、人間の国の宝飾品はドワーフ達が作るものより数段劣る、と言わざるを得ない。
また、人間の国では、魔物の国のようにぽんぽんと宝石が産出するわけでもないだろう。領地に限りがある分、資源にも限りがあるはずだ。勇者召喚を行い続けてその度に資源を失い続けていたら、人間の国の資源は既に枯渇しているかもしれない。
「……と、まあ、考えられはするが、現実的ではないな。それならばまだ、昔に人間の国で魔法が開発され、魔力で供物を補う術などが存在している、と考えた方が現実的よ。例えば、勇者の力を使えば、それも可能なのではないか?」
「ああ、そういえばそうだったなあ。向こうには勇者の力があった。一々勇者から回収していたみたいだから、それを使えば次の勇者が呼べる、ということか」
ギルヴァスは納得したように手を打った。
だが。
「でもそれも駄目よね。だって今、人間の国は『勇者召喚を管理されたくない』って言ってるのよ?つまり、勇者の力が行方不明になっちゃってる今の状態でも、人間の国は勇者召喚できるってことだわ」
あづさがそう反論すれば、ギルヴァスもオデッティアも納得して頷いた。
「……確かにな」
「そうなるとますます分からんなあ……」
3人はまたしばらく、悩んでいたが……オデッティアが唐突に立ち上がった。
「埒が明かん。実際に勇者を召喚した馬鹿者に話を聞きに行くぞ」
「それで俺のところに来たのか」
「うん。お前なら何か分かるかと思って」
「私を召喚したのってあなたみたいだし。何か分かることもあるんじゃないかと思って」
「……その割には、俺のところに来るのはオデッティアの後なんだな?」
「当然であろう、この青二才が。召喚を失敗した者の話を聞くより妾の知識を得た方が有意義であろうとあづさは判断したのだ。心得よ」
オデッティアが錫杖でぽこん、とラガルの頭を叩きつつ、ずかずかと無遠慮に部屋の中へ入っていくのを見て、ラガルは諦めたらしい。あづさとギルヴァスも部屋に招き入れて、自分も椅子に座る。
「それで。何を聞きたい。俺はお前の召喚にも失敗しているんだぞ」
「まあ、私が出てきたのって地の四天王領の荒れ地だったし、そこのところは確かにあなたにとって失敗だったのかもしれないけどね?でも私がこの世界に来たっていう点では、成功してるじゃない?」
「なんなら、勇者マユミに近しい人物を、という点も成功しているなあ」
あづさとギルヴァスが期待を込めた目でラガルを見つめると、ラガルは苦々し気な表情を浮かべて眉間に皺を寄せた。
「……そう言われても、もう説明できることは説明したぞ。供物を用意し、改良して人間しか引っかからないようにした術式で異世界から生命を呼んだ。それだけだ」
「うん。それで?」
「だからそれだけだと言っておろうが!他にどう説明しろというのだ!」
「いや、何か他にあるかと思って」
あづさとギルヴァスが変わらず期待を込めた目で見つめてくるのを見て、ラガルはいよいよ、困り果てたように俯いて、深々とため息を吐き出した。
「……強いて言うならば、術式には成功したのだろうな。条件を2つ、つけられたのだから」
「人間に限定したところと、勇者マユミに近い人物であること、っていう2点よね?」
「ああ。……以前はこの条件を付ける方法すら分かっていなかったからな。生命を呼んでも虫一匹、ということもあり得たのだ」
そういえばそんなこと、ギルヴァスから聞いたことあったわね、と、あづさは思い出しつつ頷く。
要は、召喚、と言っても、それは随分と気まぐれなものであるらしいのだ。何かとままならない。
「ちなみに、その魔法って何を参考にしたの?何か記録が残ってたんでしょ?」
「大まかには、800年より前の魔導書だな。魔王城の図書館に残っていたものだ。異世界の扉を開き、運命を捻じ曲げて何かをこちら側へ引き寄せる。その魔法についてはまあ、それなりに記録があった。元々は魔物が研究していたものだからな」
ラガルはそう言いつつ、ちら、とオデッティアを見た。するとオデッティアはころころと笑って、ラガルを錫杖の先で小突いた。
「言っても構わんぞ。妾がお前の魔法の改良に手を貸したのは真実だからな。……そうでもなければ、お前が1人で勇者召喚の魔法など、構築できるわけがあるまい?」
ラガルはオデッティアの言葉に少々むっとしたようだったが、真実は真実である。ラガルはそれほど魔法に明るいわけではない。そこはやはり、1人で何か行うには限度があった、ということなのだろう。
「あ、人間の国と魔物の国って800年より前は1つの国だったのよね?だったら、今、人間の国にある魔法って、国が分かれてから改良されたもの、ってことよね?」
「そうだなあ。まあ、当時の人間にはまだ、魔法を改良するだけの能力があったのかもしれんなあ」
「ラガルですら、条件を付けるという発想には至ったのだ。人間風情でもその程度は思いついたのであろうな。問題は、その魔法をどのようにして生み出したのか、だが、それもまあ……エルフが居たのなら、何とかなりそうなものよな」
どうやら、そのあたりは発想の問題であったらしい。技術的な問題に関してはなんとかなるだろう、と。
少なくとも、国の分裂直後、800年前ごろならば、人間の国と魔物の国との魔法的技術の差はあまりなかったと考えられる。
「……じゃあ、条件をものすごく緩くした、ってことは、ないかしら」
そこであづさは、そう言った。
「特定の条件を付けたら、コストが安くなる。そういう条件付けを行った上で、人間側は勇者を召喚してた、とは、考えられない?」
「特定の条件で、こすとが安く……?どういうことだ?」
思考が追い付かないらしいラガルを前に、あづさは少々考えてから、例を出す。
「例えば、『果物』よりは、『傷みかけの果物』の方が安く買えそうじゃない?」
「い、傷みかけ?そ、それはそうだろうが……」
「或いは、『あんまり美味しくない果物』とかだったらやっぱり安いわよね?『生だと食べられないし調理が面倒くさい果物』とかでもいいわ」
ここまであづさが言えば、ラガルもあづさの言わんとすることを理解できたらしい。
「……つまり、欠点がある分安く買い叩けるようなものを、わざわざ選ぶ、と……?」
「そうよ。コストダウンと言ったら、まあ最初に考えるのは質の低下よね。馬鹿でもいいから異世界人を、みたいな発想をすれば、供物も必要な魔力もずっと少なくていいんじゃない?」
「そ、そりゃあ……どうなんだ、オデッティア」
「ま、まあ……そんな阿呆を召喚して何になる、とも思うが……否、阿呆でもなんでも、異世界人は異世界人、か。勇者の力が適合する、一定以上の魔力を持つ者ならば誰でもいい、ということなら、確かに阿呆の異世界人が一番手っ取り早い、かもしれんが……」
ギルヴァスとオデッティアは非常にぎこちない表情で顔を見合わせる。
2人の頭には、『わざわざ質の低い勇者を召喚する』という発想が無かったらしい。
「そうよ。結局、資源も碌に無い国が定期的に勇者を召喚したいなら、勇者のコストダウンを図るしかないでしょう?なら決まりよね。人間達はきっと、ものすごーく欠点を持ってる勇者を選んで召喚してるのよ!」