143話
翌朝、あづさはすっかり元気になって、昨夜の夕食と同様に不思議な面子で食卓を囲む。
朝食は随分と豪華で、このまま王城に居続けたら太るわね、と、あづさは内心で思う。そのためにも早く魔物の国に帰った方がよさそうだ。
そして何より、太る太らないは置いておくにしろ魔物の国に帰ってやりたいことはたくさんある。オデッティアやラガルに報告すべきこともある。
そう考えると、あづさは何か、魔物の国の地の四天王城、素朴な自分の部屋が無性に恋しくなってきた。ある種のホームシックのようなものなのかもしれない。
「ホームシック、ねえ」
あづさは呟いて、くすくす笑った。
まさか自分が『ホーム』シックとは。初めてのことであったし意外だが、不愉快ではなかった。
「……話がある。よいか」
食後、あづさとギルヴァスはアーリエス4世にそう、声を掛けられる。そろそろ城を辞す、という旨は伝えてあったので、それについてか、と2人は予想して王の元へ向かう。
あづさ達は応接室に通されて、そこで王に椅子と茶と茶菓子を勧められる。
さっき朝ごはん食べたばっかりでそんなに入らないわよ、と思いつつも、出された茶菓子を1つつまんでみればそれは軽やかなメレンゲ菓子で、何かすっきりとした香りも相まって食後の腹にも入ってしまいそうだった。
結局あづさは少々茶菓子をつまみつつ、王に向き合うことになる。
王も何をどう切り出せば決めあぐねているらしく、しばらく、茶を飲み、茶菓子をつまむ時間が流れた。
……そのまましばらくしていると、ふと、ドアがノックされる。
誰が何の用か、とあづさは不思議に思ったが、王はそれが誰か知っていたらしい。入れ、とだけ言うと、ドアから顔を覗かせたのは……シャナンだった。
「遅れて申し訳ありません。話はもうされましたか?」
「いや。お前が来るのを待っていた」
王はそうシャナンに言うと、シャナンにも茶と茶菓子を勧めた。シャナンは茶のカップに口をつけて一口味わうと、早速、話を始めることにしたらしい。
「ならば、僕から申し上げても?」
「構わん」
シャナンは王に笑って礼を言うと、今度はあづさとギルヴァスに向き直った。
「アヅサ・コウヤ様。ギルヴァス・エルゼン様。お願いがあります」
「どうした?急に」
ギルヴァスがきょとん、とすると、シャナンはにっこりと笑って、言った。
「僕を魔物の国に置いていただけませんか?」
「構わんぞ。まあ、自由に、というわけにはいかないだろうから、とりあえず俺の領地のどこか、ということになるか。地の四天王城の一室でよければいくらでもいてくれて構わない」
ギルヴァスはあっさりとそう言うと、数度頷き……それから、アーリエス4世に向かって、尋ねる。
「ええと、いいのか?」
要は、人間を魔物の国に置いておくことに王は同意しているのか、と。或いは、これを機に魔物の国を侵略するつもりではないだろうな、と。
今まで魔物との交流を望まないどころか、むしろ魔物の国を侵略しようとしていたアーリエス4世であるので、シャナンの申し出はなんとも奇妙に思えた。
だが。
「ああ。構わん。余が直々に許可した」
アーリエス4世はそう言って、少々気まずげに咳払いした。
「……シャナン・イーダより、結界について聞いたのだ」
「あの結界は、魔物に悪意を持つ者を通さない、というものであるらしいな」
「そうね。或いは、魔物に好意を持たない者が通れない、のかもしれないけど。とりあえず、私達に敵意が無い人か、私達が手を握った人以外は通れなかったみたい」
アーリエス4世の確認にあづさがそう答えれば、アーリエス4世は鷹揚に頷いた。
「つまり、先代魔王の望みは1つ。……人間の排除でも、人間の侵略でもなく……魔物との友好関係を望める人間とだけでも、交流を持ち続けること、だったのだな」
「……そうだな。きっと、そうだった」
ギルヴァスは思い出して懐かしむように目を伏せて、そう頷く。
ギルヴァスの覚えている先代魔王なら、確かにそう望んだだろう。そう、思える。
「余も多少は魔法の心得がある。王家に伝わる魔導書は全て読んだ。……であるからして、あの結界が相当な代物であろうということは、分かっていた。そして、あのような結界を生み出すよりも、人間を誰一人通さない結界を生み出す方が簡単であり、何なら、人間の国を滅ぼす方が余程、簡単であっただろう、とも」
「そうね。先代の魔王様はいくらでもやりようがあったけれど、選んだのはあの結界。それが答えだったと思うわ」
あづさは、先代の魔王のことは知らない。だが、ギルヴァスが尊敬していたらしいことは、彼の話から分かっている。だからあづさも、先代魔王に敬意を払うことにしている。
「人間達は、魔物を恐れている。魔物達は魔王の復活を待っていて、その魔王の復活に合わせて、再び人間の国を襲うつもりなのだろう、と。実際、魔物に襲われたなら、我らは太刀打ちできないだろう。何せ、魔法から遠く離れて数百年を経てしまった国だ。……だが、余は賭けることにした」
アーリエス4世はそう言うと、ギルヴァスの前に、手を差し出した。
「そちらの魔王に、伝えてくれ。……人間の国は、魔物の国に、和平を申し入れる」
ギルヴァスは差し出された手を固く握った。
100年前に握ることが叶わなかった手を。
「ああ。確かに伝える」
ギルヴァスはそう力強く答えて、今、こうして人間と手を取り合うことができるようになった喜びを噛みしめた。
「まあ、突然和平と言っても、こちら側には魔物を受け入れる体制が整っていない。分かると思うが」
「ああ……うん、そうだなあ……」
「ギルヴァスが来ただけで阿鼻叫喚だものね、この国」
ギルヴァスとあづさが互いに少し前の出来事を思い出していると、アーリエス4世はそこでようやく、シャナンを示した。
「そこで、まずはこちらから、魔物の国へ人間を派遣したいと思う。一度に交流を始めるのではなく、まずは一部で、と思うのだが、いかがだろうか。そこでまずは、人間が魔物の国のことを学び、それを国に持ち帰り……それから、どのように交流していくべきかを模索していきたいのだ」
どうやらこの意見はシャナンから王へと申し入れたものらしい。シャナンは誇らしげに、にこにこと笑っている。
「勿論、構わない。……とは言っても、俺が決められることでもないんだが。だが、地の四天王領としては、喜んでそれを受け入れよう。楽しみだ」
ギルヴァスはにこにこと笑って、シャナンに、よろしくな、と声をかけ、手を差し出す。
シャナンはギルヴァスの手を握ると、如何にも商人らしい顔をして、冗談めかす。
「僕を置いておくこと、損はさせませんよ」
シャナンの言葉の裏には、『同時に自分も損はしない』というプライドのようなものが見える。ギルヴァスはそこまでしっかりと読み取った上で、少々強く、手を握り返す。
「ああ。期待してる」
人間側が魔物の国に利益しか求めていなかったとしても、構わない。ならばそれを懐柔して、こちらも利用するだけだ。
……そしてそれは、悪いことではないだろう。互いに落としどころを探り合って、時にはぶつかり合うことで、真の和平は築かれる。ギルヴァスもあづさも、そう思うのだ。
「成程ね。そういうわけで、シャナンさんがうちに、ってこと。なら折角だから、傭兵の皆さんも魔物の国にしばらく住んだらいいんじゃないかしら?彼ら、順応能力、ものすごく高いわよ」
「ええ。そうですね。僕もそう思います。交流団の第一陣には彼らも加えてそちらにお邪魔しようかと」
「あ、それから、クレイヴを帰してあげるつもりはないわよ。彼、もう地の四天王団の一員だからね」
「それは構わん。奴の決めたことなら仕方ないと、ダニエラ様も仰っていた」
「これは、領地が賑やかになるなあ……ああ、なら、城に帰ってすぐ君達の居城を建てよう!そうだな、君達も、人間だけの居所があった方が落ち着けるだろうし」
「ギルヴァス。歓迎の意があるのはいいけど、建城って人間にとっては年単位の大仕事なんだって分かってる?びっくりされちゃうでしょ」
「魔物の国では、城とは気軽に建てるものなのか……?」
……こうして話は弾み、細かな部分もある程度、定めていく。
人間達の安全が確保できるように、人間側はできる限りの約束を取り付けておきたいらしかった。何せ、人間は魔物より大分弱い。それに関してはギルヴァスも分かっているので、国同士を繋ぐ連絡の魔法を整備する提案を出したり、運河を1つ通す提案をしてみたり、と、積極的に人間の保護に気を配った。
そうして粗方、魔物の国に人間達を迎え入れる計画を詰めていく中。
唐突に、ドアが叩かれる。王が訝しみつつも入るように言うと、そこにはダニエラが立っていた。
「ダニエラ様」
少々戸惑いながらアーリエス4世がダニエラを迎え入れると、ダニエラは優雅に会釈して入室する。
ダニエラは室内に居るアーリエス4世とシャナン、あづさとギルヴァスを見渡すと、少々余裕のない表情で言った。
「私も交流団に加わりたいと思います」
「なっ」
これに一番驚いたのは、アーリエス4世だった。どうやら、打ち合わせなどもなく、ダニエラはこのようにやってきたらしい。
驚くアーリエス4世の一方で、あづさとギルヴァスはさほど驚かない。ああやっぱり、という程度のものである。
「勿論、人間の国でのエルフ保護活動も続けるつもりです。それについて、先王の許可も頂いています。しかし、それだけでは足りない。私も魔物の国で、交流のために役立ちたいのです」
皆の前で、ダニエラはそう、忙しなく言葉を紡ぐ。紡がれる言葉は、ある程度は予め用意してあったのだろうと思われた。だが、それだけでは足りなくなって、今、紡ぎあげてもいるらしい。
「魔王の力は返還します。武装も致しません。ただ、何か、私にもできることを……魔物と人間と、そしてエルフとの懸け橋に、なりたいのです」
ダニエラの言葉からは、何とか説得して、何とか自分の思うように、という強い意志と焦りが感じられる。
言葉全てが彼女の本心、というわけではないのかもしれない。人間の国も魔物の国もどうでもよく、エルフの為に、と考えているのかもしれない。
ギルヴァスとあづさはダニエラの言葉を聞いて、顔を見合わせると……。
「うん。喜んで歓迎しよう」
「あなたが居れば、人間側も全くの無力って訳じゃなくなるし。バランスが取れていいんじゃないかしら」
あっさりと頷いて、にっこりと笑う。
望むところだ、と。受けて立つわよ、と。
2人はそう意思表示しながら、温かくダニエラを迎え入れることにしたのである。
その日の昼過ぎ、最後の昼食を終えた一行は、魔物の国へ向かうことになった。
しかし、傭兵30人余りにクレイヴにシャナンにダニエラに、更に彼彼女らの荷物に、となると、流石にギルヴァスでも一度に運搬することはできない。
結局、数度に分けてギルヴァスが運搬することとなり、あづさはギルヴァスの順番待ちの間、城の中庭を散策することにした。
……そしてそこで、聞きなれた声のやりとりがあるのを聞きつけたあづさは、薔薇の生け垣に隠れながら、そっとそちらの様子を窺う。
「そういうわけで僕はしばらく、魔物の国に滞在することになりました。これからもあなたを近くで見つめていられると思うと、今から胸が躍りますよ」
そこに居たのは、シャナンとミラリアだった。ミラリアは帰る前にもう一度、人間達に誘惑の魔法を掛けてくる、というようなことをあづさに言っていた。ということは、ミラリアが中庭でローレライの歌声を使っているところに歌声を聞きつけたシャナンがやってきた、というような状況だろう。
「あら、魔物相手だというのに?」
「美しさに魔物か人かは関係ありませんよ。それから、愛にも、ね」
シャナンは楽しそうにそう言って、意味ありげな笑みを浮かべる。ミラリアはそれを一瞥すると、ふと視線を逸らし、そこにあった白百合を眺める。
花はそこまで大振りではなく、それほど華やかなものでもない。だが、凛々しく清廉な姿にミラリアは満足したらしい。少々、口元を綻ばせた。
「……私、華やかな大輪の薔薇より、凛とした白百合の方が好きです」
「成程。あなたには華やかな薔薇も似合いますが……確かに、白百合の方がより、あなたを引き立てるかもしれない。清らかな様子があなたにぴったりだ」
「そう。嬉しいわ」
ミラリアはそう言いつつ、白百合から目を離さない。
シャナンはそんなミラリアを見て……ふと、言った。
「……彼に、似ていますか。白百合は」
「かもしれませんね。百合だなんて言ったら彼、拗ねそうだけれど」
シャナンの心が分からないでもないだろうに、ミラリアはそう言ってくすくすと笑う。シャナンはそれを見て、複雑そうな顔をした。
「まどろこしいのも悪くは無いが、今ははっきり聞かせてください。あなたの心は、槍の騎士の彼にあるのですか」
「……何をしているんだ」
あづさは唐突に声を掛けられて、身を竦ませた。盗み聞きをしていた、となると、少々居心地が悪い。
「ごめんなさいね。ミラリアに何かあったら良くないと思って」
あづさは目の前に立つ、呆れたような顔のルカにそう言って笑った。そして生垣の後ろを示せば、ルカもそこにいる2人に気づいたらしい。
「ああ、またあの男か……」
「気になる?」
あづさが尋ねるも、ルカは特に返事をするでもない。それでいてルカは、のんびりと盗み聞きをするような性格でもなく……少々迷った後、ミラリアとシャナンの居る方に出ていってしまった。
「ミラリア。用務は済んだのか」
唐突に出てきたルカに、シャナンは驚いたような顔を見せたが、ミラリアはふと笑って頷いた。
「ええ。概ね」
「なら戻った方がいい。そろそろギルヴァス様がお戻りになる時間だ」
「そうね。そうしましょうか」
ミラリアはルカの言葉に頷いて、シャナンに適当に挨拶してその場から去ろうとする。
「ミラリア嬢。……先ほどのお答えは、つまり、そういうこと、ですか?」
シャナンの少々焦った声がミラリアを後から追いかければ、ミラリアは振り返って……微笑んだ。
「さあ、どうでしょう。水のものの心なんて、量ろうとするものではないですよ。どうせすぐに流れていってしまうのだから」
その笑みが少々寂しげに見えたのは、あづさの願望だったのかもしれないが。
「俺だって!飛べるんだぞ!」
「はいはい、分かってるわよ」
「ギルヴァスよりはちょっとは遅いかもしれねェけど!俺だって相当速い!」
「そうね。でもちょっと大人しくしてて頂戴。背中の上でバタバタやられたらギルヴァスが気になるでしょ」
「うるせェー!俺はバタバタしてェ時にバタバタするって決めてンだよ!文句あっか!」
「勿論、文句だらけよ」
……そうして遂に、最後に残ったあづさとミラリアとルカとラギト、そしてシャナンとクレイヴとダニエラ、という一団を乗せて、ギルヴァスは人間の国を飛び立った。
ギルヴァスの背の上でもラギトは煩く、しかし、それが却ってよかったかもしれない。
「ほらラギト、見なさい。もうすぐ結界よ」
「ン?おっ、ほんとだ!結界だ!結界がもうすぐだってことはもうすぐ魔物の国だな!俺は賢いから分かるんだぜ!」
ラギトのなんとも頭の回っていない言葉を聞き流しつつ、一行はなんとなく、緊張を解されていた。
特に、ダニエラは。
「……心配?」
あづさがそう声をかけると、ダニエラは少々身を竦ませた。
「まあ、そうよね。あの結界、人間にとっては結構怖いでしょ?クレイヴは指先、消し飛ばされてるし」
あづさがそう言うと、クレイヴは『そういえばそんなこともあった』というような顔をして、自分の指に目を落とした。勿論、あづさの回復の魔法によって癒された指先は、傷の痕跡すら残さずにしっかり元通り、何の問題もなくそこにある。
「……そう、ですね。自分の心を量られる、というのは、少々……居心地が悪くもあります」
ダニエラは迫りくる結界を見据えて、そう、呟いた。
もし、ダニエラが本心から魔物への敵意を捨て去れていなかったのならば、あの結界を通り抜けるとき、ダニエラは跡形もなく消し飛ぶのだろう。それが容易に想像できるダニエラだからこそ、この瞬間は、緊張に包まれている。
「ン?大丈夫だろ?だって俺達が一緒なんだぜ?それでもお前、別に平気な顔してるじゃねェかよォ。なら大丈夫だろ?違うのか?あ、もしかしてお前、嫌いな奴と一緒に居ても平気な顔してられる奴か?」
だが、ラギトが何とも気の抜けたことを言うので、ダニエラは緊張に満ちた面持ちをつい、和らげることになった。
「あ、何なら俺の手、握っとくかァ?そうすりゃ結界は通れるンだろ?ん?あっ、俺、手、ねェんだった!やっぱ足でもいいかァ?」
ラギトの能天気さに救われつつ、ダニエラはくすくすと笑ってラギトの鉤爪の端へ手を伸ばし……手を、止めた。
「……いえ。やはり」
ダニエラはそう呟くと、眼前の結界を見据えた。
覚悟を持って。強く、思って。
……そうして一行は、結界を抜けた。
誰一人、欠けることなく。ダニエラもまた、無傷でそこにいた。
「……そうですか。私の心は……」
ダニエラは手を握ると、また、前方を見据える。そこには地の四天王城があり、その屋上では丸々と太った人参や大根、果ては白骨死体までもが、のんびりと手を振って、帰ってくる主と仲間達、そして新たに仲間となる人間達を歓迎していた。




