151話
魔王の許可が取れた、という旨を伝えると、人間達は大いに喜んだ。
人間の国の王も魔物の国の王も、ひとまず和平に応じようとしている。奇妙なことに、互いの国の決裂の中で最も苦しんだであろうエルフという種族が、2つの国を結びつける役割を担っているのだ。
長らく結びつかなかった2つの国の手と手を取り合わせたのは間違いなくエルフだが、両者が動くきっかけとなったのは間違いなくあづさだろう。
異世界からやってきた1人の少女が、こうまで大きな影響を及ぼし、世界を救った。
……形こそ違えど、異世界からくる者は皆、勇者らしいことをしていく。ギルヴァスはそんなようなことを思って、奇妙な心持になる。
あづさは、勇者として召喚されたわけではない。あくまでも、ラガルが真弓か彼女に近しい人物を、と望んで召喚したらしいのだから。
それでもやはりこうして世界を救ってしまうのは、異世界人の性なのだろうか。
「ギルヴァス、どうしたのよ。何か黄昏てるけど」
階段の下でぼんやりしていたギルヴァスの頭の上から、あづさの声と共に何かが降ってきてギルヴァスの頭の上に乗った。
どうやら、階段の上からヘルルートが飛び降りてきたらしい。無茶するなあ、と呟きつつ頭の上に手を伸ばせば、ころん、と大振りな人参がギルヴァスの手の中に入り込んできた。
「魔王様のこと、考えてるの?」
「まあ、半分くらいはそうだな」
階段を下りてギルヴァスの隣までやってきたあづさにそう答えると、あづさは首を傾げた。
「……ちなみにもう半分は君だ」
「あら、そう。光栄だわ。あなたの頭の半分を占領できたなんて」
時には10割占領されるんだが、とは思いつつも言わないことにして、ギルヴァスはあづさをのんびり見下ろす。
「ところで君も落ち着かなくて散歩中、ということか」
「そうよ。まあ、あなたもそうみたいだけれど」
あづさは深々とため息を吐いて、一緒に言葉も吐き出した。
「いよいよ明日だもの。2人の王の会談」
明日、人間の国と魔物の国、2つの国それぞれの王による会談が予定されている。
人間の国からはアーリエス4世と先王、そしてダニエラ。他に有力貴族と護衛が数名参加するらしい。
そして、魔物の国からは魔王。そして四天王。更にあづさ。こういった面子で会談に臨むのだ。
……今回のため、人間の国と魔物の国の間となる部分に、またギルヴァスは建城した。あづさとギルヴァス、そして他の四天王達もが現在滞在しているここが、これからの話し合いの場となる。
結界より少し魔物の国側に城を建てたのは、人間達に結界を潜らせたかったからだ。彼らが結界を通れたなら、それは人間達が魔物達に好意を抱いているという証明になる。
「さて、どうなることやら……」
話し合いの席を設ける、とは言っても、当然、突然明日から交流が始まり皆仲良く、などという都合の良いことになるわけがない。何年掛けてどのように和平を進めていくのか。また、互いに理想とする終着点も異なるに違いない。ならばそこのすり合わせも必要だ。
互いに利のある関係を築こうと思ったならば、互いに譲歩しなければならない。例えば、人間も魔物も、互いの領地を奪うことは諦めなければならないわけだし、そうなると人間達が不当に奪ってきた魔物の国の領地を返還するべきかどうかという話にもなってくるだろう。
……そこで何かと厄介なのが、寿命の差である。
何せ、ギルヴァスも魔王も、平気で100年200年を生きる種族である。当然、人間達はその時間についていけずに死ぬ。
そんな彼らからすれば、『たかが100年』であっても、人間達にとっては『されど100年』なのだ。うっかり『これから100年で関係改善を』などと魔物側が言ったならば、人間達はさぞ困惑することだろう。
或いは、人間側がピスケの町近辺の領地について『もう200年我々の領土なのだから我々のものだ』と主張したとしても、魔物側からすれば『たった200年程度で何を言っているんだ』という具合になる。
……互いに国交がなかったせいで、この感覚のすり合わせは、今のところ全く為されていない。
そこが、あづさとギルヴァスの不安の一因であった。
「……まあ、魔王様がまだ年若くいらっしゃることが救いだなあ」
「いや、それでも200歳近いのよね?魔王様って」
「先代様は500歳を越えていたぞ」
「ああ……それならまだ、200歳に満たないくらいって、全然若いのね……」
今のところ、魔物の国と人間の国との歴史には3つの壁がある。
1つは、100年前の壁。
勇者マユミと先代魔王、そしてエルフの陰謀による大事件の影響は、現在にも根深く残っている。
尤も、これらは真相が解明されたことにより、ある程度はマイルドな壁になるのだろうが。
そして次に、200年前から600年前あたりまでの壁。勇者イーダやその他の勇者達が召喚されては魔物の国を侵略していった時代である。
人間側の『常識』は、この辺りの出来事が元になって作られている。
要は、『魔物に虐げられた我々は勇者の力によって正当に自分達の土地を取り戻したのだ』『魔物は忌むべき悪しき存在だ』というような。
……魔物側でも、700年前の出来事を自分の記憶として覚えている者はそう多くはない。だが、それでも、数百年を生きてきた魔物達と、100年を生きられない人間達との間ではこの辺りの認識が全く異なる。
そして最後に……700年前以前の壁がある。
その時代は……恐らく、人間達と魔物達が交ざり合って生活していた。
エルフが人間の国に残った、ということはつまり、それ以前から人間の国にエルフが住んでいた、ということに他ならない。そして、エルフを置いていった他の種族の魔物達も恐らくは、人間の国の中か、或いはそれに近しい場所に居たのだ。
……それがどうしてか、人間の国と魔物の国は争うようになった。
ギルヴァスが調べたところによれば、その原因はやはり、利権関係であったらしい。
どうしても、長い年月を生きる魔物の方が、あらゆる面で有利に立ちやすい。その結果、自然と、人間は弱小種族となる。
……しかし人間はその数で、魔物達に対抗しようとしたのだ。正当な行いをしていた魔物も、人間を食い物にしていた魔物も皆はじき出して、人間の国を作り上げた。
当然、今までの権利を不当に奪われた魔物側は反発する。魔力を多く持つ魔物は人間の文明の力とぶつかり合い、人間側に大きな打撃を与えた。
そうして人間の国と魔物の国は分かれ、しかし、分かれた後も互いの土地に残したものや何やらを巡って争い、更に人間達は『勇者』を手にしたことで、その後の戦局を大きく有利にした。
……それが、人間と魔物の戦いの発端であったらしい。
どうやら、そういう歴史があった上での、その先の魔物の国と人間の国の争い、更には国交断絶の始まりであったらしいのだ。
それから断絶した2つの国がそれぞれ独自の文化や文明を築き上げ、その過程で人間の国からは魔法が消えていき、魔物の国からは科学が発達する余地がほぼ無くなった。
こういった壁がある以上、特に寿命の短い人間側としては、『800年前の関係を取り戻そう』と言われても困るわけである。そんなものは記憶はおろか、記録にすら碌に残っていないようだから。
……となると、焦点はやはり、100年前から200年前程度のこと、つまり勇者マユミと勇者イーダの時代のこと、ということになり……丁度そのあたりに生まれた今の若い魔王は、まだ多少、人間達と話が合う、ということになるのだろう。
「そういえばあなたは300歳ぐらいなのよね?」
「ああ。君は17歳だったな」
「そうよ。高校2年生。……で、ところで、他の四天王って、何歳?」
「ええと、まずファラーシアだが……あれの年齢はどう数えていいのか、困るなあ」
「そうね。それ言っちゃうと今、1歳に満たないわよね。その割に人間で言うところの10歳ぐらいになってるけど」
「うん。まあ、あれは大体270歳ぐらいだ。生まれたての頃から俺は見てるぞ」
「それでもやっぱりうん百歳なのね……」
魔物の年齢の感覚に慄きつつ、あづさは次に話題を移す。
「じゃあ、オデッティアは?」
「うん。分からん」
が、オデッティアの年齢を聞いてみたところ、そんな答えがあっさりと返ってきた。
「分からん、って」
「うん……聞いたことが無い。俺が物心ついた時にはもう『隣の領地のお姉さん』だった」
……あづさは、慄く。
「つ、つまりオデッティアって300歳越えてるのね?」
「ううむ、何せヒドラだからな、下手すると、400、いや、500か600いっていても……いや、しかし、それであの見た目なら本当に化け物」
その時だった。ギルヴァスの脳天目がけて、容赦なく水鉄砲が飛んできた。
……顔面を濡らしたギルヴァスは、そういえばオデッティアはあらゆる場所に探知の魔法を使っているのだった、と思い出し、唇を引き結ぶ。最早この話題には触れないに限る。
「え、ええと、じゃあラガルは?」
「ああ、あいつは俺より年下だ。ファラーシアと同じくらいか?もしかしたら最年少かもしれないが」
「ふーん。ところで彼の種族って何なのかしら」
「ラガルか?あれはデーモンの類だなあ。どこかに竜の血も入っていそうだが。うん、詳しくは知らん」
案外色々知らないのね、と思いつつ、あづさはひとまず、魔物とはそういうものなのだな、と納得した。要は、人間の感覚とはやはり、大きく異なる感覚を持っているのだ。
……何と言っても、彼らからしてみると十歳や二十歳の違いは誤差の内であるらしいので。
「……まあ、お互いに知り合って、譲歩し合うしかない、わよねえ……」
「そうだなあ。ただ、魔物側は侵略すれば侵略し放題なわけだ。人間側にはもう勇者の力が無いわけだからな。それを考えると……ううむ、人間側は警戒するだろうし、魔王様としては強気に出たいだろうし、そうなると人間側は益々意固地になるだろうし……」
……あづさは、ダニエラが言っていたことを思い出す。
エルフが歩み寄ろうとしても、人間は力あるエルフを恐れてエルフを排除しにかかった、と。
力あるものが歩み寄ろうとしても、力無いものがそれに応えるかは、また別の話なのだ。
「……魔王様と人間の王を信じるしかない、なあ」
魔物側は、自分達が得られる利益を捨てなければ、人間側に歩み寄れない。人間側は、侵略される恐怖を捨てなければ、魔物側に歩み寄れない。
……分かってはいても、何とも難しい話であった。
アーリエス4世達が到着したのを見て、ひとまず、あづさとギルヴァスはほっとした。
つまり、彼らは結界を通り抜けることができたのだ。魔物への好意を多少なりとも持っているという証明ができた。これが第一歩、魔物の国と人間の国が手を取り合う大前提となる。
「……ようこそ、魔物の国へ」
アーリエス4世達を出迎えたのは、魔王その人である。年若い姿の魔王に、アーリエス4世達人間は驚いたようだったが……魔王はその若い容姿を差し引いても余りある程に堂々として、威厳ある姿でそこに立っていた。
魔王の力が無くとも、それでも魔王の座に100年弱君臨し続け、魔王の力が無いことを隠し通せるほどの力のある魔王だ。持っている力は、人間とは到底、比べ物にならない。
魔王は弱者である人間の前に、まるで臆することなく堂々と立って、彼らを見回した。
「さあ、城の中へ。存分に語り合おうではないか。100年前、成しえなかったことを成すために」
100年前、と言葉が出た途端、ダニエラは身を固くし、アーリエス4世もまた、緊張を走らせる。その後ろに居る貴族達など、2人の比ではない。
「我が父、先代魔王と、そちらの先代勇者は和平を望んでいたと聞く。そして今、我々は同じように、和平を望んでいる。そうだな?」
魔王が確認すれば、アーリエス4世は確かに頷く。すると魔王は、その威厳ある面持ちを崩すことなく鷹揚に頷き、それから、アーリエス4世へ手を差し出した。
「ならばそう、緊張するな。目指すところは同じ。我らは共にこれからの世界を創る者同士なのだからな」
恐らく、魔王は人間達を緊張させる振る舞いを意図しているのだろう。敢えてそう振舞うことで、より、人間達に魔物側の希望を呑ませようとしている。
こちらが上だと、知らしめようとしているのだ。
圧倒的な力を持つ魔王に、弱い人間達はどう足掻いても勝つことができない。魔物側が人間側の意見など全く聞き入れず、ただ侵略しさえすれば、魔物が人間の全てを手中に収めることができるのだ。
だがそうしない。
踏み躙ればあっという間であろう人間達を生かした上で、更に、交渉の場に着こうとしている。
その前提を存分に主張しながら、魔王はじっと、アーリエス4世を見た。
「……ああ。よろしく頼む。魔の王よ」
アーリエス4世は緊張の面持ちで魔王の手をとって、恐る恐る、その手を握ったのだった。
「長旅ご苦労であったな。すぐにでも会談に入っても良いが、まあ、いきなり本題に入るのも無粋というものよ。まずは会食といこうではないか」
「そうよ!ご飯にしましょう!お腹がへったら元気が出ないわ!」
城内に入った人間達を出迎えたのは、妖艶な笑みを浮かべたオデッティアと、その横で少々強気な笑みを浮かべるファラーシアであった。
人間達はオデッティアの底知れぬ気配に身を竦め、そして、ファラーシアを見て……この如何にも人懐こそうな少女であっても、人間の十人二十人程度簡単に殺せる力を持った魔物なのだ、と知って戦慄した。
「こっちよ!速く速く!遅いわよ!」
ファラーシアがてくてくと歩いていきながら人間達を振り返ってそう言えば、人間達は戸惑う。だが、オデッティアが優し気ながらも底知れぬ笑みを浮かべて促せば、彼らは皆、ファラーシアに案内されるままに食堂へと向かうのだった。
食堂に入った人間達は、驚いた。
そこにあった光景は、人間達が予想していた光景とは全く異なっていたのである。
着席して1人1セットずつの皿を前にしながら食事をするのだとばかり思っていた人間達は……大量の食事の並ぶいくつかの机を見て、これは一体どういうことか、とばかりに戸惑う。
「悪いが、俺達は人間が何を食うのかよく知らん。調べはしたが、調査対象も調査期間も十分ではない。よって今回は各自、好きなようにとって食べるような形式にしたのだ」
食堂の中で人間達を出迎えたラガルはそう言って、人間達を食堂の中へと招き入れる。
人間達に皿と食器を運ぶのは、風の四天王団から派遣されてきたビータウルス達である。ファラーシアが幾度となくパーティーを開くせいで、彼らの給仕能力は魔王城の召使い達すら凌ぐまでに鍛えられているのだ。
「会談もあるが、今は忘れてとりあえず楽しんでほしい。必要なものがあったら何でも言ってくれ。可能な限り準備する」
ビータウルス達に混じってギルヴァスも何故か働きつつ、人間達に笑みを向けた。……人間達はギルヴァスの姿はある程度見ている、という者が多いため、ギルヴァスを見てほっとしてしまう者も多かったらしい。更に、そんな他の人間の様子を見た魔物初体験の有力貴族達は、『こいつが一番話が通じて安全そうだ』という評価をギルヴァスに下すのだった。
「さあ、魔王様。準備は整ってるわ」
あづさがそう促せば、魔王は頷いて、人間達の前に立つ。
「堅苦しいことは無しにしよう。四天王達からも分かったと思うが、我らは人間の国に歩み寄ろうとしている。そして今、我々が望むものは利益でも権利でもなく、ただ交流を楽しむことだ。そちらも存分に楽しんでほしい」
そして魔王は短い挨拶の後、小さく魔法の花火を打ち上げて、会食の開始を合図した。
……人間達はそれに驚き、中には攻撃されると勘違いして逃げ出しかけた者まで居たが。
そうして会食が始まると、人間達はまた存分に驚くことになる。
まず、魔物の国の食事は珍しくも美味だった。
魔物とは野蛮な生き物だ、という認識で居た人間の貴族達も、用意されていた食事を味わえば、その認識が間違いであったことを認めざるを得なかった。
丁寧に調理された数々の食材は、食材こそ人間の国には無いものばかりであったが、調理法や何かは人間の国に共通するものばかり。そして何より、同じものを食べて同じように美味いと思えるということが、人間を魔物達に歩み寄らせる材料となった。
また、食べている内に魔物達に話しかけられ、その度に人間達は魔物への印象を改めさせられていった。
ギルヴァスが見た目通り、のんびりとして穏やかな性質であることは人間達を落ち着かせ、その他、オデッティアはあぶれた者に話しかけに行くなど案外世話好きな面を見せ、ファラーシアは誰彼構わずおすすめの菓子を無邪気に勧めて歩く。ラガルは早速、王の護衛達と話が合ったらしく、そちらで打ち解けていた。
給仕のビータウルスなどは四天王達などより余程魔物らしい見た目をしているが、そんな彼らも、何か困りごとは無いか、不足は無いか、と人間達を気遣うものだから、人間達は次第に、人間からかけ離れた姿の魔物に対しても、一定の理解を生じさせていた。
……そして、あづさがごく普通に魔物達の中に溶け込んでいる、ということが、人間達の壁を取り払う1つの要因となった。
何せ、あづさは異世界人とはいえ、人間である。人間の姿形をした少女が、ごく普通に魔物達に溶け込んで、やりとりしている。……その様子は人間達に、そう遠くない未来の自分達の姿を予期させたのである。
そうして会食が終わると、人間達はそれぞれ客室に案内された。ギルヴァスは『部屋が足りなかったら増築する』というような旨を明るく伝えて人間達に疑問を抱かせていたが、それはさて置き、人間達はある程度警戒を解いて、休むことにしたらしい。
……ここで人間達はこっそりと、打ち合わせを行うだろう、と、魔物側は予想している。そのためにわざわざ、休憩の時間を設けたのだ。
会談に臨む前にもう一度、人間側の意見をまとめさせておく。彼らが会食で感じたことを含めてもう一度、考えさせる。それが狙いで、このようにスケジュールが組まれているのだ。
それは人間達に安心感を与えるためであり、この後の会談をスムーズに進行させるためでもある。
人間達もどうやら、この気遣いに気づいているらしい。
……あづさはオデッティアと一緒に人間達の客室の様子を探知しながら、にっこりと微笑むのだった。




