134話
アーリエス4世はぎょっとした。
玉座の間の扉がノックされ、返事をして入室を許可してみれば、扉を開けたのは角の生えた大男。明らかに人間ではない彼は、その体躯を折り曲げるようにしてひょこり、と会釈すると、おずおずと笑みを浮かべて入ってきた。
「どうも。この間は部屋を壊してすまなかったな。もし必要なら後で補修するから言ってくれ」
「な……」
『この間は部屋を壊してすまなかった』。そう言った大男を見上げて、アーリエス4世はぞっとする。
人間のような姿に化けてはいるが、彼は……竜なのだ。そう。魔王と名乗り、あの夜、アーリエス4世の部屋の壁を破壊していった、あの竜。
「はあい、王様。お久しぶりね」
その後に続くのは、勇者として送り出したはずの少女とその姉。更にその後ろには元気に羽ばたいてやってくる鳥の魔物。傭兵達。アーリエス4世も見覚えのある、ダニエラの懐刀。そして、彼が連れてきたのは、ダニエラその人である。
「ダニエラ様!」
アーリエス4世が悲鳴にも似た声を上げて立ち上がると同時、最後尾に居た魔物の騎士がそっと扉を閉めた。
「じゃあ、王様。ちょっといいかしら?」
勇者の少女はにっこりと微笑むと、アーリエス4世の前に進み出て……そして、後方のダニエラを示して、言った。
「私達、彼女に聞きたいことがあるんだけど、いいわよね?」
アーリエス4世は側近達を魔物達に立ち向かわせたが、その勝敗は呆気なく決まった。
魔物達は片手間に、人間の攻撃を防いでしまうのである。勝てるわけがない。
圧倒的な力の差を目の前にして、アーリエス4世は絶望し……目の前の光景の理由を求めた。
勇者であるはずの少女と、魔王であるはずの男が一緒に居る。これは……間違いなく、魔王に勇者が誘惑され、洗脳されてしまったのだろう。そうなる前に魔王を殺せ、と命じておいたはずなのに、傭兵が30余人も居てこうなってしまうとは。
だがそれも仕方ないことだったか、と、アーリエス4世は自嘲する。
魔物と人間の間には、戦力の差がありすぎる。魔王はきっと、勇者や傭兵達の攻撃をものともせずに受け止めて、彼らを全く傷つけることなく無力化したのだろう。そうなってから、誘惑なり洗脳なりを施していったに違いない。
勇者に勇者の力を与えることができていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。だが、勇者の力は100年前に失われたきりなのだ。無いものをどうこう言っても仕方ない。
……また、アーリエス4世の驚いたことに、勇者と共に居た能天気そうな青年は、いつの間にか鳥の翼と足を持つ魔物になってしまっている。元々が魔物であったのに化けていたのか、はたまた、人間であったのに魔物に作り替えられてしまったのか。どちらにせよ恐ろしいことだが、どうか後者であってくれと、アーリエス4世は思う。魔物と知らずに魔物を城に入れていたなど、あり得ないことなのだから。
アーリエス4世は、必死に頭を巡らせる。この状況を切り抜け、人間の勝利へ導くために、どうすればいいのか。
……だが、考えても考えても、答えなど出てきそうになかった。
何故なら、彼の頭の中には明確な『人間の勝利』の図が無かったので。
「ええと、まず最初に、だが。俺達は人間を攻撃する気は無い。ここまで来るにも、人間達に危害は加えていない。加えたとしてもごく軽いものだし、治療をしている。要は、降りかかった火の粉は払ったが、最低限の動作で払ったし、その後始末もしている。こちらの姿勢はそういうものだ、と、分かってもらえると嬉しい」
ギルヴァスが最初にそう言えば、アーリエス4世は近くに控えていた近衛兵にギルヴァスの言葉が真実か尋ねる。
近衛兵にはギルヴァス達が王都に入ってきてからの様子が子細にわたって報告されていたらしく、彼はただ『間違いありません』とだけ答えた。
「……それから、次に、だが。俺達はできれば、人間の国と和平を結びたいと思っている。人間の王よ。どう思う」
ギルヴァスが尋ねると、アーリエス4世は口を開いたまま、何も言えずに立ち尽くす。
どう、とも言えない。アーリエス4世の心境は、それに尽きる。
「あー……流石に、突然すぎたか。いや、すまない。ただこっちとしても、聞きたいことがあってだなあ……うん」
ギルヴァスはアーリエス4世の様子を見て頭を掻きつつ、ここでやっと、ダニエラへと視線を向けた。
「こちらが聞きたいのは、王にではなく、こちらのご婦人に、だ」
ダニエラはびくり、と身を縮こまらせる。そこへギルヴァスは身を屈めて視線を合わせると、あくまでも穏やかな調子で問う。
「お前は魔法を独占するために、魔物の国との和平を望む勇者を殺そうとしたんじゃあないか?」
「一体何のことですか。身に覚えがありません。汚らわしい魔物達よ、このようなことをしてただで済むとは思わないことです!」
ダニエラはその美しいかんばせを厳しくしてギルヴァスを睨みつける。……だが、ギルヴァスはそれを黙って見下ろした。
ギルヴァスは何も言わなかった。……だが、つい先ほどまで友好的かつ穏やかに、いっそ頼りなげな様子で話していたギルヴァスが黙って冷たい目を向けていれば、そこに込められた意思は伝わる。
ダニエラは委縮して、それでもギルヴァスへの敵意と警戒はそのままに、口を噤んだ。そこへギルヴァスは手を伸ばし……。
「や、やめろ。その女性に手を出すな」
そこでようやく、アーリエス4世が口を挟む。
「その方は我が父、アーリエス3世の妃。その方に手を出せば、それは即ち、我ら王家に手を出すことと同義だぞ!」
「ああ、心配しなくても危害は加えない。すまないな、少々怖がらせてしまったか」
ギルヴァスは困ったような笑みを浮かべてアーリエス4世を見つめ……そこでふと、その表情を鋭いものに変える。
「……だが、少々、怖がってもらった方がいいかもしれんな。その方がよく喋れる、というなら俺はそうすることに躊躇いはないぞ」
竜が牙を剥くような、そんな鋭く張り詰めた空気が玉座の間を満たす。アーリエス4世も彼の近衛達も、ダニエラも、皆が恐怖と緊張に晒されて冷や汗をかく。
目の前にいる存在が、圧倒的な力を持っているのだということを、痛いほど実感できた。
それらをゆったりと、強者の余裕で見回したギルヴァスは……ふと、思い出したようにミラリアから箱を受け取った。
そしてそれを持ってアーリエス4世に近づき……箱を差し出した。
「すまん。渡しそびれていた。つまらないものだが」
箱を開いて見せると、中には丸々と太った人参と大根をかたどったクッキーが詰めてあった。
「うちの特産品だ。中々可愛いだろう。気に入ってるんだ」
ギルヴァスがにっこり笑ってそう言えば、今度こそ、アーリエス4世は何も言えずに曖昧に頷くばかりとなるのだった。
玉座の間から応接室へと場所を移した一団は、そこで供された茶と茶菓子を味わいつつ、魔物側はゆったりと、人間側はそんな余裕は一切無く、向かい合っていた。
「うめえ!ヘルルートクッキー、いいな!これいいな!うめえ!美しくはねえけどちょっとは可愛い!うちのファラーシアの指1本分ぐらいは可愛い!」
「あなたもすっかり親バカよね」
「俺はバカじゃねえ!」
「その返事がもうそれっぽいのよねえ……」
茶菓子には、ギルヴァスがもってきたヘルルートクッキーも出されていた。あづさは銀の皿の上に品よく並べられたそれをつまんで、ぽり、と齧る。素朴な味わいのクッキーは、最近スケルトン達が作った地の四天王領の特産品である。マンドラゴラの花の花粉が練り込まれているらしく、健康にいいらしい。勿論、実際の効果のほどは謎である。
「……ああ、毒などは入れていないぞ。当然だが。こちらはそちらを害する意図は無いからな。何度も言うようだが……」
ギルヴァスはそう言って、人間側にもクッキーを勧める。だが、アーリエス4世をはじめとした人間達は、流石に茶菓子に手を付ける気にはなれないらしかった。
一方で魔物側についている傭兵達は特に何も躊躇わず、ヘルルートクッキーなり、王城で用意された他の茶菓子なりをつまんでいる。同じ人間でも、両者の間には隔たりがあった。
「さて。美味しい茶と菓子もあることだし、先に話は済ませてしまいたいのだが、いいか」
ギルヴァスはそう、アーリエス4世に問う。
「ああ。……だが、先程のことについては、私からも否定させてもらう。我らはそのようなことは企んでいない。ただ……」
「魔王に騙されるかもしれないから、相手が何を言ってきても殺せ、と勇者に命じてたわね。あなたは」
あづさはそう言ってため息を吐いた。アーリエス4世はその『魔王』本人を目の前にしてそのようなことを言われて只々委縮し、同時にあづさを憎々し気に睨みもしたのだが、ギルヴァスは一向に気にする様子が無い。
「うん、まあ、そうだろうなあ。それは聞いているし、あづさが言うことだからまあ間違いないとして……問題は、『勇者が和平を望んだら殺せ』と、そちらのご婦人に命じられた者が居た、ということだ」
ギルヴァスはそこで、クレイヴを示す。
「彼はダニエラ・アーリエスの懐刀。間違いないな?」
これにはアーリエス4世もダニエラも頷く。特にダニエラは先程、『フォグ』と彼を呼んでしまっているので、言い逃れのしようがない。
「彼が、証言してくれたぞ。もし勇者が魔王と和平を望んだなら勇者を殺せと命じられた、と」
「そ、それは真か、フォグ!」
アーリエス4世は取り乱しながらそう問いかける。だが、クレイヴはそれにはっきりと頷いて答えるのだった。
「……まあ、そういうわけだが、別にこちらは、それを責めるつもりはない。人間の国が魔物の国と和平を望んでいなかった、というだけの話だからな。そこはまあ、しょうがない」
ギルヴァスは少々苦い顔ではありながら、そう言いきった。
「これからの話は、また別だろう。俺達魔物側が人間の国との和平を望んでいると、しっかり伝えてから、もう一度考えてもらいたい。こちらの主訴はそれだけだ」
アーリエス4世は明らかに困惑した様子であったが、その困惑のままにダニエラへ視線をやった時、アーリエス4世は少々驚くことになる。
ダニエラは、憎々し気にギルヴァスを睨みつけていた。普段の彼女からは考えられないような表情に、彼女を知る者は皆、ざわめく。
「それから、こちらはまあ、ただ聞いておきたいだけなんだが」
ギルヴァスはそんなダニエラを穏やかに見返しながら、問う。
「まず1つ目は、あなたが魔法を独占したいがために、魔物の国との和平を拒むのではないか、ということ。2つ目は、そのことはあなたの独断なのだろう、ということ。そして3つ目は……あなたは勇者マユミの死の真相を知っているんじゃないのか、ということだ」
ダニエラはぎゅっと唇を引き結んでいた。そしてわなわなと震えると……唐突に、手に持っていた何かを振り下ろす。
それは、瓶だった。
美しくも脆い素材でできていたらしいその瓶は、テーブルの上に叩きつけられて粉々に砕け散る。
そして、瓶の中に入っていたらしい液体が、ドロリ、と流れ出し……そこから濃い紫色の霧が、立ち上る。
あづさは瞬時に、それが毒の類だと悟った。だが、流れ出してしまった毒はどうすることもできない。
ダニエラが逃げていく一方、あづさ達の行く手を阻むように紫の霧は室内に広がり、あづさ達を包み込む。あづさは意識を強く持って、何とか部屋の扉まで辿り着こうとするが……。
それよりも、前に。
ぱくん、と。
「……えっ」
皆が驚いて見守る中、いつの間にやらテーブルの上に鎮座していたスライムが、割れ砕けた瓶ごと、毒を呑み込んでいたのだった。




