135話
「おお、よくやった。偉いぞ」
ギルヴァスは毒の霧を吸い込んだ影響か、少々咳き込みながらもそう言ってスライムを撫でた。スライムは自慢げに、ぷるん、と身を震わせる。
「……ねえ、ちょっと」
「うん」
この場で1人だけ、まるで動じていないギルヴァスを前に、あづさは思い出す。……そういえば既に、スライムに関しておかしいことがあった、と。
「クレイヴのナイフ溶かしたのもこの子でしょう?いつの間にこの子、こんなことになったのよ」
あづさの記憶にある限り、スライムは別に、諸々を瞬時に消化する能力など持ち合わせてはいなかったはずである。それがどうしたことか、今のスライムは触れたものを瞬時に消化し、何事もなかったかのように消してしまうという恐ろしい能力を身に着けているようだった。
毒の瓶を取り込んだはずのスライムは特になんともないようで、あづさが手を差し出せばぴょこんと跳ねてやってきて、もっちりとあづさの手の上に乗る。
スライムは少々、成長しているらしかった。あづさの両手にすっぽり収まっていたはずの体躯はいつの間にか、少々手に余るほどになっている。
「ああ、スライムについてだが、言っていなかったな」
スライムがあづさの手に何とか収まろうとうにょうにょ動くのを見て苦笑しつつ、ギルヴァスは言った。
「祝福を与えたんだ」
ダニエラを追うかどうかで迷ったが、ひとまず先に、アーリエス4世の様子を見ることにした。
何の抵抗力も持たない人間が毒の霧をダニエラの隣で吸い込んだのだ。すぐに処置しなければ命に係わる。
「……よし。まあ、毒を吸い込んだらしいが、それだけだな。魔法が動くようになっていたが、それは止めた。体の不調もルカが水の魔法で流してくれた。後は普通の毒消しを飲んでおけば、まず大丈夫だろう」
アーリエス4世の様子を見て、何か魔法を使ったらしいギルヴァスは、そう言って王の側近達に笑いかけた。
「ああ、大丈夫だ。これなら死なんだろう。毒が回り切ったら石化するようにできていたらしいが……まあ、もう心配要らないさ」
ギルヴァスの言葉を聞いて、側近たちはほっとしたような、それでいて戸惑った表情を浮かべた。そんな毒は聞いたことが無い、ということなのだろう。それもそのはず、魔法を溶かしこんだ毒は、人間の国には本来無いものであったのだ。
「こっちはもう側近さん達に任せるとして、私達はダニエラを探す?」
「そうだな。……クレイヴ。場所の見当はつくか?」
「ああ」
そしてどうやら、ダニエラの行き先についても心配は要らないらしい。あづさ達は早速、ダニエラを追いかけ始めた。
「さっきの続きだけど、祝福、ってつまり、スライムにキスしたってこと?」
「ま、まあ……それはそうだが、要は良く働いている臣下に褒美を出したというだけだぞ」
妙に言い訳じみた言い方をしてしまいつつ、ギルヴァスは少々気まずげにあづさをちらり、と見た。
やましいことなど一切ない、と言い切ることはできるが、その実、ギルヴァスの心情の中には少々のやましさも含まれているのだ。振り返ってみれば、少々気まずい。
「別に、悪いことだなんて思わないけど。よかったじゃない。スライム、強くなったみたいだし」
「ま、まあ、そうなんだが……」
あづさからの反応に、ギルヴァスはまた少々ぎこちなく頷く。こうもあっさりされていると、悩んでいたギルヴァス自身が馬鹿のように思えてくる。
「でも、そうね……スライムは良く働いてくれてるし、それは間違いないけど」
だがそこで、あづさが少々悪戯めいた笑みを浮かべて、ギルヴァスの顔を覗き込んだ。
「だったら私だって、貰ってもいいと思うんだけど。私、よく働いてるでしょ?」
ギルヴァスは唖然としつつ……少々みじめたらしい気持ちであづさへ半眼を向けた。
「……スライムに先に祝福を与えたということなら、君の方が先だっただろう」
「え?」
あづさはきょとん、とし、少々真剣に悩み……。
「ああ!最初、この世界に来た時!確かに私、スライムを食べようとしたわ!」
「食べ……!?」
「そりゃあもう、必死だったわ。生きるか死ぬかの瀬戸際だったの。あんな荒れ地で水も飲まずにずっと歩いてたんだから!そこで水っぽいもの見つけたら、キスだの祝福だの考えずに、そりゃ、食べるわよ」
ギルヴァスはもちろん、他の者達も皆、あづさの言葉に驚いている様子であった。スライムは当時のことを思い出しているのか、ぷるぷるぷるぷる、小刻みに震えている。
「そう、それが祝福になっちゃったのね。でもよかった。おかげで私達、助かってるもの」
あづさは1人、納得して満足げに頷く。それを見てギルヴァスは勿論、祝福の意味を知っているルカは血の上った顔を見られないよう気まずげに顔を背け、ミラリアは「まあ」と感嘆の声を上げつつにっこりと微笑み、そしてラギトは「あづさ!俺にも祝福寄越せ!」とバタバタし始めた。
「……そ、そうか……食べようとした結果が、これだったのか……」
「ええ。そうね。それ以外でこの子にキスした覚え、無いもの。……勿論、この子が希望するなら、またやるけど」
あづさがそう言った途端、スライムの体がうにょん、と伸びあがる。そして、あづさの手の上に居たスライムはなんとか体を伸ばすと……その先端で、あづさの唇に触れた。
「なっ!こ、こら!スライム!何をしている!」
慌てたギルヴァスがスライムを掴んであづさから引き離すが、あづさは唇に残るひんやりとしてぷにぷにとした感触を反芻しつつ、にっこりと笑った。
「可愛いわね、この子」
「可愛い、で済ませるんじゃあない!」
あづさとは対極、ギルヴァスは焦ったように声を上げて、自分の手の中へ引き込んだスライムをあづさへ近づけないように抱え込んでしまった。
「やだ、妬いたの?」
それを見てあづさはくすくすと揶揄うように笑うが。
「ああ。妬いた」
ギルヴァスはそう言うと、少々じっとりとして大人げない視線をあづさへ寄越す。これはあづさにも少々、予想外だった。
あづさは自分へ向けられる、湿った感情を帯びた視線を真っ直ぐ見つめ返し……。
「……や、ちょっ……か、わいい……」
ひくり、と緩んだ口元を押さえて、目を輝かせた。これは、ギルヴァスが予想していなかった反応である。
「あなたって、本当、可愛いわね。それ、狙ってやってるの?」
「狙……な、何のことだ一体」
「そうよね。狙ってなくてそれなんでしょ?ああもう……」
「……かわいい、かぁ……」
ギルヴァスはすっかり気が抜けてしまって、眉尻を下げつつ、頭を掻いた。
「可愛がられたいわけじゃあないんだがなあ……そうか、君にはこれが可愛いのか……というか、スライムと同じ扱いなのか?もしかして」
「あなただけ特別、って言われたかった?」
そんなギルヴァスに追い打ちをかけるようにあづさはそう言う。
それは少々意地悪が過ぎるんじゃないか、とギルヴァスは思いつつも、また答える。
「……悪いか」
あづさは目を瞬いた。
目を瞬かれるようなことを言っている自覚は、ギルヴァスにもある。今日は随分、素直に過ぎる。或いは、はぐらかしたり避けたりする余裕がない。どちらにせよ齢300を超える竜の言動とは思えない。自己嫌悪にじわじわと浸食されていきつつも、ギルヴァスはただあづさを見つめ返した。あづさはまた、可愛い、とでも思っているのだろう。そういう目をしている。だが、またそれを言う程意地悪では無く……。
代わりに、背中の羽を緩く羽ばたかせてふわりと浮き上がると、ギルヴァスの頬に口づけた。
ふに、と、スライムのそれとはまた違う柔らかさが触れ、そして離れていった。
「『今は』これで我慢してね」
あづさはそう言って笑うと、クレイヴが先導する方へ飛んで行ってしまった。
「……大丈夫ですか」
置いていかれて最後尾になったギルヴァスは、そこでルカにそっと、遠慮がちに背を叩かれ、声を掛けられる。
「……すまん。今、俺は浮かれてる」
だろうな、とでも言いたげなルカに苦笑を返しつつ、ギルヴァスは何とも楽し気に言った。
「やっぱり敵わんなあ。それでいて、敵わないのが楽しいとは」
負けることが楽しい、など、以前のギルヴァスであればちらとも思わなかったであろうことを存分に噛みしめつつ、ギルヴァスはうきうきと浮かれた調子でダニエラを追うべく足を進めるのだった。




