137話
『魔王の力』。
まるで予想していなかった言葉を聞いて、あづさは一瞬、混乱する。
だがそれも一瞬しか許されない。何故ならば、即座にダニエラの魔法が、あづさ達を襲ったためだ。
熱く乾いてうねる触手のようなものがダニエラの立つ床から蠢き伸びあがり、それらが一斉にあづさ達に向けて迫る。更に、ダニエラが放ったらしい、炎の魔法が同時に襲い掛かってくる。
「伏せろ!」
そこへギルヴァスの一喝が飛び、あづさ達は慌てて身を低くした。すると、あづさ達の頭上を石の大剣が薙いでいき、触手を一気に叩ききった。
更に、迫る炎の壁はミラリアの生み出した水の壁とギルヴァスの生み出した岩の壁とで阻まれて、あづさ達を傷つけることなく終息する。
……だが、ダニエラはまるで疲れを知らないように、次々に魔法を放ち、また、触手のような、生き物なのか魔法なのかよく分からない物体を生み出してはあづさ達を襲う。
傭兵達も触手を切り払い、魔法を盾で防ぎ、時にダニエラへ矢を射かけてみたりと奮闘してはいるのだが、一向に効いている感覚が無い。
更には、ダニエラは今や、自分の周りに触手を大量に出現させ、まるで自分を守る壁のようにしていた。触手達はダニエラへ飛んでくる魔法を受け止め、矢を払い、立派に壁の役割を果たしてしまっている。どんなに切り払おうが魔法で吹き飛ばそうが、触手は際限なく出現していた。
「……遠距離で戦っていては埒が明かないな」
ルカはそう言うと、ちら、とラギトと目配せした。ラギトは自分の翼で追い風を巻き起こして炎を退けているところだったが、ルカから視線を送られると、きょとん、とした直後、にやりと笑った。
「おう!そうだなァ、俺もそう思ってたところだぜ!……ンじゃァ、行くか!」
ルカが槍を自分の胸の高さより上に構えると、ラギトはルカの腰をがっしりと鉤爪で掴む。
そしてそのまま、一気に宙へと加速した。
「なっ」
ダニエラもそれには驚いたらしい。何せ、空を飛んで一瞬で距離を詰めてくる相手など、予想していなかった。
触手はダニエラの周囲の床から生えてはいるが、それはあくまで、ダニエラをぐるりと一周、囲んだだけ。……つまり、上部は、がら空きである。
「貰ったァ!」
そこへ、ラギトは突っ込んでいく。まずは、掴んだルカを投げつけるようにして触手の切れ目に叩き込み、そこでルカが新たに現われた触手を切り払って更にダニエラへ肉薄するのを確認すると、ラギトもまた、触手の中へとつっこんでいく。
ダニエラは咄嗟に、ルカの槍の直撃は避けたらしい。だが、服の裾を床に縫い留められ、続くラギトの攻撃を避けることは、できなかった。
ラギトの回し蹴りは、勢いよく、ダニエラの側頭部を捉えたのだった。
「……やるわね」
あづさは感心しながらそれを見て、唸る。いつの間にやら連携して戦うようになったらしい2人のおかげで、戦局はこちらに傾きつつあった。
ダニエラは側頭部を蹴り抜かれて一瞬、意識を飛ばしたらしい。そのおかげか、触手が一瞬、統制を失ってしまったのだ。その間を縫って魔法が飛び、ダニエラを拘束する。
「よし。このまま縛り上げちゃえば……」
だが。
「この程度だと、思いましたか!」
ダニエラの怒りの声と共に、一気に様々なものが溢れ出た。
魔法が一気に溢れ出て、あづさ達を襲う。触手が一気に床から伸び上がり、ルカとラギトを拘束してしまう。
そして……魔法になり損なった、魔力の塊のようなものが、撒き散らされる。
「ちょっと、何よこれ!」
あづさは、冗談じゃないわ、と内心で叫びつつ、魔法を使ってなんとか壁のようなものを作った。あづさの隣ではミラリアとギルヴァスもそれぞれに壁を生み出して、魔法の成り損ないの波を防ぐ。
「ぎゃあ!熱ィ!なんだこれ!べたべたする!気持ち悪ィんだよ!おい!離せよォ!」
一方、ダニエラに近づいていたルカとラギトは、触手に絞めつけられ、吊るし上げられていた。2人ともそれなりに力はあるはずなのに、触手の拘束から抜け出せないらしく、ただもがいているばかりである。
……そして、それらの光景の中。
ダニエラは頭痛に耐えるように頭を押さえ、ただ、視線を強く強く、どこかへと向けていた。
「制御できていない、のか……!」
ギルヴァスはそう気づいて、呟く。
どう見ても、今のダニエラは大きすぎる力を制御しきれていない。ダニエラは先程、『魔王の力』と言っていたが、もし、本当に魔王の力を得たのだとしたら……到底、ただの人間1人に操りきれるものではないだろう。
その証拠に、魔法になり損なった魔力がただ放出されている。これはダニエラの本意ではなく、あくまでも、彼女が操りきれなかった力が漏れ出した結果、なのだろう。
「おい、ダニエラ!もうやめるんだ!お前1人の身でその力は御しきれない!」
ギルヴァスはそう叫ぶと、また伸びてきた触手を切り払って、ダニエラへと一歩、近づく。
だが、ダニエラはそれを拒絶するように、ギルヴァスへと触手を殺到させた。或いは、最早それすらも、ダニエラの意思ではなかったのかもしれないが。
ギルヴァスは自分へ迫った触手を掴むと、筋力に任せて引き千切る。更にギルヴァスへ迫った魔法は、ミラリアとあづさが打ち消した。
「もうやめろ!魔王の力なんて、そう使えるわけがない!」
「黙れ!」
ギルヴァスの呼びかけに怒鳴って返して、ダニエラは表情を歪ませた。
「裏切り者が、今更、何を……!」
その言葉に一瞬、ギルヴァスは怯んだ。
裏切り者、と。そう蔑まれ疎んじられた100年間は、彼の中から消すことなどできない。他の四天王達と概ね和解することができ、名誉を取り戻すことができたとしても、100年の歳月によって築き上げられてしまった怯えと罪の意識は、そう易々とは消えてくれない。
……怯んだギルヴァスに向けて、先程引き千切られたばかりの触手が襲い掛かる。切り離されて尚、芋虫のように蠢いて襲い掛かる触手の数は、10や20ではきかない。
ギルヴァスは咄嗟に岩で壁を築き上げることもできたかもしれない。だが……彼はそれより先に、ダニエラへと、手を伸ばした。
ダニエラとギルヴァスは触手の波に飲み込まれ、周りからすっかり、見えなくなってしまった。
「大丈夫ですか!」
シャナンが振るった剣が、ルカとラギトを触手から解放する。
「ああ。だが、ギルヴァス様が!」
ルカは触手に掴まれていた部分に火傷のような傷を負いながら、それでも気丈に槍を振るって、ギルヴァス共々ダニエラを呑み込んだ触手の塊を切り払おうとする。
「チクショー!あったまきた!頭にキたからなァ!こいつ!こいつ!よくも俺を捕まえてくれたな!」
同じくしてラギトもまた、鉤爪で触手を鷲掴みにしては引き千切る、という乱暴なやり方でギルヴァスを救出しようと試みていた。
「ぼ、僕も助太刀しますよ!」
そこへシャナンも剣を携えて加わる。ルカやラギトの半分以下の速度で、覚束ない手つきながらもなんとか剣を振るって触手を切り払っていく。だが、後から後から生え出てくる触手を前に、シャナンは少々、怯んだ。
「退け」
シャナンの前に割り込むようにして、クレイヴがナイフを振りかぶった。すると、シャナンの頭部目がけて殺到しかけていた触手が一斉に切り払われる。
「怖いなら退いていろ」
そしてそう言うと、クレイヴもまた、ギルヴァスを救出すべく触手を切り払う作業に移る。
「い、いいえ!僕も勇者の末裔!目の前にあるのが魔王の力だというのなら、尚更!怯むわけにはいきません!」
それに煽られるようにして、シャナンもまた、剣を構えて触手に挑んでいく。傭兵達も後に続いて、寄って集って触手を切り裂き、引き千切るようになっていった。
……それを眺めて、あづさとミラリアは2人、険しい表情を浮かべる。
「あれ、どうかしら」
「中の様子がまるで窺えません。しかし、これだけ触手が旺盛に動くのですから、恐らくまだ、ダニエラは無事でしょう」
「となると、ギルヴァスがちょっと心配、だけど……」
あづさは少々、顔を顰める。ダニエラと共に触手の中に閉じ込められてしまったギルヴァスは、一体、どういうつもりで無謀な行動に出たのか。
「……もうちょっとちゃんと祝福、授けておけばよかったかしら」
その言葉を聞いて、ミラリアは苦笑する。
「祝福とは、そういうものらしいですよ。何かあってから、もっとしっかり授けておけばよかった、と後悔するものなのだとか」
ミラリアの言葉を聞いて、あづさはなんとなく、それにすとんと納得がいった。
後から思うもの。……なんとなく、実感が湧く。
「でも大丈夫でしょう。ギルヴァス様はお強いお方ですから」
「……そうね。私も、そんなに深刻に心配はしてないわ」
あづさはため息交じりにそう言うと、意図してにっこりと微笑んだ。
「だって彼、浮かれてるもの」
熱を持った触手の壁は、ダニエラの心情の現れなのだろう。
火の性質を帯びているようであるから、それは苛烈に攻撃的な感情であり、熾火のように燃えて消えない感情であり、そして確かに熱の通った感情なのだ。
ギルヴァスはそれを確かめると、ダニエラに肉薄した。
ごく狭い空間の中、今更ダニエラに逃げ場など無い。今度こそ、ダニエラへ伸ばした手は、ダニエラを捉えた。
「もうそろそろ、これを収めてくれないか」
ギルヴァスはダニエラに、そう話しかける。あくまでも、穏やかに。あくまでも、のんびりとした調子で。
「お前だって、死にたくはないだろう?」
自分のことと同じようにダニエラのことも考えて、ギルヴァスはダニエラの手を握る。ダニエラ自身をも蝕む魔王の力を、引きはがそうと。
……だが、ダニエラは身を捩って、抵抗した。
「ここで、終わるわけには、いきません……!」
きっと、ギルヴァスを睨みつける視線には、強い意志が宿っていた。
「虐げられて死んでいった、一族の為にも!」
そこで初めて、ギルヴァスは気づいた。
ダニエラの長い髪の下、今まで幻影に隠していたのであろう耳を見てみれば……それは人間のものよりも随分と長く尖った、エルフの耳であったのだ。
「……エルフの一族だったのか」
ギルヴァスがそう問えば、ダニエラは確かに、頷いた。
「エルフはかつて人間と共に在ろうとしました。交ざり合い、共に生きよう、と。あなたも竜ならば、それは知っていますね?」
ギルヴァスは頷く。人間と魔物の争いが始まった頃、一部の種族は人間の国に残ることにしたらしい。その中に、エルフは含まれる。
「……しかし、それが間違いだったのです」
ダニエラはそう言って、怒りと憂いの混じったため息を吐く。
「エルフの寿命は人間より遥かに長く、エルフの魔力は人間より遥かに大きい。本人らがどう意識していようとも、そこには明確な上下関係が生まれてしまう。それでもエルフは歩み寄ろうとしました。短命で、魔力も少ない人間に歩み寄り、共に生きようと。……でも人間は違った」
ダニエラの言葉には、次第に熱が籠もっていった。それに伴って、2人を包む触手の壁も熱を帯びる。
「人間はエルフを恐れたのです。共に在ろうと、思うことができなかったのです。そうして気づけばエルフは人間から疎まれ、……更には魔物にも見捨てられて、苦しむことになった……!」
遂に、触手の壁に火が着いた。その火はギルヴァスもダニエラも焼かんばかりに広がっていく。
「私がこの国を支配すれば、人間の力も魔物の力も必要とせず、エルフを救うことができる!私達と手を取り合うことをしなかった浅はかで愚かな人間とも、私達を見捨てながら今頃和平などと口にする汚らわしい魔物とも、私達エルフは違うのです!」
激高したダニエラの言葉に呼応するように、触手がまた、伸びた。
「ならまずは、ここを出んとなあ。ここに居ては、それもできないだろう」
ギルヴァスはそう言って、触手の壁に手をかける。その熱に掌が焼ける感覚があったが、それでも触れ続けていれば、ギルヴァスの穏やかな魔力に反応したように、触手の熱が引いていく。
やがて、触手はうねりながら、大人しくなっていった。それと同時、ダニエラは戸惑ったような表情を浮かべる。
「ほら。出よう」
ギルヴァスは戸惑うダニエラに、手を差し伸べた。
ダニエラは、その手に恐る恐る、手を重ねて……。
……握って、引いて、もう片方の手に握っていたナイフをギルヴァスに突き立てた。
「言ったでしょう。ここで終わるわけにはいかないと」
努めて冷静を保とうとしながら酷く興奮してもいる様子で、ダニエラは狂気じみた笑みを浮かべた。
「魔王の力を持たない魔王なら、殺せると思っていました。それが精々齢300程度の若造なら猶更。そして魔王を殺しさえすれば、この力の後継者は、正式に私となる」
「私達の、勝利です」
カラン、と軽い音が響く。
ダニエラが何事か、と、音のした方……足元を見やると、そこには奇妙なものが落ちていた。
それは、柄だけになったナイフだった。
「……え?」
何が起きたのか理解できず、ダニエラはゆっくりと視線を上げ……そこで、まるで弱った様子の無い琥珀色の瞳と、目が合った。
「……すまんなあ。言うのが遅れた。悪いが、俺は魔王じゃないぞ」
ギルヴァスは申し訳なさそうにそう言って、頭を掻くのだった。




